第4章 ソニック・ストライカー
第17話 F2 バイパー
――2024年10月22日、夕方、岐阜県、
松田涼子は長い石段を駆けあがって、左右の高い立木の中を抜けると、一気に開けた視界の中で空を仰いだ。ランニングの折り返し地点である市民公園で、真っ先に行うその仕草は、今や涼子の日課となっている。
切っ掛けは、1年半ほど前に遡る――
涼子はその日、ものすごいスピードで天空に駆けあがろうとする、トリコロールカラーの戦闘機、心神を目撃した。涼子は今でも、その光景を鮮烈に思い出すことができる。あの時の心神の勇士は、パイロットを目指す自らの希望そのものだ。
だから涼子は、それから毎日毎日期待を込めて、空を見上げては心神を探す。
先日行われた進路指導の際には、担任の小笠原に、将来の希望はパイロットであると伝え、高3で航空自衛隊の航空学生を受験すると宣言した。
小笠原は涼子の決心が、春から変わっていないことに驚き、目を丸くしていたが、涼子はもう動じない。
小笠原は「どうせパイロットを目指すならば、大学を出てから自衛隊に入隊する事もできるし、その方がキャリアとしてエリートの道を歩ける」とアドバイスをし、それがどうしても嫌ならば、せめて防衛大学に行けと涼子を諭した。
涼子の学力は全国模試でも上位にある。だからこそ小笠原は、「お前なら、今から準備すれば、東大にだって合格できるぞ」と力説したのだろう。春の頃と違う事と言えば、理Ⅲ、理Ⅲと言わなくなったことくらいだ。
涼子の思いは小笠原とは全く違っていた。自分はただ単純に、あの恰好の良い戦闘機を、意のままに操れる人間になりたいだけなのだ。もしもキャリアで任官してしまったら、その後運よくパイロットになれたとしても、出世の階段を登るために、数年で現場から引き離されてしまうだろう。
因みに、航空学生の学力試験は、そのもの自体はそれほど難しくはない。過去の出題集を読んでみても、センター試験程度の難易度である。
しかしながらそれは、涼子にとって、とりたてて有利というわけではない。皆が同じ土俵で戦うので、逆にケアレスミスや、取りこぼしが許されなくなるという、別の難易度が浮上してくるのだ。
とりわけ合格者数が極端に少ない女子は、全科目満点のパーフェクトを目指す覚悟が必要だ。東大並みに難しいと言われる
航空学生試験の本当の難関は、面接と航空適性の試験だ。涼子はそれが不安でならなかった。勉強ならば対策を練ることがきるが、面接と航空適性は、どこをどう鍛えて良いのか皆目分からないのだ。
だから涼子はせめてもの試験対策として、日々走っては体力をつけ、腕立て伏せや腹筋で筋肉を鍛え、トランポリンの教室に通って平衡感覚を養う。小遣いを貯めては一人で遊園地に行き、朝から晩まで絶叫マシンを梯子する。
※
涼子は部活を一切やっていない。学校から帰ると、まずは何を置いても午後のランニングと筋トレを行い、それが終わると手早く学校の授業の復習、予習を済ませる。そして夕食の後は、趣味でもあり、航空特性を養う目的でもあるオンライン・フライトシミュレーター、『ソニック・ストライカー』に興じる時間だ。
涼子は自分の行動について、両親から文句を言われて事は一度も無い。進路に関しても同様だ。
『担任から、東大に行けるぞと言われた』と両親に伝えると、「行きたければ、行けばいいじゃないか」と言うし、意を決して『航空学生になりたい』と打ち明けた時にも、「なりたきゃ、なればいいじゃないか」と言われた。
放任主義というほど、積極的に野放しにしている風でもない。なんとなく信頼されているのだと涼子は感じている。
因みに、涼子の両親は共働きで、父親は一般企業のサラリーマンで、母親は小さな建築事務所で事務の仕事をしている。自分はごく普通の家に育った、ごく普通の子供だと思っている。
他人から見ると、航空学生になって将来は戦闘機に乗りたいと言う涼子の夢が、随分とおかしなものに見えるようだが、涼子からしてみるとナンセンスこの上ない。日本中に数えきれないほどいるであろう、”サッカーのクラブチームに入って、将来はJリーガーになりたい!” というスポーツ少年の夢と、どれだけ違いがあると言うのだ?
※
この日涼子は、そそくさと夕食を済ませると、すぐに自室に籠った。月の初めはソニック・ストライカー恒例のランキングイベントが行われるからだ。
ソニック・ストライカーは、世界規模で登録ユーザーのランキングを行っているのだが、その順位に大きく影響するのが、毎月行なわれる、ユーザー同士のドッグファイト・コンテストである。
涼子の世界ランキングは、この1年ほどで大躍進した。1年前の自分はと言うと1200位前後をうろうろしていて、当面の500位を目指していたのだが、努力の甲斐あって秋口から成績が伸び始め、最近の最高順位は、何と300位を達成した。
急に順位が上がったのには、もちろん理由がある。
1か月ほど前のこと、以前から注目をしていた”バウ”という、自分よりも数段上のランキングに位置するプレイヤーに、『一緒に闘ってくれませんか』とメッセージを送ったところ、快く受け入れてくれたことがきっかけだ。
”バウ” は飛行技術が未熟だった自分に、沢山のテクニックを教えてくれた。
誰かと対戦するときに、僚機としてチームを組むだけでなく、単なる飛行訓練にもつきあってくれて、きめ細かな指導をしてくれた。
どんな解説書にも書かれていないそのテクニックの数々は、今や涼子の宝物と言って良いくらいだ。
涼子は早速PCを起動すると、アラートハンガーにログインした。アラートハンガーは現実の世界では、戦闘機のスクランブル発進に備える格納庫の意味だが、ソニック・ストライカーでは、現在ログインしている全ユーザーの名前や戦績、ランキングがリスト化されている、管理サーバーの事を指している。まずはここにログインをして、その日のミッションで、自分と編隊を組んでくれる仲間を探すのだ。
検索ワードで [F2、日本人、……] と、リストを絞り込んでいくと、涼子の目に“バウ”のTACネームが留まった。
「バウがログインしている」
涼子の目が輝いた。
ソニック・ストライカーのユーザー同士は、お互いがTACネームで呼び合う決まりになっている。当然ながらバウの本名は知らないが、これまでに何度も世話になった恩人だ。
一緒に飛んでみると実感するが、とにかくバウの操縦技術は天下一品だ。ドッグファイトが混戦模様になればなるほど、冷静な状況判断が冴えわたり、同じ性能のF2とは思えないような機動性を発揮して、何度も味方チームに勝負を呼び込んでくれた、涼子にとっては、頼もしい存在だ。
最近はあまり頻繁にログインしてこないことと、ドッグファイト以外のミッション――例えば爆撃や対艦攻撃、長距離飛行など――には、興味が湧かないらしく、際立った成績をマークしないので、腕前ほどには順位が伸びず、200位前後がずっとバウの定位置になっていた。
この日のミッションは都合よく、一個分隊同士――つまり2名対2名――のドッグファイト戦だ。涼子がバウに誘いのメールを入れると、ほどなくして、ポーンという電子音共に“OK”の返事が届いた。涼子はインカムを掛けて、バウに話し掛けた。
「久しぶり、バウ」
バウが自分よりもずっと年上だろうということは分かっているが、ソニック・ストライカーの世界は、ログインしたら、ため口が基本だ。
「やあ、パインツリー。世界ランクの上位者から誘ってもらえるなんで光栄だよ」
パインツリーは涼子のTACネームだ。苗字の ”松田” から付けた名で、最初は短くパインにしようとしたのだが、パイナップルと誤解されそうなので、敢えて長い名前にした。
「今日はバウの得意なドッグファイトだから、誘ってみた」
「期待に応えられるかな。ここのところ仕事が忙しくて、ログインしていなかったからな。きっと腕が鈍っているよ」
「あの……、もし嫌なら答えなくて良いんだけれど、バウは何の仕事をしているの?」
ネットの世界では、個人的な事を訊ねるには勇気がいる。それを知られたくない人間が大勢参加している場所だからだ。
バウには以前から興味があったが、これまでは訊ねるチャンスが無かった。今日は2人だけのチームなので、他人に会話を聞かれる事は無い。
「ああ、しがない印刷屋のおやじさ」
「え?」
「驚いたか? それとも幻滅したか?」
「幻滅なんて……」
「嘘つくな。声ですぐ分かる。実は弟がやっている印刷会社で、半年前から営業部長をやっている。慣れない仕事なんで、お客さんに叱られてばかりさ」
「なんでバウはあんなに操縦が上手いの?」
「ワハハ、それは軍事機密だ」
「そんなこと言わないで、教えてよ。どうしても自分ではバウのように飛べなくて」
「練習相手にだったら、いつでもなってあげるよ。でも細かい事は本当に軍事機密なんだ」
「それってもしかしたら、バウは元自衛隊のパイロットって事?」
「そんなところだ。今も予備役で籍が残っている」
「すごい!」
涼子は歓声を上げた。ソニック・ストライカーの会員には、航空自衛隊のパイロットもいるとは聞いてはいたが、まさか自分が出会えるとは、思ってもいなかった。
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