幽霊だって必死に生きている。

ぷっつぷ

Case1 初めての仕事

その1 死んじゃった

たった今、ある男が自分の死を認識した。当然である。彼の肉体は、彼の目の前で、火葬場の業火に包まれ灰と化しているのだ。肉体がまだ棺の中に保管されているのならまだしも、肉体が焼かれてしまっては、自分が死んだことを認識せざるを得ない。


 火葬場で、何をすることもできず、誰にも気づかれず、ただ静かに自分の死を認識した男。彼の名は元町生人もとまちいくと。年齢はまだ18歳ながら、不幸にも死んでしまった青年。

 死因は、就寝中のストーブの誤作動による一酸化炭素中毒死。5月だというのに古いストーブを出しっぱなしにしたツケが、最悪の形で回ってきたのだ。


 生人は――誰にも気づかれぬ――大きなため息をついた。彼が死んだのは昨日。それからずっとこうして、彼には生きているのと変わらぬ意識があり続けている。数時間前に行われた自分の葬式にも、生人は参加していた。

 

 自分の葬式に参加するというのは、なんとも不思議な気分であった。生人の前には自分の肉体があり、隣には涙を浮かべる両親がおり、お坊さんのお経を聞いて、周り中から別れを告げられ、しかしその別れの言葉は生人の肉体に向けられるものであって、生人の意識に向けられたものではない。

 あまりにも存在が無視されるものだから、棺を運ぶのを手伝ってみると、「こんなに軽くなるまで痩せていたなんて……」と父親が悲しむ始末。この時にはすでに、生人も自分の死を認識する基礎を組み立てていた。


 だがそれらは、生人にとって大きな問題ではない。もっとも生人に衝撃を与えたのは、妹の命咲めいさが一粒の涙も流さなかったことである。

 生人と命咲は、この世の中では仲の良い兄妹だ。少なくとも生人はそう思っている。だからこそ、お兄ちゃんの死に妹は大粒の涙を流して大泣きするものだと、生人は勝手に思っていた。

 ところがいざ死亡宣告、葬式、火葬場という大泣きポイントが立て続けに訪れても、命咲は一切の涙を流さない。放心しているわけでもない。ただ、真顔だった。

 命咲の冷淡なリアクションに生人はショックを受けている。ショックを受けているため、自分の死を静かに認識できた。


 さて、自分が死んだことは疑いようもない事実。そこで生人は疑問に思う。今の状態はなんなのだと。18年間お世話になった肉体は目の前にあったし、それももう灰になっている。

 葬儀に参加し、命咲のリアクションにショックを受け、自分の死を認識した、火葬場でただ1人で突っ立っている、この存在はなんなのだ。

 答えは簡単であり、生人もすぐに答えへとたどり着く。


「俺、幽霊になっちゃった!?」


 つい口から言葉が出てしまったが、やはりその言葉に誰も気づかず、生人のつぶやきは透明なまま火葬場の廊下に消えていった。それ自体、生人が幽霊であることの証左である。


「でも、浮いてないんだよな。そもそも足あるし、髪ボサボサだし、服装いつも通りだし。生きてる時となんも変わんないじゃん」


 自分の体を眺め、誰にもつぶやきを聞かれぬのをいいことに、独り言を始めた生人。確かに今の彼は、彼の幽霊観をぶち壊している。

 幽霊の彼の姿は、生きていたときそのままだ。怖い顔でもなく、長い前髪もなく、白装束でもない。ましてや白い三角のアレもない。どちらかというと透明人間。幽霊らしさといえば、生きた人間の体をすり抜けてしまうことぐらいだろう。


「幽霊ってこんなもんなのか」


 想像していた幽霊ではなかったが、そこを気にしても意味がない。生人は自分の姿を受け入れ、今後のことを考えた。


「ともかく、なんとか成仏しないと。でもどうやって? もしかして49日まで成仏しないとか? でも一応、寺に行った方がいいか。それでもダメなら、霊能力者に頼るしかない。有名な霊能力者といったら……龍造寺虎狼だな」


 あれこれと思考をめぐらせ、成仏する方法を考える生人。それ故にか、彼のすぐ隣に近づく人影を、彼は察知できなかった。


「あなたが元町生人さん?」

「え? あ、はい。そうです」


 妙に間延びした、可愛らしい高い声が、生人の名を呼ぶ。生人はそれに普通に答え、だがたちまち驚愕にあふれた表情を浮かべて、言葉を続けた。


「うん? お前、俺のこと見えるのか!?」

「見えてるよぉ」

「声も聞こえてるのか!?」

「聞こえてるよぉ」


 ようやく抜け出せた孤独。ようやく訪れた人との会話。生人は喜びを爆発させ、会話の相手が少女――といってもほぼ同世代――であるのを確認し、そして再び驚く。

 少女の姿は、真っ白なワンピースに長いブロンドの髪を持った、絵に描いたような美少女。何より頭には小さな輪っかが光り輝いている。これは間違いない。天使だ。比喩などではなく、本当に天使だ。


「ええと、あの……お名前とご職業は?」


 相手が美少女と知り、途端に緊張した生人の、どこか堅苦しい質問。少女はまったく意に介さず、間延びした口調で元気よく、自己紹介を始めた。


「私の名前はラファルエル=エルスタセフ=メルケファ=イーシア」

「ラファルエル=エ、エラ、エルラ、え? ムスタファ?」

「ラファルエル=エルスタセフ=メルケファ=イーシア! 天界の天使で、元町さんをお迎えに来たの!」


――お迎え!? まさか異世界召喚!?


 反射的にそのような考えが生人の頭に浮かんだが、それは何かに毒された結果だ。少し冷静になれば、そうではないことぐらいすぐに分かる。お迎えというのは、天界へ連れて行ってくれるということだ。

 

「じゃあ、俺はこれから天国に行くわけか」

「たぶん。はい、これ」


 天使から生人に渡されたのは、2枚の紙。1枚目は解読不能な文字が羅列されたものであり、もう1枚は履歴書のようなもの。


「なんだこれ」

「1枚目はすぐに消えるから気にしないで。2枚目は窓口での手続きに必要だから、なくさないでね。それじゃあ、バイバーイ」


 そこはかとなく会話の一方通行感を感じていた生人だが、さすがになんの前触れもなく別れの挨拶をされると、不安になるものだ。しかもその直後に、渡された1枚目の紙が光り輝き、何もかもが光に包まれると、余計に不安は大きくなる。


 突如現れた美少女天使。数秒後には謎の光に包まれ、さらに数秒後、光が消えると天使の姿はそこになかった。1枚目の紙もない。それどころか、生人の立つ場所は火葬場ですらない。

 

 生人は雲がかかる白い大地と、青い空に包まれた、謎の空間にいる。この場所が天界であるのは、雰囲気と成り行きから生人でも分かる。それでも、彼はここが天界であるのを受け入れきれない。天界にしては、人が多すぎるのだ。


 半ば放心し突っ立った状態の生人の周りには、老人を主とした多種多様な人種の人々が、通勤ラッシュの新宿駅のごとく集まっている。おそらく彼らは、生人と同じ死者なのだろう。死者といえどもこれだけの数が集まると、活気がある。死者なのに活気がある。

 彼らはある1枚の看板に向かって歩いている。状況を飲み込めない生人は、死者の群れに紛れ自らも看板の前に立った。


『日本人は50~60番窓口へ』


 世界各国各民族の言語が羅列された看板に、唯一の日本語で書かれていた案内はそれだけ。よく見ると、遠くには窓口がずらりと並んでおり、すぐ近くには呼び出し番号発券機まで用意されていた。


 あの美少女天使は、2枚目の履歴書のような紙が、窓口での手続きに必要だと言っていた。そして天界に来てみると、窓口案内と番号発券機があった。

 これだけ分かれば、もはや生人を悩ませるものはない。幽霊は窓口で履歴書チェックを受け、天国か地獄に行くかを決められるのだ。


 改めて自分が死んだことを認識しながら、番号発券機の取り出し口に垂れる紙切れを手にしようとする生人。だが日本人にとって常識レベルの番号発券機という存在も、生まれて、そして死んで初めて目にする外国人は少なくない。効率アップのための機械は数多の死者たちを苦戦させ、生人が番号券を手に入れるまでの時間を長引かせた。


『3497番』


 ようやく手に入れた番号券に書かれた番号。果たしてこの数字が待ち時間にどれだけ影響するのか。生人はそれを確かめるため、窓口に掲げられた番号を目を細くして眺める。遠くにある番号をなんとか読み取り、生人は思わず声を上げそうになった。

 現在の50~60番窓口が受け付けている番号券は、2933番。あまりの先の長さに、生人の顔が引きつる。

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