七月 十一日-ギィエルミーナ・セナのヴィジョン

 どうやら丸く収まったようだ。

 これで佐久奈さんの心が壊れて、二度と尭土井惣介と一緒にいる事ができなくなる事は阻止された。


 これでようやく見えてきたはずだ。この世界が滅びないルートが。

 何故そうなのか、その理由までは見えてこないが、ようやく復旧したTezcatl見通す鏡で視た未来では、尭土井惣介と厭佐久奈が結ばれる未来は滅びていない。逆に言えば、尭土井惣介と伐花昼子が結ばれる未来は総じて滅びているのだ。


「う~ん、どうしてこうなるんだろうなぁ」


 まあ、滅びないならそれに越した事はないし、このまま佐久奈さんと尭土井惣介の関係を陰ながら維持し続けていけば滅びは確実に回避されるはずだ。その過程で理由を見つけていけばいいだろう。


「あーっ!! よし! 今日はもう仕事も残ってないし、ここでお昼寝でもしてようかなぁ~」


 布団をしいたりはできないが、丁度青いビニールは大量にあるのでそれを敷いて寝ればいいだろう。背中は痛いが、暖かいに越したことはない。


「いいなぁ……青春かぁ懐かしいなぁ。私にも、あんな風に青春してた頃があったなぁ……」


 暖かい陽気に身を包まれながら、私はそのまま眠りに落ちてしまった。



 ――起きろ、ミーナ。


「ん、ん~? 誰?」


 ――朝だぞ。


「まだ昼過ぎでしょ……?」


 ――はぁ……未来見過ぎて現在の頭が馬鹿になったんじゃねぇのか?


「な、聞き捨てならないわねそれ、は……?」


 その光景に、私は目を疑った。

 確かさっきまで学校の屋上にいたはずなのに、目を覚ました私の周りに広がっていたのは異様な光景だった。


 石造りの古ぼけた部屋に、これまた古ぼけた机やタンスや棚や絨毯、そして私が寝ているベッド。何もかも非現代的でレトロな雰囲気を感じさせる。

 そして、私はこれらを知っていた。はっきりと記憶に残っている。

 だがそれは……何百年も前の事のはずだ。


「夢……か。そうか、私もアレイゾンの影響下にあるから、見ちゃったんだね。夢を」

「何一人で寝ぼけた事ブツブツ言ってんだ。そんなに寝てたいなら一生寝てろ」

「もう、冷たいなぁケツァルは」


 そう、この口の悪い色白の青年はケツァル。ケツァルコアトル。

 今で言うアステカ神話の神の一柱であり、英雄。正にアステカ神話の主人公とも言える存在が、この青年だ。

 この時代は確か、アステカ帝国が滅びてから既に百年は過ぎていたはずだ。という事は1600年代だから……日本で言うと江戸幕府が完成した前後くらいの年だろうか。

 アステカの崩壊と共に、供物である心臓がなくなった神々も次々と死に絶えていった。神にも寿命はある。だが、ケツァルコアトルはある不貞をやらかしたせいで丁度追放されていたので、崩壊に巻き込まれなかったのだ。ずっと世界中を旅しながら、その過程でケツァルコアトルは不死の体を手に入れていた。確か、吸血鬼に噛まれたんだっけ……?


「朝ご飯は?」

「できてるからさっさと起きて食え! ったく毎日毎日手間かけさせやがって……神童だがなんだか知らねぇが、俺はもう既に不死身なんだからあんま関係ないんだよな……」

「あら、テスカトリポカとかに会いたくない?」

「誰かあんな奴と会いたくあるか! 何度もしつこくしつこく……ああ思い出すだけで腹が立ってきたぞ……もういいから毛布から出ろ!!」

「はーい」


 ああ、懐かしい。

 夢だとしても、あまりにも懐かしすぎて涙が溢れてくる。こうして、私もこのケツァルと一緒に、二人で暮らしていた時期もあったんだなぁと。

 でも、ケツァルはもういないんだ。

 不死身なんて言ってたけど、概念的に死なないのではなく、あくまで殺す手段がないという意味での不死身。殺す手段が新たに見つかった事で、ケツァルは殺された。そして、私の力を欲しがった奴らに私は捕まって……


 まあ、今はどうでもいい事か。

 そんな事よりも、今だけのこの夢を楽しまないと。

 私はベッドから飛び起きて居間へと向かう。いい匂いが漂ってきて、不思議と私の足は軽やかだった。

 ずっと会いたかったケツァルに会えた。正直に言って好きだった。たとえこれが幻想だとしても、会えた事が素直に嬉しかった。


「ねぇ、今日のメニューは?」

「ああ? そうだな……アレだよ、なんつったけあの……」

「どうしたの?」


 ふと振り返る。

 ケツァルの顔が、ぐにゃりと歪んで、目玉が腐り落ち、その奥から真っ黒なドロドロとしたものが溢れ出し、口からも、鼻からも、耳からも、そして、その体でさえも均衡を保てずにドロドロとしたものに変わって、崩れ落ちた。


「ケツァル……?」


 理解できない状況に、私の頭はパニックになった。夢の中ではTezcatl《視通す鏡》が発動できない。そのせいで、この後どうなるのか分からずに、得体の知れない不安が背中を舐めるように駆け巡る。

 そう、死。

 生命が消えてなくなる瞬間。

 人が、神でさえも決して避ける事のできない現象。


 死への恐怖を克服する為に、どれほどの人間がその祈りを捧げただろうか。


 恐い。

 怖い。


 私もこうして死ぬのかと、その当時も思っていた。

 死ぬのは怖い。だからこそ、人はその思いを誤魔化す為に何かを信じるのだ。





 ――起きてください。


「ん……今度は現実の方か」


 一体誰だろうか、他の先生かな? と思いつつ目を開いた。肌にはびっしりと嫌な汗をかいていた。そりゃ、あんな夢を見れば当たり前だろう。


 しかし、そんな事もすぐに気にならなくなる。


「あなた、誰――」


 ニコニコと、ソレは笑っていた。気持ち悪いほどに張り付いた笑顔が、気持ち悪いほどにニコニコと笑っていた。


「困るんだよな。この街で勝手な事をされちゃあさ」

「な――がっ、あ……!!」


 何故だ……? こんな未来、見えなかったはずだ。

 まさか、尭土井惣介のみに関連する未来は、まだ見えないと言うのか? だからコレの侵入に気が付けなかった?


「か――ハ」


 首を掴まれ、そのまま持ち上げられる。

 息ができない。意識が、段々と遠のいていく。ダメだ、ここで死んだら全て終わりだ。ここまで生きてきた意味がない。ここまで死んで来た人達も意味もなくなってしまう。それは、ダメだ――!!


「あれ……? な、んで……」


 魔力を籠めた。だが、何も起こらない。

 私が使えるはずの魔術が使えない。


「なんで、なのよ……こんな、事って……があ゛ぁ゛ッ!?」


 絞める力が強くなる。そのまま握りつぶしてしまいそうなくらいに力が籠る。

 私は死ぬのか。そう、か。遂に、私も命を落とす。生命の終わり。人の魂が、長い長い旅の先に行きつく終着点。

 怖い。だが、嫌ではない。


 ああ、私も死ねるのだと。


 首の骨が折れ曲がる音が聞こえた。

 握りつぶされた私の首。視線が下へと落ちていく。落ちて行って、視線は空を向いていた。

 真っ青な、空を。


 ごめんね。私、守れなかったよ。

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