第9話 編隊喪失

「動き出したな」

 カークは言った。カークたちの編隊も散開し、4機がそれぞれの獲物を追っていった。カークの獲物は言うまでも無く先頭を掛け上っていくボイドの機である。 ラプターは推力に余裕があるため、カークの機体は易々と上昇軌道に入ってストライク・ペガサスを追った。


 カークはボイドが機体の性能差を知りながら、その程度の初歩的な回避行動を取った事を訝りながら、A/Bアフターバーナーを焚いた。カークには大加速の代償として高いGが掛かったが、それはドッグファイトには付き物のマニューバ。身体に耐性がある上、新開発のプレッシャースーツが驚くほど有効に働いてくれている。

 カークの心は動物が獲物を狩るかのような高揚感に溢れ、酸素マスクの下では、無意識に麻痺の残る右頬の口角が上がっていた。


     ※


 ストライク・ペガサスの高度が50,000フィートを越えると、ジェットエンジンの出力にはまだ余裕があるものの、操舵系が先に限界を迎え、ボイドが握るジョイスティックには、応力がほとんど感じられない状態となった。制御不能直前のところで姿勢の立て直しを行ったボイドは、続けざまに全機に「パワーダイブ!」と命じた。


 パワーダイブとは、エンジンに推力を加え続けたままで降下することを指す。機体に過負荷が掛かるために、通常飛行では行わないマニューバである。

 先程のほぼ垂直な上昇とは正反対に、ほぼ垂直にボイドたちは降下していった。


     ※


 カークは56,000フィート付近までオーバーシュートしてから機体を反転すると、すぐにパワーダイブに入った。機体にとってはかなり負荷のかかるマニューバであるはずなのに、ラプターは機体のきしみ一つも発せず、従順にカークたちの操縦に応じた。

「大したものだな、この機体は」

 と、カークは頭の片隅で思いながら、前方のボイドに視線を合わせて更にスロットルを開けた。


 ボイドとカーク以外の機の勝負は、その後あっけなくついた。カークの副官であるケイン少佐は、ボイドの副官であるアリソンを追っていた。

 ケインは高度が12,000フィートを切った時点で、エレベーター(水平舵)に神経を集中させていた。前方のストライク・ペガサスが、もう機首を上げる頃だと読んでいたからだ。それ以上にパワーダイブを続けると、地上に激突する危険が増す。

 そろそろ水平飛行に移るか、或いはズームアップに転じることだろう。だとすればストライク・ペガサスと同時のタイミングで機首を上げれば、より無駄のないマニューバで、相手の後上方の絶好の射撃ポジションを取れる。それで勝負ありだとケインは思った。


 ところが、ストライク・ペガサスは機首を上げるどころか、更に機首を深く沈め、マイナスループ――所謂、逆宙返り――に移行した。ケインは急いで機体を反転させ、プラスループでストライク・ペガサスを追う姿勢をとったが、そこで生じた僅かなタイムラグと、ほんの一瞬だけアリソンの機体を見失った事が命取りになった。


 ターンを終えた時には、アリソンに完全に後ろを取られてしまっていたのだ。コックピットの表示パネルには、アリソンにロックオンされ、撃たれたことを示す“LOSE”の文字が浮かんでいた。実戦であれば、回避行動を取る間もなく撃墜されていたことは明らかである。

 このときベイカーとバークリーもほぼ同時に、アリソンと同じ駆け引きで勝利を収めていた。


 唯一、ボイドのマイナスループだけは、カークに効かなかった。カークがボイドと同じマイナスループで、ボイドの機を追ったからだ。

 カークには激しいマイナスGが掛かかり、頭部に血液が集中していった。先程のズームアップと異なり、プレッシャースーツが役に立たない。やがて視野が真っ赤に染まりはじめる。レッドアウトだ。


 ボイドは更にマイナスループで速度を上げる。カークも歯を食いしばりながら速度を上げていく。

 不意にラプターの機内にアラーム音が鳴り響き、機体は自動的に水平飛行に移行した。機の安全機能が働いたためだ。視野はすぐに元に戻り始めるが、ボイドを見失ってしまったカーク。


「チッ」

 と、舌打ちし、再びボイドを目視確認しようとしたところで、表示パネル内には“LOSE”の文字が点滅した。

 あろうことか、それはサイドワインダーではなく、至近距離からのバルカン砲掃射による撃墜サインだった。


     ※


「完敗だ」

 ボイドのインカムに、カークの声が響いた。

「たまたまです。あなたがストライク・ペガサスの挙動特性をご存知なかったから勝てただけ。もしも再戦したら我々は100戦して、1勝もできないでしょう」

「負けは負けだ。俺はこれで機を降りる。お前は約束通り、金色の撃墜マークを貼るんだぞ」

「もちろん、貼らせていただきます。大金星ですからね」

「元気でやれ」

「あなたも……」

 そこで無線は切れた。


 エドワーズ空軍基地の管制塔内は沸き立ち、あれほど文句を言っていた議員団は、カーライル司令やブライトン副司令、見物していた若い管制官らと、だれかれとなく握手を交わしていた。AWACS・E-3センチュリーの機内でも、分析官たちがボイドの健闘を称えた。


 ボイドと3人の隊員たちは、ストライク・ペガサスをオートパイロットに切替えると、HMDヘッドマウント・ディスプレイを脱いだ。あとは自動操縦で機体が基地まで戻って来る。余程の悪天候にでも見舞われない限り、パイロット達の役割はここまでだ。


 戦闘機のパイロットは極限状態の中で、常に高度な集中力を求められるという性格上、ボイドやカークのような超人でないかぎり、寿命が短い仕事だ。合理的な考え方をすれば、作戦終了後は速やかにパイロットを緊張状態から解放した方が、長く使えるというのがモダンな考え方なのだ。

 無人機であればそれができるし、場合によっては野球のピッチャーように、スターター、セットアッパー、クローザーというように、役割分担をしていくことだってできる。


 ボイドは上着を脱いで、上半身にびっしょりとかいた汗をタオルで拭った。他の3人も同じだった。シートに座ったままで身体を動かしていないのに、これほどの汗をかくという事実が、その職業の過酷さを表していた。

 アリソンに言わせれば、実機であれば五感に加えて第六感までをフルに使えるが、無人機ではそれが出来ない分、余計に集中力が必要になるのだとの解釈だ。確かにそれは有り得る話だとボイドも思う。


 本来ならば缶ビールを開けたいところだが、機が完全に着陸するまでは基地内で臨戦待機する必要がある。ボイドたちはスポーツドリンクで乾杯し、ハイタッチを交わした。


――ボイド少佐、管制塔へ――

 不意に、館内放送が流れた。

「やれやれ、一仕事終わったと思ったら、引き続き議員殿のお相手か」

「そう言わないでくださいよ、ウィズ。俺たちの出世が掛かっているんですから、今回の勝利は大きくアピールしてきてくださいね」

 一番若いバークリーがにやりと笑った。

「分かっているよ、任せとけ」

 ボイドは飲みかけのスポーツドリンクのボトルを、バークリーに放った。


 ボイドが管制塔に上がると、お祭り騒ぎになっているはずのその場所は、ただならぬ緊迫感を伴い騒然としていた。議員団はすでにそこにはいなかった。ただ事ではないとボイドは直感した。

「どうした? 何があった?」

 ボイドは側にいる管制官に声を掛けた。

「ボイド少佐、大変です。ストライク・ペガサスが消えました」

 蒼白になった管制官が答えた。


「消えたって、どういう事だ?」

「レーダーから機影が消えたのです」

「4機ともか?」

「そうです」

「いつだ?」

「ちょっとレーダーから目を離した隙でした。約5分前です」

 5分前といえば、先程、館内放送があった直後だ。


「機からの識別信号は」

「それも消えています」

 どういう事だとボイドは思った。レーダーから消え、識別信号も消えたとなると、墜落が強く疑われる。しかし4機とも同時と言うのは考えにくい。

「AWACSはどうしている? あちらのレーダーには何か映っているのではないか?」

「それが、もう任務を終えて、レドームの稼動を止めてクリーチ空軍基地に帰投中です」


「呼び戻せ」

「もうやっています」

「カーク大佐の隊はどこにいる」

「ネリス空軍基地に向けて帰投中です。もう燃料が僅かなので、引き返せないそうです。それに戦闘機のレーダーでは機影は捉えられません」

 確かにそうだとボイドは思った。戦闘機をストライク・ペガサス捜索に投入するならば、ここエドワーズ空軍基地にも機体は山ほどある。自分が飛んだ方が早いくらいだ。


「ストライク・ペガサスの映像記録を出せ」

「分かりました」

 管制室のモニターには、4機のストライク・ペガサスから送られていた映像が映し出された。砂漠と周囲の赤茶けた山の様子からすると、オートパイロットに切り替えた直後のようだ。高度は7,000フィートほど。特に異常は感じられない。

 次の瞬間、何の前触れもなく画面がブラックアウトし、画面には“No Signal”の文字が点滅した。4機とも同時だった。


「一体……、何が起こったと言うんだ……?」

 ボイドは成す術なく、じっとその場に立ち尽くすしかなかった。



――第1章、終わり――

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