その4 初仕事
コロッケ味の見た目ハンバーグな卵焼きを食べ終え、八槻らを手伝うために準備を始める生人。準備と言っても、心の準備以外にやることはないのだが。
黒部は家を出て、野川はソファに座ったまま。八槻は何も言わずに立ち上がり、何をどうすればいいのか分からぬ生人は、八槻に質問しようと肩を叩いた。肩が叩けた。
幽霊になってから今まで一度たりとも、生人は生きた人間に触れていない。人間はみんな、自分の体をすり抜けてしまっていた。しかし今、ごく自然に、生きた人間に触れることができた。
「今、君に触れた気がする……」
「昨日の今日で、いきなり気持ち悪いこと言わないでくれる」
「いやいや、そういうことじゃなくて、幽霊なのに生きてる人間に触れたと思って」
少しばかりの嬉しさに、生人の表情も明るくなる。それがかえって八槻を不気味がらせ、彼女の表情を凍りつかせた。
「幽霊が触ろうと思った人間に触れるなんて、当然のことでしょ。なんでそんなに嬉しそうに――」
言いながら、八槻は気づいたのだろう。生人に対するきつい言葉を中断させ、別の言葉を口にした。
「もしかしてあんた、幽霊になったばっかり?」
「そうだけど。死んだのは3日前。昨日は天界の窓口でたらい回しにされて、人間界に戻された」
「ああ、そういうこと」
納得した様子の八槻は、冷酷な表情をほころばせ、冷淡な表情となった。これでも多少は、生人への不信感を緩めているのである。
「じゃあ、自分の霊力レベルも知らないし、霊力の使い方も知らないわけね」
「霊力レベル? なんだそれ。教えてくれ」
「嫌だ」
「即答かよ。なんで教えてくれない?」
「面倒だから」
「ええ~」
大事なところで面倒くさがった八槻に、生人は呆れて溜息をつく。まだ分からないことばかりの生人は、是非ともここで多くの情報を仕入れたかった。それが面倒を理由に、霊力という常識感満載の単語ですら教えてくれないとなれば、誰でも溜息のひとつはするものだ。
でもここで諦めたくはない。なんとかして情報を仕入れるため、八槻には説明してもらわねばならない。生人は再び質問しようと、息を吸う。
「お嬢、準備できました」
息を吸っている間に、帰ってきた黒部がそう報告してきた。すると八槻は、「ついてきて」とだけ言って外に出てしまう。吸った息の行き場がなくなり、またも溜息をつくしかない生人。そんな彼を、ソファにどっしりと腰掛ける野川が笑った。
「姫様はいつもあんな感じだ。手を出す相手間違えたな」
「脅かそうとしただけで、手を出すつもりはなかったです」
「ホントか? また姫様に手出したら、覚悟しろ。俺たち幽霊3人が許さねえからな」
「3人? 野川さんと黒部さんと……」
「今日はいないけど、相談所のメンバーはもう1人いるんだ。ま、初仕事頑張れよ」
軽い口調にどこかイラっとする物言い。だが最後の『頑張れ』という言葉は、生人の心を落ち着かせた。混乱し焦る彼にとって、軽い口調の心のこもっていない『頑張れ』が、緊張した心をほぐしてくれたのだ。
他の相談所メンバーとやらの存在を気にしながらも、八槻を追って家を出る生人。何も分からず、説明もないなら、やれと言われたことをやるしかない。
野川は店番、黒部はとある幽霊の家の掃除へと向かい、生人は八槻と仕事に向かった。移動には相談所のワゴン車を使う。運転手は八槻だ。八槻は生人と同じ18歳であり、まだ免許は取得したばかり。ワゴン車の側面にある大きなへこみと、そこかしこに残る傷は、八槻がつけたものである。
生人と八槻は2人きりだ。人生では一度も経験できなかった、女性との時間。夜中の車内ではまさに2人きりの時間。まさか死んでから、こんな形で体験することになろうとは思いもしなかった。
街灯に照らされた看板、最寄りの駅から、相談所の場所がようやく判明する。相談所は都内にあり、驚いたことに、生前の生人が住んでいた街から5駅程度しか離れていない。他県の可能性も考えていた生人にとって、これは幸運に思えた。
さて、仕事の内容は、東京都の各地に住む幽霊への荷物の配達。この世には、霊力――詳細は分からずじまい――が少ないために人間に紛れることができず、人間界で買い物ができない幽霊がいる。そんな彼らに代わって買い物をし、配達するのが今回の仕事。
どうやら幽霊というものは、想像していたよりずっと多く存在し、ごく当たり前のように生活し、幽霊社会を築いているらしい。配達で回る幽霊の家は、どれもごく普通の、何の変哲もないアパートやマンションが多かった。
駅前のマンションに住む中年男性幽霊にパソコンを届ける。住宅街のアパートに住む若い女性幽霊に化粧品を届ける。高層マンションに住む紳士幽霊に高級ワインを届ける。配達をすればするほど、生人の幽霊に対する価値観が破壊されていった。
幽霊といっても、みんな元は人間。幽霊になったからといって、生活は人間となんら変わらない。それでも、ひとつだけ大きな違いがある。幽霊が活動するのは真夜中ということだ。配達中も、生きた人々が住む家に電気は灯っていない。
しばらく配達を続けると、幽霊のほとんどは八槻の名を知っており、手助けしてくれたことに感謝し、中には八槻を可愛がっているような幽霊もいた。幽霊たちは八槻を信頼している。生人にはそう思えた。
だが肝心の八槻は、ほとんど笑みを見せることがない。彼女がどんな気分で仕事をしているのか、まったく分からない。
「お届け物です」
「いつもありがとうね、白河さん。あなたは新人さん?」
「あ、はい。元町生人です。相談所のお手伝いをしています」
「そう。相談所にはいつもお世話になってるわ」
大きな公園のすぐ側にある一軒家。ここに住む中年女性も、八槻が届けてくれた健康サプリを、優しい笑みで受け取り、感謝の言葉を口にする。決して、幽霊なのに健康サプリが必要なのかと聞いてはいけない。配達員が荷物に関して口を挟んではならない。
「料金は合計で6300円になります」
「はい、6300円ね」
優しそうな女性に対しても、八槻はほとんど笑わない。ほとんど笑わないまま、健康サプリの料金と配達料、相談所の利用料を女性に請求する。よくもこれで嫌われないものだ、もう少し愛想を良くしたらどうだと、さすがの生人も思う。
ちなみに、霊感知能力を持つ経営者がこの世には何人かいるらしく、そこで働けば金を稼げるらしい。幽霊も経済活動をしているのだ。
「ところで白河さん、実はそこの公園で騒ぎがあったのよ。若い男の幽霊がやんちゃしててね、心霊スポットみたくなっちゃって」
「心霊スポット?」
八槻の表情が変わった。心霊スポットといっても、幽霊がいるスポットが心霊スポットならば、散々心霊スポットを回ってきたようなものだが、八槻の表情は今までとは明らかに違う。どこか、嫌悪の色を帯びている。
「生きてる若い子たちが面白がって、夜中に集まってくるようになっちゃったのよ。迷惑してる幽霊も人も多いの。白河さん、なんとかならない?」
お願いする女性に、八槻はすぐさま答える。
「分かりました。料金は相手によって変わりますが、だいたい5000円から1万円の範囲になります」
「この辺りの幽霊で割り勘でいいかしら?」
「はい」
「それじゃ、よろしくお願いします」
あっという間に決めてしまった。配達の仕事はほとんど終わっているが、それにしてもあっという間だ。心霊スポット関連の仕事とは、そこまで重要なことなのだろうか。生人の疑問は尽きることがない。
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