第16話 消えた科学調査機
宮本が旅館の部屋に戻ると、陽子が先に晩酌をしていた。自分も陽子の隣で座椅子に腰を下ろし、コップを取ると、陽子が愛想よくビールを注いでくれた。
一気にそれを喉に流し込み、「美味い」と声を上げた丁度その時、TVからはこのところ毎日見ている報道番組、『報道トゥナイト』のオープニングテーマが流れ始めた。
絶妙のタイミングに、今日は運の良い日だとしみじみ思う。緊張の中で過ごしてきたこれまでの25年間には、こんな些細な幸運を楽しめる穏やかな日が来ようとは、夢にも思っていなかった。
軽快な曲が終わると同時に、キャスターの古賀太一がいつになく深刻そうな顔で語りかけてきた。
「皆さん、今日はとても不可思議なニュースからお伝えしなければなりません。何と中国外務省が本日の夕方に突然会見を開き、尖閣諸島沖で、自国の科学調査機を含む、実に7機が忽然と姿を消したという発表を行いました。
しかも驚くべきことに、それはまるで日本の自衛隊が関与していると言わんばかりの論調だったのです。まずは会見の映像を見ていただきましょう」
画面が切り替わると、ブルーバックの背景の脇に中国の国旗が据え付けられた、ニュースで見慣れた演壇に8頭身の女性が立った。まるでファッションモデルのようだと、日本国民からも人気の高い
いつもの確信に満ちた強い眼光はなく、なぜか今日はどこか自信なさげにも見える。楊報道官が話し始めると、画面の下部には日本語の字幕が表示された。
『昨日10月10日、中国時間の10時過ぎ、中国人民解放軍の科学調査機が魚釣島北部の海域付近を飛行中、突如行方不明となりました。
本科学調査機は、7月12日に日本国の航空自衛隊の戦闘機が、我が国領空の高高度域で強行した、極めて不自然な飛行行動によってもたらされたと懸念される、排除すべき何らかの能動的干渉事象の有無を確認するために、派遣されたものであります。
まだ因果関係は明らかではありませんが、当科学調査機は、沖縄方面より飛来した日本の自衛隊機が、当機に接近中に突如レーダーから姿を消しております。
その直後、本科学調査機の捜索、および救命活動を行う目的で、我が国からは6機の航空機が現場に急行いたしましたが、それら全ての機体も当該水域において消息を絶ちました。
我が国では本事案に関し、日本国の航空自衛隊が関与していることを強く懸念しており、即座に日本国政府に対し、本事案にまつわる全ての情報の開示と、明解なる説明を求めているところです。
尚、本事案は我が国の軍事機密事項に抵触する内容であるため、本会見では一切の質問を受け付けません。以上です』
多数の記者から質問を要請する挙手があったが、楊報道官は報道陣のストロボが明滅する中、全くの無表情のまま演壇から立ち去った。
TVの中では画面が切り替わり、古賀の上半身がアップになった。
「客観的に見て私には、この会見は唐突で、何の脈絡もないものにしか思えません。いったい中国は日本に何を求めているのでしょうか?
本日は軍事評論家であり、航空機に詳しい赤木
画面はそれまでの番組の論調とはあまりにも不釣り合いな、若手お笑い芸人を起用した、能天気なカップ麺のCMに変わった。
「おいおい、7月12日に日本国航空自衛隊が行った飛行行動っていうのは、俺のラストフライトのことじゃないのか? 俺はあいつらの領空には一歩も入っていないし、ましてやあいつらの不利益になる行動は一切してないぜ」
宮本は思わず声を上げた。仕事の内容について何も聞かされていなかった陽子は、きょとんとした顔で宮本を見つめているだけであった。
宮本は腑に落ちない思いで、当時の行動に思いを巡らせはじめた。
CMが終わると、TVの画面には眼鏡を掛けた、神経質そうな男の顔が映し出された。航空事故などがあると、必ず報道番組で見かける顔だ。
「赤木さん、中国の会見は随分と難解ですね。具体的な日時まで織り込んでいながら、その実、話の内容は概念的過ぎて、正直言って意味が分かりません」
「わざわざ難解な言葉を使っていますが、内容はほとんど無いと言ってよいでしょうね。逆の考え方をすれば、現場から十分な材料が与えられないがない中で、中国外務省が何らかの理由で、無理やり会見を行わざるを得なかったのではないでしょうか」
「赤木さん、そこのところを、もう少しかみ砕いて解説をしていただけますか?」
「楊報道官の冒頭の言葉をそのまま解釈すると、まず7月12日に我が国の航空自衛隊が、東シナ海で何らかの演習、またはテスト飛行のようなものを行ったのでしょう。高高度域というのは、自衛隊の通常の作戦空域ではありませんから、イレギュラーな行動です。中国側はその行動が気に掛かっているのでしょうね。
向こうは領空侵犯と言っていますが、自衛隊のような抑制の効いた集団が、意識して他国の空域を侵犯するとは考えられません。恐らくそれは中国が勝手に主張している防空識別圏周辺でのことであり、国際法上の解釈で言えば、日本側の、排他的経済水域の内側で行われた行為だと思われます」
「つまり、中国側の言いがかりだと?」
「今の時点では、そこまでは言い過ぎでしょう。要するに、解釈の違いです」
「自衛隊はどんな行動をしたのでしょうか?」
「そればかりは、自衛隊が内容を公開するまでは知る術がありません。ただ、中国が過敏に反応せざるを得ない行為。黙認すれば中国側が外交上不利になるようなものだったに違いありません」
「それが昨日10月10日の、中国の行動に繋がるわけですね?」
「その通りです。正確に言えば、10月10日に繋がる一連の行動が始まったのです。過敏に反応した中国が、対抗する姿勢を示そうとしたのでしょう。
航空自衛隊の記録によれば7月12日以降、尖閣諸島周辺へのスクランブルが急に増えています」
「楊報道官の発言の中で一番難解な、『排除すべき何らかの能動的干渉事象の有無』というのは何でしょうか?」
「平たく言えば、日本が中国を監視するセンサーのようなものを、中国の活動域の中に設置した疑いをもっているので、向こうが科学調査機と称している航空機が現場まで確認をしに行ったというだけの、意味の無い内容です」
「中国を監視するセンサーとは?」
「例えばソノブイのような潜水艦の探知装置や、気象監視用の気球などが考えられますね。しかし先程も申したように、航空自衛隊は慎重な組織ですから、領土問題が底辺にある微妙な海域、空域に、そのような装置は設置しませんよ。
もしやるとしても、戦闘機を使うような荒っぽくて目立つ方法をとるわけがない」
「やはり私には、中国側の言いがかりだとしか思えませんね」
古賀は眉間に皺を寄せながら言った。今度は、赤木はそれを否定しなかった。
「それでは概要が分かったところで、話を先に進めましょう。中国が言う問題の7機が消息不明になった場所について見てみます。このボードは航空自衛隊が発表した当時のレーダー記録から作成したものです」
古賀が取り出したボードには東シナ海の地図が書かれており、その真ん中には日本の領海を示す日中中間線が太く描かれていた。その線の真上に1個の赤い点があり、中国側の領海側に6個の赤い点があった。
合計7個の点は、点線で描かれた一つの綺麗な正円の上に乗っていた。古賀はボードを指さしながら話を続けた。
「ご覧ください、皆さん。7機は不思議な事に、半径5㎞の綺麗な円の上で消息を断っているのです。赤木さん、これは一体どういう事なのでしょうか?」
「全く見当がつきませんね。レーダーの情報からは墜落とも思えず、ミサイルで撃墜されたわけでもない。消失した時間も、2時間ほどの開きの中でまちまちですし、何らかのエネルギー爆発で一気に消失したという事も考えられない。
まるでそこに何らかの、レーダー波の遮蔽物があるとしか思えません。或いは自然現象や、超常現象……。飛躍した考えと言われるかもしれませんが、私はバミューダ・トライアングルを思い出しますね」
「本当に、怪現象としか言いようがない事件ですね」
「ここからは私の推測ですが、中国人民解放軍は理解不能な現象によって、自国の支配する海域上空で、7機もの航空機を一気に失うという大惨事に見舞われた。そしてそのことによって、自らの管理責任を問われる事を恐れた現場、或いは政府の担当者が、まるで全ての原因が日本にあるかのように振る舞った。その程度の真相ではないかと思います」
「それはまた随分と論理に無理のある、ごり押しですね」
「だからこそ、中国外務省の会見が、あのように歯切れの悪いものになったのではないでしょうか」
「いずれにしても、怪現象は完全に中国の支配海域で起きていることであり、他国が介入できる余地はありません。今後の推移を見守るしかありませんね。次は経済のニュースです……」
再び画面はCMに変わり、宮本はそこでTVの電源を落とした。既に退官した後だとはいえ、自分の行ったテストフライトが問題の発端として扱われていることには、決して気持ちの良いものではなかった。
よほど幕僚監部に電話を掛けてみようかと宮本は思ったが、辛うじてそれを思い止まった。
最早自分は自衛隊を退役した身であり、部外者なのだから――
――第3章、終わり――
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