その2 廃学校

 生人、八槻、レミ、野川の4人は、車で本日の仕事場である九王子市のとある廃学校に到着した。4階建ての大きな建物である廃学校は、暗闇のもとに突然現れる。雨に汚れて黒くなったコンクリート製の壁が、廃学校を暗闇の中にとけ込ませているのだ。

 廃校から十数年が経ち、子供たちが明るく日々を過ごしたであろう過去は月日に上塗りされ、寂れてしまった廃学校。そんな建物の前に、生人たちは立った。

 

 これから仕事が始まる。生人と野川はいつも通りに、レミは張り切った様子。ところが八槻は、少し膨れ顏である。


「面倒くさい」


 仕事が始まる前から、不満を口にした八槻。理由は簡単だ。廃学校の駐車場には、すでに1台の軽自動車がとまっていたのである。この廃学校には、先客がいる。先客がどのような人種なのかは、耳をすませば分かった。

 廃学校の中からは、騒がしい人々の声が聞こえてくる。何を言っているのかまでを生人たちが聞き取ることはできないが、若い男女であることに間違いはない。


「心霊スポット見学か? まったく迷惑なヤツらだ」

「野川さんも、見た目だけなら心霊スポット見学しに来た若者っぽいですけどね」

「そりゃ、生人もそうだろう。俺たちは仕事しに来たんだ。そもそも俺たちは幽霊だぞ。見学される側じゃねえか」

「確かに」


 そうやって生人と野川が無駄話している間、レミが八槻に対し質問した。


「ねえねえ、やっつーはなんでそんなイヤそうな顔してるのぉ?」

「仕事が増えたから」

「増えたの? どんなお仕事が増えたの?」

「強制立ち退き」

「ふ~ん」


 八槻は大きなため息をつき、事の重大さが分からぬレミは、あっけらかんとしたまま。

 これからどのようにして若者集団を廃学校から追い出すのか。最初に提案したのは野川である。


「俺と生人で、あいつら脅かしましょうか?」

「うん、それしかないと思う」


 実際に恐怖を染み込ませない限り、心霊スポット見学をするような若者集団は、見学を止めることはない。初仕事の際、八槻がそう言っていたのを生人は思い出す。果たしてそれが正解なのかどうかは、今の生人には分からない。

 だが、他に方法が思いつかないのも事実。生人は野川の提案に賛同した。


「どうやってあいつらを脅かすんだ?」

「そうね……」

「じゃあさぁ、こんなのどうかなぁ。あの人たちの家族を捕まえて、監禁して、その写真を送りつけて――」

「どこからそんな知識を仕入れたんだよ!?」


 可愛らしい顔をしたレミの口から飛び出す、あまりにも生々しい脅かし方。彼女は明らかに、人間界の常識を勘違いしている。

 

 八槻はレミの提案を無視して、考え事に耽る。しかしその考え事も、程なくして中断せざるを得なくなってしまった。


「な、なんだ!? うわああぁぁぁ!」

「やめて! きゃぁぁぁ!」


 廃学校の内部から響き渡る、恐怖に引きつった金切り声。暗闇に包まれた雑木林にまで、その悲鳴はこだました。一体何が起きたのか。生人たちが脅かす前に、若者集団は何者かに襲われたのだろうか。生人は緊張感に表情を変える。


「もう、やることが増えた」


 八槻の面倒くさがりは、廃学校から悲鳴が聞こえてこようと変わらないようだ。彼女はいつも通りの表情を変えず、さらに大きなため息をついている。

 いつも通りなのは、レミも同じ。


「また増えたの? 今度は何が増えたの?」

「人間を脅かした幽霊への注意。下手すると、捕まえなきゃいけない」

「ふ~ん」

「見学者の保護と注意、幽霊への注意。久々の面倒な仕事っすね。どうも報酬が高いわけだ」


 生人は不思議だった。いつも通りなのは八槻とレミだけでなく、野川もそうなのだ。目の前で人が襲われているのだから、もう少し焦るなりしないのだろうか。


「随分と余裕そうだけど、人が襲われたんだぞ。これからどうするんだ!?」

「あんたは、随分と余裕なさそうね。肩の力抜いたら」

「姫様の言う通りだぜ。こういう事は、たまにあるんだ。そう気負うなよ」

「レミたちならできるよ、いっくん」

「おお! さすがは天使様レミ様! 大物感あふれる余裕っぷり!」

「…………」


 目を輝かせ、レミを持ち上げてみせる野川。レミに反応はなかった。

 八槻たちの言葉を聞いていると、不安と同時に妙な安心感が、生人に生まれてきた。いちいち悩んでいるのが、馬鹿らしく感じてきたのだ。

 

「ともかく、私とレミが3階と4階を探索するから、左之助さんと元町くんは1階と2階を探索してきて。若者集団を見つけたら、確保して追い出す。幽霊を見つけたら確保」

「オッケーっす」

「分かった」

「レミも頑張る! 早く行こ、やっつー」


 作戦会議らしいものはなく、あっさりと役割分担が決められ、八槻に従い二手に分かれて廃学校へと足を踏み入れる生人たち。ついに仕事が始まった。


 ひとつの靴も入れらていない下駄箱を通り過ぎ、階段を上っていった八槻とレミとは別れ、生人と野川はそのまま廊下を進む。明かりは生人の持つ懐中電灯だけ。埃まみれの校内は自然と散らかり、歩くたびに床はきしみ、闇に隠れたゴミが足にぶつかる。

 生人が心霊スポットにやってきたのは、これが初めてだ。幽霊になって初めて、心霊スポットにやってきた。幽霊でも、夜の廃学校に漂う雰囲気は恐ろしいものである。


「なあ生人、怖いのは分かるが、あんまりくっつかないでくれねえか?」

「すみません」

「幽霊が怖がってどうすんだよ」


 廃墟の雰囲気に慣れていない生人にとって、今日の野川は頼もしい。サル顔に似合わぬパンク衣装に身を包む、やけに軽い男は、それでも戦国時代を生きた武者なのだ。彼がいてくれれば、生人も廃墟など怖くはない。

 

 椅子と机の散らかるだけの、活気などはとうに失った教室を覗きながら、しばらく廊下を進む生人と野川。2人は何を見つけることもなく、階段の前に到着する。

 階段を上って2階に行く前に、確認しなければならない部屋があった。トイレだ。闇と重い空気に包まれた、怪談話の定番の部屋。


「野川さん、トイレはお任せします」

「ビビってんの?」

「野川先輩の活躍するところ、その勇姿を、ここで見せてほしいんです」

「そう言われちゃ、しょうがねえなぁ」


 生人が少しおだてただけで、野川は一切の躊躇もなくトイレへと入っていった。いきなり女子トイレに入ったのは、気にしてはいけない。

 数分間、生人は廊下に1人ぼっちである。これはこれで怖い体験ではあったが、生人にとって、真っ暗なトイレに入るよりはマシであった。空気感の違う、暗闇のトイレなど、幽霊になっても入りたくはないのである。

 

「女子トイレは異常なし。男子トイレは――」


 あまり恐怖した感もなく、女子トイレの探索を終え、男子トイレに入っていった野川。やはり今日の野川は頼りになると、生人の野川に対する評価が上がる。

 だが数秒後のことだ。生人の野川に対する好感は、絶望感へと変わってしまった。


「ぎゃああぁぁぁぁ!!」


 男子トイレの奥から響いた、断末魔にも似た叫び声。そして訪れる静寂。きっと野川は幽霊に襲われたのだ。幽霊なのに幽霊に襲われたのだ。

 叫び声だけならまだ良かった。生人が様子を探ろうと男子トイレを覗くと、そこには暗闇にぼうっと浮かぶ人影が。生人は恐怖し、野川を助けに行く勇気もなく、無我夢中で逃げ出し、階段を上った。


 階段を上ってから、生人は気づく。なぜ階段を上ったのかと。なぜわざわざ、逃げやすい1階から逃げにくい2階に来てしまったのかと。

 これから1階に戻ろうにも、あのトイレにはもう近づきたくない。そこで生人は、八槻たちと合流することを最優先とした。頼り甲斐のない野川よりも、八槻の方が頼りになると考えたのだ。


 八槻たちとの合流のため、3階に上がろうとする生人。しかし、3階までの階段は崩れ落ちており、行く手を阻んでいる。仕方なく、生人はもうひとつの階段に向かうため、2階の廊下を進んでいった。彼の頭上に広がる天井が、大きく揺れているのにも気づかず。

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