現実は何処

最近、大人の人たちによく「現実を見なさい」と言われることが多くなりました。

私は彼らのことがよく理解できません。

私も同じ人間のはずなのに、彼らの言う「現実」というやつがまるで見えてこないのです。

大人たちは恐ろしい。いやはや全く恐ろしい。何故も何もカレー鍋、彼らは彼らの現実を共有しているのでしょう。でないと口を揃えて「現実を見なさい」なんてことは言いません。そのはずです。

彼らの見ている現実とは何なのでしょうか。

まるで集団催眠にかかっているかのように彼らは「現実」を信奉しています。現実信者です。しかも狂信者。いやはや恐ろしい。

宗教ではないにしても、己の価値観をそれが当たり前であるかのように押し付けて来る。それはまさに狂信者のそれでしょう。

口から出てくる言葉の大体に「現実」が滲み出ている気がします。病気でしょうか、ええ病気ですね。良い病院を紹介してください。

ともかく、私には彼らの言う「現実」が理解できないのです。……いえ、少し違うかもしれませんね、訂正させてください。

私は「現実」を連呼する彼らの精神性をこそ、理解できないのかもしれません。

自分がそこに存在している、それは本当に現実と言えるのでしょうか。もしかしたら夢かも知れない、妄想かも知れない、はたまたパラノイアにでもかかっているのでは?そう思えてなりません。

彼らは何を根拠に「現実」を信奉するのでしょうか。宗教における教典は何処にあるのでしょうか。疑問は湯水の如く溢れ出て、汚泥の如く私の頭にこびりついています。

きっとこれを読んでいる誰かもきっと「現実」を知っているのでしょうね。親にも「お前はおかしい」と言われています。きっと少数派でしょう。まあ、こんなのが何百といたらきっと社会は回らないのでしょう。

今ふと思いました。社会をこそ、現実と捉えているのでしょうか?

……いえ、そんなはずはありませんよね。

聡明なる大人の方々が社会を見ろ、だなんてわざわざ言うはずがありません。そもそも社会とは現実ではないのですから。

社会とは一つの機構、人間の世を回すための一種の機械。そういったものでしかないのですから。

なんにせよ最初に語ったように、中途で訂正したように、私には大人の方々の仰る「現実」が見えてきません。

もし、「現実」なるものがあるとするなれば、それは一体何処にあるのでしょうか?

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