書く人、読む人
作家になりたいのに書けない。
この現状を打破するために、書き散らし始めたのですが、それまでに何もしてこなかった訳ではありません。作家になるためにやってきたこと。
それは、『本を読む』ことです。
読んだ、読んだ。読み散らかすとはこういうことか! というほど、ここ10年の間、本を読み続けております。
すごい冊数を読んでいるかのように聞こえますが、2週間に5~10冊といったところでしょうか。それをコンスタンスに10年ちょっと続けています。
ただ、不遜ではありますが、多くの本を読んで感じるのは
「これより面白いのだったら、俺にも書けるわ」
と思う作品が、年々多くなっていることです。
『俺のほうが面白い本を書ける』
という、よく分からない自信を胸に、小説らしきモノをカタチにしようとするのですが、今までに書き上がった試しがありません。
無理矢理書き上げたとしても、やはりどこか破綻しており、書き上げるモノがお話という
まぁ、自分で面白いというアイデア(これが他人様も同じように面白いと感じてくれるかは、客観的に判断できてないことが多い)はあるが、それを物語というカタチに落とし込む構成力と筆力が無いといったところでしょうか。
そして、書き上げられるならまだしも、メモ書きのようなものばっかりを延々と書き溜めていく中、いざ小説にしようとして、1文もカタチにできず、ただ天を見上げて万策尽きた風を装う毎日なのです。
そんな口だけ番長の自分や、お話という体をなしていない自分の作品を棚に上げて、『俺のほうが面白い作品を書ける』と思った本をお書きになった作家の方々に、これだけは
「あなた、自分の書いた作品を読んで、本当に面白いと思ったんですか?」
俺のほうが…と思う作品には、かなりのページ数を有し、なおかつ結構なお値段がする作品が多々あります。
そんな作品に身銭を切る勇気もないので、とりあえず気になる本は図書館で借りることにしております。図書館で借りるので購入代金もいらないし、何の損もないように感じるでしょうが、その本は大事なモノを盗んでいきました。
『それは、本を読むのに費やした私の時間です!』
ぜひ、カリオストロの城のラストの銭形警部風にいってみてください。
かなりの厚さの本に挑み、濃厚なストーリーを期待しつつ読み進めていきます。
「退屈なのはこの場面だけだ、きっと凄い展開が待っているはずだ」
と雪崩れ込む難解な文章の森を果敢に突き進み、なんとか辿り着いた先は、
「何!こんなもんだったの!」
っていうあっけない幕切れだったときのあの何ともいえない徒労感。
この作品が面白いと思ってもらえると確信して、この作家はこの分厚い本を書き上げたのでしょうか? 本当に訊いてみたい。
ただ、この質問は『読む人』がいつか『書く人』になることを望んでいるとなると、相手にぶつける勇気がなかなか湧きません。
自分も作家になる日が来て、ある日突然現れた赤の他人に
「あなたの書いた〇〇という作品、本当に面白いと思って書き上げたんですか?」
なんて訊かれることがあるかと思うと、恐ろしくなります。
人に会うことを避け、人里離れた山の麓なんかにハイジのおんじのように暮らしていこうかと覚悟するほどです。
自分が純粋に読者として生涯を終えるのであれば、きっとこのセリフを作家の方々に投げつけることもできそうですが、どこかしらココロの片隅に、
『自分も表現者として生きてみたい』
という願望があるなら、その言葉がいつやら自分に返ってくるブーメランになるのではないかと戦々恐々としてしまいます。MAD MAX2に出ていた野生の少年の投げるブーメラン並の破壊力があるのは間違いないでしょう。
作家になりたいけど、書けない。
この段階で右往左往している自分には、ココロに思ってもとても口に出して相手に投げかけれる思いではありません。
『俺のほうが面白い本を書ける』
この衝動が本物であることを信じ、コツコツとアイデアを文章にしていくことしかできないような気がします。
いつか、自分の書いた本で感動して泣いてみたい。贅沢な願いです。
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