怪獣保険

悠戯

怪獣保険

 『怪獣によって壊れた建物、財産を全額保障します』


 明るい印象の曲に合わせてテレビからそんなフレーズが流れてきた。

 最近流行している保険会社のCMである。人気のタレントを起用しているせいか、はたまた保険自体の画期的な内容のおかげか、この手のCMにしては異例とも言えるほどに評判が良く、このところ毎日のように流れている。


 「なあ、母さん、うちも入ろうか?」


 テレビを眺めていた田中さん(都内在住、五十代、会社員)は隣にいた妻に聞いてみた。


 「でも、高いんじゃないの?」

 「そうだなあ……おっ資料請求は無料らしいぞ。とりあえずそれを見てから決めてもいいんじゃないか」

 「そうねぇ、それならいいんじゃないかしら」


 テレビ画面には大きな文字で『資料請求無料』と出ていた。その下には電話受付用の電話番号と、保険会社の公式サイトのURLが表示されている。


 いくつかのプランがあるらしいが、身の丈に合ったプランを選択すれば月々の支払いに苦労するような事もなさそうだ。


 後日、田中さんは資料を見てから一番安いプランに加入する事を決めたのだった。







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 世界有数の怪獣発生率を誇る日本において、怪獣保険という商売が発生したのは、ある意味で必然だったのかもしれない。


 特に日本国の首都である東京周辺は怪獣の発生率が高く、長年多くの被害を出し続けてきた。東京の何がそんなに怪獣達を惹き付けるのかについては多くの研究者が議論を交わしているが、未だに明確な答えは出ていない。


 怪獣といっても色々いるが、大抵は非常に大きく、また火や光線を出したりなどする個体も少なくない。怪獣にとっては軽い運動のつもりでも何十軒という家屋が容易く吹き飛び、自動車やトラックがペシャンコに踏み潰される。


 東京近郊で長く暮らしている者ならば、たとえ直接の被害に遭った事がなくとも、そんな光景を一度や二度は見たことがあるはずだ。


 怪獣そのものは暴れている最中に正義のロボットやヒーローが退治する、もしくは暴れるのに飽きたら何処かに立ち去るなどしていなくなるが、その被害は勝手には消えてくれない。既存の保険ではカバーできない部分が多く、財産を失った者はそのまま泣き寝入りするしかないのがこれまでの常だった。



 だが、そこで彗星の如く現れたのが㈱怪獣保険だ。


 怪獣による被害なら家屋だろうが自動車だろうが一括で補償の対象になるという画期的な保険は、都民の喝采と共に迎えられた。


 やや料金が高いがそれでも一般の勤め人でも充分に支払える範囲である。収入に応じた幅広いプランも用意されており、いくらかの追加料金を払えば途中からのプラン変更も可能。


 加入希望者は個人、法人を問わず殺到した。一時は加入受付が数ヶ月待ちになったほどである。


 怪獣保険はたちまち業界内での勢力を伸ばし、大学生の人気企業ランキングでも上位に食い込んだ。更に同業他社から優れた人材を高額で引き抜き、その勢いはとどまるところを知らなかった。







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 「ほら言ったろう、保険に入っておいて良かったじゃないか」


 田中さんは、保険金が下りて買い換えたばかりのピカピカの新車の前で、得意気に妻に語った。


 つい先日、東京湾から上陸してきた怪獣ドジラに運悪く駐車中の自家用車を踏み潰されてしまったのだが、保険金が下りて新車に買い換える事が出来たのだ。


 前の車にも愛着はあったが、かれこれ十五年以上も乗り続けた何世代も前のオンボロである。どのみち数年以内には買い替えなければならなかったろうし、売りに出してもロクな値は付かなかっただろう事を考えるとむしろ怪獣に感謝すべきかもしれない。


 「俺が若い頃にもこんな保険があったらなぁ」


 およそ三十年前、田中さんがまだ大学生だった頃の話であるが、苦労してアルバイト代を貯めて買ったばかりのバイクを怪獣に踏み潰されてしまった事があった。当時はお金がなかったので最低限の格安保険にしか入っておらず、審査に落ちて保険金が下りなかったのだ。その時は悔しさのあまり、潰れて廃車になった愛車の前で一晩中泣き明かしたものだ。


 今回、怪獣保険に入る事を決めたのも、その時の無念が未だに彼の中で尾を引いていたのだろう。



 「さあ、折角のおろし立ての新車だ。今日は遠出して美味い物でも食べに行こう」


 田中さんは家族を新車に乗せて、上機嫌で休日のドライブに出発するのだった。









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 怪獣保険はその後もどんどんと勢力を伸ばし、日本全国、そしてついには海外にまで進出を果たした。特にアメリカのニューヨーク近郊は東京に並ぶほどの怪獣発生地帯という事もあり、多くの人々が先を争うように保険会社の受付に並んだ。


 怪獣というのはそう頻繁に来るものではないが、一度訪れれば並みの天災以上の被害をもたらす。世界には一度も怪獣が発生したことのない地域も少なくないが、身近に怪獣の恐怖を感じたことのある者にとって、怪獣保険の存在は非常に心強いものとなったのだ。


 怪獣保険は世界各地に支社を構え、本社は東京都新宿区の一等地に建設した巨大なビルディングへと移転した。会社の株価は右肩上がりで上昇を続け、㈱怪獣保険は栄華を極めたのだった。







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 「え、保険金が下りない? どういう事ですか?」


 田中さんは、自身が勤める企業の社屋が怪獣とヒーローの戦いの余波で窓ガラスが破損した為に、怪我をして入院中の社長の代わりに、社を代表して保険金の申請をしに怪獣保険の窓口へと連絡したのだ。

 だが、㈱怪獣保険の担当者からは支払いが認められないとの返答が来た。


 その理由は以下のようなものであった。


 今回の破損の原因は、怪獣キングラドギと宇宙からやってきたヒーローのウサトラマンの戦いの余波によるものであるが、田中さんの会社の窓ガラスが割れたのはキングラドギのせいではなく、ウサトラマンが転倒した際の衝撃によるものだったのだ。


 怪獣保険はあくまで怪獣による被害を補償するもの。故に今回は保険の対象外である、という理屈であった。


 「……ううむ、仕方がないか……」


 どこか釈然としないものを感じながらも半ば強引に担当者から会話を打ち切られ、田中さんは渋々入院中の社長へと保険会社とのやり取りの顛末をメールに記して報告したのだった。








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 右肩上がりだった㈱怪獣保険の株価が急激に下がり始めた。


 田中さんの会社と同じような理屈で支払いを渋るケースが他にも何件も発生し、苦情が相次いだのだ。


 曰く、ヒーローの出した被害なので支払い不可。

 曰く、怪獣ではなく悪の科学者が開発したロボットなので支払い不可。

 曰く、被害を出したのは秘密組織の怪人が巨大化した姿であり怪獣の定義からは外れている。


 こんな風に支払いを拒否する事例が連続し、社会問題にまで発展。

 新聞や雑誌には連日㈱怪獣保険の不正義を糾弾する記事が掲載された。


 嘘か誠か、社長の脱税疑惑や現職議員への賄賂の疑惑まで浮上し、テレビCMに出演していたタレントまでが巻き添えを恐れて怪獣保険を非難する側に回った。



 この段に至り、ようやく行政も重い腰を上げる。

 警視庁の捜査員が証拠を集めて脱税容疑で社長の逮捕状を取り、新宿の一等地にある本社ビルへと踏み込んだのだ。夜逃げの準備をしていた社長は証拠となる書類ごとその場で拘束され、後日裁判で有罪が確定した。

 社長の逮捕を受けて㈱怪獣保険は倒産し、悪事に関わっていなかった大勢の社員までもが路頭に迷う羽目になるのだった。










 だが不幸中の幸いと言うべきだろうか。

 怪獣やロボットや怪人やヒーローが暴れるおかげで、昨今の建設業界は常時猫の手も借りたいほどの人手不足であった。何かといえば製品を踏み潰される自動車業界や家電業界、それらの材料を生産したり輸送したりする業界も同様に慢性的な人手不足に悩んでいる。きっとそれらの業界が、失業した元社員達の受け皿となる事であろう。

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