第11話 情報を渡すことは、情報を隠すことである。
何も言わなくていいよぉー?あなたが脚色をした情報には興味ないしぃ、あなたが隠そうとした情報は全部知ってるから。 -松島 理下-
「この情報があふれる世界で、貴方はどの情報を信じますか?」
お昼のニュースを見ながら、灰寺はそんなことを言った。
「少なくともテレビは信じない。マスコミにとって都合のいいことばかりだ。」
「それは正解でもあり、外れでもあります。なぜなら、マスコミにとって都合のいいことばかり流せば、誰からも情報として信頼されなくなるからです。
テレビを絶対と信じる人がいる以上、一定層からは支持されるような情報の展開を行っているはずです。」
「困った奴がいるんだな。嘘か本当か判断しないなんて。」
テレビを信じて疑わない人間は、いくら周りが指摘しても間違いに気が付かないだろう。テレビの情報をそのまま受け取るだけの機械になっているからである。
そんな人間と議論しても無駄である。むしろかかわらないほうがいい。
自分が正しい、自分こそ正義だと思いこんでいる人間ほど厄介なものはない。
「とはいえ、テレビという情報伝達機関を使う以上、仕方のないことなのです。」
灰寺が妥協した。これは上げて落とすフラグである。
「テレビには尺というものがあります。情報を伝えられる時間は、わずかなのです。
伝えたいことが本10冊分あったとしても、伝える時間が10秒ということもあります。
テレビという情報伝達機関に頼る以上、伝えることができる情報には限りがあり、
伝える側にとってもそれは都合のいいことなのです。
情報が欲しいから本10冊全部読み上げてくれと言われると困るということです。」
「だからって都合のいいことだけ伝えるなよ・・・。」
「人間は自分に利益のあることしかしません。わざわざ自分が損するような情報を伝えるはずがありません。」
テレビは観光地の紹介をしている。色とりどりの花が咲き乱れ、とてもきれいである。
「いっそ、こういうのだけ流していればいいんだよ。」
「意外ですね。テレビは都合のいいことしか流さないと思いつつ、これは信じるのですね。」
「これはテレビが得をしないことだからな。」
もっともスポンサーが得をしているわけだが、見た人が困ることはない。
旅行は好きなほうである。たまには違った景色も見てみたい。
「しかし、これはこれで都合のいいことばかり流していますよ?風が強いとか、虫が多いとか、道が渋滞しているとか、伝わっていませんが・・・。」
灰寺はインドア派である。実際に現地に行かなくても、写真や動画で十分なタイプである。
「旅はそういうものだろ。予期しないことが起きるのを楽しむのも旅行のうちだ。」
「自分に利益があることは信じるのですね。まあ、人間とはそういうものですが・・・。
ところで、こんな情報もありますよ?」
灰寺はパソコンの画面を見せてきた。先ほどテレビで紹介されていた観光地のレビューである。
「マナーの悪い観光客が多くて、ごみが散乱しているようです。もちろんテレビには映っていませんが。
地元の人も愛想がよくないようです。もちろんテレビでは紹介しませんが。
あと、車上狙いや置き引きなど観光者狙いの犯罪が多発しています。もちろんテレビでは流しませんが。」
「嘘だろ・・・?」
「私と貴方で随分と認識が違うみたいですね。何故だかわかりますか?」
灰寺に勝利して喜んでいる様子はない。俺を見てがっかりしているようである。
山の頂上まで登ったら美しい景色より大量のごみが先に目に入って、
帰ってきてからごみの山の印象しか残っていないような顔である。
「俺がテレビを信じたからか?」
「いいえ。貴方の情報のソースが、テレビしか存在していないからです。
私が集めたのはネットの情報ではありません。不特定多数から発信された情報です。
先ほども言いましたが、テレビは限られた情報しか流せません。テレビから得られた情報だけで判断することは不可能です。
そもそも、テレビとしては嘘をついたわけではなく、伝えることができなかっただけなのです。テレビに怒ったところで状況が改善する見込みはないでしょう。」
実に都合のいい言い訳である。事実だから文句を言えない。
これだからテレビ、というよりマスコミは駄目なのだ。
「ところで、テレビは人間が情報を加工しているので間違った情報を流してしまうことがあります。
間違った情報を流してしまった場合、マスコミはどうすればいいと思いますか?」
「まずは謝って正しい情報を流すべきだろ。」
「なるほど、人間として正しい行動です。」
ああ、また間違った回答をしてしまったんだな。すぐにわかった。
人間として正しい行動は、灰寺にとってろくでもない行動である。
「ですが、マスコミとしては正しくありません。謝るということは、間違いを認めるということです。間違いをするマスコミは信用されません。今後の活動に支障が出ます。
マスコミとしては、別の正しい情報を大量に流す。これが正解なのです。」
「それじゃ駄目だろ。間違いは認めないと。」
「確かに人間個人としては問題があります。ですが、マスコミは人間の集合体なのです。
その中の一人が起こした間違いを訂正したところで何になりますか?
間違いを起こした人間が誰かなんて不要な情報です。犯人探しなんて望んでいません。なぜなら、犯人はマスコミという組織ということで決定しているからです。悪いのはマスコミではなくこの人間だ!と言ったところで誰も納得しないでしょう。
そもそも間違いを犯した本人は謝る気なんてありません。
出世に響かないか、会社をクビにならないか、まずは自分の保身を考えます。
謝った情報を流した責任は、組織そのものにあるからです。自らの失敗を正す必要はないのです。」
大きな失敗をしても問題にならないのが大きな組織のいいところである。
就職もそうだ。大きな企業のほうが安定した収入を期待できる。
お金があれば自分の欲望を満たすことなんて容易いだろう。
いくらお金で買えないものがあるからと言って、貧乏では楽しい生活は望めない。
生活に必要なものはお金で買うしかない。お金で買えないものを求めるほうが贅沢というものだ。
「しかし、間違いを訂正しないのに信頼を得られるのは何故なんだ?」
「コップに水が入っているのをイメージしてください。そこに塩を入れます。
水を飲んでも『しょっぱい』と感じないようにするにはどうすればいいですか?」
「塩を取り除かないといけないから、沸騰させて一度水蒸気にして・・・。」
言ってみたがめんどくさいと思った。そもそもコップの水をすべて蒸発させるのはどうなのか。
これは間違いだろう。だがどうするか。砂糖でも入れてみるか?
「難しく考えすぎです。水をさらに足せばいいのです。」
「いいのか?それ。」
「今やりたいのは『しょっぱい』と感じないようにすることです。
塩を取り除くことではありません。
上からきれいな水を次々と流し込めば味はどんどん薄まります。
失敗も同じです。成功を積み重ねてしまえば、些細な問題になります。
人間を一人殺したところで、億単位の人間を救えば信頼されるでしょう。
間違いを認めるということは、その後のフォローをやめるということです。
間違いを認めないならば、どうしてもその後のフォローに回らないといけません。
どうしても間違っていなかったということにするために行動するでしょう。
すると、間違いをしていたとしても、間違いをした事実は気にならなくなります。」
嘘は繰り返せば本当になるというが、そういうことなのだろう。
人間的には問題大ありだが、周りの信頼を勝ち取るためには理にかなった行動である。
「テレビを信じる人間もそういうことです。テレビが間違っていることもある。
それでも、間違っていないほうが多い。間違ったのはたまたまである。
テレビを信じない人は、極稀に間違えたことに対して過剰反応しすぎだ。
そう思っています。事実、テレビはいつも間違ったことを伝えているわけではありません。
テレビは、たくさんある情報の中から、一部だけを抜き取った情報を流しているだけなのです。」
確率論である。99%正しいのであれば、信頼できると判断するだろう。
もちろん1%は間違いなのだが、自分が間違った情報を手に入れるとは思わない。
人間は自分の都合のいいように物事を考える生き物である。
「とはいえ、マスコミも何も考えずに情報を流しているわけではありません。
マスコミは企業です。利益を得なければなりません。
どの情報を流すのが効果的か、この情報を流したらどうなるか、常に考えています。
その気になれば手に入るタダの情報に金を出してもらわないといけないのですから、少々人の道を外れた行動をしなければなりません。」
「やっぱりマスゴミじゃないか!」
「人の道に外れたことができなければ大した情報も得られないでしょう。
情報は財産ですから、財産を人から取り上げるのは気が引けることです。
人が人生をかけて大切に守っているものを執拗に狙うことができる人間が、マスコミには必要なのです。
面白いことに情報という財産は、持っている人間によって価値が変わります。
よって、価値のある情報は作り出すことができるのです。」
情報操作をするからマスコミは嫌いだ。
「ただの万引きでも、一般市民と総理大臣では反響が全く違います。情報に価値を与えたければ、情報の対象のランクを上げることです。
悪いことをしている人間を捕まえることができるのは警察ですが、
悪いことをしている人間を捕まえずにいい情報だけを流し、
有名になったところで悪い情報を流すことができるのがマスコミです。
もちろん、誰でも知っている情報では価値がありませんから、マスコミだけが、というより、自分だけがつかんでいる情報として隠しておかなければなりません。記者の勘という奴です。
『この人間は何か問題を起こしそうだ』ということを常につかんでおくのです。」
「それなら警察とマスコミが組めば世の中よくなりそうだな。」
「正直、マスコミにとって悪人が捕まるのは得になりません。事件が起きるから売る情報ができるわけですから。
一方で、警察もマスコミの情報を手に入れたからと言って犯人を捕まえられるわけではありません。情報は状況証拠でしかないのです。手に入れた情報は嘘かもしれません。嘘を信じた誤認逮捕は許されません。
警察が問題を起こして喜ぶのはマスコミです。お互い利用することはあっても警戒は怠っていないでしょう。」
世の中なかなかうまくいかないらしい。人間は自分の得になることしかしないから、
自分が損をしても世の中をよくしようとは思わないだろう。
そもそも、生活が懸かっているのである。世の中がよくなる代わりに自分が死ぬようなことがあってはならない。
自分の命と引き換えに。そんな人間もいたかもしれない。だが、そんなことをしていたら子孫は残せない。
自分の命を優先した人間だけが生き残り、情報を売る企業を成長させたのだろう。
「今日は難しい話してるねー。」
いつの間にか松島が話に入ってきていた。本当に神出鬼没な奴だ。
そういえば、松島も情報収集能力は優れている。ヤンデレでなければマスコミに協力できただろう。
「お前も情報集めてるなら注意しろよ。」
「大丈夫大丈夫。危ない所には近づかないようにしてるから。」
こういっているが、結構危ないところに行かないと手に入らないような情報を持っていたりする。
というか、人間が何人も消えている以上、絶対危ないことはしているに違いないのだが・・・。
「怪しいなあ。」
「生徒会とかに入っているからいろいろな情報が集まっているだけだよー?」
松島は、にこー、としている。絶対に何か隠している。
「お前、何か情報を集めるような能力持ってるだろ・・・。」
「望ちゃん。知らなくていい情報を手に入れちゃうと、この世に存在できなくなるよー?」
超能力というものがある。念力でスプーンを曲げたり、カードを透視したり、
人間ができないことをできる能力である。だが、超能力はだいたいが嘘である。
手品や奇術のように、種や仕掛けがあるのだ。
ところが、嘘ばかりではなく、例外が存在する。超能力を持って生まれてくる人間がいるのだ。
ソースは俺。俺自身が超能力者だからだ。運動神経がいいという、超能力。
その気になれば歴史的な記録を塗り替えるくらいできるだろう。
はっきり言って灰寺が俺を神候補だといったとき、能力がばれたと思った。
だが、よくよく話を聞いてみると、そうではなかった。
松島の言う通り、知らなくてもいい情報を手に入れたものは存在していてはならない。
とりあえず、灰寺とは親友のままでいられることにホッとしたのだった。
「任意の情報を得る能力、ですか。」
灰寺はちょっと考え込んで、言った。
「人間は他人が知らない情報を得ることに価値を見出してはいますが、
実際には知らないほうが幸せだった情報もたくさんあります。
情報は財産と言いましたが、珍しい財産を持てば狙われるように、
珍しい情報を持った人間も狙われるのです。
また、珍しい情報を手に入れようとする人間も厄介です。同じく命を狙われるでしょう。」
松島、意外と危ないんじゃあないか?能力を持っているならなおさらである。
プライベートにかかわる情報を持っていながら、盗聴器やカメラが見つからないという時点でおかしいのだ。
情報の入手元がわからない。誰か協力者がいるのか?
「そんなときに役に立つのも情報です。情報を隠したいのなら、別の情報を出せばいいのです。
木を隠すなら森の中。どうでもいい情報を並べておけば、重要な情報が混じっていても意外とわかりません。契約書や説明書が長いのも、重要な情報を記載しつつ、目に触れないようにしたいからです。
テレビと違って書物は、重要なことを書いていなければ咎められます。尺が存在しないからです。そのため、量を増やすことによって、人間側に尺を作り出すのです。
人間は自分に関係のない文章をじっくり読むなんてことはしません。読み飛ばしてしまいます。
何か問題が起きた時に、自分に関係あるとわかって初めてじっくり読み始めるのです。」
「人間って、卑怯だな。」
「卑怯だから生き残ることができたのです。何の能力も持たないのに、自然界に生き残るなんてありえません。」
人間にとって、道具が能力の代わりなのだろう。道具さえあれば、人間は誰でも同じことができる。
道具を使う能力のない人間は淘汰されていった結果なのだ。
「とはいえ、卑怯な手を使う人間は嫌われます。そのため、大人は子供に対して、
真っ当な生き方をすることを強制的に教えます。そのほうが管理が楽だからです。
人間は自分の都合のいいようにルールを決める生き物です。子供は、卑怯にも大人の用意した、卑怯が存在しない世界で生活させられるのです。
好奇心旺盛な子供が外の世界を見ると、大人が卑怯だということがわかります。
ここで初めて、大人と子供の間に引かれた理不尽なルールの存在を知るのです。
子供が大人はずるい、卑怯と思うのはそのためです。子供は大人を嫌いになるでしょう。
しかし、親元から離れて、一人で生きていくときに初めて卑怯さの必要性を知ります。大人たちは、卑怯な手を使って生き残ったから大人になれたのです。そんな世界で生き残るには、卑怯な手を使って大人にならなければなりません。卑怯な手を使うことを自らの能力として受け入れなければなりません。何の能力もない人間が、卑怯な手を使わずに生き残ることはありえないのです。
卑怯を受け入れられなければ、いつまでも子ども扱いのままです。今度は自分が理不尽なルールを守る立場になるのですから。」
俺は改めて大人は嫌だと思った。それは俺が超能力を持っているからである。
子供もまた、大人が嫌だと思う。自分に能力があると思っているからである。
親は自分のわがままを聞いていくれる。すなわち、自分には、自分が一番に扱われる絶対的な能力がある、と思い込んでいるのだ。
子供は大人の卑怯という能力に触れて、初めて自分に特別な能力がないことに気づくだろう。何の能力を持たないことに気が付いた子供は、卑怯という能力を手にするようになるのである。
俺は改めて大人は嫌だと思った。それは俺が卑怯ではなく、超能力を持っているからである。
「こういう話をたまーに挟まないと、物語と現実をごっちゃにする人がいるからねー。超能力が使える人間がいるなら、この話はフィクションだって信じてもらえるかな?」
「物事を自分に都合のいいように考える人間には難しいでしょう。
そういう人間は、人にはない優れた能力が自分にはある、と思い込んでいます。」
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