七月 十三日-後悔のサルマキス
俺は宣言通り、グルハウチェに会いに行く事にした。
あんな事を言った手前佐久奈には言えなかったが、よくよく考えてみるとそんな重要な情報を話してくれる訳がない。
なので、アホそうなルギエヴィートを探す事にした。お喋りが大好きなアイツの事だから、うまく誘いだす事もできる……かもしれない。可能性は低いかもしれないが、昼子の為にできる事はなんでもしたい。
ちなみに、昼子を連れていくと話を聞き出せない可能性も考えられるので、佐久奈が代わりに留守番をしてくれている。正直不安ではあるが……佐久奈も昼子が嫌いな訳ではないので、猫とネズミのように仲良く喧嘩しているだろう。
さて……肝心のルギエヴィートを探す事についてだが。
厭は山に囲まれた街であるこの『霧雨丘』に監視網を張っているのは御存じの通り。という訳なので、できれば遠慮したかったが佐久奈の親父さんの所へ行く事にした。
ダメで元々のつもりだったが、佐久奈の事もあってか前よりは歓迎され、目的通りルギエヴィートの居場所を知る事ができた。
ルギエヴィートは自身の特性によって分裂ができる。
以前見た八分割された状態の幼女、中学生くらいの少女、二十代くらいの女性。恐らくもっとパターンはあるだろうが、本人も言うようにこの力を使って霧雨丘に散らばり俺と昼子を監視しようという魂胆らしいが……今回はそれが裏目に出たという事だな。
「ここら辺、だな……」
とは言え、山の中の片田舎の中でも辺境の地だとしても人口はそこそこ多い。都会はそれなりに人で溢れかえっている中で容姿がランダムである人間を探す事はあまりにも無謀と言える。
佐久奈の親父さんが監視の為に使っている魔術も、発動させている本人にしか視覚化する事ができないので、直接どこにいるのかを知る事はできない。
だがしかし……俺には常人にはない特別な力がある……
魔術?
否!!
『人間ではない反応は八か所あるね。つまり、ルギエヴィートは今八分割されていると考えていいんじゃないかな?』
という親父さんの言葉が正しいのならつまり、この街にあの可愛い可愛い幼女が八人いる事になる。容姿は覚えている。
その手の人間は、少女が複数人いる写真を見ただけで誰がニンフェットであるかを知る事ができる。とハンバートハンバート先生も言っていた。
人混みの中から特定の幼女一人探す事など……容易い事だ。
「あ、いた」
間違いない。ルギエヴィートだ。
身長は小学生低学年の平均身長より少し低いくらい。第二次性徴前のふっくらとした体つきが父性を燃え上がらせる……!!
「おい、こんな所で何やってんだ心配したんだぞ……!」
「へ……? じぶんどないしたんきゅうに――!?」
「まったく心配させやがってさあ早く家に帰るぞー」
「ま、まてこらはなせんぐぅ!?」
騒ぎ出さないうちに口を塞いで、迷子の妹を探しにきた兄っぽい雰囲気を醸し出しながら人気のない公園に向かう事数十分……
「あのさぁ……じぶんがなにしてるかわかってる? もしわたしじゃなかったらつうほうものやで?」
ベンチに座らされているぷんすかとお怒り気味のルギエヴィート。かわいい。
「安心しろ。ここら辺は今時間帯ほとんど人が通らない」
「できるわけないやろ……どうかんがえてもアカンシチュエーションやでこれ……」
「ただ、静かに話がしたいだけだ」
真面目な顔でそう言うと、ルギエヴィートはハァ、とため息をついた。
「どうせ、ご主人は無理そうやからわたしから聞き出そうとかいう魂胆やろ? わたしの口も固いで」
「聞き出そう、とかって訳じゃねぇよ。それにお前らが知られて困る情報とか持ってるのか?」
「む……まあ、そう言われればないけどな。ご主人はただの一般魔術師やし」
神の遺物を現代でも扱えるように加工されているとは言え、神具霊装を持っているのが一般とは思えないがな……
「ん? 微妙な顔やな」
「そりゃ、なあ。一般魔術師なのに神具霊装なんてどこで手に入れたんだ?」
「お、知らんのか。神具霊装を発掘する『
「そうだったのか……初めて聞いたな」
それにしても、思っていたよりもペラペラと話すな……
「て事は、お前もそこで発掘されたって事だよな」
「そうやな、多分。既に発掘されていたものを改良して、わたしの意思が生み出されたから……元々どこにあったものかは分からん。神代の記憶とかも特にないしな……なんやねんその顔」
「神の遺物に意思が宿ったんだから昔の事を知ってたりするかと期待してたから……」
「そりゃ悪かったな! しょうがないやろ、わたしの意思はあくまで副作用で生まれただけやし」
「副作用……? ってなんだ?」
「ん、ああ。あれや。その……ルギエヴィートという剣そのものの特性としての『分割されている』という意味を利用して、魂の分離を行う……は――っ!! い、今のはなしで!!」
魂の、分離……?
分離って事はつまり、その魂の中に二つの魂があったという事にならないと意味が通らない。だが、そんな事は滅多にない……というか普通に生きていたら魔術師であっても遭う事のない現象だ。
意図的に魂を融合させるような事でもない限りは――
そこで昨日、夜中まで佐久奈と話していた時の言葉を思い出す。
『霧雨丘で初めてグルハウチェと対峙した時の事、覚えてるよね。私、小さい頃にグルハウチェに会った事があるんだけど……その時のアイツはなんというかもっとこう、貧乏神でも取り付いてるくらいに暗い性格だったんだよ……』
だが、俺の知っているグルハウチェ・アレクサンドロフという女性は佐久奈の印象とはあまりにもかけ離れた、荘厳で厳格で少しがさつな女性。
「お前が、グルハウチェと初めて会ったのはいつの事だ?」
「え……? えーっと、二年くらい前やな……………………なんでそんな事訊いたん? なんか怪しいな、さっきのわたしの狼狽にも言及せえへんし」
「その時のグルハウチェの印象はどんなものだった?」
「……話は終わり、もう私帰るからな」
ルギエヴィートの表情は固い。声色も低くなり、まるで俺に敵意を向けているようなものだった。
そのまま立ち去ろうとするルギエヴィート。
「グルハウチェは、誰かの魂を分離させる為に堕天使の力を求めているって事だよな」
ルギエヴィートの動きが止まる。
振り返らない少女の握られた拳は、静かに震えていた。
「3点やな。出直してこい。やりたいならまた答え合わせしたるわ」
つまりこれ自体は間違ってないって事か。
グルハウチェは誰かの融合された魂を分離させる為に、ルギエヴィートの特性を利用しようとしたが、失敗してしまう。その副作用でルギエヴィートに意思が生まれる。そして最終的にグルハウチェは、堕天使の力に頼った、という訳だ。
だが堕天使はあくまで『幻想を映し出す鏡』だ。強い祈りはソレを現実に変える事もあるにはあるが。
グルハウチェは、不確定な要素に頼らざるを得ないほどに切迫していたのか。
初めて会った時の焦燥を思い出した。
アイツは明らかに、何かを急いでいて気が立っていた。
「一つだけ言っとくけど……ご主人は、人を殺せるような奴やない。それだけは勘違いせんといてくれ」
ルギエヴィートの姿は、気付かぬうちに空気に溶けて消えてなくなっていた。
@
「あ、おかえりなさい。惣介さん」
「おう、ただいま昼子」
家に戻ると昼子が晩飯を作っていた。この匂いは……生姜焼きだな。
しかしながら、最近家事を昼子に任せっきりな気がするな。
「なんか手伝う事あるか?」
「いいですよボク一人でも。それより、惣介さんは何か調べてきたんでしょう? だったら、佐久奈さんと作戦会議をしておいてください。ボクは、その……ご飯作っときますから!」
「昼子……」
引き攣った笑みが、俺の心に物理的な痛みを齎した。それほどに痛々しい笑顔だった。
昨日の事を引きずっているのだろう。
「辛いなら、俺に話せよ。何でも聞くからさ。ここは俺の家なんだから、俺に遠慮はするな」
「……ごめんなさい。でも、今は、いいです。また今度……ゆっくりと話します」
「そうか。ならまあ、昼子のおいしい料理を楽しみに待ってるぜ」
「は、はい! 任せてください! 腕によりをかけて作りますからね!」
台所から離れ、佐久奈を探す。
いつもリビングでテレビを見ていたはずだが今日はいない。昼子も家にいるような言い方をしていたし、佐久奈がいるとなると……風呂場とかか?
と思ったが誰もいない。まあいてもらっても困るが。
「俺の部屋か……」
多分そうだろう。
階段を上り自室へ向かうと、自室のドアが開いて、隙間から光が漏れていた。
やはりか。
「おい佐久奈、何やってんだよ」
「ん、おかえり惣介。ちょっと調べ物をね。惣介がルギエヴィートに聞き込みに行った事だし、私も私でグルハウチェについて調べようかなっと」
「なんで俺の部屋なんだよ」
「あー、それはね……」
そう言って、佐久奈はせんべいを食べながら一冊の本を俺に見せた。
見覚えしかない、むしろ目が飽きるほどに見た表紙の擦り切れた極太のノートだ。
尭土井に代々伝わる術式が書き記された重要な書物。両親が魔術師をやめてから全然読んでいなかったが……
という記憶も昨日思い出したばかりだが、それはともかく。
「で、なんでそんなものを読んでたんだ? ノートの上にこぼすなよ……」
「大丈夫大丈夫。えーっと、パパに頼んで教会の知り合いに連絡とってもらって訊いたんだけど――」
「待て! そんな事ができたのか!?」
「え?」
「いや、俺もお前の親父さんに頼んでルギエヴィートの居場所を知ったんだが……意味無かったんじゃないかな……と」
「まあ、大丈夫でしょ」
「何がだよ!」
「いいから黙って聴いて。で、その知り合いが言うには……」
「グルハウチェは
「悔しいからって私が言おうとしてる事盗らないでよ、もう可愛いな惣介は!!」
そう言いながら飛び上がって抱き着いてきた佐久奈。あまりの衝撃に肺の空気が全て放出されたような気がして、意識が飛びかけた。
「殺す気か……」
「まあまあ、黙って聴いて。で!! そのグルハウチェと同じ
偶然なのか気を使われたのか、思っていたよりも話が被ってなくてほっと一安心。
「で、惣介は何を聞いてきたの?」
「ああ……俺は――
――という訳だ」
「なるほど。じゃあまずはいつものように情報を整理しようか」
佐久奈は俺のベッドの上に置いていたカバンの中からノートとシャーペンを取り出し、書き始めた。
「・グルハウチェ・アレクサンドロフには恋人がいた。
・その後彼女の性格が変わった。
・彼女は魂を分離させる方法を模索していた。
・神具霊装を使うも失敗。その過程でルギエヴィートが生まれる。
・
これってつまり、グルハウチェに恋人の魂が融合したから、それを分離させようとしてるって、事よね」
「ああ、そうなるな」
まだ確実ではないが、情報だけ見た場合これで最適解だろう。
だが、魂が融合するという状況が分からない。何をどう間違えばそんな事が起きるのか。
いや……
「実を言うとね、なんとなく分かるのよ。グルハウチェが」
『一つになりたい』と思うほどに、その人を愛していたのだとしたら。
「ずっと一緒に、惣介といられたらどれだけ幸せだろうって思ってたし、もちろん今も思ってる」
愛情が昇華したリビドーによる行為を、物理的に行ったのだとしたら。
「きっとグルハウチェは、恋人をすっごく愛してて、一緒になっちゃったんじゃないかな」
魂が融合すれば、それは即ち、永遠に共にいられる事と同義だろう。
死した生物の魂が、冥界に行くのだとすれば、死してなお永遠にずっと一緒だ。
死した生物の魂が、その時点で消えてなくなるのだとしても、二人がそれまでずっと一緒だった事に変わりはない。
愛し合う二人は、決して離れる事はない。
「まあ本当にやろうとは、流石の私でも思わないけど……さ。それだけグルハウチェは愛してたんだよ、きっと。なのに分離させようとしてるって事は、事は……」
「無理するな。分かったから」
「うん、ごめん……ありがとう」
二人がそれで幸せだったのか否か、それは他人が分かるものではない。
少なくとも、分離しなければいけない理由がある事は間違いない。
だが、もう……十分だ。
俺が、グルハウチェと争えないと思える理由としては、あまりにも十分すぎる。
無論昼子と昼子の母は守らなくてはならない。
「グルハウチェが人を殺せるような人間ではないと、ルギエヴィートは言った。もし本当にグルハウチェが恋人と魂が融合し、その分離の為に堕天使の力を求めているのだとしたら、俺はどうやってアイツと戦えばいい……?」
「惣介……」
答えは返ってこない。
ただ昼子が俺達を呼ぶ声だけが響いていた。
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