第4話
縁吉は、吐息交じりにせんの言葉の後を継いだ。
「何だか、物騒だわよねえ」
「そうだなあ。身なりは、乞食同然だったっていうもんなあ。こんな寒い中に、薄い羽織一枚でよ。なんで、それがいきなり頭をぶっ叩かれて、殺されなきゃならねえんだか――」
外では、空っ風がひときわ強く吹きおろし、ものの隙間にぶつかってひゅうひゅうと甲高い音を立てていた。油吉は、ぎゅっと頬の上まで布団を引き上げると、繭のように布団の中で体を小さくした。
翌日、まだ昼の前の時分であった。
「番頭、番頭」
奥から、縁吉が慌てふためいた様子で、大きな声を上げながら店先に出てきた。いつものように店の外を眺めながらキセルをふかしていた番頭は、
「どうしたんです」
と、少し面倒そうに縁吉の方へ振り返った。
足をもつれさせながら、息さえ乱して、縁吉は番頭の近くに駆け寄ると、ようやく膝をついた。
肩で二、三度大きく息をしてから、
「番頭」
と、再び番頭の顔を、血走った目で見上げた。
「だ、だから、何ですって」
血相を変えた縁吉の様子にやや気圧された様子で、番頭は縁吉に問い直した。油吉は、二人のこのやりとりを、店先の作業台に頬杖をついて、人通りの少ない前の通りを眺めながら、まるで聞こえていないかのようなそぶりで、聞き耳を立てていた。
縁吉は、まだぜえぜえと荒々しく息をしながら、
「おめえ、店の勘定で、何か、間違っちゃいねえか」
と責めるように番頭に尋ねた。
番頭は、
「いやあ、旦那。間違っちゃあいやんせん。あっしは、何度も算盤を弾き直して、一日ずつ帳面を見返しながらつけたんですから。一銭たりと間違っちゃあいやんせん」
と、怒ったようにキセルをふかした。
それでも縁吉はまだ取り乱しながら、
「お、俺もな、毎晩確かめてたんだ。このままじゃあ、どう行ったって暮の払いに算段が付かねえと思ってな。ゆんべも、その前のゆんべも、まいんち算盤弾いて、確かめてたんだ」
番頭が口から煙をゆっくりと吐いた。
「ところがよ」
突然縁吉が番頭の袖口を強く引いたので、番頭の持っていたキセルから灰がこぼれた。番頭が迷惑そうな目で縁吉を見やった。
しかし縁吉は、そんなことは気にも留めず、
「ところがよ、今、もう一遍算盤を弾いてみたんだよ。そうしたら、おめえ――」
「なんです」
ここにきて、番頭もようやく縁吉の話にまともに耳を傾け始めた。
「そうしたら、おめえ、出て来たのよ、金子が」
「え、金子ですって」
しばらく二人が息を詰めて目を見合わす。
「そんなはず――」
番頭の言葉を途中から遮るように、
「俺も、そう思ったんだ。そ、そんなはずねえんだ。だがよ、確かなんだよ。確かにお足が出て来たのよ」
番頭は猜疑心に満ちた表情で縁吉を見ながら、
「で、いくらなんです」
とつぶやくように尋ねた。
縁吉は、一度ゆっくりと唾を飲み込んでから、
「十一両だ」
と番頭の耳元に告げた。
「じゅ、十一両」
番頭は目を丸くして、飛び上がらんばかりに驚いた。
「おめえ、声がでけえよ」
と、縁吉は店先の油吉の方へ気を遣うようにしながら、
「十一両だ」
と、もう一度、しっかりとした口調で番頭に言った。
番頭は、キセルを吸うのも忘れて、
「で、でも、帳面が合わねえんじゃ」
と言ったが、縁吉はすかさず、
「俺もそう思った。で、帳面を改めたのよ。そうしたら、ぴったりと合うんだ」
と言って口を結んだ。
番頭は、もはや呆気にとられて魂の抜けたような様子になって、
「ば、ばかな……。あっしも、旦那も、あんなに確かめて、何篇も見返して、やっぱり、十両足りていなかったのに」
「それが」
縁吉はそこでやおら立ち上がると、
「十一両、湧いてきたのよ」
と言って声を張り上げて高らかに笑いだした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます