第22話 チャイナ・サークル

「実機では高Gの間はどうしているんですか?」

 少女は興味深げに宮本に訊ねた。

「歯を食いしばって、ひたすら耐える。それしかない。同僚の中には早く終わってくれと、神様に祈っているやつもいた」

 宮本は、その瞬間を思い出すかのように、顔をしかめながら答えた。

 少女は神妙な顔をしながら、「わたしがやっている操縦は、現実離れしているのかもしれませんね」と言った。

「そうかもしれないが、そうとも言い切れないな。米軍のパイロットの中には、実際にそれが出来る猛者もいるのだから」


「複雑な気持ちです。わたしは飛行機の操縦していたつもりが、実はただコンピュータの操作をしていただけのような気がして」

「そんなに考え込むな。大なり小なり皆がそうなんだ。ゼロ戦の頃に較べたら、バイパーゼロのパイロットなんて、皆がオペレーターみたいなものさ。

 それにこれからは、無人機全盛の時代になるのは間違いない。そんな時代には、変に実機に慣れて枠をはめられた俺たちよりも、パインツリーのような先入観の無い人間の方が、最先端を走れるんだ。無線操縦で生じる操縦のタイムラグも、実機を知っているパイロットには違和感があるが、ネットワークシミュレーターで、初めから遅延が当たり前の環境に慣れた君らなら、問題はないはずだ」


「そんなものでしょうか?」

「そんなものさ」

 宮本は少女の肩をたたき、「航空学生になるんだろう? もうじきパインツリーにも、実機のことが分かるようになる。そうすれば俺の言ったとこが実感できる」と言って励ました。

「でもそれも合格できたらの話です。何しろ、狭き門ですからね」

「大丈夫、きっと合格するさ。最大のハードルは2次試験以降で試される、航空適性だけれど、パインツリーはそれに関しても申し分ないよ」


 少女は宮本の言葉を聞いて嬉しそうだったが、来年の試験のことを考えたのだろうか、その顔は少しだけ引き締まって見えた。

 もしかすると彼女も、あの噂を知っているのかもしれないなと宮本は思った。それは宮本が先日、防衛省内にいる旧友――航空学生の同期である山口――から聞いた話だ。


 戦闘機が無人機の時代に移りつつあるのは誰の目から見ても明らかであり、航空自衛隊の幕僚監部内では、無人機のパイロットの育成は最重課題として挙がっているらしい。まだ草案の段階らしいが、今後10年以内に戦闘機パイロットの育成は現在の半分以下に縮小され、その前段階として、来年を最後に、航空学生の募集を打ち切るという案が、どうやら採択されそうだという事だった。


 もしもそれが本当なら、この少女にとっては、来年の試験が最初で最後という事になってしまうのだ……



――2024年7月27日、岐阜県、各務原かかみがはら市――


 富岡から帰ってきた日の夜、涼子はフェニックス・アイ社に、次期シミュレーター『テンペスト』の熟成テスト要員の仕事を受諾する旨のメールを送っていた。

 決断までに日数が開いたのは、単純に200ページを越える英文の契約書を読みこなすのに、時間が掛かってしまったからだ。


 契約書の内容の3分の2は、機密保持に関する規定と、それに反した場合の罰則規定で埋め尽くされていた。それは有り得ないだろうと突っ込みを入れたくなるほどに、奇想天外なケース――例えば、飼っているペットが、プログラムの入ったディスクを咥えて外部に持ち出した場合――まで規定されており、呆れかえったというのが正直な感想だが、それほどまでに機密厳守が求められる仕事だという事も思い知った。


 驚いたことに、フェニックス・アイ社と契約を結んでいるという事実も、契約が存在しているという事実についても口外することは厳禁で、もしも契約違反が発覚した場合は、違反した本人だけでなく、それを聞いた相手までもが訴訟の対象とすると書かれていた。

 本当なら富岡に行った時に、バウにその話をしたかった。バウから聞いた携帯の番号にも何度か相談の電話を掛けようとした。しかし結局それはしなかった。万が一のことがあったら、バウに迷惑を掛けてしまうかもしれないから、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだのだ。


 契約締結後、涼子にはすぐに、最初の任務について概要が伝えられた。それはノースロップ・グラマン社製の無人機X47ペガサスシリーズの飛行に習熟せよというもの。具体的には試作機のX47Aと実用試験機のX47B、X47Cを除き、既に極秘裏に海軍に実戦配備されているという噂のX47D、海兵隊向けに垂直離着陸を可能としたX47E、空軍用に対地攻撃能力を強めたX47Fがその対象だった。


 熟成テストに参加するのは合計16名。当然ながら全員がソニック・ストライカーの上位ランキング者である。4名ずつ4チームに振り分けられ、模擬戦を繰り返し、チームごとに競い合いながら、錬度を上げる制度を採るのだという。

 チーム名は往年の名機に因みファントム、トムキャット、イーグル、ハリアーと名付けられ、涼子はファントムチームに配属となった。


 次いでフェニックス・アイ社からは、高速処理を可能とするワークステーションと、それに接続するコントローラー類、操縦の鍵となるHMDヘッドマウント・ディスプレイ、そして高速通信を可能にするための専用ルーターが自宅に送られてきた。

 更にテスターたちには、『外部と接続するための光専用線を、新たに2本引くように』との指示も加えられていた。『テンペスト』のプログラム本体は、ネットワーク上から自動ダウンロードされる仕組みだった。


 涼子のファントムチームは、彼女の他にゴールド、リバー、バードの3名がいた。もちろんそれらは本名ではなくTACネームで、守秘義務規定に従い、それ以上の情報は一切公開されなかった。

 恐らくアクセス時間を揃えるためだろうが、緯度の近い国のメンバーが集まっているようで、英語のイントネーションから、ゴールドはインド人、リバーは韓国人、バードはオーストラリア人だと想像できた。

 ゴールドは活動的でよくしゃべり、初めからチームのリーダー格だった。バードはその対極で、内向的であまり話さない。リバーはその中間だ。

 自然にチーム内のヒエラルキーが出来上がり、サブリーダー的な立場に涼子がついた。


 ミッションは初めの内は単独飛行で、機体の飛行特性を頭に叩き込むことから始まり、次に夜間や悪天候下での飛行訓練と移っていった。

 HMDヘッドマウント・ディスプレイを駆使する操作系は思いのほか快適で、涼子はすぐにペガサスの操縦を我が物にしていった。


 涼子は時折疑問に思うことがあった。米国国防総省が実機配備の事実さえ認めていない最新鋭機フェニックスの情報を、どうやってフェニックス・アイ社が入手しただろうかと――

 しかしよくよく考えてみると、今自分がテストしているペガサスが、本物を忠実に再現している必要などないのだと思った。公開されていない以上は、実機との違いを指摘する人間など、世界中のどこにもいないからだ。



――2024年8月1日、中国福建省、武夷山ぶいさん基地――


「進捗はどうなっている? 報告しろ」

 マー軍区政治委員の苛立った声が作戦室に響いた。

「まだ何も……」

 コウ軍区司令員が弱々しく返事をした。

 中国人民解放軍空軍は、その後問題の海域に4度に渡って、観測装置を搭載した無人偵察機を飛ばしていたが、1機を除いて全てが喪失していた。戻ってきた唯一の機は高度17,000フィートを飛行して現場を通過。観測装置には何の変化も無し。それ以外の機は高度16,000以下を飛行していた。


 推測されるのは、半径5㎞、高さ5㎞の円柱状に怪現象が発生しているということだけである。頼みの偵察衛星からは、歪んだ鏡を通して見たような不思議な画像が届くだけ。赤外線画像も規則性の無い散乱を繰り返していた。


 本件に関する中国外務省の会見は世界を駆け巡り、ネットを跋扈するオカルティストの恰好の餌食となって、謎の海域はバミューダ・トライアングルに倣って、『チャイナ・サークル』と名付けられた。

 やがてブラックホール説、異次元歪説、宇宙人説など無数の怪しげな仮説が大量に飛び交うようになると、それらは新華社通信による報道規制や検閲にも関わらず、瞬く間に中国国内にも広まっていった。


 馬は深いため息をついて左右に首を振ると、ぎゅっと目を閉じた。

「何かあったのですか?」

 洪が訪ねた。

「中央空軍司令部に対して海軍から、応援を出しても良いと打診が来たそうだ」

「海軍から?」

「そうだ。『決死隊を現場の海域に送る用意がある』と言われたそうだ」

「決死隊ですって?」

「総参謀部の会議で、ワン空軍総司令員閣下は、『空軍の対応は生ぬるくて、見ていられない』と言われそうだ」


「海軍からですか?」

「そうだ。陸軍も同調していると聞いた」

「空軍の立場がありませんね」

「その通りだ。しかも王閣下によれば、他の軍区の空軍司令部からも我々南京軍区を糾弾する声が上がり始めているとの事だ。『南京軍区空軍の奴らは、死ぬ覚悟が出来ていないので、何も解決できないのだ』という意見なのだそうだ」


「そんな馬鹿な」

「馬鹿なだと? もう10か月も、何の解決策も見いだせなかった貴様が言える言葉か?」

 洪は返す言葉も無く、黙り込んだ。

「今我々にある情報は、初めの7機の消失地点と、3機の無人機の消失地点。それに高度17,000では怪現象が起きなかったという事実だけだな?」

「そうです」

「聞くところによると、各地のレーダーの反応に違いがあるそうだな?」

「はい、死角があるような反応です」


「もっと詳細に情報を取りに行かせろ。高度17,000以上に早期警戒機を待機させた上で、全ての方向から調査機を突入させてみるのだ」

「お待ちください。それはあまりにも危険です」

「危険を顧みずに行動するのが君たち軍人の精神だろう。違うのか?」

「その通りです。私は人民のために命を投げ出す覚悟で軍に入りました。死は恐れていません。部下たちも同じです。しかし献身と蛮勇には大きな隔たりがあります」

「私の言っている事が、蛮勇だと言いたいのか?」

「――いえ、決して、そのような意味では……」

「では、どういう意味なのだ? 私の意思は、北京政府の意思でもある。逆らうのであれば、君は今すぐ罷免ひめんだ。代わりの軍区司令員を任命し、その者に実行させるだけだ」

 馬は視線の先を、洪軍区司令員からチョウ軍区副司令員に移した。


「分かりました。お言葉通りにいたします」

 洪は慌てて馬の前に歩を踏み出し、返事を返した。

「良いか、海軍が決死隊を出す前に、お前達も決死の覚悟を示すのだ。犠牲者が7人程度では決死の覚悟とは言えない」

「はっ」

 洪は弾けるように直立し、馬に敬礼をした。



――第5章、終わり――

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