オイシイ関係3-2

 目覚めた時、僕はベッドに何本ものベルトで括り付けられていた。病院などで暴れる患者につけられる頑丈なやつだ。体をもぞもぞと動かしてみるが、ベルトの他にも拘束具がつけられているようで全く動けない。真っ白な部屋は病院を連想させるが、窓がないところを見るとそうは思えなかった。この閉塞感、コンクリートの壁と床、そしてじめじめとしたコケの匂いは地下室だろうか。それなら窓がないのにも納得がいく。部屋の端にはカメラが取り付けられ、監視されているようだった。向かって右側には、点滴用の鉄棒が置かれている。これで栄養剤の類が投与されていたのだろう。眠っていた日数によっては麻酔も一緒に。

(喉が渇いたな。)

異常なほどの喉の渇き。それは僕の体が血を欲している証だ。感覚からして、何日も眠っていたようだし、当然のことだろう。

吸血鬼が血を絶って一番困るのは、血を飲みたい衝動が強くなりすぎて、身近な動物を襲ってしまうこと。理性の崩壊というやつだ。実際になったことはないが、昔読んだ資料でいくと、そのうち意識が朦朧としていくらしい。

「今すぐ拘束を解いてください。」

そう言うと唯一ある扉が開き、女性が入ってくる。それは、あの中継に映っていた女優だった。

「お久しぶりです。ご気分はいかがですか。」

「これが正当な扱いなのですか?同じ吸血鬼相手にこんな強硬手段に出るなんて落ちぶれたものですね。何をする気です?」

彼女は僕につけられたベルトのバックルを外しながら、申し訳なさそうに言う。

「あなたもあの中継は見ていたのでしょう。例の犯人は私の…いわゆるストーカーで。近辺のことを調べ上げられたんです。脅迫じみた手紙が届いて警察に届けたら、逆上してしまったようで…。そんな時に私が中継なんて出たから…。」

「僕はあなたの事情や懺悔ではなく、質問の回答を求めています。それに、それが本当のことだという証拠でもあるんですか?どちらにせよ、関係のない人間にまで危害を加えるなんてどうかしている。真っ当な回答がないなら、僕はあなたたちを軽蔑しますね。」

取り付く島もない僕を見た彼女は悲しそうな顔をした。それは彼女自身にとっては重要なことなんだろうが、僕には関係ない。もし本当のことだったとして、そんなことが原因ならとんだとばっちりだ。よほどの理由がない限り納得できるとは思えない。しかし、あの訪問者たちにしろ、この女性にしろ、今回の件は吸血鬼が動いていることは明らかだった。

「それについては政府の担当者からお話しいたします。」

「焦らしますね。しかも本当に国が関わっているのですか。」

「はい。国と、吸血鬼、双方の決定です。」

吸血鬼の男が来訪したときも同じようなことを言っていたことを思い出す。あの時も詳細は一切教えてくれなかった。事はそこまで重大なのか。

そこで彼女が全てのベルトを外し終えた。とはいっても、僕の両手両足は拘束されたままなので、このまま逃げることはできそうにない。物がつかめないように袋状の布で覆われているため、碌なことはできない。

「ついてきてください。あなたと一緒にいた男もお連れします。そこで全てお話しします。」

「………。」

僕は静かにベットから足を降ろした。久しぶりに感じる自分の体重に体が耐えきれず、少しよろめいてしまった。まるで病院の検査着のように真っ白でぺらっぺらな服に鉄色の手錠と足枷、そして手足を覆う袋。素晴らしいコーディネートだ。僕の視界には自分の肌は見えていない。それくらい厳重に拘束されている。思うように動けないため、惨めに足を引きずるようにして彼女についていく。部屋から出ると、これまた真っ白な広い廊下に出た。そのまま隣の部屋に着くと、彼女は大きな2枚扉を開ける。

「ここからはあなた1人でどうぞ。」

「………。」

「拒否権はありません。」

僕はため息をつきながら部屋に入った。またも真っ白な部屋。この建物の管理者は潔癖症だろうか。何もかもが白い。さっきまで僕がいた部屋よりも数倍大きい部屋の中央には、洋式貴族さながらの円卓が置かれ、そこに1人の男が座っている。年はおそらく40前後。白髪交じりの黒髪を緩く撫でつけた男は、僕を見るなりにんまりと笑った。

「やあ。気分はどうだい?」

「最悪ですね。」

「それは良かった。」

男は訳の分からない感想を述べる。

無言で入口に立っている僕に、男は座るように促した。

「君の知り合いに迎えを頼んだら、かなり手荒なことをしたみたいだね。こんな形で招くことになってしまってすまない。彼らもきっと日頃の鬱憤でもたまっていたんだろう。君は嫌われ者だからねぇ。まぁ、眠らせるように薬を渡したのは私なんだけどね。だって君はこうでもしないとここには来てくれないだろう?」

それを聞いて、僕はこの男を信用しないことに決めた。この男が今回の黒幕であることは火を見るより明らかだ。

「あぁ。私は君と同じ吸血鬼だ。悪いようにはしない。話が聞きたくて仕方がないだろう?早く座りたまえ。君が聞きたかったことを全て話してあげよう。」

人を動かすことに慣れている有無を言わさぬ口調。僕は彼の反対側のイスに座った。その時、彼の座っているイスのひじ置きに、シンプルな杖がぶら下がっているのが見えた。

「彼は無事ですか?」

「何のことかな?」

「とぼけないでください。僕の部屋にいた男性ですよ。」

僕がにらむと、男は「あぁ!」とたった今思い出したかのように振る舞って見せた。

「彼か!あの平々凡々な彼か!」

さも嬉しそうに話す姿は実に不愉快だ。

「何もしていないでしょうね。」

そう問うと、いかにもこちらを弄ぶ気満々な様子で返答された。

「何かしてたら、どうするかね?」

「今すぐあなたの頸動脈を切ります。」

「おぉ…怖い怖い…!」

わざとらしく首をすくめて見せる。芝居がかった動きにイライラした。

頸動脈は爪1枚あればいとも簡単に切ることができる。手は拘束されているものの、口が使えるという事はその代用として歯が使える。世の中の吸血鬼像のごとく犬歯が発達していなくとも、やろうと思えばできないことはない。僕はいたって本気だった。だがその場合、彼の居場所を聞いてからでないと面倒だ。先ほどの女性といい、僕をさらった吸血鬼たちといい、この男には必ず協力者がいる。ともすればここからも出られなくなる可能性は高い。

「彼はどこですか?」

もう一度聞くと、男は手を2度を叩いた。

乾いた音が部屋に響くと、先ほど僕の入ってきた扉が再び開く。目をやれば、先ほどの僕と同じようにあの女優に連れられた友人の姿があった。僕と目が合った瞬間、やつれた顔に少し生気が戻る。僕も彼が無事だったことに内心ほっとした。しかし、表情には出さない。これから何が起こるか分からないからだ。

「捕まえた時に少し怪我をしてしまったようだけど、それ以外は危害を加えたりはしていないよ。安心したまえ。」

男が言う通り、彼の左腕には包帯が巻き付けられていた。顔色が悪いのはきっと精神的にストレスからだろう。かわいそうに。

「君も好きな席に座りなさい。」

男から命令され、友人はよろよろと動き出す。僕と違って特に拘束されている様子はないが、全体的に弱々しい。彼は僕の隣に座り、僕の方を見て力なく笑った。

「また会えてよかったです。」

「俺も…。」

「どうやらとんだ茶番に付き合わせることになってしまったようで、申し訳ありません。」

「これはこれは仲がいいんだねぇ!うらやましい限りだ。」

僕と友人の会話を遮る男の声。

僕はあからさまな態度に顔をしかめた。

「その無粋な口を閉じてください。しゃべるならさっさと有益な情報を。何の説明もなしにこんな扱いをされている僕らの身にもなってください。」

男はこちらを試すような目を向けている。ニヤニヤとした表情がやはり気に入らない。

「随分と彼のことを大事にしているんだねぇ。自宅に連れて帰るくらい、大切に。」

「それが何です?僕にだって友人はいます。大切な友人を自宅に招待して何か問題でも?」

「初めてのくせに。そのきっかけを作ってあげたのは私だけどね。」

「何を言っているのか理解しかねます。」

「あの火事を起こしたのは僕らだよ。あぁ、君が急かすから話す順序がめちゃくちゃになってしまった。」

思わぬ発言に反論が一拍遅れてしまった。

「…先に急いで僕らを半ば監禁したのはあなたでしょうに。しらじらしい。」

「まぁまぁ。年上には優しくしてやるもんだよ。」

男は椅子に深く座り直し、杖を撫でた。

「さて、何を話そうか…。」

「すべてを。包み隠さず。」

僕が即答すると、男は少し考え込む仕草を見せてから、ようやく話し始めた。

「君もあの中継を見ただろう。人間がまたも我々の存在を露見させようとした。」

「えぇ。中継だから防げなかった。でも、それならあの男を薬物依存か狂人とでも報道すれば簡単に済む話だ。」

「あの男1人の計画ならね。でもそうじゃない。」

あれがあの男の単独行動でない?

「吸血鬼の存在を世間に公表することに、何かメリットがあるんですか?」

「吸血鬼の排除ができる。少なくともこの国から。」

「それがメリットだとは思えません。」

「ふふふ…。ぼくも同意見だ。でも人間からしたらメリットらしい。クリーンな職場づくりってやつ?」

吸血鬼を失うという事は、国力を落とすことと相違ない。それを国が自ら先導するなど、正気の沙汰とは思えない。

だが、危険と見なしている僕らと国を作り上げることの方に耐えられなくなったというところだろうか。

「という事は、今回の件は全面的に人間側の問題ですか。」

「始めはそうだったんだけどねぇ。」

口が不気味に歪められた。

「どうせだから私たちも彼らを利用することにしたんだ。」

何に利用するというのか。全く話が見えない。

「世界中の吸血鬼に何の断りもなくですか。」

あまりに身勝手すぎる。それによって被害をこうむる吸血鬼がどれだけいることか。

僕がさらに反論しようとした時だった。

「まぁまぁ!その前に自己紹介といこうじゃないか。」

またも唐突に話題を変えようとする。これじゃあ時間稼ぎもいいところだ。

「僕らは何も話す気はありませんよ。話す理由がない。」

「つれないなぁ。相手が名乗ったら自分も名乗るのがブシドーってものでしょう?」

「どうせ僕たちのことは調べてあるでしょう。無駄なことはしない主義だ。」

「まぁね。」

にやっと笑って見せる。ころころと表情を変えるのは相手の興味を惹くために、吸血鬼が最初に教わることだ。

「私の“今の”名前は遠野だ。よく名前を変えるのでね。顔だけ覚えてくれ。まぁときたま顔も変えるがね。社会的地位は、とりあえず君らより高い。もちろん吸血鬼内でもね。だから下手に抵抗しないでもらいたいね。」

僕も彼も黙っていると、遠野は目尻を下げた。

「と言ったところで大人しく駒になってくれる相手でもなかったね。そろそろ本題に入ろう。そのうち殺されてしまいそうだ。」

「お望みなら。」

僕がつぶやくと遠野はまた手を叩き、誰かに合図を送った。

また扉が開き、何人かの女中が入ってきた。手には盆があり、上には高級そうな料理がのせられていた。

「お腹が減っているだろう。食べるといい。」

遠野、僕、彼の前にそれぞれフランス料理らしき皿が置かれる。オレンジ色のソースがかかった白身魚と、野菜やチキンが入ったテリーヌ。彩りが鮮やかで、皿の白さがよく映える。かなりの完成度だった。しかし僕の腕は拘束されたままで、食事などとれるはずもない。この拘束は解く気がないようで、男は特にアクションを起こさなかった。

僕は友人の耳元に顔を寄せる。

「もし食べたいなら僕が毒見をしますから許可をされたものだけを食べてください。」

「毒って…。つってもアンタ…手ぇ使えねぇじゃん。」

「じゃあ食べさせてください。」

「……分かったよ。」

友人は不満そうだったがうなずいた。

「毒なんて入れてないよ。もったいないから食べればいいのに。」

「あと…。」

嘆く遠野を無視して今度は遠野に聞こえないように耳元でささやいた。

「あの男には、何を聞かれても答えないでください。」

そう言って彼の目を覗き込む。

「いいですね。」

ダメ押しとばかりに畳みかけると、彼は目を合わせたまま、また小さくうなずいた。これが本気で言っているという事は、目を見ることに長けた彼なら分かってくれただろう。これ以上僕らに不利な状況を作りたくない。僕の拘束が解かれないという事は、まだ遠野の用件は済んでいない。用心に越したことはない。

最後にグラスが3本用意された。そのうち2本には無色透明な水。もう1つは赤く不透明な液体。赤ワインのようにも見えたが、鼻につくさびの匂いからして、それは何かの血液だった。

「今日は特別な日だからね。」

そう言って遠野は当たり前のように赤い液体の入ったグラスを手に取る。友人が青くなっていたが、そんなのお構いなしにそれに口をつけた。一方、見せつけるように唇を舐められ、血に飢えている僕はあふれてきた唾液を飲み込んだ。

「さてさて。それでは食事を楽しみながら話すとしようか。」

そう言って遠野は颯爽とフォークとナイフを手に取り、テリーヌに刃を入れた。綺麗にそろえられた野菜のストライプが断ち切られる。それを器用にフォークに差し、口に入れる。咀嚼は湿った音がして、音を立てることなく飲み込まれる。喉ぼとけが上下して、また元の位置に戻った。

僕たちが料理に手を付けないことのを見て不満気な様子だったが、またにやにやとしながら遠野はやっと話し始めた。


  ○  ○  ○


「今さっき言ったことではあるが、実は最近になって困ったことが起きていてね。」

遠野は、唇を湿らせてからもう一度口を開く。

「せっかくここまで協力してきたのに、人間が国をあげて吸血鬼を虐げるための計画を立てている事が分かったんだ。」

僕が鼻で笑うと、遠野も笑った。

「私もバカらしいと思うよ。その対策本部に何人も吸血鬼が紛れてるっていうから滑稽で仕方ない。でも、吸血鬼達が長年生きるためにと力を蓄えてきたのと同じように、人間たちも吸血鬼を完全に排除するための算段を立てていたというわけさ。単純な裏切り行為だよ。」

「その一環があの中継だと?」

「うーん。人間からすれば『あれを機にそうするつもりだった』と言った方が正しいね。でも私達はそれを利用する。つまり計画の乗っ取りさ。広めるならちゃんと広めないといけないからね。」

それを聞いて合点がいった。

この世の中には、吸血鬼が様々なところまで入り込んでいる。数は少ないとは言っても、歴史は長い。その分根は深いのだ。そして、それを全て排除するとなると、人間たちの吸血鬼滅亡計画は政府によって立てられてはいるが、最終的に国民全員の協力が必要になる。

遠野の説明を要約するとこうだ。

手っ取り早く情報を拡散するために、政府は中継のハプニングを装って吸血鬼について露見させた。テレビやネットという媒介を通してこれだけの人数に知らせれば、必ずその他のメディアも動き出す。普通ならただの変人として扱われて終わるだろう案件を、政府の公式発表の形で吸血鬼の存在を認める。政府は今回の件から調査した結果とでも言えばいい。責任追及されたとしても知らなかったと通すか、脅されていたとでも言えば問題ない。そうして僕らを人間にとって『悪い者』という印象さえつけてしまえばいいのだ。なにも知らない人間たちはその低俗な脳みそで、好き勝手に良くない噂を流していってくれる。事実がどうであれ、そうなってしまってからでは悪い印象を覆すのは難しい。

「それで、吸血鬼側はどう動くつもりなんですか。」

「先手を打つ。先に動いて、政府に協力という形で吸血鬼の印象を僕ら自ら設定すればいいんだよ。一番優先すべきは、僕らが人間にとって安全な存在であることの証明だ。人間側にとってのデメリットは、吸血鬼が人間を襲って吸血する危険だからね。」

自ら情報操作することで、吸血鬼が悪ではない事を説明し、人間が計画した『吸血鬼の完全排除』という最悪の事態を避けようというわけだ。なんだかんだで吸血鬼は人間との共存の道を選んだ。

さて、ここで問題になるのが人間に対する吸血鬼側の説明だ。

人間が僕ら軽蔑視する理由は大まかに2つ。まず、人間の血を飲むということ。そして、存在自体が違うからという理不尽な理由。僕らが払拭できるとすれば前者だろう。

「吸血鬼側の考えは分かりました。それで、どうする気なんですか?いまさら説明会やパンフレットを配布するなんて馬鹿な真似は考えていないですよね?」

それが有効なら、この人間の社会はもっと上手く回っている。説明会を開いたって出席するのは暇な人間だけだし、パンフレットを配ったところで読むかどうかまでは保証できない。知らないと言われてしまえばそこまでだ。それに、政府がそれらに綺麗ごとしか書かないことは国民全員が知っている。そんな環境にいる人間たちに、僕らが公式に何かを作ったとしても信用するとも思えない。

「さすがだね。そう。そんなんじゃあ誰も見ないし、信じてくれない。吸血鬼と人間の溝は深い。そうでなければ関係もここまでこじれていないだろうしね。本当面倒くさい。」

遠野は皿にある白身魚をフォークで勢いよく串刺しにした。ガシャンという食器の音に、友人がビクリと肩を震わせる。

「そこでだ。」

遠野がそれにたっぷりソースを絡めて肉を口元へ運ぶ。

「君たちの登場なんだよ。」

そう言って、引き抜いたフォークで僕を指した。

彼の食べ方は紳士のような容姿にそぐう丁寧なものだ。テーブルマナーのお手本を見せられているかのような優雅な光景。フォークの持ち方や角度、ナイフの刺し方、その運び方、咀嚼の仕方、回数に至るまで一貫されている。

まぁ、フォークで人を指したり、もごもごと咀嚼しながらしゃべったりしている時点でマナーもくそもないが。

「僕らのような一般市民に何ができるんです。」

「ショック療法さ。」

嫌味のつもりで言ったのだが、聞き入れられなかったようだ。

遠野はナイフとフォークを持った腕を左右に広げた。フォークについていたソースが飛び散り、白いテーブルクロスと床を汚す。

「今さっき目覚めたばかりの君は、現在丸3日間血液の摂取を絶っている。ついでに食物も水分も最低限しか摂取できていない。データでいくとそろそろ理性があやふやになって、人間を襲ってもおかしくないんだよ。喉が渇いて仕方がないだろう?」

それを聞いて、友人がこちらを心配そうに見つめる。僕は遠野の食事を見ながら、いつもの友人の食事の素晴らしさについて考えていたところだった。遠野の食べ方は、僕的には素直さが足りない。

「えぇ。そうですね。最悪のコンディションです。」

起きた時から感じていた喉の渇きは、遠野の飲んだ血と、友人の腕からほのかに匂う血の匂いで時間が経つほどに酷くなっていた。話に集中していないと遠野のグラスに飛びつく衝動に駆られそうだ。

「そんな君と、そこの友人君を同じ部屋に閉じ込める。しかも、24時間全国放送つきで。2人で過ごしてもらって君が友人君を襲わなければ、吸血鬼は滅多なことでは人間を襲わないというアピールができる。こうしてなんの説明もなく君たちを連れだしたのも、何かしらの対策を取られないようにするためさ。ゲリラ的に行われるドーピング検査みたいなものだよ。君らは今回の計画の要さ。吸血鬼は安全ですっていうアピールだ。」

遠野は「実際がどうあってもね」と小さな声で付け足した。

僕らに拒否権はないらしい。あまりの強引さにあきれるしかない。

「…もしそうならなかったら?」

僕は軽蔑の眼差しで遠野を睨み付けた。しかしそれに動じてくれるような人物ではない。

「《吸血鬼は危ない存在。国からも世界からも排除しないと安全な暮らしはできない》なんて喚き散らす奴が現れるだろうね。」

分かり切った答えだ。全国放送で、人が吸血によって殺される様を曝すことになるのだから。それを受け入れる方がおかしい。

「話は変わるがね。」

遠野は組んでいる手を組みなおした。

「生き物は疲れている時にこそ欲を増幅させ、本能に従順になる。待てができない犬しかり、意図しない居眠りしかり、男性の性欲しかりだ。生きるため、子孫を残すため、体にプログラムされている事。今回君に食事を与えなかったのもそのためさ。今の君は欲に弱い。ついでに、日光の光を浴びさせないのは、正常な判断能力を鈍らせるため。そこの友人君もずっと地下に閉じ込められたままだったしね。」

あの部屋に閉じ込めていたのはそういう理由か。実に趣味が悪い。

「部屋は真っ白で太陽の光もなし。入口は天井に設置してあるから出られる見込みもない。碌な食事も与えられず、監視され続けている。そんな場所に閉じ込められた『人間』はどうなると思う?」

それこそ狂人になる。特別な教育がされている僕はともかくとして、友人は危ない。見た目からして、僕のように飲まず食わずというわけでもなさそうだが、精神的に疲れている事に変わりはないだろう。そんな人間がさらに異常な状態で疲弊し、緊張状態に持ち込まれたら、それこそ精神に異常をきたしてしまう。

吸血については僕の精神力にかかっているわけだが、これに関しては自信がある。僕には満たすべき欲がもう1つある。とりあえず、現在それが満たされている間はそんな心配はいらない。そこも配慮しての人選だろうが、僕には違う理由が思いついていた。

「あなたが私を選んだのは、僕という異常者を排除したいからでしょう?人間の食事を見るのが趣味という、人間に自ら接触しようとする僕を手っ取り早く消したい。しかも、合法的なやり方で。この計画が成功すればそれはそれで万々歳。通らなくとも目の上のたんこぶを消せるってわけだ。人間もおろかですが、あなたも馬鹿なことを考えたもんです。結局はあなたもあの人間たちと一緒じゃないですか。自分と違う者、異常なものは排除したい。そうしないと生活できない。したくない。それは人間のやり方です。」

「そうだね。その通りだ。君はあらゆる意味で適当なんだ。あと付け足すとすれば、容姿が優れていた方が国民も受け入れやすいと思ってね。」

「本当に物をはっきり言うご老人だ。社交辞令や礼儀という言葉を忘れてしまったのではないですか?」

「褒めてるんだけどなぁ。それに老人はひどいね。これでもまだ40手前なんだけど…。それに、マナーなんて面倒なものが忘れられるなら、とっくに忘れているさ。」

遠野はにこやかな姿勢を崩さない。暗にお前も同類だと言われている気がした。

「これは君のためでもあるんだよ。今の状態では君自身が思っている以上に、危ない存在だ。君の性癖は人間を嫌いながらも、人間に自ら近づいていく。吸血鬼仲間からすれば、性癖自体異常だし、人間に吸血鬼の存在をばらす可能性が高い。爆弾みたいなものだよ。訓練されているからといって僕らも万能じゃない。だから事実、君は親しい友達を作ってこなかった。それなのに…。」

遠野は僕の唯一の友人に視線を向ける。

「私達は本当に驚いたよ。君みたいな人が、友人を作って、しかも自分の正体を明かすなんて。」

彼に自分の正体を明かしたことはどこでバレたかは分からない。でもそれは、僕が誰かに監視されていたことを意味する。僕は監視対象だったのだ。

「絶対はない。そう思ったらいてもたってもいられなくなってね。調査してみたら、案の上、人間たちは僕らを裏切る準備をしていたわけだし、やっぱり今のうちにどうにかしておくべきだと思ったんだ。」

「あなたが僕をどう評価しているかは知りません。吸血鬼連中に嫌われていることも分かっていますよ。でも、そこに彼は直接関係ないでしょう。吸血鬼についての説明は個人の判断に任されている。他にも吸血鬼の存在について語っている同胞は少なからずいるはずだ。その言い方だと、僕が一方的に悪いように聞こえるのですが?」

「悪いさ。こんなことをしなきゃならないきっかけを作ってしまったんだからね。」

遠野の身勝手な持論は続く。

「身勝手ですね。あなたが勝手に危機感を抱いて、勝手に国を調べて、勝手に計画したことでしょう?」

ここで遠野が初めて人間らしく笑った。さっきまでの演技がかった表情が嘘のようだった。

「他人なんてそんなもんさ。知ってるだろう?お互い本来の姿なんて何にも知らないくせに分かったように振る舞う。そして勝手に行動して、勝手に玉砕する。勝手に傷ついて、勝手に非難する。そうやって世界は回ってしまっている。それが事実だ。」

訳の分からない持論を並べていく遠野の目線は僕らの元にはない。感情のない目は、死人のように虚空を見つめている。

「だから、君らには責任を取ってもらうんだ。」

遠野はそう言うと、今度は指を鳴らした。するとまた扉が開いて、複数の白衣を着た男がやってくる。そうして僕と友人の腕をつかんで無理矢理立たせた。

「食事は終わりだ。君らは仕事の時間だよ。せいぜいうまくやることだね。」

「うまくとはどちらの意味で?」

皮肉めいた質問は、答えられることがなかった。

「ごちそうさま。人格者なら、挨拶をちゃんとしないとね。」

遠野はナプキンで口元を拭いながら、友人に向かってそう言った。

遠野の皿には、ほとんど手付かずの料理が残されていた。

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