第9話 労働は人間を効率的に支配できる
君は自由の身になったと言いますが、周りの人々に自由であることを伝えるという重労働を強いられていますよね? -灰寺 牧乃-
「一人が全力を出す国とみんなが全力を出す国、どちらが栄えると思いますか?」
団体競技を眺めながら灰寺は言った。団体競技はチームワークが求められる。
優秀な選手がそろったところで、それぞれがバラバラに動いたら勝利は難しい。
「みんなが全力を出さないとダメだろ?手を抜く奴がいる国なんて滅んで当然だ。」
「なるほど、すべての国が滅ぶのは当然のことでしたね。」
納得したような言い方だが、灰寺は麦茶を飲んだらコーラだった時の顔をしていた。
「一人が全力を出す国が栄えるのか。」
「一人が全力を出すということは、その他大勢にまだ余裕があるということです。
歩き続けるために食事を取らずに進むようなことが続けば人間は死にます。
前に進むことと現状を維持することは別です。
全員が全力を出さないと成り立たない国は、現状を維持することが精一杯ということです。」
「しかし、一人が全力で頑張るには限界があるぞ?」
「その他大勢からもう一人全力で頑張る人を出せばいいのです。
全員が全力で頑張っている場合は、減り始めたら減る一方ですが。」
どうやらリソースの話だったらしい。
「協力も大切だと思うけどな?」
「それは楽をしたいと思うからです。」
「そうは言うけど、一人の力では限界があるぞ?」
サッカーでも野球でも、人数がそろわないと話にならない。
人数がそろって、全員がベストを尽くすから勝てるのである。
「一人で何でもできる人間なんていないんだ。それぞれの得意なことを生かしたからこそ成功につながる。」
「それぞれの分野のスペシャリストを集めたところで成功しません。それぞれが自由に全力を出した結果を、最終的に一つにまとめたから成功したのです。どう組み合わせたかではなくどのタイミングでまとめたか。始めから人間を一緒にすると、頑張る人と怠ける人ができ、優劣を競うため互いに足を引っ張り合います。
人間は団結する能力に欠けている生き物です。」
灰寺は俺の一般的な正論に否定的である。今回ばかりは灰寺の教えは間違っていると思った。そもそも灰寺は大人数での作業が苦手だ。価値観や思想に偏りが出るのも仕方がない。
「確かに一人と三人ではできることが違います。競わせれば当然三人のほうが勝つでしょう。
ただし、ここには前提があります。登場する四人は能力が同じという前提です。
一人が圧倒的に強かったら三人でも負けます。」
「まあ、そうだろうな。」
「貴方は先ほど一人一人が得意なことを生かすといいました。わかりますか?
登場人物の能力が同じという前提を作ったうえで、能力の異なる人物を登場させました。Aができない人間に対して、Aができる人間とその他どうでもいい人間を競わせたということです。この場合、全力を出しているのはお互いに一人です。」
「だが、現実的にはすべての人間の能力が同じなんてことはないだろ?」
「やろうとしていることは一つです。仕事とゲームを両方やっているわけではありません。」
なんとなく話が見えてきた。人数が多いと、いろいろなことができる。
だから、団結し、協力すれば、一人でやるよりもすごいことができるのである。
しかし今回は、個性がない状態で、一つのことをするのである。
勝利するのは数が多いほうである。しかし、勝利したところで他のことは何もできない。
ひたすら歩き続けることはできても、誰一人食事をとることはできないのである。
そんな状態が続けばいずれ滅ぶ。勝利していたのに滅ぶのである。
「人間一度にできることは限られています。裏を返せば、何かさせておけば人間は何もできなくなるということ。とはいえ、何もできない状態にしても意味はありません。何かを生み出しつつ、何もできない状態にすることが効率が良いのです。
その点で、労働は優秀です。労働は人間を無力化しつつ、様々なものを生み出すことができます。」
働くということは、ほぼ義務である。働かないと生きていけない。
「支配者にとってこれほど好都合なことはありません。上に立つものは下にいるものが気になります。下剋上。下にいるものに攻撃される心配を常にしなければなりません。なぜ、そのようなことが起きるか。
下にいる人間に、上の人間の様子を知る『余裕』があるからです。
いくら下の生活が酷くても、上の生活を知る余裕がなければ何も起きません。革命は、上を知る余裕ができることから始まります。」
「生活が苦しいなら余裕がなくても何とかしようとするんじゃないか?」
「余裕があるから何とかしようと考えるのです。24時間すべて労働で埋まっていると考えてください。
労働中にほかのことは考えない前提です。生活が苦しいということを考えるためには、24時間のすべてを占めている労働を取り除かないといけません。逆に考えると?」
逆というのは、上の立場ということである。
「上の人間は労働が取り除かれないようにしないといけないな。」
「だから、働くことは良いことなのです。働かない人間がいることは不都合なことなのです。上の人間が無能であることがわかってしまいます。下の人間に上の人間が無能であることがわかる時間があれば、上の人間を倒すことができる時間もできます。上の人間としては、下の人間に何としても働き続けてもらわないといけないのです。」
「実際はそうでもないけどな。24時間働き続けることができる人間はいないし。」
機械なら別である。止まらないシステムはいくらでもある。
「実際は、休息が必要です。人間は働いたら休まなければなりません。
上の人間は下の人間を働かせつつ適度に休ませなければなりませんでした。
そのため、生かさず殺さずは古来から鉄則とされてきたのです。
その点において、労働は優秀でした。労働を行った人間は、次の労働に備えるため、自らの意志で休息を行います。
上の人間が休息を管理する必要はありません。
下の人間は、自らの意志で、労働と休息を繰り返すだけの人間になったのです。」
「社畜というわけだな。」
「奴隷と社畜。似ているようで、支配者の手間がどの程度必要かが違います。
支配者の財産であり、死なぬように生きぬように管理しなければならないのが奴隷。
支配者の活動の歯車の一つであり、勝手に活動し、壊れたら取り換えればいいのが社畜。
奴隷を自由にすると共に、支配者は奴隷の管理から解き放たれ、自由の身となったのです。」
今日はなんだか灰寺の考えがよくわかるぞ!
「ふむ。今日はとても良い感じです。やはり、私の教えに疑問を持つことができたからでしょう。」
「ん?教えに疑問を持つことは良いことなのか?」
「教えられたことを教えられたとおりにすることは良くないでしょう?
教えられたことが本当に正しいか。判断することは重要なことのはずです。
私の教えも同じです。私の教えに共感し、私の教えの通りに行動することは、
私の教えに管理されるということです。管理者が管理される立場になってはいけません。」
自神管理教。なんと孤独な宗教だろうか。この宗教はすべての人間から否定される運命なのである。
「宗教を統治に使用した例はいくつもあります。
しかし、宗教に屈服し、統治に成功した例はありません。
宗教を自らの考えで解釈し、曲解することで初めて統治に用いるに足るものになるのです。」
「じゃあなんだ。お前の教えも曲解していいんだな?」
「もちろんです。ただし、曲解するときには注意しなければならないことがあります。」
灰寺は針に糸を通すような少し真剣な顔になった。
「それは、自論の根拠として、他人の言葉を借りてはならないことです。
よく、『誰それが言ったから」、『どこそこに書いてあるから』、ということを根拠に話を広げる人がいます。挙句の果てに、『この人が素晴らしい』、『この作品が素晴らしい』、『だからこれはゴミだ』というのです。
なるほど、素晴らしい人、言葉、物に多く触れていらっしゃられる。しかし、自らの意志を持っていない。
他者に支配され、他者の通りに動く人間に、人の上に立つ資格はありません。
そのような人は、人の上に立ったとして人を導くことはできません。
自らの間違いを肯定してくれる人間を増やすことに、人生を捧げるだけです。他人の言葉に支配されることに酔い、自らと同様に支配されること良しとしない人間を排除するだけの存在になるのです。」
「神の言葉に従ったものが救われるのではなく、神の言葉に励まされ、自分を信じたものが救われるということだな。」
「私は支配されるの嫌いじゃないよー?」
いつの間にか松下が戻ってきていた。先ほどまでリレーでゴール前までぶっちぎりで走った後、盛大にズッこけて1位を逃していたはずだが。
「私は牧乃の教えを信じるし、牧乃に全面的に支配されるよ?
だって、それが私の幸せなんだもん!」
成績が良くても思想まで良いわけではない。むしろエリートのほうが宗教に引っかかるというが・・・。
松島はというと、また灰寺の腕をぐいぐいと胸と腕に挟み込んでいた。もともと松島の胸が大きいのもあるが、運動するときは邪魔にならないようにテーピングやらギプスやらでガチガチに固めているため、一回り大きく見える。
そのうえ、うまいこと服を挟み込んで乳袋的なものを作っているので、前かがみになる男子もちらほら。確実に自分の武器にしている。
ただし、灰寺には逆効果である。
「考えることに疲れると、支配されることが喜びとなります。支配されることは支配するよりはるかに楽だからです。
それはさておき怪我をしているよ。手当てしないと。」
「知ってる。理下なら手当てしてくれると思って。」
「保健室行けよ。」
「やだ。私の体に触っていいのは理下だけだよ。私は理下だけのものなんだから。ねっ?」
松島が学校の支配者でいるときは本当に不機嫌なのだが、灰寺に支配されている間は幸せそうに見えるのであった。
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