第6話 ヤンデレは死んだ!

自分の理想に近づくのは、わるいことなの?それなら私は人間を愛することをやめるけど・・・。   -松島 理下-



「貴方には、貴方を愛する人がいますか?」

灰寺は小鳥に餌をやるようなのんきな顔で言った。灰寺は俺が嫉妬するかしないか程度の美しい女性だ。一部のコアなファンに受けそうな性格もあり、ひそかに思いを寄せている人もいる。というか、先ほどからずっといる。この前からいる。気が付いたらいる。

一方で俺は女らしさがまるでない。典型的な体育会系。気に入らないと手が出ることもよくある。どちらかというと同性から人気があるタイプだ。俺はレズではない。俺を愛する人がいてもらっては困る。

「どうしたんだ急に。」

「たまには世の中をよくする方法について考えてみようと思いました。とても論理的、現実的に。」

「その答えが愛なのか。」

愛はぼんやりしたものである。計算式がこうで、公式がこうで。などということはない。世の中をよくするために愛を用いるとして、いったいどのように一般化するつもりなのだろうか。

「愛。すなわち、子作りです。」

少子化の話だった。つまらん。

「遺伝についてわかったのは随分前の話です。良い遺伝子と良い遺伝子をかけ合わせればだいたい良い遺伝子ができ、悪い遺伝子と悪い遺伝子が合わさればだいたい悪くなります。学校でも習う話です。」

「そうだな。」

「その話が人間には全く生かされていません。人間はいったいどうやって進歩してきたのでしょうか。」

「それは、突然変異だろう。どんなにひどい状況でも数が増えれば一人くらいはマシなのができるさ。」

今回は俺の勝ちだった。

「実に非効率です。良い遺伝子だけを選別して掛け合わせていれば、世界中で起きている様々な悩みが、なかったことになったかもしれないというのに。」

「なんだ?珍しく人間を愁いているじゃないか。」

重ねて言うが灰寺は人間が嫌いである。事あることに人間を軽蔑し、切り捨ててきた。

 今日はどういうわけか人間に同情している。明日は嵐かもしれない。

「人間にはコンプレックスというものがあります。」

胸をペタペタとさせながら言った。控えめ。

「胸が小さい。顔が醜い。背が低い。胸が小さい。頭が悪い。体が弱い。などなど、劣勢の遺伝子によるものです。

 遺伝のことを理解しておきながら、何故多くの人間が遺伝が原因の悩みを抱えて生きていかなければならないのか不思議でなりません。」

俺も胸が大きい奴は羨ましい。あると邪魔になりそうだけど。

「要するに、胸が大きい人がうらやましいんだな?」

「嫉妬です。ああはなりたくありません。気持ち悪い。」

細いほうがいいんだろうな。そう思った。

「昔は身分の制限がありました。上の人は上の人と。下の人は下の人と。禁を犯す場合は死罪になることもありました。遺伝の仕組みを知らないながらも、まだ人間として進歩の道は保ってきていたのです。

 ですが、今は平等の名のもとに玉石混合。既に駄作の屑石ばかりかもしれませんが、人間の価値は下がり続けています。良い遺伝子に悪い遺伝子がどんどん混ざり、良い遺伝子だけを取り出すことができなくなりました。」

「そこまで混ざったらもう何も考えなくてもいいんじゃあないか?」

「そうはいかないのです。」

枯れ果てた五十ヘクタールの田んぼを呆然と眺めるような顔で灰寺は言う。これは相当深刻だ。

「人間は良い遺伝子を排除しようとしているのです。いい遺伝子というよりは愛でしょうか。」

「そこで愛か。」

「ところで、ヤンデレをご存知ですか?」

とうとう病んでしまった。今度は愛がヤンデレになった。やっと灰寺は真顔に戻ったが。

「包丁持ってたり、目のハイライトが消えていたりするあれだろ?」

「貴方はヤンデレを誤解しています。」

また、お年玉の全部をつぎ込んだ宝くじが全部外れた子供のような顔に戻ってしまった。確率を知らない子供の浅知恵である。

 もしかしたら100円が100倍に増えるかもしれない。

 『かもしれない』が自分なら絶対起きると思ってしまうのだ。

子供向けの話はだいたい勧善懲悪であり、都合のいいように話が進む。

そして、子供は自分が世界で一番の存在だと思いこんでいる。自分だけが勝者であり、他は敗者なのだ。

もっとも、社会に出てそんな幻想は粉々に砕かれてしまうのでどうでもいいことであるが。

「ヤンデレは、本来あるべき恋愛の姿なのです。世間一般的なヤンデレのイメージは、愛の戦いで楽したい怠け者が何とか勝利をもぎ取ろうとして作ったものなのです。」

「愛を怠けるとかあるのか。」

「なにこれカワイイ。きゃー。結婚しよう。その程度の人間のことです。」

灰寺、棒読み。確かにその程度の愛では離婚も早いだろう。子は鎹というが、その子供すら虐待されたり放棄されたりする時代である。

結婚はステータスである。

相手がいるということを他人に評価してもらうためのものになったのだ。結婚するためならお金を積んでも構わない。そんな人も増えた。

結婚を商品として扱っても文句を言われない時代がやってきたのだ。

「愛されることは幸せなことです。深く愛されることはとても幸せなことです。

 健やかなるときも、病めるときも、愛されることを人間は望んでいました。

 ・・・ところがです。」

灰寺は、母親が我が子を見る顔から、姑が嫁を見る顔に変えて言った。

「人間は愛することにおいて、そこまで優れた生き物ではなかったので、

 理想の愛し方ができる人間がほとんどいませんでした。

 むしろ、理想の愛し方が煩わしく感じました。

 もっと楽をしたい。苦労せず愛してもらいたい。

 そんなとき、自分よりも理想的に人間を愛する人間が出てきました。

 愛するための苦労を惜しまず、自分よりはるかに優れた才能を持ち、

 獲物をかっさらっていきました。さて、どうしますか?」

「横取りは許されないな。だが、相手のほうが優秀なら、ちょっと卑怯な手を使わないと勝てないだろう。

 何とかして蹴落とさなければ。」

 泥水は湧き水に勝てない。しかし、湧き水に毒が混じっていれば話は別である。

 その湧き水には毒が含まれている!といえば、泥水は湧き水よりも安全になる。

 しかも、湧き水が有名であれば、泥水は有名な湧き水より優れていることになるのである。泥水はみんなに選ばれることになるのだ。

 しかし、実際には湧き水は一つではない。各地で次々と湧き出てくるのである。

 泥水は必死に湧き水を潰す。必死に粗探しをする。汚い。危険だ。叫び続けるのである。泥水はどんどん濁っていく。

 湧き水を潰せなかった泥水は、砂漠に向かう。過酷な環境ではあるが、水を必要としている人間のいる砂漠に行くのである。

 しかし、砂漠にもオアシスはある。泥水は自分を清水にすることをしないので、ここでも無価値である。

 オアシスは人間に守られている。潰すことは出来ない。

 太陽に照らされて、泥水は初めて自分の姿を見るのだ。水分が蒸発し、泥になった自分の姿を・・・。

「蹴落とす。人間特有の、人間が衰退する原因となった行動です。」

灰寺は遠い目をしている。ボーっとしているわけではなく、ちょっと空模様を見る感じの目である。これは雨が降ってくるな、という、『仕方ないね。』という目である。

「進化の過程において、まったくもっておかしな行動です。

 弱肉強食の世の中、本来なら優れた遺伝子が残り、それらを組み合わせてさらに優れた個体が生まれていくのです。

 ところが人間の蹴落とすという行為はこれに反逆し、千に一つ、万に一つの優れた遺伝子を潰していくのです。

 ヤンデレといわれる人間も、そうやって抹消された優れた遺伝子を持つ人間です。」

人間の歴史は謀略と裏切りの歴史。ただ優れた人間が生き残れたわけではない。

他人に蹴落とされないように細心の注意を払い、自分より優れたものが他にいない状況を作れた人間だけが、優れた人間として生き残ることができたのである。

「まず、ヤンデレに対する恐ろしいイメージを捨てて見てください。

 攻撃的であったり、勝手にプライバシーを侵害したり、やたらと束縛したり、

 そんな負のイメージを捨ててください。何が残りますか?」

「ただの愛する乙女か?」

「いえ、スペックの話です。人間としてのスペック。貴方はヤンデレに勝てますか?」

勝てる気がしない。戦闘力はもちろん、彼女としてのスペックの高さは群を抜いている。だいたい性格に難があるからヤンデレなのだ。性格がよかったらただの完璧超人である。

「ヤンデレの本来の姿は、禍々しく恐ろしいものではなく、優れた遺伝子の究極体なのです。根本的に劣った人間たちは、この究極生命体に勝たなければ生き残れませんでした。

 しかし、勝つことは難しくなかったのです。」

「難しくなかった?」

「薬も過ぎれば毒となる。優れすぎた人間は、平凡な人間にとって一番受け入れがたい存在なのです。

 物語において最強の生物は倒されるべき存在であることが多いように、人間は優れたものを排除することを常としています。究極の愛を与えられながらも、何とか欠点を見出そうと人間は必死になるのです。ヤンデレはそれを知りませんでした。むしろヤンデレでない、愛の仮面をつけた平凡な人間のほうがよく理解していました。

 人間は無価値であることを嫌います。支えあって生きることを大切にするのは、自分の存在価値を大切にしたいからです。」

すべてのことを人任せにするのは気持ちが悪いものである。世の中にはニートという種族もいるが、すべてを人任せにしているわけではない。

自分の生活リズムは自分で決めているのである。

「ヤンデレは知りませんでした。愛する人にすべての時間を捧げたことで、愛する人の自由が失われていることを。

 ヤンデレは必死に愛する人に尽くしました。その一方で、愛する人は必死にヤンデレから離れる方法を探していたのです。

 ヤンデレは知りませんでした。欠点があることが、愛する人にとって救いを与えていることを。

 ヤンデレは必死に最善を尽くしました。その一方で、愛する人は必死にヤンデレの欠点を探していたのです。

 そして、あるとき愛する人は、ヤンデレの用意した食事の中に一本の髪の毛を見つけました。」

「疲れていたんだな。」

よくある話だ。虫が湧いていたり、カビが生えていたり。人為的ミスのときもある。

俺の最高記録はというと、スチールウールのかき揚げである。エビの殻だと思って食べていたら胃に刺さっていたかも知れない。

「もちろん。ヤンデレはミスをしません。見つかった髪の毛は愛する人のものでした。 愛する人はヤンデレを責めます。一般家庭ではよくある喧嘩です。数秒で終わります。ところが、ヤンデレには致命的でした。

 なぜなら、ヤンデレは完璧であるがゆえに、ミスをした時の対処法をまったくもって知らなかったからです。ヤンデレは精神が崩壊しました。そんなヤンデレを蹴落とすのは、くだらない人間でも容易いことでした。

 これは極端な例ですが、似たような出来事に出くわした本気で人間を愛することができる人間は消えていったのです。」

「ヤンデレは死んだ。ということだな。」

「はい。ヤンデレは絶滅しました。残ったのは愛に怠惰な人間ばかり。

 愛のないまま結婚し、愛のないまま子供を作ってきたのです。

 おかげで多少遺伝子が劣っていても気軽に繁殖することができました。

 代償は、延々と次の世代に受け継がれていくことになりましたが。」

灰寺はため息をつき、胸をペタペタとする。需要があるから、その劣勢な遺伝子は受け継がれてきたのだ。

という、慰めの言葉はかけないことにした。

「じゃあ、さっきからそこにいるのはヤンデレじゃないのか?」

俺は先ほどから、この前から、気が付いたらいる究極生命体を指さして言った。

「ヤンデレではありません。理下は人間が完璧を嫌うことを知っています。」

「牧乃が言うからには間違いないよ!」

松島理下。ほぼ究極人間は机の下から出てきた。待ってました!と言わんばかりである。

「誰だ?っていう顔してるから自己紹介しまーす!私は松島理下、牧乃を愛するために生まれてきた女の子だよっ!」

「お前、誰に話してるんだ?」

「誰って、それは急に出てきた登場人物にびっくりしている私の支持者候補のみなさんだよ?」

また始まった。たまに変なことを言い出す。だから、ほぼ究極人間。

どうしてこう才能に恵まれた人間は変人が多いのだろうか。

いや、先ほどの理論から言えば、変人だから生き残ってきたのだろう。完璧な人間は、人間に受け入れられない。

「そしてぇ!こっちが砂館望ちゃん!ボーイッシュな女の子だよ!」

「貴方、女の子だったのですか?」

「いや、知ってるだろ。」

こういうときは話に乗る。灰寺は子供っぽいところがある。

「さらにぃ!私の嫁であり夫である、牧乃!は、望が紹介してるかな?」

誰にだ・・・。

「ヤンデレは死んだ!しかし、人間はヤンデレを復活させることをあきらめていなかったっ!というより人間は!人間にとって都合のいい人間を作りたかった!それは奴隷であり、社畜であり、妻であり、部下である。私もその一人!人間にとって都合がいい存在、

 松島理下!ここに見参☆」

ひたすらうざい。が、かわいいので元気なだけに見える。

「要するに、解説役だよ?

 例えば、水は人間。泥は悪いもの。だから泥水はクズ。湧き水とオアシスは有名人。オアシスを守る人間は信者。砂漠はネット。

 解説しないとわかってくれない人が多くって。」

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