その5 幽霊らしく

 女性に教えてもらった幽霊スポットは、すぐ近くの公園だ。八槻は近くの駐車場に車をとめ、さっそく草むらに隠れて警備を始める。当然だが、生人も一緒にである。


「なあ、幽霊が現れたらどうするんだ?」

「黙って隠れてる」

「若者の集団が来たら?」

「だから、黙って隠れてる」

「黙って隠れて、どうするんだ?」

「いいから、黙って隠れてるの」


 質問の答えになっていない。これでは、なんのために草むらに隠れているのか分からない。幽霊を退治するのか、若者集団を注意するのか。黙って隠れているだけなら、何もしないのと同じではないか。生人は困り果てる。

 

 公園の時計の針は、午前2時10分ごろを指し示していた。生きている人間のほとんどは、とっくに寝ている時間だが、幽霊にとってはこの時間が真昼間のような感覚だ。

 もともと昼夜逆転気味の生人にとっては、真夜中に目が覚めていることなど日常茶飯事。幽霊になってしまえば、これが通常になるので好都合なくらいである。しかし八槻は、生きている人間だ。にもかかわらず、あくびのひとつもしないのは、長く幽霊関連の仕事をしている証拠だろう。


 5月の夜中。生人の格好は死ぬ前のままだ。テキトーな長ズボンにテキトーなシャツ、テキトーな靴である。少し暑いが、草むらの中でも怪しさ以外は問題にならない。

 一方の八槻の格好は、白シャツにスカート、ブーツという、草むらにはあまり向かない格好。雑草が足をくすぐるのか、八槻は何度も自分の足の位置を動かしている。


 草むらに隠れて数分後。若者特有の騒がしさがやってきた。


「うお~すげえ、雰囲気やばくない?」

「私、なんか体が重い」

「マジ? ユウちゃん霊感持ちだもんね。やばくない?」

「うわ!」

「なに!? どうしたの!?」

「ハッ、マジで驚いてんの」

「もうふざけないでよ」

「ちょっと帰ろうよぉ、ねえ、帰ろう?」

「俺がいんだから怖がるんじゃねえよ」

「うわ、何格好つけてんの~きもい~」


 男が2人に女が3人の若者集団。会話を聞いているだけで、彼らがどのような人種なのかの判断がつく。生人なら死ぬまでお近づきになることはなかったであろう集団だ。死んでもお近づきにはなりたくない。八槻の思いも生人と同じだ。

 

「おい、今日のカモが来たぜ」

「ああホントだ。よし、さっさと男ども追っ払うぞ」


 若者集団が現れたのと同時に、ベンチに座る、いかにも不良のような2人の男がそう言って立ち上がった。彼らのうち1人は若者集団のすぐ側まで近づき、もう1人はベンチの裏へ。それを見た生人は、不審がる。


「あれ? あの馬鹿ども、2人の男が見えてないのか?」

「たぶん奴らが幽霊ね。馬鹿どもを脅かそうとしてるんでしょ」

「どうする?」

「黙って隠れてる」


 またそれか、と思った生人。彼は八槻にも考えがあるはずだと信じ、彼女の言葉通り、黙って隠れたまま、若者集団と2人の不良幽霊の動向を見守る。


 少しして、不良幽霊の1人は若者集団の後ろに回り、チャラそうな男の腕を掴んだ。


「うお! な、なに?!」

「どうかしたの?」

「誰か、お、俺の腕掴んだか?」

「掴んでねえよ。なに、怖いんだけど」


 ただ腕を掴んだだけなのに、一瞬で恐怖の渦に巻かれたチャラ男。腕を掴んだ不良幽霊はそれが面白くてたまらないのか、汚く大笑いしている。


「お、おい! 笑い声が聞こえたぞ! なんなんだよ!」


 さらに怖がるチャラ男。さらに大笑いする不良幽霊。八槻の表情は微動だにしない。

 一応は生きた人間が幽霊に襲われているのだ。馬鹿どもを助けるべきなのではと思いはじめる生人。しかし八槻は動こうとしない。


「うわあぁ! ベンチの下! ベンチの下!」


 若者集団のもう1人の男も、気がついてしまった。不良幽霊のもう1人は、ベンチの下から這い出るように地面を這いつくばっている。


『……助けて』

「うわあぁぁぁぁぁああ!!!」


 腕を掴まれ笑い声に恐怖したチャラ男、ベンチの下から這い出る幽霊を目にしてしまった男、どちらもが、不良幽霊の『助けて』という囁きに甲高い悲鳴をあげ、そのまま逃げ出した。残されたのは3人の女たち。

 それにしても、霊感があるといった女が幽霊の存在に気づかないのはなぜなのか。答えは分かりきっているため、生人がツッコミを入れることはない。


「ちょろすぎんだろ」

「おい、この女たちどうする」

「そりゃ、楽しませてもらうしかないだろ」

「だな」


 幽霊の存在にまったく気づくことのない女性に関する、不良幽霊の会話。生人は聞き捨てならなかった。


「あいつら、女性を襲うつもりだぞ! 八槻は、助けないのか?」

「まだ。もうちょっと、黙って隠れてて」

「はあ?」


 八槻の判断に、生人は驚愕する。今まさに、女性が不良幽霊2人に襲われようとしているのだ。これを止めないわけにはいかない。


「けっこう可愛い子じゃん。今日は当たりか?」

「こんな可愛い子にいたずらできるとか、幽霊の特権だよな」


 不良幽霊の下心しかない言葉に、昨日の自分を思い出す生人。昨日、生人は幽霊の特権を使って八槻を脅かそうとした。そこに下心はなかったが、目の前で女性を襲おうとする不良幽霊と、似たようなことをしようとしていたのである。

 まるで昨日の自分を見ているうような気分。不良幽霊の下衆な会話に怒りが湧いたのも相まって、生人の我慢は限界に達してしまう。


「止めてくる」

「ちょっと? どこ行くの?」


 八槻の制止も聞かず、生人は立ち上がり、草むらを出て、不良幽霊の目の前に立ちふさがった。


「なんだてめえ?」

「お前ら、幽霊だからって好き勝手してんじゃねえよ」

「はあ?」

「お前らが生きてる時、女性を襲っても許されたのか? 違うだろ。だったら、幽霊になってもそんなことしちゃダメだろ!」

「てめえも幽霊か。なあ、なんかてめえに関係あんのか? 俺たちはただ幽霊らしくしてるだけだよ」

「人を襲って、人を脅かすのが幽霊? 違う! 幽霊だって元は人間だ。なら、生きてた時と同じように生きる。それが幽霊らしさだろ!」

「ごちゃごちゃうるせえな!」


 怒鳴られ、次には殴られ、生人は後悔した。感情に任せて飛び出したはいいものの、相手は不良2人だ。喧嘩などしたことのない生人が勝てる相手ではないのである。冷静になった生人は、不良幽霊2人に殴られ、蹴られ、暴行を加えられながら、自分の浅はかさを笑う。

 幽霊でも、暴行されれば痛い。反撃など出来ず、痛みに襲われ、どうすることもできない生人。


 だがすぐに、生人を暴行する不良幽霊2人にも痛みが襲う。彼らは生人を助けに来た八槻に、顔面を拳で殴られ、地面に横たわり、苦悶の表情で鼻を抑えた。しかし八槻は止まらない。彼女は不良幽霊2人を完全に押さえつけ、気絶するまで同じ場所を殴打し続ける。


「だから幽霊は嫌い」


 殴りながら、そう呟いた八槻。不思議に思ったのは生人だ。『幽霊相談所』の所長を務め、幽霊を手助けし、あれだけ感謝されながら、幽霊が嫌い? 納得できない。

 納得できないが、それ以上に、冷酷な表情で不良幽霊を殴り続ける絵面が凄まじい。


「ちょっと……やりすぎじゃ」

 

 自分を殴った相手を生人が心配してしまうほど、八槻の制裁は手厳しい。不良幽霊2人が気絶すると、八槻はポケットから紙切れを取り出し、不良幽霊2人に貼り付ける。


「その紙は?」

「低級の呪術道具――御札みたいなもん。これでこいつらは動けない」

「気絶してるんだから、どっちみち動けないと思うが」

「確実な方がいいでしょ。それより、大丈夫?」

「ああ」


 危ういところを助けられ、感謝の気持ちでいっぱいの生人。だが、どうしても問い詰めたいことが生人にはあった。口論している間に、いつの間にかチャラ男たちを襲って遠くに行ってしまった3人の女性。なぜ彼女らを早く救わなかったのか。


「なあ、そんな強いなら、もっと早くコイツら捕まえりゃ良かっただろ」

「幽霊を捕まえるだけならそれでいい。でもあの馬鹿どもは? ああいう輩が心霊スポットとか言って、夜中に騒ぐのを止めるには、どうすれば?」

「どうすればって言われても……」

「実際に幽霊に襲われて、その身に恐怖を叩きつければ良いの。だから私は、あの女3人が襲われるまで待とうとした」

「そんなのありかよ」

「大有り。きっとあの女3人、また心霊スポットで騒ぐ。絶対に騒ぐ」


 そんなものなのだろうか。そんなものなのだろう。生人は八槻の言葉を受け入れる。確かにああいう若者集団は、よっぽどのことがないと止まらない。


「にしてもあんた、あれは大胆すぎ」

「反省してます」

「……反省する必要ない」


 小さな声で呟く八槻。その言葉は生人に届くことはなかった。

 痛む腹と頬をさすり、立ち上がった生人。そんな彼を、八槻はちらりと見てから目を伏せ、口を開く。


「ねえ、あんた幽霊になったばっかりらしいけど、住むところとかあるの?」

「ないよ。何も決まってない」

「そう。じゃあさ、その……うちのアパートに住まない? 空き部屋があるから」

「いいのか?」

「その代わり、相談所で働いてもらうから」

「もちろん働く! ありがとう!」


 何がどうして、八槻は生人を自分のアパートに住ませると言ったのか。相談所で働かせると決めたのか。その答えが、不良幽霊2人に放った生人の言葉、そして八槻の過去にあることなど、今の生人は知りもしない。生人は住処が決まった喜びだけで、いっぱいなのだ。


 こうして生人の幽霊としての初仕事は終わり、彼の新たな人生が始まった。いや、正確には人生は終わっている。彼は幽霊だ。幽霊としての新たな生活が、始まったのである。

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