第1章 エドワーズ空軍基地

第4話 AFFTC 飛行試験センター

――2023年5月25日、8時30分、

            アメリカ、カリフォルニア州、エドワーズ空軍基地――


 5月の後半。標高の高いモハーヴェ砂漠は、昼には40度近くにも気温が上るというのに、朝は10度にも届かない日がある。砂漠気候の典型である。

 エドワーズ空軍基地はそんなモハーヴェ砂漠の、広大なロジャース乾湖の中に位置している。

 スペンサー・ボイド少佐は、愛車のフォード・マスタング・マッハ1を降りると、白い息を吐きながら、飛行試験センター・AFFTC(Air Force Flight Test Center)の正面玄関に駆け込んだ。


 一階の廊下の奥はブリーフィングルームになっており、ボイドがその扉を開くと、そこには既に3人の男たちがいた。

 折りたたみ式の椅子に座った状態で、皆が自分の手のひらを使って、戦闘機のドッグファイトを模してる。まるで子供の遊びのようだ。議論が白熱しているようで、誰もボイドに気がつかない。


「今朝は一段と冷えるな」

 ボイドがわざと、一際大きな声を発すると、3人は一斉に手のひらの模擬戦をやめて、ボイドの方を向いた。

「お早うございます。少佐」

 3人の中で最も年長のベネット・アリソン大尉が、立ち上がって敬礼した。

「お早う。皆朝早くから熱心だな。何を議論していたんだ?」

 ボイドの言葉に、3人ともバツの悪い表情になった。「どうしたんだ?」と続けてボイドは訊いた。


「実は、最近軍の中でも流行りはじめているフライトシミュレーターの戦術論で、熱くなってしまいまして――」

「フライトシミュレーター?」

「そうです。『ソニック・ストライカー』というオンライン対戦式のものなんですが、これが馬鹿に出来ないほど良い出来でして」

「君もやっているのか?」

「はい。こいつらに勧められて、物は試しと思って昨夜、初めてやったら、夢中になってしまいました」

 そう言いながら、アリソンは若い二人に視線を送り、つられてボイドもそちらを見た。そこにいるのはクライド・ベイカー中尉と、ケネス・バークリー少尉。


 二人のうちの一人、ここでは一番若い新米のバークリーが、意を決したように立ち上がった。

「少佐もいかがですか? もしよろしければ私が今夜、レクチャーをいたしま……」 そこまでバークリーが言いかけたところで、ボイドは近くにあった雑誌を丸めて、バークリーの頭をはたいた。

「馬鹿野郎、俺に操縦を教えようとは、なかなか良い根性だ。今日のミッションではたっぷり絞ってやるからな」

 ボイドの一声を切っ掛けに、バークリー以外の3人は大笑いをした。つられてバークリーも笑った。

 

 ここに集まった4名はアメリカ空軍のテストパイロット達。リーダーのボイドを中心にこの3か月、連日のように、X47Fのテスト飛行を繰り返していた。

 X47シリーズはペガサスという愛称で呼ばれ、アメリカ海軍のオーダーでノースロップ・グラマン社が開発した無人機である。

 2003年にX47Aが初飛行して以来、すっと開発と改良が繰り返され、実用機に近いX47B、X47Cを経て、X47Dが実戦配備目前となっていた。正式な戦闘機としてFナンバーが与えられれば、恐らくF47Dペガサスと命名される機体だ。


 海兵隊でも同じ機体の採用を検討しており、要求仕様を満たす為に、垂直離着陸が可能なX47Eが開発された。

 空軍も後を追うように、そのX47Eの対地攻撃能力を強めたX47Fを、ノースロップ・グラマン社試作させていた。正式名称ではないが、空軍のこの機体はストライク・ペガサスと呼ばれており、ボイド少佐たちの任務は、その運用試験と性能評価を行うことだった。


「ウィズ、ストライク・ペガサスのテストは、一体いつまで続くんでしょうね?」

 アリソン大尉が言った。アリソンはボイドの副官を務めている。そしてウィズはボイド少佐のTACネームだ。

 TACネームとはパイロット同士が通信回線で呼び合う、あだ名のようなものだ。ジェットエンジンの騒音の中でも聞き取りやすく、しかも万が一誰かに無線を傍受されても、パイロットの素性がばれないという利点がある。


 ウィズは魔法使いのウィザードを短縮したものだった。それは、開発初期のどんなに未熟な機体でも、瞬時にクセを掴んで乗りこなすボイドの特長をよく表していた。アリソンのTACネームはデーモンと言う。

「俺たちは、もう2か月もの間、戦闘機のコックピットに座っていません。そのうち体だけでなく、勘まで鈍ってしまいますよ」

 ベイカー中尉がアリソンに次いで発言すると、4人の中では下っ端の、バークリーの少尉も、同じ考えだというように頷いた。


「当初1か月と聞かされていたテスト飛行期間は、様々なチェック項目が追加されながら、2か月も延長され、尚も続行中。いまだに完了までのマイルストーンも示されていません」

「デーモン、ビショップ、ランス。3人とも嫌なら交代させても構わんが、お前たちだってストライク・ペガサスの能力を高く評価しているからこそ、文句を言いながらも任務に就いているのだろう?」

 ビショップとランスは、それぞれベイカーとバークリーのTACネームだ。パイロット同士は地上でも日常的にTACネームで呼び合う。そうやって普段から慣らした方が、作戦行動中に名前とTACネームを脳内変換しなくてすむ。


「確かに、あの機の運動性能は驚異的です。普通なら出来ないような急上昇も急降下も難なくこなします。意図的にフラットスピンを起こさせても、すぐに回復します」

 ベイカーがばつの悪そうな表情を作りながら、ボイドの問いに答えた。ベイカーの言うフラットスピンとは、左右両翼の内のどちらか片翼だけが失速したときに発生するきりもみで、まるで木の葉が舞うように落下する状態のことを言う。

「運動性能もさることながら、無人機の最大の利点は、パイロットを保護する必要が無いことだよ」

 通常、戦闘機にはパイロットの身を守るために、機体に加わるGに制限を設けるGリミッターが備わっているが、無人機ではそれを行う必要が無いのだ。

 パイロットにとっての肉体的限界は9G。無人機ではそれを遥かに超えて、機体が崩壊するぎりぎりにGリミッターを設定できる


「このまま無人機が進歩したら、有人機はドッグファイトで勝ち目がなくなるのかもしれませんね」

「パイロット自体に存在意義がなくなる時代が、すぐそこに来ているということです」

 ベイカーの発言に、アリソンが追随した。

 ボイドは2人の発言に、首を横に振った。

「俺はパイロットが不要になるとは思わん。俺たちはミサイルやバルカン砲を撃つためだけに乗っているのではないからな。ただし、戦い方は確実に変わる」

 ボイドの表情は、確信に満ちていた。


 コンコンとドアをノックする音が聞こえ、計画担当士官のフレディ・ビアス大尉が部屋に入って来て、ゴホンと一つ咳払いをした。

「喜んでくれ、皆に良い報せを持ってきた」

「何だ、フレディ、今日は少しくらいましなフライトプランなのか?」

 アリソンが訊いた。ビアス大尉はもちろんだとでも言うように笑顔を返した。


 テストパイロットの仕事は、機体の性能の限界に挑戦する、命知らずのエキサイティングな仕事と思われがちだ。しかし実際はテスト飛行のほとんどの時間は、地味は反復作業の繰り返しだ。

 操舵系の挙動や反応は正常か? 計器の表示に誤りはないか? パイロットがコクピットに座り、何の疑いも無く操作を行っている全ての動作を、あらゆる組み合わせ、あらゆる条件下で実際に行って確認していくのだ。


 もしも長時間の水平飛行で機体に何らかの異常が発見されたとしよう。それを技術者が改善したとしたら、確かにそれが直っていると証明するには、テストパイロットが実地に長時間の水平飛行をして結果を見るしかない。一度ではなく何度も繰り返して、それを確かなものにするのだ。

 不具合はいつ発生するかわからないし、どういう条件下でそれが発現するかわからない。どんな状況下でも、どんな退屈な作業も、万全の集中力で臨まなければならない。それがテストパイロットの役割なのだ。ボイドたち4人がこのところストライク・ペガサスで連日行ってきたのは、そんな単調な任務だった。


 ビアス大尉が皆に、”良い知らせ”と言ったのは、そんなテストパイロットの仕事を知った上でのことだった。


「今日の午後、上院の軍事委員会が、ストライク・ペガサスのテスト飛行を見学しに来ることが決まった。ストライク・ペガサスは来年度の実戦配備に向けて、目下メーカーが総力を挙げてロビー活動を行っている真っ最中だ。空軍の上層部もそれに協力することに決めた。今日来る議員たちは、委員会の中でも発言力が強い大物たちだ」

 ビアス大尉は言った。


「ストライク・ペガサスの性能を見せつけて、予算獲得を有利に進めようと言う腹だな。それで、俺たちは何をやる? 派手なアクロバット飛行をやれば良いのか?」

「それも名案だが、今日はもっと別のリクエストだ。きっと退屈せずに済むぞ」

「一体何なんだ? 早く言えよ」

 アリソンは焦れたように、ビアス大尉を急かした。

「編隊同士での模擬戦をやる。4対4だ」


「相手はどこの部隊だ?」

「聞いて驚くな。第65アグレッサー飛行隊だ」

 アグレッサー飛行隊とは、軍の飛行演習――特に模擬戦――の際に、敵部隊の役割を専門的に担う部隊である。各国の戦闘機の特長や交戦時の戦略を熟知した上で、それとそっくりな行動をシミュレーションして見せるのだ。

 例えば訓練のテーマがロシア空軍との戦闘であった場合は、相手国の主力であるMig29の行動を、F15Cでそっくりに真似て訓練の相手をしてくれるのだ。

 当然ながらパイロットは、空軍の中でも腕利きのエリートが選抜されている。


「本当か? 最強の飛行隊とやりあえと言うのか?」

「その通り。しかも向こうが今日使う機体は、F22ラプターだ。最強のパイロットに最強の戦闘機の組み合わせだ」

「幾らなんでもそれはやりすぎだろう。俺たちはまだ、ペガサスで一度も実戦形式での模擬戦をやっていないんだぞ。もしも負けたらどうするんだ? 予算獲得どころの話ではなくなるぞ」

「自信が無いのか?」

「そんな事は言っていない。俺が言いたいのは、勝たないといけない勝負なら、ぶっつけ本番ではなく周到に準備しろという事だ。せめて1回くらいは、事前に模擬戦をやっておくべきだろう」

 アリソンは興奮して立ち上がった。

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