思春期ゆえの病

自分という存在について疑問を抱く。

それは1つ、世界について知るためのプロセスだと思う。まあ思ってるだけで確信はしてないけど。

我思う故に我あり、これを聞いた時わたしは「なるほど!」と少しばかりの安堵を覚えたわけだけど、そんな安堵はすぐに砕かれることになった。

自分が考えていたとしても、それがほんとに自分の思考なのか?自分はちゃんと考えられているのか?自我は仕事をしているのか?

そういった疑問がまた、わたしを不安の波に放り出したのだ。

悲しいかな、仕方のないことなのだろうと思う。アイデンティティを探している途上で積み上げてきたものを壊してしまい、破片を探してもどれがホンモノなのかわからないようになってしまうなんて、思春期のうちに1度くらいは体験してしまうことなのではないかな。

自己統一ができずに自分がわからず、相も変わらず泥船を補強しながら海を行く。

補強の材料もそのうち底を突くだろうし、そもそも材料なんてあったっけ?

自分ってなんなの!?自分はどうしたらいいの!?周りとどうして違うの!?皆なんでこーんなに広い海に、木片1つしか担いでないのに溺れることがないの!?

泥船にしか乗れないわたしにはわからないことだった。

大きな木片、小さな木片、大きさに違いはあるのに皆それを上手く使って波に乗ってた。

わたしは木片を上手く扱えなくて、いつの間にか手元には泥で出来た船があった。

泥でできた船は、海を進むたびに削れていって、小さくなって、補強しなきゃいけなくて、でも材料は足りなくて。

まあつまり、わたしは一人沈むしかなかったんだよね。

何度か助けてくれた人もいたけど、泥船は泥船のままだった。

思春期ゆえの病気に罹り、周りが見えなくなって、閉じこもることになって、自分と他人の差異の大きさに愕然として、アイデンティティなんて崩れて消えて、皆になりきれないわたしができあがって、わたしはわたしのまま今に至る。

今はもう、海に漂うしかできないのだ。

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