第8話 ケーススタディ3

 植田さんは見るからに機嫌が悪かった。職業柄、あまり感情を剥き出しにしない植田さんにしては珍しい。それは私が急に出歩くようになったからと言うよりも、母の説得やカウンセリングがうまく行っていないからだと思う。私のことが直接絡んでいるかどうかは分からないけどね。


「どう?」


 投げ出すような、乱暴な問いかけが降ってきた。


「若い男性と」

「ほう?」


 これまでは、私より年上の世代の違う人たちとのやり取りだった。その範疇から初めて外れた相手。植田さんの表情に、私が最初に示したのと同様の警戒と緊張が浮かんだ。


「年上?」

「分かりません。大学生だそうです」

「ふむ」

「感じとしては、私とほぼ同じくらいかなあと」

「会話は?」

「弾んだということにはなりませんでしたけど、これまでで一番マシかなあ」

「そうか。話題は?」

「私には振って欲しくなかった話題ですけど、出るのはしょうがないですね。たぶん、それが当たり前なんだと」

「……趣味?」

「そうです」

「そうか」


 小さく何度か首を横に振った植田さんが、開いたノートに何行かの文を書き連ねた。


「よくそれで会話が成立したね」

「私には趣味がないってことを相手が不思議に思ったみたいで。そこから根掘り葉掘り」

「探りが入ったんだ」

「そうです。その同じアクションを私も相手にしたので」

「当てつけ?」

「いいえ。こっちで話題を引っ張り出さないと、会話が繋がらない人だったんですよ」

「ああ、引っ込み思案な感じ?」

「そうです。見るからにぼっちのタイプですね」

「なるほど。どう思った?」

「苦労するだろなあと。私とは別の意味で」


 植田さんが、腕組みしてじっと考え込んだ。


「欠けている部分は私と違いますけど、彼のとっているアクション自体は、私の今の行動と大きな違いがありません。感情にはシンクロ出来なくても、現状打破のための行動という点では共通。そこに接点が出来てたかなあと」

「うん。確かにそうだね」

「でも、長時間の接触じゃないんで、接点止まり。そこから先は……」

「生理的にだめ?」

「うーん。そこがね。まだよく分かんないんです」

「分かんない……か」


 分かんないの中身を説明したいけど、私にもまだうまく言い表せない。トライはしてみようか。


「好き嫌いじゃなくて、訓練になるかどうか。私はまだその観点でしか考えてません。逆に言えば、私が最初に設定したその範囲を乗り越えて接近してくれる人にはまだ出会っていないということかなあ」

「なるほどね。それじゃあ、まだ僕と話しているのとそんなに変わらないってことだね」

「そうです。でも、話題提供、会話の運び方、流し方。そういうのは、まあまあ無理なくこなせるようになってきたかな」


 書き込みの手を止めた植田さんに、確かめられる。


「敵対は?」

「あのおじいさんの時だけですね。あれは、さっさと遮断してしまったんで」

「そうだったね。今のところはニュートラルばかりか……」

「いや、今回のはちょっと違います」

「そう?」

「相手からのアプローチに対して、私なりに接点の作り方を考えて近付けたので」

「……でも、それは身になってないだろ?」

「なってません。あくまでもテクニカルなところで止まってます。ってか」

「うん」

「今まで、誰ともそのレンジを超えた交流はありません」

「だろうな」

「植田さんとも、前沢さんとも。そして母ともね」


 ばりばりばりっ!!


 白髪混じりの頭を思い切りかき回した植田さんが、今度は思い切りぶるぶるっと首を振った。


「トレーニングは一朝一夕には進まないってことだね」

「そう思います。少なくとも『表面上』こなせてしまっているということが、逆に支障になってるんじゃないかなあ。そういう違和感が、ずっと抜けないんです」

「違和感か。当然だよ」


 植田さんが、手にしていたシャーペンをぽんとノートの紙面に放り投げた。


「難しいなあ。今のままじゃ訓練にはならないよ。類くんは、相手との距離を計る部分だけをアジャストしてしまってる。それは、ここにいて僕やお母さんと話をしているのと全く変わらない。その範疇から大きくはみ出すやり取りをするにはリスクを負わないとならない」

「敵対の、ですね」

「必ずしも敵対だけじゃないよ。君が今まで経験していなかった強い感情の揺れを体感する機会。それが……ないとね」

「うーん」


 これまで私がずっと感じてきて、そうじゃないかなと思っていた違和感の中身。それが、今の植田さんのセリフでほぼ裏付けられた。いや、それはいいんだ。いずれ分かったことだろうから。問題はどうするか、なんだよね。私はまだどうすればいいのか、そして結果がどうなるのかが自分でも分からない。それこそ手探りだ。


「まあ、とりあえずプログラムは続けます。まだ場数が全然足らないし」

「そうだね。その間に」


 ばすん! 畳んだノートを膝に叩きつけた植田さんが、ドアを睨みつけた。


「もう一人をどう現実に引っ張り出すか、だなあ」


 ……やっぱりか。

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