第5話 X47F ストライク・ペガサス

「落着け、デーモン」

 じっと2人のやりとりと聞いていたボイドが、たまりかねて口を挟んだ。

 ボイドは、ビアス大尉に視線を向けた。

「今日の模擬戦は、明らかに我々が不利な状況だという事は先刻承知の上。それをひっくり返す事に意義がある――。そういう事なんだろう、フレディ?」

「早い話が、そういう事です」

 ビアス大尉がうなずいた。


「皆、聞いての通りだ。噂によると、ストライク・ペガサスの予算獲得は、空軍に不利な状況で推移しているそうだ。我々がぶっつけ本番で最高の部隊を撃ち負かせば、事態は好転するかもしれない――。恐らく上層部はそう考えているんだ。どうだフレディ? 俺の言った事に何か間違いはあるか?」

おおむね、間違いありません」

「とすれば、この模擬戦は俺たちにも大きなメリットがあるぞ」

 ボイドは全員の不安をかき消すように言った。皆がボイドの顔を見た。


「まずはアグレッサー飛行隊に勝てば、空軍内に俺たちの名が鳴り響く。しかもストライク・ペガサスの導入が本格化して、今後空軍の主力になれば、俺たちが無人戦闘機運用の先駆者という事だ。どういうことか分かるか?」

 そこまで言ってボイドは、皆の顔を見渡した。そして「当然、昇進もそれに付いてくるということだ」と付け加えた。

 ボイドの言葉に、アリソンはにやりと笑った。ベイカーとバークリーも、満更でもないという表情を浮かべた。


 もしもパイロットに、軍の階級以外の序列があるとすれば、アグレッサー飛行隊と、AFFTCに所属する者たちは共に、ピラミッドの頂点に君臨する、トップ中のトップだと言えるだろう。担っている役割が違うために、どちらが上とは言い難いが、お互いが相手を意識し合っている事だけは確かだ。

 この模擬戦は、ボイドたちのチームにとって、自分たちの能力を示す千載一遇のチャンスでもあった。


「向こうも我々同様に、自分達の存在意義を掛けて、こちらに挑んでくるだろう。真剣勝負だな」 

 ボイドはそう言って、続けてビアス大尉に「相手の編隊長は誰だ?」と訊いた。

「ええ、それが……」

 ここにきてビアス大尉は急にごもった。そして一瞬の躊躇ちゅうちょの後、「実は、フレディ・カーク大佐です……」と言いにくそうに答えた。

 その名を聞いた途端に、ボイドは反射的に口を尖らせ、「ヒュー」と高い音で息を吐いた。

「聞いたか皆、今日は第65アグレッサー飛行隊の中でも最強の男が相手だそうだ」

 ボイドの言葉に、他の3人は大きく目を見開いた。


『参謀総長が誰かは知らずとも、フレディ・カークの名は皆知っている』

 そう謳われるほどに、カーク大佐の名は空軍中に響き渡っていた。

 カーク大佐は、チャック・イェーガーの再来とまで言われた天才的なテストパイロットであり、ボイドがAFFTCに赴任した際の直属の上官であった。

 AFFTCに在籍中、機体の限界性能をテスト中に、制御不能になったテスト機から6度ベイルアウトし、6度とも生還したというレコードホルダーで、内一度は空中分解を起こした機からの、生存確率がほぼゼロに近い状態からの脱出だった。


 カーク大佐の顔には、その時に付けた大きな傷跡――左頬から右目の間際まで、鼻梁を横切って10㎝を越えるもの――があり、顔面神経が切れてしまった後遺症から、時々右頬が無意識にヒクヒクと痙攣けいれんした。

 度重なる奇跡の生還を称えられて、カーク大佐いつしかフェニックスと呼ばれるようになり、それが現在のTACネームとなっていた。


――極め付きの頑固者で癇癪かんしゃく持ち。部下の心を気遣わない、憎むべき上官――

 それがかつて、ボイドがカーク大佐に抱いていた印象だ。しかし今となっては、それは決して不快なものでは無くなっている。

 カーク大佐の教えは、当時それがいかに理不尽に思えるものであっても、結局は全て、ボイドが空で生き残るための術であったからだ。時が経ち、自分が編隊を率いるようになって、ボイドは更にそれを実感するようになった。


 カーク大佐は5年前に、編隊長の座をボイドに譲ってアグレッサー飛行隊に異動した。それ以降ボイドはカーク大佐に一度も連絡を取った事は無い。

 しかしフレディ・カークの名は今でもしばしば耳にする。模擬戦の戦績は勝率98%以上。異動先でもカーク大佐は、その名声を更に高め続けているのだ。


「フレディ、模擬戦の開始時間は?」

 アリソンが訊ねた。

「1・4・0・0だ。こちらは15分前に離陸した後、一旦6時方向に向かい、試験空域ぎりぎりで旋回して待機。向こうはネバダ州のネリス空軍基地を離陸し、12時の方向からこちらの空域に入ってくる」

「何か制限事項はあるのか?」

「2つある。まずは当たり前の事だが、試験空域を出てはいけない」

「もう一つは?」

「ミサイルは、双方とも短距離用のサイドワインダーしか使わないこと」

「当たり前といえば当たり前だな。両方ともステルス機だから、遠距離からフェニックスやスパローを撃ったって命中しないからな」


 米空軍の空対空ミサイルは大きく分けて、セミアクティブレーダー誘導式のFOX1:スパロー、赤外線追尾型のFOX2:サイドワインダー、アクティブレーダー誘導式のFOX3:フェニックスに分けられる。

 フェニックスとスパローはそれぞれ射程210㎞と射程70㎞で、共にレーダーで敵機を捉えて追尾するために、本来ならば肉眼で相手の機が見える前に勝負がつく。しかし敵機がステルス機の場合は、レーダーが反応しないか、したとしてもそれが断続的なため、ミサイル発射のためのロックオンがそもそもできない。

 一方サイドワインダーは、有効射程が20㎞程度しかないが、赤外線追尾タイプでジェットエンジンの排気ノズルの熱源を追尾するため、一旦ロックオンしてしまえば、敵機がステルスであっても有効である。


 ホーミング技術が進歩した結果として、中、長距離ミサイルが生まれ、次に、相手より優位に立つ手段として、そのミサイルを無効化するステルス機が生まれた。

 しかし敵味方の双方が十分なステルス性能を備えた今となっては、こと戦闘機同士の戦いでは、相手をいち早く目視で捉え、接近してサイドワインダーを撃つという、従来の戦術に先祖がえりしてしまったのだ。


「バルカン砲は使って良いのか?」

 再びアリソンが訊ねた。

「もちろんだ」

 と、ビアス大尉は答えた。しかしすぐその後に、「ステルス機は至近距離でないと、レーダーがロックオンしないから、今日は恐らく使う機会はないだろうがな」と付け加えた。

 アリソンは「分かっているよ。一応聞いてみただけだ」と、ぼそりと言った。


 意外な話であるが、戦闘機同士のドッグファイトでは、目視で相手を狙ってバルカン砲を打っても当たることはまずない。双方が絶えず高速で移動しているために、敵をめがけて弾を撃ったつもりでも、その弾には自機の慣性が加わっていて、真っ直ぐに飛ばないからだ。

 命中させるためには、自機と敵機の移動方向と速度を総合的に把握し、一瞬先の敵機の居場所を予測して、そこに弾幕を張らなければならない。そのためには、ロックオンは目視ではなくレーダーで行って、コンピューターに敵機の軌道予測をさせる必要がある。


 ビアス大尉はアリソンとのやりとりが済むと、「それでは最後に」と言って、注意事項を付け加えた。

「今回は実戦を想定しているので、上空にはAWACS・E-3セントリーが待機している。あっちの大型レーダーにはステルスの機影も映るので、それを双方に送信する。分かっているとは思うが、“実戦を想定して”というのは、上層部が考えた方便だ。ステルス機どうしでいつまでも会敵しないと困るからな。さっさと相手を見つけて、さっさと勝負を付けろという事だ」


 AWACSは早期警戒管制機の事を指す。

 実を言うとステルス機は、戦闘機に搭載されている小型レーダーはあざむくことができても、AWACSの高出力レーダーからは身を隠す事はできない。AWACSが登場した時点で、ステルス機のステルス性はもう無いものと思って良い。特にE-3セントリーはボーイング707を母体に、機体上部に大型のレーダーアンテナを背負わせた機体で、その索敵さくてき能力は強力だ。


 実際に戦争という事態になれば、このAWACSが飛行戦隊に同行して指揮を執り、更に電子戦機が投入されるので、周辺空域ではレーダーの欺瞞ぎまんと、無力化が図られる事になる。

 もしも敵国も同じように、AWACSと電子戦機を使用した場合は、それこそ本当の先祖がえりだ。双方が近代戦の武器を全てかなぐり捨てて、近接したドッグファイトだけで勝負をつけることになる。


「模擬戦までに、まだ十分に時間がある。今日は午前のテストフライトはキャンセルして、作戦を練るか」

 ボイドは皆にそう告げると、壁際に置かれたホワイトボードを引き寄せた。そしてフェルトペンを取って、『F22ラプター』と書き、その横に『M2.42』と書き込んだ。それはラプターの最高速度である、マッハ2.42を示す値だった。

 それからボイドは、たった今書いた『F22ラプター』の下に、『X47Eストライク・ペガサス』と書いて、その横に『M1.2』と書きこんだ。


「ストライク・ペガサスとラプターの最高速度の差は倍以上だ。しかもラプターはスーパークルーズが可能なので、A/B(アフターバーナー)無しでも巡航速度がマッハ1.72。向こうは、流して飛んでいるだけで、我々の機の最高速度よりも高速ということだ。上昇性能も現存する機体の中では断トツだ」

「普通に考えると、勝ち目無しという事ですね」

 アリソンが言った。


「おい、ビショップ。お前、確かここに赴任する前、ラプターに乗っていたのだったな?」

 ボイドはベイカーに訊いた。


 ボイドとアリソン、バークリーの3人は、テストパイロットという職業柄、F15イーグル、F16ファイティング・ファルコン、F35ライトニングなど、空軍だけに限らず、多種多様な機の操縦桿を握った経験があるが、まだラプターだけは操縦した事がなかった。


「はい、バージニアのラングレー空軍基地で、第94戦闘飛行隊にいました。ラプターには2年ほど乗っています」

 ベイカーがボイドの質問に答えた。

「どうだ、操縦した感想は?」

「これまで乗った機体とは次元が違うと言う印象でした。はじめは操縦性に癖がありますが、慣れればどうってことありません。大トルクなのに、旋回性能は抜群です。急旋回や急上昇、急降下など全てのマニューバで、機体が意のままに追随ついずいしてくれますから、ドッグファイトで負ける気がしませんでした。

 それと、特筆すべきはラプター用に新しく開発されたプレッシャースーツ(耐Gスーツ)です。従来のものは約1.5Gの軽減効果でしたが、新しいプレッシャースーツは、体感的には更に1G積み増して、合計2.5Gくらいの軽減効があるように感じます。急旋回時の9G負荷も、これまでの倍の時間は耐えられます」


「ストライク・ペガサスは、ラプターに、勝てると思うか?」

「同じ戦法で戦ったら、まず勝ち目はありませんね」

 ベイカーは、さも当たり前という表情で答えた。

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