Case3 廃学校と派遣天使

その1 派遣天使着任

 時間は午後9時になろうとしていた。もうすぐで仕事の時間だ。八槻は自室で仕事の資料を探している。黒部はすでに仕事で相談所にいない。生人と野川は、相談所のソファに座って喋っていた。


 生人と野川は、先輩後輩の関係でこうして2人で会話することが多い。その中で、生人がつい最近知ったことが2つある。

 1つは、幽霊は食事をしなくても大丈夫だということ。故に、トイレに行く必要もない。幽霊にとって食事は、娯楽でしかないのだ。だから、八槻の作る奇怪な料理を食べる意味はなく、野川と黒部が食事をしないのもそれが理由だった。

 もう1つは、派遣天使という存在である。白河幽霊相談所は天界公認の幽霊支援施設。そのため天界から天使が派遣され、共に仕事をするという。だがこの数日間、相談所に天使はいない。天使がいない理由は、やはり野川が教えてくれた。


「前の天使、良いヤツだったんだけどな。過労で倒れちまって」

「天使が過労? 何があったんです?」

「そりゃ、ウチの姫様、人使い――天使使いが荒いから」


 相談所のソファに寝っ転がるように座った野川がそう言う。それを聞いて生人は、ブラック企業に就職してしまった気持ちになった。八槻の人使いの荒さは、この1週間で嫌というほど感じている。


 ところで、なぜ生人と野川は天使の話をしているのか。実は今日、新たな派遣天使が着任するというのだ。

 時間的には、そろそろ天使が到着する頃合いだろう。そうでないと、新たな天使は着任早々に遅刻することになる。天使を待って、生人と野川は玄関を眺め続けた。

 

 時計の針が午後9時を指し示そうとしたその瞬間、相談所の玄関の扉が勢いよく開けられる。インターホンの音もしなければ、ノックすらもない。突然、刑事が突入してきたかのごとく、扉が開けられたのだ。

 開ききった扉が壁にぶつかり、唖然とする生人と野川。扉を開け、玄関に仁王立ちするのは、頭に光の輪っかを飾る、真っ白なワンピースに長いブロンドの髪を持った、絵に描いたような美少女。彼女が天使であるのは、2人ともすぐに理解した。特に生人は、彼女に見覚えがあった。


「御用あらためであ~る!」


 天使のその挨拶は、理解できなかった。まるで池田屋事件の近藤勇のような登場。ここには吉田稔麿はおろか、1人の攘夷志士だって存在しない。一体何を言っているのか、この天使は。


「あれ? 人間界の挨拶ってこうじゃないの?」

「全く違うけど」

「じゃあ、階段から転げ落ちて、『銀ちゃん、かっこいい……』って言うのも違うの?」

「違う。ここは撮影所じゃないし、銀四郎はどこにもいない」

「ええ~そんなぁ。せっかく人間界のこと勉強してきたのにぃ」


 何をどうすれば、人間界のことをそこまで勘違いできるのか。一体何を教材にしたのか。追求したいことは多かったが、生人の否定とツッコミに落胆する天使を見て、生人も野川もそれ以上のツッコミは入れなかった。

 だが同時に、生人は彼女の間延びした口調を聞いて、彼女が誰なのかを思い出した。


「あのさ、君ってもしかして、死んだ俺を迎えてくれた天使さん?」

「う~ん……覚えてないなぁ。数日前まで、いろんな人のお迎えしてたから」

「そ、そうか。でも確か、名前を聞いたはず。えっと、ムスタファ――」

「ラファルエル=エルスタセフ=メルケファ=イーシア!」

「それだ! やっぱり、君はあのときの天使さんだ!」


 意外な形での再会。思わず生人は驚きの声を上げてしまったが、天使は対照的に、生人のことなど微塵も覚えていない様子。天使はあっけらかんとしていた。


「なんか賑やかだけど、どうしたの? あ、もう来てたんだ、派遣天使」


 午後9時ちょうどになり、プリン片手に自室からようやく出てきた八槻が、天使の顔を見てそう言い放った。いつも通りの無愛想さ。初対面の人にくらい、笑顔を作ったらどうだと生人は思う。


「御用あらためであ~る」

「私は白河幽霊相談所の所長、白河八槻」


 天使の間違った知識による間違った挨拶を、八槻は無視して、自己紹介を始めた。彼女は面倒なことを無視するクセがある。天使の挨拶は、面倒だと判断したのだろう。一方で天使も、無視されたことなど気にせず挨拶をした。


「ラファルエル=エルスタセフ=メルケファ=イーシア」

「……長いから、頭文字のアルフェベットをとって『レミ』って呼んで良い?」

「いいよぉ。お父さんもお母さんも、友達もみんなそう呼ぶもん」


 レミ。それならば覚えやすい名前だ。ただ生人は、みんなからそう呼ばれているのなら、最初からそう自己紹介してほしいものだと思う。


「俺は元町生人。よろしく」

「よろしく、いっくん」


 改めて自己紹介をする生人。レミはさっそく、生人をあだ名で呼んだ。

 生人に続いて、野川が自己紹介をする。だが、野川の様子がおかしい。彼は妙にスカした表情をしている。


「天使さん! 可愛らしいレミさん! 俺は野川左之助といいます。戦いに生き、死にも抗う武者です。困った時は、なんでも俺に言ってください! いつだって、俺は美しいあなたを守ります」

「あっそ」


 力と愛のこもった、半ば口説き文句にも近い野川の自己紹介。それに対するレミの反応は淡白であり、暗い影に覆われた表情が恐ろしい。まるで堕天使だ。

 野川の自己紹介が、明るくほんわかした印象のレミをあっという間に堕天使にしてしまったのである。それでも野川は意に介さず、スカした表情を止めるはなかった。


「じゃあ、今日の仕事の説明」


 自己紹介を切り上げ、プリンを食べながら本題に入った八槻。レミはほんわかした表情に戻り、初仕事となる八槻の指示を、楽しみに待っていた。


「今日は九王子市の廃学校の警備。ネットで有名な心霊スポットらしくて、襲われた人の話も多いから、面倒な仕事になると思う」

「面倒な仕事を引き受けるなんて、珍しいな」

「姫様、もしかして報酬が高いんっすか?」

「そう。1週間は仕事しなくて良いぐらいの報酬」


 プリンを含んだ八槻の口が、ニタリと笑う。彼女の面倒くさがりは筋金入りだ。


「で、それ以外の仕事は全部黒部さんに押し付けたから、廃学校に行くのはここにいる全員」


 どうにも黒部が早く仕事に出かけたはずだ、どうにも天使が過労で辞めるはずだと、生人は納得した。八槻の人使いの荒さは、凄まじい。


「詳しいことは現地で説明するから、準備始めて」


 おそらく、説明も面倒になったのだろう。八槻はそう言って、説明よりもプリンを食べることに集中してしまった。仕方なく、仕事の詳しい内容も知らず、生人たちは仕事の準備をすることになる。


 準備の途中、生人にとって最大の驚きが、八槻の指示と、それに対するレミの対応にあった。


「人間界での仕事中は、その頭の輪っかって邪魔だから、なんとかしておいてね」


 天使のアイデンティティーを否定しかねない指示。当然、レミも最初は反発した。


「ええ~そんなぁ! 輪っかは天使さんのおしゃれアイテムなんだよ!」


 レミの反発の仕方は生人の想像の斜め上だったが、おしゃれアイテムということはアイデンティティーみたいなものだ。そもそも天使のオーラである光の輪っかが、そう簡単に外せるわけがない。だが八槻は、同じことを繰り返した。


「仕事中におしゃれな帽子をかぶっちゃいけないのと同じ。早く輪っかなんとかして」

「でも、人間は仕事中にかぶと・・・を被るんじゃないの?」

「それは別の仕事をしてる人がやること。ウチの仕事じゃない」

「うぅ、分かった。輪っかは取る。せっかく綺麗にしてきたのにぃ~」


 説得され、八槻の言葉に従ったレミ。彼女は頭の上に浮いていた輪っかに手をかけると、そのまま当たり前のように輪っかを取り外し、ポケットにしまった。その光景が当たり前ではない生人は、目一杯の驚きを口にする。


「え!? 輪っかって外せるの!?」

「うん。オーラを固めてカチカチにすれば、簡単だよ」

「天使として、輪っかの取り外しが簡単ってどうかと思うけど……」


 唖然とする生人を横目に、八槻たちは仕事の準備を着々と進める。

 果たして、レミは初仕事を乗り越えることができるのだろうか。彼女の謎のほんわかさと、間違った人間界の知識が、生人に不安を募らせている。

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