第21話 射出シート

――2024年7月25日、群馬県、富岡市――


 午前11時、宮本はいつも仕事で使っている営業用のバンで、新幹線の高崎駅に向かっていた。趣味のソニック・ストライカーで、たまたま知り合った、松田涼子と言う高校生が、夏休みを利用して、わざわざ岐阜から自分に会いに来てくれるというのだ。

 しかも自分に、何か渡したいものがあると言う。


 その高校生が住んでいるのは、岐阜の中でも各務原市だそうだ。何とそこは、自分が昨年まで勤務していた、航空自衛隊岐阜基地のある場所だ。つくづく世の中は狭いと思う。

 そのソニック・ストライカーだが、初めは後輩の勧めもあって、自衛隊の退官後に、暇に任せて始めたが、驚くほど良くできていて、あっという間に夢中になってしまった。退職金の一部を使って、自分の書斎に大型モニターを、視野を覆うように3台設置し、遂にはコクピットの計器表示専用として、更に1台を追加した。


 しかもそれだけでは飽き足らず、我ながら大人げないと思うが、ネットオークションでF4ファントムの射出シートを、妻にはとても言えないほどの高額で競り落とした。もちろん、ソニック・ストライカーをプレイするためにだ。

 知り合いの大工に頼んで、その射出シートの周囲に、戦闘機を思わせるような狭いブースを作ってもらうと、とたんに気分が変わった。机に座っているよりも数段緊張感が増し、俄然がぜんやる気が湧いてくるのだ。

 それ以降、ソニック・ストライカーにログインする際には、フライトヘルメットと、フライトスーツを着用するほどの念の入れようだ。


 若い頃ならば、自分の趣味をひけらかすのも有りかもしれないが、いい歳をしてここまでやるのは流石に自分でも行き過ぎだと思う。だからだれにも自分の趣味の話はしないし、ましてや部屋は見せた事が無い。

 しかし、今日会いに来てくれる松田という少女だけは別だ。言葉で言えば同好のよしみ、いや同慶の至りというやつか――。どちらでも構わないが、その少女にだけは自分の部屋を見せて、心ゆくまで自慢してやりたいと思っていた。彼女もそれを喜んでくれるに違いない。


 ネットで親しくなるほどに、少女は自分の事を話してくれた。聞けば、自分と同じように航空自衛隊の航空学生を受験するのだという。

 その一言だけで、自分はその少女を他人とは思えなくなった。自分たち夫婦には子供がいないが、もしもいたとしたら、きっともう彼女のような年頃だろう。娘のような年頃の親友ができた気分は、照れくさいような気もするが、決して悪いものでは無かった。


 当然ながら、自分が心神のテストパイロットだった事は、少女には話したことは無い。岐阜基地に勤務していたことさえ、触れたことが無い。

 航空マニアの少女だけに、心神のことはもちろん知っているし、話をしてやればさぞや喜ぶだろうとは思うが、空自のトップシークレットを明かすわけにはいかない。妻の陽子にだって、任務の内容を話したことは、一度たりとも無いのだ。

 それは家族や友人、知人を守るためでもある。万が一にでも空自の機密を探ろうとするものがいれば、本人でなく、その周辺にいる身近な人間に口を割らせるという、荒っぽい手段に出る可能性もある。知らない方が身の為ということだってあるのだ。


 改札口で待っていると、予め知らされていたオレンジ色のポロシャツとジーンズ姿のかわいらしい少女が、大きなバッグを一つ抱えて出てきた。

「パインツリー?」と訊くと、その少女は笑顔で「初めまして、松田涼子です」と挨拶し、頭を下げた。予想していた通りの礼儀正しい少女だった。

「何て呼んだら良い?」宮本が訊くと、「いつも通りにTACネームで」と彼女は答えた。

 その一言で、二人の会話の中では、宮本昭雄と松田涼子という名は封印され、バウとパインツリーの関係になった。


 宮本が運転する営業車で、2人は高崎駅を出た。

「パインツリー、せっかく来てもらって悪いけど、富岡には若い女の子が喜ぶようなところがないんだ。せめて世界遺産でも見に行こう」

 そう言って宮本が向かった先は、富岡製糸場だった。


――文明開化の礎となり、日本の近代化に貢献した歴史的建築物――

 しかしながら、現場に到着してみると、そんな文化の香りが漂う謳い文句が虚しく聞こえるほどに、その場所は少女に似つかわしくないように思われた。

「そうだよな、世界ランク上位のエースパイロットに、史跡見学なんて似合わないよな」

 宮本は頭を掻くと早々にそこを退出して、近くにある馴染みの食堂に入った。


 その店はソースかつ丼が一押しで、カレーライスとハヤシライスも旨いと評判だった。ガイドブックにもしばしば紹介されている有名店だ。宮本が何を食べるかと訊ねると、少女はお任せしますと言った。

 宮本は自分のためにはソースかつ丼を、少女のためにはソースかつ丼とカレーライスを頼んでやった。

 食べ盛りの年頃だからと思ってやったことだが、よくよく考えると目の前にいるのはうら若き少女だ。こんなガッツリ系の店ではなく、もうちょっと女の子が喜びそうな店にすれば良かったなと、注文を済ませてから、今更のように宮本は後悔した。ずっと航空自衛隊の閉鎖社会にいたからか、こんな時のデリカシーというやつが、どうにも自分には欠けているのだ。


「食べきれなかったら、残してしまっていいからね」

 そう宮本は声を掛けたが、その心配も杞憂きゆうに終わり、少女は出てきた料理を、あっという間に平らげてしまった。

「おお、それでこそ、我がエースだ!」

 宮本は大喜びで、その偉業を称えた。

「これくらい、家ではいつも食べてますから全然平気です。人前では恥ずかしいから、いつもは小食の振りをするんですけどね。バウの前だと気を許してしまって、完食しちゃいました」

 少女はフフと笑った。つられて宮本も笑った。


 2人は食事をすませると、すぐに宮本の自宅に向かった。

 宮本が玄関の引き戸を開けると、家の奥からドタドタという騒がしい音が聞こえてきた。宮本の愛犬、ミニチュアブルテリアのピーチーが駆け寄ってくる足音だった。そのピーチーを追うように、妻の陽子も小走りで奥の間からでてきた。

 ピーチーはもう10歳で、立派にシニア犬の域に入っているのだが、持ち前の明るい性格から、他人からはまだ子犬かと訊かれるほど活発だ。


「こんにちは」

 と、膝を折って、頭を撫でようとした少女の顎に、ピーチーは不意の頭突きを見舞った。慌てて宮本はピーチーの首輪を掴んだ。

「すまんすまん。こいつは自分を可愛がってくれる人間には、全力で甘えるんだよ。もう何人にも頭突きを食らわしているんだ」

 宮本の視線の先では、ピーチーが期待を込めてハアハアと荒い息をしながら、目にもとまらぬ勢いで尻尾を振っていた。

「大丈夫、バウ。うちにもね、ラフっていう犬がいるの。怖がりで頑固者のゴールデン・レトリーバー。だから全然平気です」

 少女は今度は注意深くしゃがみ、ピーチーの胸を撫でた。ピーチーはまるで猫のように喉を鳴らして少女に甘えた。


 2人でピーチーを10分ほど構ってやって、後を陽子に託すと、宮本は少女を2階の自室に案内した。

「ワッ、凄い。本格的――、って言うか、本物!」

 宮本の部屋を見た途端に、少女は期待していた通り大喜びした。

 少女は射出シートに近寄ると、ビスの1本1本を指先で確認しながら、まるで舐めるかのように見つめた。


「座ってみていいよ」

 と宮本は言ったが、少女は「その前に」と言って、持参していた大きなバッグを開いた。

「実はバウに、プレゼントがあるんです」

 そう言って、少女がバッグから取り出したのは、1対のスティックとスロットルレバー、2枚のペダルセットだった。

「ソニック・ストライカーのコントローラーじゃないか」

「そうなんですが、実はこれ、わたしが改造したものです。バウのコントローラーと入れ替えて構いませんか?」

 少女の視線の先には、自慢のコクピットに据え付けられたスティックがあった。

「ああ、どうぞ」

 宮本が言うが早いか、少女は持参していた小型の電動ドライバーを手に取ると、固定してあったスティックとスロットル、ペダルを外し、あっという間に新しいものと入れ替えてしまった。

 そしてPCを起動すると、次にやはり持参してきたブルーレイディスクをトレイに入れて、小さなプログラムをインストールした。

「使ってみて下さい」

 と、少女が言うので、早速宮本はソニック・ストライカーを起動させた。


「何だこれ、全然違うぞ!」

 愛機のF2を操縦した宮本は、思わず声を上げた。コントローラーを入れ替えただけで、ソニック・ストライカーは全く別物になっていた。宮本の繊細なスティックさばきに、機体がスムーズに応えてくれるのだ。

 これまでのソニック・ストライカーでも実機同然だと思っていたのに、新しいコントローラーの感触はそれ以上で、最早実機と寸分も変わらない操作性だ。

「どうしたんだこれ?」

 と、宮本が訊ねると、「コントローラーの分解能を、64ビットから128ビットに上げたんです」と、少女は涼しげな顔で答えた。


「驚いたな、こんなに違うものなのか」

「違いますね。でも、それに気が付くバウの腕前も凄いですよ」

 少女は宮本の反応が自分の期待通りだというように、嬉しそうな笑顔を見せた。

「マニューバを試させてもらうよ」

 宮本は嬉々としてスティックを操った。


 初めに基本中の基本――ターン、ループ、ロール。

 操作を繰り返す度に宮本の頬が緩んでいく。


 次にドッグファイトの基本マニューバ――インメルマンターン、スライスバック、バレルロール。

 益々宮本の頬が緩む。


 続いて曲芸飛行に近い――テールスライド、スピン

 これらは、普通なら戦闘機ではやらないマニューバだ。

 宮本の顔はついに笑顔になる。


「パインツリー、操縦してみるか?」

 宮本が訊くと、少女が「もちろん」と言うので、代わって愛機のシートに座らせた。愛用のヘルメットを被らせてやると、少女は照れくさそうに笑った。


 少女の操縦は流れるようで、さすがに上手いなと宮本は舌を巻いた。小刻みにスロットルレバーを動かしながら、同時に火器管制系やレーダー系の複雑な操作をする様は、自分の操縦方法とは全く異次元なものであった。

「さすがに見事なものだな、パインツリー」

 宮本がそう言うと、少女は「それほどでもありません」と言って頭を掻いた。


「俺は長年の癖で、機体の挙動を変えている間――、特に急旋回や急加速中には、絶対に2本のスティックから手を離すことができないんだよな」

「何故ですか?」

「長年実機で強烈なGに耐えていたから、体に染みついているんだ。シミュレーターなら息がとまるほどの8G、失神寸前の9Gの最中でも、同時に敵機をロックオンしてミサイルを発射することはたやすいはずのに、どうしても自分にはそれが出来ない。だからこそ、ランキング200位から上に行くことができないのだろうけどな」 

 宮本は、やや自嘲するような口調でそう言った。

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