6月-紫陽花-
私は、この上なく幸福だ。
毎日暖かい場所で眠ることが出来て、毎日美味しいごはんを食べれて、好きな時間に寝て、好きな時間に起きて、甘えたいときに甘える。
そして、こうして雨の日に一緒に散歩をしてくれる人もいるー。
「ずっと一緒にいれたらいいね」
隣に佇む優しい人は穏やかな柔らかい、でもしっかりと私にも届く声でそう言ってくれた。
私はただ足を止めただけだった。
「私もそう思う」
気持ちを込めて声を出すことも出来たけれど、なぜか声は出なかった。
それでも幸せそうにしている人を見て、私も安心できる。
私がこの人の家にきてから最初の頃は一人の女性が頻繁に家に出入りしていた。
その女性は私の飼い主といわゆる”恋人”というものらしかった。私は生まれてから一度も恋をしたことはない。だから良く分からなかったけれど、その女性がいつも私に
「あいつってばいつも恋人である私のことを放っておくんだよ」
と言っていたから、二人は”恋人”というものだったのだろう。
私は甘い香りのするその女性に触られるのが嫌でいつも棚の上に上っていた。
そして彼女はまた文句を言うのだ。
「あの猫ちゃん、私にちっとも懐いてくれないのよ」
その女性が帰った後、私は自分から膝の上に乗る。
いつもはどことなくくすぐったくて避けてしまう手の温もりが愛しく感じるから。
優しく撫でる手は心地よいリズムで私はいつも膝の上で寝てしまう。
それでも起こしたりせずにずっと私を見守っていてくれる。
いつの日か、その女性は家には来なくなった。
「…………」
その静寂な空間を見つめ私は彼女が来なくなったことに安堵を覚えていた。
なぜだろう。
彼女が来るたびに湧き上がってきた不安や恐れ、言葉にならないほどの黒い気持ち。それを感じなくて済むからだろうか。
でも、その感情がどこから来るのかなんて私には分からない。
私は恋を知らない。
水滴がついた紫陽花を見つめる。
「綺麗だね。君の瞳と同じ色だよ」
そう言って私の身体を持ち上げる。
抵抗する間もなく大きく暖かな腕の中に抱かれてしまう。
じっと見つめあう。
彼の瞳が優しい色を帯びた。
小さな声で鳴く。
その声を聞いて、彼は静かにほほ笑んでくれた。
私は、この上なく幸福な猫ー。
12花月の猫 Arisa @a_chat
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