七月 十三日-奔走のヘルマプロディートス

 ただ、幸せになりたいだけだった。

 深い意味などない。

 ただ純粋に、幸せでいたかった。


 そんな後悔の感情だけが、私の心の中にずっと漂っている。


 この感情は本来私のものではない。

 私の前にこの心を持っていた者の残滓となった感情に過ぎない。もう永遠に会う事のできない思い人の残骸。

 それらが、あの時からずっと、私を締め付け続ける。

 私は決して怒ってなどいない。私だってあなたと一緒になりたかった。互いに思い合っての事だった。

 それがこんな結果になってしまっただけで、彼女が悪い訳では決してない。そのはずなのに、彼女は融合した魂の中にほんの0.0000000000000000001だけ残った心の中で後悔し続けている。

 なのに、私はどんな手を尽くしても、彼女を慰める事はできない。

 今までだってどんな事でもやってきた。

 あらゆる魔術を調べ尽くしたし、神の力でさえ利用した。時間すらも越えた。


 だが、それだけの事をやってもなお、私と彼女は会えなかった。


 永遠に共にいられるのならと、そう思ったが最後、私達は永遠に会えなくなったのだ。


「グルハウチェ、いるか?」


 ここは霧雨丘の山中にあった木製の小屋。小奇麗だったので家として勝手に使わせてもらっている。

 その中に、勝手に男が一人上がり込んできた。協力関係とは言え、この男の礼儀のなさには少々憤りを感じている。

 冷存れいぞん零士れいじ。日本に古くから暗躍する忍の一族とかなんとか言っていたが、想像していたものよりも圧倒的に服装から何まで現代的な奴だ。


「ノックくらいしてほしいものだな」

五月蠅うるさい尼だ。いや、中身は男だったか。気分はどうだ?」

「お陰様で最悪だ」

「そりゃどうも」


 男は嬉しそうに笑う。その純粋な笑顔で不快で仕方がない。

 悪戯を考えている無邪気な子どもに、悪魔でも乗り移ったような男だと最初は思っていたが、まさかここまで不愉快だとは思わなかった。

 この男の発言は無意味に人の神経を逆撫でしてくる。


「用事がないなら帰れ。私はストックを貯めるのに忙しい」

「タイムリープのヤツか? お前はソレを過信し過ぎだ。もっと使い勝手のいい魔術モノは腐るほどあるだろう。ああそうか、『自分は頑張った』『努力していた』という称号がある事で、失敗した時に言い訳と慰めになるからだな。なるほど」

「嫌味を言いに来ただけか?」

「つれない奴だ、世間話もできんとは。女の魂と融合して心まで女々しく染まったか……おお恐い恐いそう睨むな」

「気が散る。用を済ませてさっさと帰れ」

「おーけおーけー。アレだよ、尭土井惣介達の件だよ」


 そう、尭土井惣介から堕天使の力を引っ張りだす為に、私は冷存零士と協力している。冷存零士も尭土井惣介に用があるらしく、その点で利害が一致した。


「やはりお前では少しばかり力不足だと思ってな、手助けをしてやろうかと」

「その必要はない。私一人で十分だ。前回の様にはいかん」


 今回は増減時間リコイルタイムのストックは十分に溜まっている。

 4,5回のタイムリープは可能のはずだ。


「だが惣介は、概念に干渉するぞ? たとえ時間を越えようとも、時間という概念に干渉されては阻止される」

「一撃で殺せばいいだけの話だ」

「強情だな。その強情さが元からあれば、魂の融合などという間違いを起こす事もなかったろうにな。それに、お前に人を殺せるとは思えん。人殺しはプロに任せて、お前は足止めに集中していろ。殺す寸前で止めるような事があればお笑いだからな」

「そう、だな……」


 この男の、言う通りか……自分でも分かっている。自分の弱さは。

 私に人は殺せない。

 所詮私の心はただの人。魔術師などという殺伐とした世界の人間ではない。

 人殺しなどという恐ろしい事は私には到底できようもない。私は死にたくないからな。誰かを殺してまで幸せになるくらいなら、自分を殺そう。

 なんて、私自身が手を下さないのなら問題ないなどと考えている時点で、結局は変わらんがな。


「……つくづく面白くない奴だ。まあいい。当日は楽しみにしていろ、楽しいモノが見れる」

「楽しいモノ……?」


 不気味さなど微塵も感じない、子どもが誕生日プレゼントを貰って喜んでいるような純粋な笑顔は、背筋に悪寒を這い寄らせるには十分だった。

 この男が何を考えているのか、私には想像の範疇を越えているし、恐らく理解すらできないだろう。


「ああ……誰もが笑顔で顔を引きらせるような楽しい楽しい最高のショーになるはずだ。チケットはない、無料で参観できるぞ」

「遠慮しておく。そういうのは勝手にやってくれ」

「まあ騙されたと思ってみておけ。日程は追って伝える」


 零士は部屋から出て行った。

 ようやく静かになった部屋で、私は椅子に背もたれた。

 あの男と話すのは心底疲れる。そもそも、あの男とまともに会話できる人間なんていないだろう。どこから調べたのか人の秘密を探っては、心の弱い部分を荒いやすりで削るように傷付けてくる。それを喜々としてやっているのだから、まともな人間ではない。


「人の事は、言えないか」


 私に人を殺す勇気はない。

 もしその時がくれば、私はソレを選ばざるを得ないだろう。また彼女に会いたいという決意は十分すぎるほどに持っている。最後の最後で迷う事はないと胸を張って言える。

 だが、代わりにやってくれる者がいるならばそれに甘えてしまう。結局はその程度の決意なのだ。

 許してくれグルハウチェ。

 それでも私は、もう一度お前に会いたい。

 私の心の中でずっと眠り続けている君に。

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