第15話 アンノウン

――2023年10月10日、6時00分、

           宮古島、航空自衛隊・第53警戒隊レーダーサイト――


 宮古島のレーダーサイトで警戒管制員を務める前島達郎は、いつものようにオペレーションルームで、レーダー画面を監視していた。ここ宮古島は尖閣せんかく諸島が近い事から、中国から飛来するアンノウン(敵味方識別不能機)が度々探知されるために、56カ所ある航空自衛隊のレーダーサイトの中でも、最も緊張感のある場所である。


 尖閣諸島周辺は、日本と中国が互いに領海を主張し合っている場所。日本が領海だとする日中中間線よりも遥か南側、尖閣諸島を含めて沖縄トラフまでを中国は領海と主張している。

 現実的には日本の立場の方が優位だが、簡単には引くことが出来ない中国は、自らの主張を続けるために、アピールをし続けるしかないという事情がある。

 3か月前にF3改が、高高度迎撃のテストフライトをこの空域付近で行って以降、中国のアピールは尚更その頻度を増していた。


 前の日から遅番で任務に就いていた前島は、小さな欠伸を一つして、腕時計に目を落とした。午前6時を回ったところだ。

 交代の時間までまだまだだなと思った矢先、レーダー画面内に小さな光点が現れた。アンノウンである。西から現れたところからすると、福州の空軍基地から飛来したものであろう。

 機影はデータベースに登録されたものではないが、速度からして双発のプロペラ機と思われた。直前まで海面すれすれの高度を飛行していたようで、レーダーに現れた時には、既に日本の領空に大きく食い込んでいる。飛行コースからして、尖閣諸島の北側を横切るつもりに違いない。


 前島は那覇基地に一報を入れると、更に画面に浮かんだ光点を追いかけた。恐らく那覇基地ではスクランブルが下命されるに違いない。となるとアンノウンに向かう自衛隊機とは、ここ宮古島から交信を行う必要がある。前島は早番との交代時間までに事が片付くだろうかと頭の片隅で考える。

 間もなく、那覇基地からは2つの光点が、レーダー表示の中を高速で移動していった。識別信号からすると、航空自衛隊のF35だ。


 アンノウンは前島の予想通り、尖閣諸島の北側を舐めながら、大きく左に弧を描いて北方向に進路を取った。いつものようにアピール飛行を行って、日中中間線を越えて去っていくのだろう。F35はまだアンノウンには到達していない。そのまま領空外に出るのだろうと前島が思った直後だった。日中中間線の境目あたりでアンノウンの機影がレーダーからロスト(失探)した。直前に高度の変化はなく、また空中分解のように、対象物が複数に分れることも無かった。

 忽然と消えたのだ。


「こちらエルフ01、目標をロスト。位置情報をくれ」

 F35から無線が入った。スクランブル機側も同じ状況のようだ。

「こちらも対象の機影をロスト、原因は不明」

 前島にはそれ以外に答えようが無かった。レーダーには2機のF35が、急旋回をして那覇基地に向かって行く航跡が見られた。

 現場付近で探査或いは捜索活動をするのかと思ったが、基地からは帰投命令が出たということだろう。急旋回して現場空域から離脱した事から推測すると、万が一本件が飛行機事故であった場合に、自衛隊機が関与していたと疑われる事を、上層部が避けたかったのだと前島には思われた。


 その後1時間も経たない頃、前島が覗き込むレーダーには、中国の領空内に1つ、また1つと明らかに民間機とは違う光点が現れ、アンノウンをロストした空域に向かって一直線に移動をし始めた。恐らくは捜索、救難活動なのだろうと前島には思われた。

 西から高速で移動するのは、機影からして中国の戦闘機、J10ファイヤーバード。戦闘機が登場するのは、現場に急行するという目的だけではないだろう。自衛隊機がアンノウンを撃墜した疑いを持っているからに違いない。

 北西方向からは対潜哨戒機・高新6と思われる大型機。これは多分海軍からの応援だ。北からも光点が移動してくる。恐らく安慶か市路あたりの空軍基地から来たのだ。


 合計6つのポイントが問題の空域に向かったが、前島の見守るレーダーの中、まずは西からの戦闘機2機の光点が、アンノウンの時と同じく突然ロスト。

 驚きのあまりに目を見開く前島。そしてその目の前で、遅れて移動していた残りの4機も次々とロストした。

 念のためにデータリンクを使い、海栗島、見島、高尾山と、索敵レンジ内にある他のレーダーサイトの情報も確認してみたが、結果は同じだった。

 しかし前島は、その機影の喪失の仕方に僅かな違和感を感じた。レーダーサイトが西に向かうに従い、何故かロストの位置と時間にはずれがあった。まるでレーダーに死角があるかのようだった。


 アンノウンを加えた合計7機のロスト地点を、最も遅い時間の位置で地図上にプロットすると、それは半径5㎞の綺麗な円になった。

「この空域で、一体何が……?」

 前島は茫然とし、呟いた。



――2023年10月10日、9時05分、

                 中国福建省、武夷山ぶいさん基地――


「一体、どうなっていると言うのだ?」

 中国人民解放軍空軍の南京軍区空軍司令部では、コウ軍区司令員、マー軍区政治委員を中心とした、軍区首脳部の緊急会議が行われていた。

「本件は、小国日本が仕掛けた我が国への攻撃と見て間違いないだろう」

 馬が断定的な意見を述べた。

「落ち着いてください。馬閣下」

 洪が馬をなだめるように言った。


「合計7機が瞬く間に消えてしまったのだぞ。日本で無ければ、誰があのような真似ができるというのだ? 

 我が国周辺には、我が国を攻撃したいという欲望を持つ国が幾つもあるだろう。しかしそれを実行できるだけの、十分な性能を持ったミサイルを配備している国は日本だけだ」

「まだ決めつけるのは早計です」


「そんな弱腰だから、小国日本ごときに舐められるのだ。7月にやつらが行った高高度での示威飛行を思い出せ。私はあの時に、即座に徹底的なる対抗措置をとれと言ったはずだ。それを行わなかったから、やつらが増長したのだ」

「お言葉ですが、7機が消失した理由はミサイル攻撃とは違うようです。ミサイルならば発射後の航跡も、空中で破壊された機体の散乱もレーダーが捉えることができます」


「それならミサイル以外の何かだというだけだ。攻撃してきた兵器が何だったかは問題ではない。むしろ兵器が未知のものであるほど、高度になればなるほど、敵の可能性が日本に絞られると言うものだ。」

「閣下それでは、アメリカやロシアの可能性はお考えになりましたか?」

「アメリカ? ロシア? 何故だ?」

「両国とも軍事では日本より遥かに進んでいます」

「アメリカとロシアが我が国と戦争をして、何のメリットがあるのだ?」

「日本がやったように見せかけて、我が国と日本を戦争に突入させれば、両国とも漁夫の利で大いに潤うはずです。そう思われませんか?」


「何を馬鹿な……」

「いえ、考えられない話ではありません。どちらもしたたかな国です」

「確かに――、一理あるかもしれんな」

「閣下、ここは我慢の時です。事を見誤れば戦争に発展しかねません」

「では、何もせず、黙っていろというのか?」

「ここはひとまず、我々の面子は捨てて、北京に下駄を預けてはどうでしょう。今の段階では情報が少なすぎる。ここで下手に動けば、我々の立場を危うくしかねません」

 馬政治委員は苦虫を噛むような顔をしながら、「止むを得ん……、上手くやれ」とだけ答えた。



――2023年10月10日、21時55分、箱根湯本――


 宮本は檜材で作られた長い階段を、浴衣姿でゆっくりと登っていた。山の斜面に建てられた温泉旅館は、玄関側から見れば2階建てだが、斜面に添うように下方に構造が延びており、ビルで言えば地下3階にあたる場所に露天風呂がある。川のせせらぎを聞きながら湯につかっていたら、ついつい長風呂をしてしまった。


 妻の陽子に旅行に誘われたときは、正直言って面倒だなと思ったが、これまで転勤ばかりで、苦労を掛け続けだった事への、せめてもの罪滅ぼしだと思って重い腰を上げた。ところがいざ旅館に着くと、自分の方が楽しんでしまっているのだから、我ながら現金なものだ。陽子も二人きりの温泉は、まんざらではないようだ。こんなことなら、もっと早く連れて来てやればよかったなと宮本は思う。


 航空自衛隊を退官してからは、生まれ故郷の群馬に戻って、実家でぶらぶらと過ごし、朝、夕の愛犬ピーチーを連れての散歩以外は、『ソニック・ストライカー』というフライトシミュレーターに興じる毎日だ。

 最後のフライトで一緒だった松木と相場が、そのシミュレーターのファンだったことから、退官後のボケ防止だと言って勧めてくれたのだが、冷やかし程度に思って始めて見たら、これがまたなかなかどうして、良くできたソフトだった。

 もしも自分が若い時分にこのソフトがあったなら、もうそれで満足してしまって、パイロットなど目指さなかったかもしれない――と、宮本が思う程に完成度が高かった。あっという間にきこまれて、今や宮本のそのソフトでの世界ランクは、松木や相場を追い抜いて、200位に迫るほどだ。


 しかしこんなにのんびりできるのも、残りもう何日かだ。突然に弟から電話が来て、仕事を手伝えと言われてしまったのだ。

 家業であった小さな印刷会社『富岡印刷』は、弟が後を継いでくれて、今や社員150名を越える中堅どころに成長している。つくづく、商才の無い自分が継がなくて良かったと、胸を撫で下ろしていたのであるが、来週からはそこの営業部長だ。


 高校を出て、航空学生として航空自衛隊に入り、それからは一般社会と隔絶された社会で生きてきた自分に、果たして顧客相手のビジネスが務まるのかと、不安に襲われることもある。

 しかしながら、心の中には「まあ、何とかなるさ」と高をくくっている自分もいる。テストパイロットと違って、事故があっても命までとられることはない。


「まあ、全ては来週を迎えてからのことだ」

 宮本は心の中でつぶやいた。先の事をいくら悩んでも仕方がない。気持ちの切り替えが早いのも、パイロットのスキルの一つなのだ。

「それにしても」

 と、宮本は思った。印刷会社を手伝うのは良いとして、これからは折角ランキングを上げたソニック・ストライカーに、熱中できなくなってしまう。それが痛手に思えて仕方がない。このまま腕を磨けば、世界ランク50位くらいは行けそうだと思っていたのに。


「俺も随分と、浮世の風に毒されてしまったな」

 宮本は愉快気に、ニヤリと笑った。

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