第6章 首都爆撃
第23話 防衛省プレスルーム
――2024年8月2日、群馬県、富岡市――
宮本は風呂から上がるなり、冷蔵庫から冷えた缶ビールを一本取り出し、リビングのソファーに腰を下ろした。妻の陽子は、風邪で寝込んだ実家の父親の面倒を見に行っており、まだ帰宅をしていない。
リモコンでTVを点けると、いつも見ている『報道トゥナイト』がもう始まっていた。今日は大したニュースが無かったらしく、緊迫感の無いゆったりとした雰囲気で番組が進行している。
不意にスタッフらしき手が画面の中にフレームインし、メインキャスターの古賀に白いメモが手渡された。チラリとそれに視線を落とした古賀は、先程まで作っていた笑顔を急に引き締めて、「さて、皆さん、速報です」と、真顔で視聴者に語りかけた。
「昨年の10月10日、この番組でトップニュースでお伝えした、中国外務省発表による、『科学調査機を含む7機の航空機消失事件』ですが、覚えておいででしょうか? 中国の航空機が次々とレーダーから消え、先方が日本の関与を匂わせていたあの事件です。今、巷では、その航空機の消失地点は、『チャイナ・サークル』と呼ばれるようになっています。
初報道の直後は、中国外務省が繰り返し日本を名指し、非難するような会見を行っていたのですが、年が明けると急にトーンダウンし、その後半年間で、本件に関する会見は当たり障りのない形で、3度しか行われていません。
実は私自身も忘れかけていた事件でしたが、今日は新たな展開があった模様です」
たった今古賀は、”忘れかけていた事件”と語ったが、あれは宮本にとって、忘れようとしても忘れられない出来事だ。何しろ自分のラストフライトが、事の発端だとされているからだ。
確かにここしばらくは、報道の熱が冷めていたが、今頃になって一体何が起きたのか。古賀の表情からすると、かなりの重大ニュースのように思われる。
宮本はTV画面を食い入るように見つめた。
古賀はスタッフから新たなメモを受け取り、さっとそれに目を通した。
「本日は、中国外務省がニュースソースではありません。先程防衛省が会見を行ったのですが、それによると新たに中国の航空機22機が行方不明となった模様です。現場を呼んでみましょう。防衛省の立花さん――」
TVの画面は中継現場の映像に切り替わった。
「はい古賀さん、防衛省プレスルームの立花です。先程22時30分に防衛省が会見を行いました。発表によると、中国本土から飛び立った中国人民解放軍空軍所属と思われる機体22機が、去る10月10日に8機が消息を断った海域に飛来し、次々とレーダーから姿を消したとの事です」
「どういう事なのですか? 22機も一気に姿を消すとは、尋常とは思えません」
「そうですね、その辺りは防衛省関係者も首をかしげています」
「時系列に沿って、説明をしていただけますか? 立花さん――」
レポーターの立花は、「わかりました」と言いながら、携えていた取材ノートに視線を移した。
「それでは一連の動きをご説明します。ます航空自衛隊のレーダーが、1機めの中国機の機影を捉えたのは、今から約3時間前の7時22分です。
防衛省によると同時に高度10000m付近には、2機の早期警戒機と思しき機体が旋回していた模様です」
「まずは22機が、現場海域に集結し、周回を始めたという事なのですね」
「そうです。10月10日に8機が消えた、あの半径5㎞の円の更に外側の、半径20㎞付近を全機が回っていたそうです。当然ながら、中国機の一部は日中中間線を
「それでその後、22機はどう動いたのですか?」
「各機が段々とその周回の環を狭め始め、ある瞬間――、恐らくは1分以内とされている時間内に、全機の機影が消えました」
「ちょっと待って下さい、立花さん。その、恐らくは1分以内というのはどういう事なんでしょう? 航空自衛隊はレーダーで監視していたんでしょう? なぜ正確な時間ではないのですか?」
「それがですね、どうも現場海域にはレーダーの死角が生じているようなのです。西日本側のレーダーサイトで、現場を補足可能なのは5つの基地ですが、各基地で位置と時間にばらつきがあるようで、それらのばらつきをデータリンクで総合した結果が、“約”1分という幅のある数字だという事です」
「死角と言うのは、何を意味するのですか?」
「今の時点では原因は不明との事ですが、現場海域には円柱状にレーダー波が届かない、或いは反射しない場所が有り、その陰に隠れた場所では、航空機がレーダーに映らないそうなのです。日本側から補足できるのは、円柱のこちら側、時計の針で言うと9時30分から1時30分にあたる約220度の範囲です。
中国側の140度の範囲は全く補足できないために、その直前の航空機の軌道から推測するしかないとの事です」
「なるほど、そういう事ですか」
「しかも古賀さん、今回は更に注目すべきことがあります。航空機が消えた地点を地図上にプロットすると、やはり前回と同じように円を描くのですが、なんとその半径は10㎞で、距離で言えば2倍、面積で言えば4倍に拡大しているのです。その一部は日本の排他的経済水域に一部食い込んでいます」
「中国政府の見解はどうですか?」
「今の時点では、中国側からは何も発表がなされていません。今後の出方が気になるところです」
「ありがとうございます、立花さん。引き続き現場で取材をお願いします」
「わかりました、古賀さん――」
現場からの中継が終わると、古賀は正面からカメラを見据えた。
「皆さん、事は思わぬ急展開を見せているようです。22機もの航空機を失った中国は一体どう動くのでしょうか? 今回も日本に責任を転嫁して来るのでしょうか? そして問題の地域が日本の領海にまで広がったという事は、我が日本も当事者になったのだとも言えます。当番組では、引き続きこのニュースを追いかけていきたいと思います」
画面がCMに切り替わった途端に、宮本は反射的に防衛監部に電話を掛けていた。別に自分に何ができるという訳ではないが、いてもたってもいられなかった。
当然ながら電話は繋がらなかった。通話中のツーツーという音が聞こえるだけだ。外部からの問合せの電話で、回線がパンクしているのかもしれない。
堪らず、防衛省にいる旧友の携帯を鳴らした。航空学生時代の同期の山口保という男で、今は現場を離れて内局勤務となっている。
電話に出た旧友は宮本の声を聞くなり、すぐに状況を察して、「おう、宮本。ニュースを見たんだな」と言った。
「何が起きているんだ、山口? あの事件は俺の最後のラストフライトが発端ってことなってるだろう。ずっと気になっていたんだ」
「昨年中国側が、お前のフライトを引き合いに出したのは、単なる
「話せる範囲で構わないので、教えてくれよ」
「ニュースで言っていたことが全てで、本当にこちらにも何も情報が無いんだよ。中国に対して、どういう態度を取るかさえ決まっていない。抗議するか、協力を申し出るか、静観するか、判断することさえできない。外務省からも官邸からも、目下強烈な突き上げを喰らっているところだ」
「当の中国はどうなんだ?」
「無しのつぶてだ。向うも混乱しているのか、或いは全てを知った上での確信犯なのかどちらかだ」
「確信犯って何だ?」
「あの怪現象は、中国の新兵器だと言う説もある。事実だけを冷静に見れば、中国の航空機はただレーダーから消えただけなんだ。墜落を確認しているわけではない」
「あの一帯の中に、まだ存在していると?」
「今はまだ推測でしかない。ただ、中国がレーダー波を遮断できる新技術を開発し、その実用試験をあの海域で行っているだけだと主張する、関係者がいるのも事実だ」
「これからどうするんだ?」
「皆目分からん。現場はあまりの混乱で、全体を把握できている者がいない。無責任だが、詳しくは明日のニュースを見てくれってことだ。ただ――」
「ただ、何だ?」
「防衛省と空自の幕僚監部の上層部は、アメリカの国防総省と接触を始めている」
「ペンタゴンに協力を要請したのか?」
「逆だ。向うの方がこちらに関心を持っていて、調査に参加させろと言ってきている」
「何故だ?」
「知るか!」
――2024年8月3日、中国福建省、
馬軍区政治委員の執務室には、洪軍区司令員と張軍区副司令員が呼び出されていた。
「22機の損失か……」
馬がぼそりと言った。
「はい、甚大な被害です」
洪が答えた。
「甚大? 私は妥当だというつもりで言ったんだ。むしろもう少し多い方が良かったくらいだ」
「……」
洪は絶句し、無言のままだった。
「前の7名に加えて今回が22名。合計29名の被害を我々は出した。王空軍総司令員閣下によれば、総参謀部の中では、我が軍区に同情的な意見も出始めているようだ。
王閣下はこの機に乗じ、『事は我が軍区空軍だけの問題ではなく、中国人民解放軍全体の脅威である』と主張してくださり、『我々がその先兵たる英雄である』と
もう一息だ。もう一息で潮目がかわるぞ」
「もう一息と言われますと?」
「もう一度やれ。次は初めから決死隊と称して部隊を組織し、予め、上層部に予告をした上で突入するのだ。この絶好の機会に、国家を守る英雄の座を確実に射止めるのだ。
最低でも21機以上を向かわせろ。それで被害者は50名になる。50人未満の被害と50人以上の被害では、上層部に与える印象が違うからな」
馬の目は興奮で血管が浮かんで見えた。洪には返す言葉が見つからなかった。
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