その2 不満爆発

 待ち受けで、何もすることなく、時間が過ぎるのを待ち続ける生人。死者はやはり圧倒的に老人が多く、若くしてこの場にいる生人は異質な存在であった。

 誰もが哀れみの目をこちらに向ける中、気を遣って雑談をしてくれた老人もいた。だが80歳代の雑談の内容は、健康本が歴史の教科書並みの内容。そうそう長く続くようなものでもない。


 この不毛な待ち時間の間、彼は窓口の天使がどんな姿かを妄想し、時間をつぶしていた。自分を天界に送った、名前の覚えられない天使は、見事なまでの天使、美少女であった。ならば窓口に座る天使も、そうに違いない。生人の妄想はいつしか希望に変わる。

 

 何時間待ったことだろう。ついに57番窓口に掲げられた番号が、3497を表示した。早く天国に行きたい、早く天使の姿を確認したい、早く老人会から抜け出したい。待ち時間から解放され、席を立ち、窓口へ小走りする生人。

 57番窓口に到着すると、生人の心は底知れぬ残念さに支配されていった。窓口にいたのは、間違いなく天使だ。頭の上には光り輝く輪っかもある。ただし、その下にいるのは、おでこの広い小太りのおっさんだが。


 まさかの事態に言葉も出ない生人。そりゃ、窓口にいるのが必ずしも美人とは限らないし、男の可能性も十分にある。天使に美少女しかいないと誰が決めたのだ。とはいえ待ち時間をつぶすための妄想と希望が、生人の口を閉じさせる。


「履歴書は?」


 明らかに面倒くさそうな口調で、無愛想にそう言ったおっさん天使。生人は黙ったまま2枚目の紙、履歴書を手渡した。おっさん天使は履歴書を、不機嫌そうな表情で数分間眺め、生人に質問する。


「あなた、無宗教ですね?」

「そうです」

「無宗教者は130から135番窓口です。番号券を入手してあちらで――」

「え? ここじゃダメなんですか?」

「ダメです。窓口はあちらです」


 無愛想な口が無愛想な言葉を吐き出し、無愛想な態度と共に生人に突き刺さる。しかしそんな生人のことなど気にせず、おっさん天使は次の死者を呼んでしまった。


 どうしようもなくなった生人は、仕方なく130~135番窓口の番号券を入手し、再び待ち受けの席に腰を下ろす。先ほどよりは人が少なく、待つ時間も少なそうだが、生人にとって待ち時間は苦痛でしかない。

 もはや天使に希望は持てない。天使といえども比喩的な意味での天使は数少ないのだ。こうなれば老人の雑談を聞くしかない。


 同じ待ち受けにいた老人から、86年間の武勇伝を永遠と聞かされる生人。窓口から自分の番号を呼ばれた生人は、自分は町内会のスターだったのだとのたまう老人から逃げるように立ち上がり、そそくさと窓口へと向かう。

 今度の窓口に座る天使は、午後6時頃にスーパーに行くと10人程度は見つけられるような初老の女性。おっさん天使とは違い愛想は悪くない。生人は履歴書を出し、天使の選択を待ち構える。


「無宗教ということですが、お葬式は仏教様式だったのですか?」

「そうです」

「ああ~そうなるとですね――」


 天使の次の言葉は、なんとなくだが想像ができた。嫌な予感が生人の体全体に走り回る。


「50番から60番の窓口での手続きになります。お手数ですが、再度番号発券機――」

「待ってください!」


 想像はしていたが、それ以上に衝撃的な台詞だ。生人は57番窓口でこちらに案内されたのだ。それが再び50~60番窓口で手続けをしろ。さすがの生人も黙ってはいられない。


「さっき57番窓口で、こっちで手続きをしろと言われたんですけど」

「57番窓口で、お葬式の様式に関する質問はありましたか?」

「なかったです」

「そうですか。しかしこちらでは、無宗教で仏教様式のお葬式を行った日本人の方の手続きは行っておりません。お手数ですが再度あちらでお待ちください」


 窓口の融通のきかなさにブチ切れそうになりながらも、生人は必死で理性に従い、窓口を離れ、再々度番号券を手にした。

 

 まさかのたらい回しに、生人のストレスは限界ギリギリだ。天国地獄に行く前に、窓口で地獄を味わっている。もしこれで隣にいた老婆が、息子や孫の自慢をするようであれば、生人は感情を爆発させ、確実に地獄に落とされていたことだろう。

 さらに数時間待たされ、貧乏ゆすりが止まらない生人の番号を呼んだのは、よりにもよって57番窓口だった。


「どうしました?」


 どうしたも何も、お前のせいだと言いたいのを抑え、生人は履歴書を叩きつけ、口を開く。


「葬式は仏教様式でした」

「そうでしたか。では手続きを行います」


 謝罪の言葉もなく、無愛想なままに、話を進めるおっさん天使。この時点で生人の貧乏ゆすりは怒りによる痙攣に変わり始めていた。だが生人にとって最悪の言葉は、これからおっさん天使が放つ言葉である。


「元町さんは18歳ですね。無宗教で日本人、15歳以上60歳以下の方の天界居住は許可されていません。こちらで人間界にお戻りください」

「はあ!? それどういうことだよ!」

「最近は人口爆発と同時に死者爆発がひどくて、天国も満杯なんです。だから死者の居住を制限してるんですよ。それでは」


 天国か地獄ではなく、人間界に戻される。その理由が、天国が満杯。意味が分からない。意味が分からないのに、生人は謎の文字が羅列した紙を渡され、気づけば光に包まれている。

 目の前にいた、ろくに履歴書も読めない無愛想なハゲたおっさん天使の姿は、生人を包む光に隠され消えていく。それ自体は生人にとって喜ばしいことだが、天国にも地獄にも行けず、人間界に戻されているのは確実だった。


 数秒後、生人は夜に包まれた見慣れた世界に佇んでいる。コンクリートに覆われた地面。周りにはカーテン越しの仄かな光が漏れだす住宅。街灯の白い光はLEDだ。ここは閑静な住宅街。場所は分からぬが、少なくとも人間界である。

 

 本当に、人間界に戻されてしまった。だが決して生き返ったわけではない。道を歩く酔っ払いが、生人の体をすり抜けていったのだ。生人は幽霊として、人間界に戻ってきてしまった。

 18歳という若さながら不慮の事故で死に、天界の窓口でたらい回しにされ、挙げ句の果てに天国にも地獄にも行けず、幽霊として人間界に戻される。そんな自分の境遇に、怒りが湧き出てきた生人。あのハゲたおっさん天使の顔を思い出すと、その怒りは何倍にもなって燃え上がる。


「……ふざけんな。ふざけんな!」


 大声で叫び、壁を叩く生人だが、彼の叫びは幽霊の叫び。人間のそれではない。ところが同時に、あることに気づいてしまった。彼は壁が叩ける。壁に触れている。それだけではない。彼の存在に気づかずとも、叫び声に反応した人間がいた。

 こうして生人の心に、悪が芽生える。


「幽霊なら、幽霊らしくしてやるよ」

 

 自暴自棄に陥った生人は、幽霊として人を襲うことを決意した。幽霊といえば人を脅かす。自分の不満を少しでも晴らすには、最適の行動だ。


 さっそく人を脅かすため、目の前にあったとある家への侵入を試みる生人。幽霊なのだから、人の家に侵入するのなど容易い。壁をすり抜ければ良いのだ。生人は全力で、とある家の壁に突撃する。

 突撃した結果、生人は壁に全身をぶつけ、体の前半分に激痛を感じながら、地面に仰向けに倒れた。


「いやいや、おかしいおかしい」


 気を取り直し、再び壁をすり抜けようとする生人。それでも壁は、壁として生人の行く手を阻んだ。いくら突撃し、いくらすり抜けようとしても、痛みが増すだけ。どうやら、壁抜けはできないらしい。


「ふざけんなよ……」


 妙な恥ずかしさと絶望感に覆われ、うなだれる生人。

 だが彼の目に、2階の窓の開いた家が飛び込む。襲うならあれしかない。あんな無防備な家、襲う以外にありえない。幽霊なら浮遊できるのかと思えば、そうでもなく、生人は家の壁をよじ登って2階の窓へとたどり着き、家への侵入に成功した。


 様々なファイルや資料等で散らかった部屋。そこにいたのは、ファイルのひとつに集中する、白いシャツに身を包んだ1人の女性。美しい顔立ちに美しい瞳。風呂上がりなのだろうか、肩まで伸びる濡れた黒髪からは、シャンプーの良い匂いが放たれていた。

 名前の覚えられぬ天使と負けず劣らずな美少女、しかも同じぐらいの年齢であろう女性の部屋に、生人は複雑な気分になる。彼にとっては初めての、女性の部屋なのだ。


 いや、相手が誰であれ、生人は人を脅かすと決めた。彼は最も劇的で、最も恐怖させられるであろう脅かし方をするために、周到な準備を始める。ベッドの下から這いつくばるか、扉をゆっくり開けるか、ただ部屋の片隅でじっとするか。どれにせよ、準備は大事だ。

 最終的に、生人は部屋の片隅から這って女性に近づく、というシチュエーションを選んだ。シチュエーションが決まれば、あとは準備とタイミングだけ。生人は部屋の片隅に座り込み、時を待つ。


 時を待つと言っても、数秒後のこと。生人は突然肩を叩かれ、振り返った。するとすぐ後ろに、冷酷な表情をした女性が、ジト目の凛とした視線をこちらに突き刺し、立っている。


「ねえ、さっきからずっと見えてるからね」


 女性が何を言っているのか、生人は理解できない。理解する前に、彼の頬に女性の強烈な拳が叩きつけられ、生人は意識を失った。

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