第18話 Su27 フランカー

「F2には乗っていたの?」

 涼子は、バウの言葉に食いついた。

「もちろん。F2はこれまで乗った機体の中で、一番好き面白みがある。だからいつもF2を選んでいる」

 バウ何の気負いもなく ”もちろん” という言葉を発したが、涼子にとってはその一言が、バウが自分にとってのアイドルに変わる瞬間だった。


「ねえねえ、どんなところが面白いの?」

 涼子の質問は続いた。聞きたいことは山ほどあった。

「F2は乗り手の腕が上がれば上がるほど、まるで別の機体であるかのように振る舞いが変わる。パイロットの腕が発揮しやすい、素晴らしい戦闘機だ。でもその操縦の勘所は、幾ら口で説明してもわかるものじゃない。実際に操縦して体で覚えないと駄目なんだ。そのあたりの微妙な感覚だろうな、面白さは」


「結局ハイテクも突き詰めれば職人芸の世界か――。でも考えてみたら、ソニック・ストライカーが、そんな本職のパイロットの操縦のコツまで、再現できているっていうのも凄いな」

「そう、それに関してはまったく驚きだ。本当の細部は微妙に違うんだが、あそこまで再現できていれば立派にシミュレーターと言えるよ。因みにF15イーグルの方はもっとすごい。完全シミュレーションと言っても良いくらいだ。多分米軍の中でも、機体の細かな挙動を知り尽くしたテストパイロットレベルの人間が、機密情報をリークしているんだろう。そうでないと、とても無理な話だ」


「バウはイーグルにも乗っていたの?」

「T2に始まって、ファントム、イーグル、そしてF2だ」

「F35は?」

「そいつだけには乗っていない。配備された頃、丁度別の機に乗っていたんでね」

「別の機って?」

「それこそ、トップシークレットだ」

 バウの笑い声がインカムから聞こえた丁度その時、ポーンと電子音が鳴って、別のチームから挑戦状が届いた。内容を読むと相手はウクライナ人の2人組で、ロシア軍のSu27を操るようだ。ランキングは1人が162位で、もう1人が220位。何れも涼子より上位にある。


「ジュラーヴリクか」

 バウが言った。

「何それ?」

「何だ、戦闘機オタクなのに知らないのか。ジュラーヴリクはロシア語の愛称で、子鶴を意味している。NATOでの呼称は……」

「フランカー!」

「正解だ。やっぱりオタクだな。認めてやる」

「で、どうする、バウ? 相手は機体も良いし、強敵そうだけど」

「ただの馬鹿推力のロシア機だ。格闘戦ならF2の方が絶対に上だ。挑戦を受けよう、良いカモだ」

「分かった! そうする!」

 すぐさま涼子は、挑戦を受ける旨の『OK』のボタンを押した。ソニック・ストライカーのサーバーはその瞬間に、即座に両方のチームに戦闘空域を割り振った。


 ソニック・ストライカーのドッグファイト・ミッションのルールは、ホーム&アウェイ方式で2回戦で競うことになっている。今回の場合は1戦目が日本上空。2戦目はウクライナ上空が戦場になる。

 1戦目で涼子たちが離陸するのは航空自衛隊の横田基地。対戦相手は浜松基地が割り振られ、双方の会敵空域は伊豆半島の上空に定められた。


     ※


 通常、ソニック・ストライカーはリアル性を追求するために、作戦空域の現地時間が採用されるのだが、ドッグファイト・ミッションに限っては、目視が駆け引きの要素として大きいために、現地時間が夜間の場合は12時間を遡ることになっている。つまり、現在の日本時間は午後8時だが、シミュレーター内の時計は一日前の午前8時となる。気象条件も同一時間のものが採用される。


 晴天の横田基地を飛び立った涼子とバウは、A/Bアフタバーナーに点火して、マッハ2の最高速度で目的の空域に向かった。時計は午前8時15分。相手も最高速度で向かってくるはずなので、2分30秒程で会敵することになる。


 涼子はもう何度もドッグファイト・ミッションを経験し、慣れているので、敵と遭遇することに対しての緊張感はなくなったが、これが戦場だったらどうだろうかと考える。命懸けの出撃でも、何度も繰り返すうちに、人間は慣れてしまうものだそうだ。毎日極限の緊張感に晒されていたら身が持たないので、脳内で保護回路のようなものが働くらしい。

 自分が航空学生に無事合格できたとしたら、一体どんな思いで毎日の勤務をこなしていくのだろうか。今日のミッションが終わったら、バウはどうだったのか聞いてみたいと涼子は思う。


 涼子の思考を遮るように、ロックオン・アラートの警戒音がけたたましく鳴った。敵チームがレーダー誘導のミサイルを発射したのだ。

「えっ、もう?」

 距離はまだ60㎞ある。ロシア製のR77ミサイルなら射程距離が100㎞あるが、それにしてもあまりにも早すぎる。レーダーに映るミサイルの光点は合計4個。自分とバウに2発ずつだ。


 瞬時に方向転換して、チャフ(レーダー欺瞞ぎまん紙)を撒こうとする涼子のインカムに、「散開して、スプリットSからパワーダイブ」というバウの声が響く。反射的に機体を反転させて、スティック後ろに引く涼子。

「チャフは?」

 と訊く涼子に、バウは「まだだ。もったいない」と答える。


 ミサイルの進路と90度に進む、ビーム軌道という進路を採ることは、ミサイル回避の定石だが、この程度で逃げ切れるのか? 着弾まで30秒も無いはずだ。

 伊豆沖の海面が目前に迫り、恐怖感が遼子の脳裏をよぎる。

 それを察知したか、インカムからは「辛抱しろ、F2なら大丈夫」とバウの声が聞こえてくる。歯を食いしばる涼子。


「機首を上げろ。立て直せ」

 突如、バウの声が響く。

 スティックを一杯に引く涼子。海面は尚も迫ってくる。


 辛うじて水平飛行に――

 高度は海面から100mも無い。涼子の機を追っていたミサイル2発は軌道を変更できず、そのまま海面に着弾して水柱を立てる。

「気を抜くな、次が来るぞ。海面すれすれまで高度を落とせ」

 バウの言う通り、ロックオン・アラートの警戒音は鳴ったままだ。後方警戒レーダーによれば追ってくるミサイルは、なんと自分に4発。唾を飲む涼子。


「高度を保て、そいつらはFOX1、セミアクティブ・ホーミングだ。絶対に当らない」

 インカムにバウの声が響く。海面が恐ろしいほどの速さで後方に流れていく。ついその中に引き込まれそうになる涼子。やがて後方では、4つの爆発音。

 セミアクティブ・ホーミングは母機からのレーダー照射を感知する方式だ。海面近くではレーダー波が散乱して、目標をロストしてしまうのだ。

「かわした。そっちは?」

「こちらもかわした。大丈夫だ」

「なぜ、セミアクティブだと分かったの?」

「賭けだ。4発も大盤振る舞いするくらいだ。高額なアクティブ・ホーミングを使う訳がない」

「もしアクティブ・ホーミングだったらどうするつもりだったの?」

「あのまま少しだけ様子を見て、ミサイルがこちらをロストしないようならば、その時こそ初めてチャフだ」

 確かに、虎の子のチャフを使ってしまったら、いざという時にお手上げかもしれない。敵チームはそれを狙って、遠距離からおとりを撃ったのだ。


 近接戦闘に備えて、遼子とバウは位置エネルギーを稼ぐために、高度を上げた。その途端に3度目のロックオン・アラートが鳴った。まったく息をつく暇もない。

「今度のやつが本物のFOX3、アクティブ・ホーミングだ。チャフを撒いて急降下しろ」

 バウの声が響く。


 涼子は言われた通りに、チャフディスペンサーからカートリッジを射出し、機首を下げる。ミサイル2発が目標を見失い、あらぬ方向に飛び去って行く。

「パインツリー、敵が君に向けて何発撃ったか数えているか?」

「合計8発」

「それではSu27のハードポイントは幾つだ?」

「確か10箇所」

「その通り、俺だったら残りの2箇所には、FOX2、サイドワインダーをぶら下げているだろうな」

 つまり、相手の残りの攻撃手段は、短距離の赤外線誘導ミサイルと、バルカン砲だけということだ。

「勝った」

 涼子は勝利を確信した。相手とこちらの戦力差は歴然だ。

「まだだ。完全に墜とすまでは気を抜くな。相手だって回避行動が可能だし。チャフもまだ残っている」

 確かに、こちらに出来た事が相手に出来ない保証はない。涼子は気を引き締め直し、グリップを強く握った。


「2回戦のアウェイ戦への布石だ。完全勝利を目指すぞ」

「完全勝利?」

「そうだ。背後を取ってバルカン砲を掃射する。それが上手く行けば相手は完敗。2回戦での戦意を喪失する」

 涼子は驚いた。バウはもう2回戦の事までを考えている。情けないが、今日はバウの指示に頼り切りだった。僚機がバウで本当に良かった。

 いつの間にかバウが、自分の機の右横に寄せており、再び2機は編隊飛行になった。


「行くぞ、パインツリー」

 バウの声が聞こえた。

「はい」

 2機のF2編隊は、レーダーに映る敵機に向かい、フルA/Bアフターバーナーで迫って行った。

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