終章 新しい世界

第49話 疑惑

――2024年12月25日、11時00分、愛知県、中部国際空港――


 宮本は那覇に戻るために、中部国際空港にいた。

 松田涼子の家には長居はせず、彼女のミッションを見届けるとすぐに帰路についたのだった。彼女の住む岐阜県、各務原かかみがはら市には、航空自衛隊岐阜基地もあるが、そこにも立ち寄らなかった。宮本は公務ではなく、完全に私的な用事でそこを訪れた格好にしていたからだ。


 公務が絡めば、松田涼子のことを詳しく報告書に書く必要がある。航空学生試験が来年に迫っている中で、彼女の名前を不用意に公式な文書に残すことはためらわれた。


 ニュースキャスターの古賀がMCを務めた、『世界初公開・驚異のフライトシミュレーター・本日ホワイトハウスを撃破』は、平日早朝の放送にも関わらず、大盛況だったようだ。大学生はもう冬休みで、高校も全国的に今日から冬休みというタイミングも奏功そうこうしたのだろう。

 番組の終盤に紹介された、Twitterへの沢山のコメントは、どれも文面に熱がこもっていた。驚いたことに、ここ中部国際空港内には、番組の内容について話しをしている旅行客のグループもいる。


 もう10年近く前に登場した、無人ヘリコプターのドローンは、既に一般的になって久しく、次はその先の無人飛行機の時代と言われている。そんな中で、無人ジェット戦闘機の到来を予感させるような、最先端のフライトシミュレーターは、しっかりと視聴者の心を掴んだに違いない。


 このままインヴィンシブル・ウィング社が、『テンペスト』をサービスインするつもりなのかどうかは分からない。なにしろ『テンペスト』には、まだ大きな問題が残されている。

 開発元であり、運営元でもあるインヴィンシブル・ウィング社は、いかに法人格を新しくしたとはいえ、誰がどう見ても、フェニックス・アイ社の流れを汲むものだ。経営陣が一掃され、社員の多くが入れ替わってはいるが、同一の会社と見なす者は今も多い。

 フェニックス・アイ社の罪状は、表向きは軍の機密事項の不正入手だが、本当の理由はそればかりではないだろう。CIAがストライク・ペガサスのハイジャックと、国会議事堂爆撃をクロと認定した上で決行したのが、先日の特殊部隊の突入だ。量刑は重罪どころの騒ぎではない。


 今後はカナダとアメリカの当局が、インヴィンシブル・ウィング社の監視を行うであろうし、恐らくは諜報の対象にもなることだろう。

 しかしその問題の一方で、人々が『テンペスト』を待ち望んでいるのも、歴然たる事実であるのだが……


     ※


 宮本は今朝のデモフライトの中で、松田涼子が仲間を撃墜せずにすんだことに、ほっと胸をなでおろす思いだ。もしもそれを実行していたら、首尾よく行ったとしても、そうでなかったとしても、彼女は心に大きな重荷を背負うことになっていただろう。


 宮本は今回の出来事で、松田涼子の心が傷ついたのではないかとも懸念をした。しかし宮本の心配をよそに、別れ際の彼女はそれまで悩んでいたことが嘘のように、ケロリとしたものだった。

 若さというものは、そんなものなのかもしれない。


 いずれにせよ、今回の出来事――、つまり、日本を始め全米にまで放映された番組の中で、失敗の許されないデモフライトをやり遂げたという経験は、これからの彼女を大きく支えるだろう。


 一方で宮本の方はといえば、もう若くは無いからなのか、松田涼子のようにケロリという訳にはいかず、実は今も一連の出来事について考え続けている。

 松田涼子には「気にするな」と声を掛けてやったにも関わらず、実は宮本自身は、事件にまつわる様々な事柄が、気になって仕方がないのだ。


――まずは単純な疑問だ――

「彼女が行ったあのデモフライトは、初めからただのデモンストレーションのつもりであったのだろうか? それとも何かの事情で、急遽ホワイトハウスの爆撃をやめたのだろうか?」


――そして次の疑問――

「もしも爆撃を行っていたら、その後はどう始末をつけるつもりだったのか?」

 実行者として真っ先に疑われるのは、インヴィンシブル・ウィング社であることは間違いない。インヴィンシブル・ウィング社だって馬鹿じゃない。十分に承知していたはずだ。

「なのに、何故敢てそれを実行しようとしたのか?」

 フェニックス・アイ社と同じように、特殊部隊に突入されて、会社としての機能も停止してしまったとしても、それで良かったということか?


――分からない事は、まだまだ沢山ある――

 とりわけ疑問に思うのは、一連の事件を起こした目的が、一体何なのかという事だ。

 日本が大被害を被った国会議事堂の爆撃でさえ、その目的は今もって明らかにされていないのだ。


――そして――

 チャイナ・サークルの事も気に掛かっている。

 CIAがフェニックス・アイ社をクロと認定したのは、チャイナ・サークルの件も含めての事なのかどうか、いまだに不明だ。

 山口が米国側に探りを入れているのだが、軍事機密が絡むだけに、自衛隊も日本政府も蚊帳の外にある。


 宮本の見立てではフェニックス・アイ社は、チャイナ・サークルに関してもクロだと考えている。

 宮本の心には、フェニックス・アイ社のスポンサー3社の出自である、旧ソ連の ”レーダー欺瞞技術研究所” の存在が、ずっと引っかかっている。チャイナ・サークルとは正に、レーダー欺瞞技術の集大成と言って良い。そこに ”レーダー欺瞞技術研究所” が関わっているのだとすると、点と点に見えていた、国会議事堂爆撃とチャイナ・サークルが線でつながる。


 しかし、確証はない。

 米国側は、もっと詳しい情報を掴んでいるに違いのだが――


   ※


 中部国際空港のロビーは、まだ年末の帰省ラッシュとまではいかないものの、随分と込み合っていた。スノーボードやスキーを載せたカートが目立つので、恐らくは長期の冬期休暇を取る旅行客が多いのだろう。


 宮本は那覇行きの出発便を待つ間、特に何もすることなく、ロビーでNHKのニュースを見ていたが、そこに飛び込んできた外電の速報に、驚きのあまり、シートから腰を浮かしそうになった。


『ここで臨時ニュースです。ハワイ、オアフ島の全域で、現地時間で24日昼、日本時間で3時間ほど前、フラットパネル・ディスプレイが突如スパークし、そのほとんどが故障するという怪現象が起きました。原因はまだ不明です。被害の余波でホノルル空港の管制機能は麻痺。幸いにも旅客機には被害は出ていませんが、航空機のホノルル便は全便が運休。既に着陸準備に入っていた機も、全機が他の空港に進路を変更しています……』


「一体、何が起きたんだ?」

 それは現象面から言えば、自分がチャイナ・サークルに突入したときと似ている――


「まさか、チャイナ・サークルが、ハワイに移動したという事か?」

 米国側が疑っていたように、謎の潜水艦がチャイ・ナサークルを発生させていたのであれば、当然移動は可能だろう。


「しかし、何故ハワイに?」

 いぶかる宮本をよそにニュースは続いた。アメリカ政府が公にしていないものの、ヒッカム空軍基地からスクランブル発進する戦闘機を、沢山の市民や観光客が目撃しており、そればかりか東海岸では、ひし形の飛行物体と、戦闘機のドッグファイトまで目撃されているらしい。


「ひし形の飛行物体と言えば――」

 宮本はそれが、ストライク・ペガサスに違いないと思った。


 山口に電話を――、と思った矢先だった。

――ポーン――

 という電子音が、空港のロビーに響いた。


『皆さま、中部国際空港発、那覇空港行、ANA303便の出発準備が整いましたので、これから皆様を機内にご案内します、尚……』


「後にするか。しかし、なんだか雲行きが怪しいな」

 宮本は立ち上がり、登場待ちの行列に並んだ。



――2024年12月25日、11時50分、岐阜県、各務原市――


 バウが家を後にしてから、涼子は自分のこれからのことについて考えた。

 妙なことに巻き込まれてしまったようだが、悪い事ばかりではない。涼子の操縦技術は明らかに、1年前よりも桁違いに向上している。


 バウに、ドッグファイトの手ほどきをしてもらったことが大きな理由だし、フェニックスのアドバイスも効果てきめんだった。しかし何をおいても、自分が腕を上げることができたのは、自分と同じレベルかそれよりも上の、腕利きパイロットたちと、毎日真剣勝負をしてきた結果だ。


 バウに言わせれば、戦闘機の操縦は、実機とシミュレーターで基本は同じなのだそうだ。そして、本当に戦闘機に乗りこなせるかどうかは、体が高いGに耐えられるかどうかということと、持って生まれた航空適性の高さなのだという。

 高Gに関しては、体を鍛えてそれに備えてはいるが、効果があったかどうかは、実際に実機で宙返り飛行でもしてみなければ分からない。

 バウは航空適性に関しても、「パインツリーは問題ないよ」と言ってくれたが、これも実際に航空学生になって、実地の経験を積まないと、本当のところはわからないだろう。


 国会議事堂爆撃ではショックを受けた。今日の『ホワイトハウス爆撃作戦』にも考えるところがある。しかし、パイロットへの夢はやはり変わらない。来年には航空学生の試験を受けたいと思う。

 バウには話さなかったが、1週間前にはまた恒例の進路指導が有って、担任の小笠原と、いつもと同じやりとりがあった。

『まだ東大は、間に合うかもしれないぞ、今からでも頑張ってみないか?』

『先生、何度言っても無駄です。わたしは航空学生になるんです』

 そんな応酬だ。


 最近は小笠原も、内心は諦めているように感じる。きっと職務責任上、自分から引くわけにはいかないのだろう。それを言えば自分だって、航空学生は1年生の頃から想い続けている夢。だから、そう簡単に引くわけにはいかない。


「また来年も、担任は小笠原なのかな?」

 そう考えると、ちょっとだけ気が滅入る。しかし担任が変わったら、新しい担任と、また同じことを一から始めるのも鬱陶しい。

「まあ、来年も小笠原が担任だったとしても、勘弁してやろう。無事航空学生に受かったらこっちのもんだし」

 涼子はちょっとだけ笑う。


 それから涼子は、『テンペスト』に接続しようと悪戦苦闘した。しかし何をやってみても、結局サーバーには繋がらなかった。

 プロバイダーに連絡をして、遠隔で接続状況をテストしてもらったところ、物理的に断線している疑いがあるとの返事だった。

 既に家の中は確認済みだったので、「まさか」と思いながら家の外に出てみると、電柱から引き込まれているはずの光ファイバーの線が、引きこみ口よりも随分離れたところで綺麗に切れていた。


「そんなに簡単に切れる線じゃないのに」

 そう思ったが、理由が分かってほっとした。


 明日は修理をお願いしよう。年末までに直るといいのだけれど。

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