七月 十一日-ブレイク・プリズンⅡ

 翌日の日曜日。俺と昼子はタクシーで目的地へと向かった。場所は昨日と同じ北側の五月雨町にある神社だ。秋綾教よりも更に北の、山を登った先にある。なんとロープウェイがなく、登るには徒歩でなければいけないのだが……自分でも何故ここを選んだのかが分からない。ただ、人が”いない”という点においては優秀であると言えよう。


 天気が悪く、もやがかかっているせいで階段の先がまるで雲の上にあるかのように錯覚するそれを登りながら、俺は昼子の意外な体力に驚いたりした。太ももをパンパンにして、息を切らしながらようやく頂上の境内へと辿り着く。

 靄がかかっているだけあって湿気が多く、非常に空気が冷たく感じた。


「………………」


 鳥居の先に、鈴緒すずおをじっと眺めている佐久奈の後ろ姿があった。今にも消えいってしまいそうなほどに希薄な背中は、昼子に初めて出会った時の印象と、亜冷存を思い出す。


 昼子が雪なのだとしたら、今の佐久奈は霧だろう。


 その背中を見たまま、俺の足は前へと進まない。


「はぁ……」


 後ろからため息が聞こえたと思った刹那――俺の体は背中から突き飛ばされて思いっきり前に出た。


「あ……」

「あー、はは……」


 音に反応して振り返った佐久奈と目が合う。

 靄は霧へと変わっていく。辺り一面が霧の海になったかのように白く染まり、気温も、どんどんと下がっていく。湿気で肌が濡れ、それが冷やされて痛みを感じた。


「話って、なに?」

「話があるのは俺じゃない。佐久奈だ」

「へ……? 私?」


 一瞬だが霧が晴れたように見えた。驚いた顔の佐久奈は、社の方へ振り返ってしまう。

 霧は深く、濃く……まるで佐久奈の心のようにその白を増していく。

 石畳の道の先、まだずっと遠くに佐久奈の心はある。それを、引きずり出すんだ。佐久奈の本音を、心の奥底を聞き出すんだ!

 自分でもむず痒くなるが仕方がない。ああ、ほんの少し荒療治だが……


「分かってる……俺のせいで、佐久奈は俺の事を嫌いになってしまったんだろう」

「ッ…………――う」

「ああ、全部俺のせいなんだ……分かってる……」

「違う!! 私は惣介を嫌いなんかじゃないッ!!」


 そう、佐久奈は俺を嫌ってなどいない。


「あ……ちが、その、私は、惣介の事、ずっと友達だと思って――」

「そうじゃねえ。言ってくれなきゃ分かんねぇよ。好きなら好きって、嫌いなら嫌いって言ってくれなきゃ分かんねぇよ!!」


 霧が……晴れていく。


「言える訳、言える訳ないじゃない……! だって、私はあの子を、殺したんだから」

「本当にそうなのか?」

「どういう、事――?」

「アイツは首を吊って死んでいた。だが、どうやってそうさせる。確かにあの時、佐久奈は血塗れだった。だがアイツの体には外傷が一つもなかった。床には血の一滴も零れてなかった。本当に、お前が殺したのか……?」


 割れそうになる頭を必死で抑え込みながら、唯一残るその時の記憶を引っ張り出す。

 揺れる死体、その横で机に突っ伏した、血塗れの佐久奈。そして、赤く染まった包丁。しかし、血の源泉はあの少女ではない。佐久奈だ。

 『私が殺した』。そう書き残された紙の上に置かれた腕。手首のところから血が流れ出ていたはずだ。


 そう、あの血は佐久奈のものだ。

 だとしたら何故、佐久奈はあの少女を殺したと思ったのだ?


「だって……私……、私が……あれ? なん、そんな……じゃあ」

「佐久奈じゃない。佐久奈が殺したんじゃないんだ。佐久奈は、何か勘違いをしていただけなんだ。佐久奈が、俺に対して引け目を感じる事なんて、何一つない」


 風が境内に吹き抜けた。

 雲の切れ目からカーテンのような陽が差し込んで、街を照らし出す。


「だから、全部話してくれ……俺の事を。俺を、どう思っているのかを」

「そう、すけ……私、私……!!」


 膝から崩れ落ちた佐久奈の体を慌てて抱き留める。心の琴線が切れたのか、佐久奈は俺を抱きしめて泣き崩れた。


「好き……惣介の事が好き。ずっと好きだったの!! ずっと、ずっと昔から。産まれた時からずっと……!! 私嫌われたんじゃないかってずっと、怖かった。もしかしたら家のせいじゃないかって。そうじゃなくても、惣介と話すのが怖かったの。面と向かって嫌いだと言われたら、本当に、死んじゃいそうで……」

「ああ――」


 俺は、佐久奈の事が――

 いや、どちらか一方に決める必要なんてない。そんな刹那的な感情に任せて思いを偽ったところで、佐久奈にとっての本当の意味での救いにはならない。

 本当に佐久奈の事が好きかどうかが分からないんだ。だったらそれでいい。


「すまなかった、佐久奈……これからはお前に対しては絶対に偽らない。ありのままを言おう。もう一人ではいさせない」

「うん……うん……! 好き、ずっと好き!! 惣介が大好き!! 大好きッ!!」


 まるで空に向かって吠えるかのように、佐久奈の本当の気持ちが木霊こだました。


 泣きつかれたのか、佐久奈はふぅと一息ついた。ハンカチで涙を拭いて、ふと気恥しそうにこちらへ笑いかける。その笑顔はあまりにも眩しかった。霧が晴れて、昼間の太陽のように爛々と。


「ねえ、惣介は……私の事どう思ってるの?」

「……分からない。分からないが、これから見つけていきたい。佐久奈への本当の気持ちを」


 偽らないと決めたのだから、その場限りの好意などもってのほかだ。俺はありのままを佐久奈に伝えた。

 分からない。

 それは曖昧で、とても自分勝手な感情のように思えたが、裏を返せば『嫌いではない』という意思なのだ。これからどんな感情にもなり得るだろう。だが、決して、嫌いではないのだ。


「嫌いじゃないって事が分かっただけでも、すっきりだよ。ありがと、ほんとの事を言ってくれて」

「佐久奈……」

「分かってるよ。惣介は、そこの昼子ちゃんを守らなきゃだもんね。うん、私も協力する。いや、協力したい」


 だがそれはまるで、また同じように佐久奈の本音を隠してしまうように思えて――


「でも勘違いしないでね。絶対に、惣介は私に振り向かせてみせるから。あなたは別に惣介の事が好きって訳じゃないんでしょ?」

「なっ……! ボクはその……! あの……って何を言わせようとしてるんですか! 勝手にしてくださいよ! 尭土井さんはボクを守ってくれるただの壁ですから!」


 それは心がキツイぜ昼子さんよ……

 だが、まあ。佐久奈も元気になったようだし、よかったのか、もな。また別の問題が出てきそうだが、それはまた別の話だな。


「よし、じゃあとりあえずお参りでもして降りるか! それで、みんなで昼飯を食いに行こう」

「お参りにとりあえずは罰当たりですよ……」

「お昼!? 何食べる? 私ラーメンがいい!」

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