七月 十日ーブレイク・プリズン
『ま、今日はもう遅いからね。帰りなよ』
佐久奈の親父は半ば追い出す形で俺達を外に出した。
それもそのはずだ。俺だって、あんな場所には長時間いたくない。
「尭土井さん、顔色がさっきよりも悪いですよ……?」
俺の横を歩く昼子が、顔を覗き込みながら心配そうに言う。
そんなに俺は疲れていたのか。改めて自分の体を省みると、連日頭痛に侵され続け、ずっと考え事をして……と疲労が溜まっている事がよく分かる。このままだと記憶云々は関係なくただの疲労で倒れる事も考えられる。
「だが、佐久奈に会わないと……佐久奈に会って確かめないと……」
俺の思考に余裕はない。
佐久奈がおかしくなったのは、俺が佐久奈を
このままだとまた同じ事になるかもしれない。それに、未だ名前も思い出せない『あの少女』が死んだ時の事を訊かなくてはならない。佐久奈が殺したのか、否かを。
しかし、そんな余裕のない思考は昼子の言葉で一瞬にして吹き散らされた。
「いい加減にしてください!」
「な……どうしたんだよ急に」
「どうしたんだよじゃありません! そんなんだから女の子を泣かせるんですよ尭土井さんは! 尭土井さんが確かめたいとか貴方の意思は関係ないんです。佐久奈さんの気持ちを聴いてあげてください! ボクには、その話しの詳細までは分かりませんが……少なくとも分かる事は、尭土井さんが女の子の気持ちを分かっていない事ですッ!!」
言葉が出ない。驚きを隠せず、情けなく口を開けていた。
昼子が大声を出した事にもだが、何よりも、その言葉は俺の心に止めを刺した。お前のせいだと言われた挙句にも、俺は佐久奈の事を考えていなかった。ああ、確かに、俺は事件の真相を知ろうとしていただけで、佐久奈への心配は片手間だったかもしれない。いや、片手間だった。
「なんとか言ったらどうです」
「昼子の……言う通りだ。俺は、女の子を守るとほざいておきながら、気持ちを理解しなかったクズ野郎だ。ああ……だがこれで分かった。どう佐久奈に接するべきかが」
「分かればいいんです。もしこれでへましたら、ボクでも本当に怒りますからね」
「頑張ります……」
「さあ、そうと決まれば今日は帰ってご飯を食べて寝ましょう。いつグルハウチェと戦うかも分かりませんし、体力は温存しておかないと」
「佐久奈は――
「電話かメールで明日会おうとか伝えればいいじゃないですか!」
「は、はい……」
今まで鳴りを潜めていたが、やはり昼子は女の子だった。
俺達は来た時と同じ手段で、つまりタクシーで家まで帰った。
もう空は真っ暗でいつもなら風呂を沸かしていてもいいくらいの時間だ。とにかく、汗をかいたので服を着替えて台所に立とうとした。正直作る余裕ないなぁとか考えていたら、なんと俺を遮って昼子がエプロンを付けていた。
「おい、昼子。作れるのか?」
「馬鹿にしないでください。こう見えてもボクは家事全般はこなせるんです。最近、守られているとは言え何もしないのは悪いなぁと思っていたところなので、丁度いい機会です。ボクの料理の腕を見せてあげますよ」
「ほう、これは頼もしいな」
意気揚々と準備を始める昼子さん。
俺はリビングに戻ってスマホを手に取った。画面を操作して電話帳を開き、『厭佐久奈』の所で手を止める。ここで画面に触れれば、佐久奈へ電話が繋がるのだろう。そうして俺は佐久奈と話す。いっそここで話をつけてしまえばいいのではないかとも考えたが、この話はやはり直接会ってではないとダメだ。そうでなければ意味がない。俺のケジメでもあるのだから。
しかしながら、意識してしまうとどうしてもあと一歩が踏み出せないのが人の性。一の躊躇いは刹那にして万に膨れ上がる。
自分がヘタレなのだと自覚して少しショックを受けながら、メール作成画面を開いた。
『明日、お前に話が――
いや、もっと柔らかい感じで。
『明日、佐久奈に話がある。だから……
ダメだ文章が出てこない!
この一文だけでは心なしかホラーテイストを感じてしまって別の意味で逆効果だ。何か付属品を……
『明日、佐久奈に話があるんだ。おみやげとか持って行きます。
手紙みたいになってきたな……ええい真面目にやれ!
『明日、佐久奈に話がある。昼の12時頃に”雨宿神社”に来てくれ』
変なものは付けずにこれでいいだろう。
よし送信、と。
押した。もう押したぞ。
「はぁ……なんでメール打つだけでこんなに疲れるんだよ」
ただ話がある事を伝えるだけでもこれだけ頭を使うという事は、それだけ佐久奈に対してまともに向き合っていなかったのだろう。冷静になって考えてみると、佐久奈と面と向かってどんな顔で話せばいいのか、正直言って全く思いつかなかった。
だが、もうそんな弱音を吐いている時間ではないのだ。そんな事を言ってるとまた昼子にどやされちまう。
「………………………………」
テレビの画面をボーっと見つめるが、内容は全く入ってこない。時折スマホの画面を見て、佐久奈からの返信がないかを確認して、またテレビに見入って、また確認して……無意味に画面をスクロールさせたり、さっき見たばかりのサイトをまた見たり。落ち着かない。
メールの返信がないだけでこんなにも落ち着かないのは初めてだ。
そんなこんなで数十分が経過した。
「できましたよー」
結局、返信が来る事無く昼子渾身の晩飯が出来上がった。
@
「あぁ……もう食えない……ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした。じゃあ、片付けてきますね」
そう言って、昼子が席を立つ。それを慌てて制止する。
「待て、片付けは俺がやるよ。家主は俺なんだからさ」
「なに言ってるんですか。尭土井さんはメールの返信を待たないといけないでしょうが!」
「そうでした……」
「分かればよろしい。じゃあ、片しときますからソファで休んでてください。ただでさえ今日は疲れたんですからね」
「ああ。すまない」
ソファに腰かけた。
手持ち無沙汰だったせいか、やはりテレビを点けてしまう。見たい番組がある訳でもなく、ニュースでも見ながらスマホを確認する。
すると、食べていて気がつかなかったが、いつの間にか佐久奈からの返信が来ていたのだ。慌てて見てみると、五分ほど前だ。それほど時間が経っていなかった事にホッと一安心。
スタンビートする心臓を握りつぶすように押さえつけながら、メールを開く。
『分かりました(*^^*)』
これは……どう受け取ればいいのだろうか。
もしこれで顔文字がなければ、きっと心臓は止まっていただろう。とりあえず怒っていたりする訳ではないのだと、一応安心しつつ、今から明日へ向けての緊張が心の底から溢れ出てきた。自然と息が荒くなり、体が熱くなっていく。たまらなくなって窓を開けた。
夏の夜の風はやはり涼しいのだと、改めて実感できた。それだけ俺の体は火照っていたのだろう。
深呼吸を何度か繰り返し息を整え頬を二回ほど両手で叩いて心の準備は完了……したはずだ。
情けない。
突然突き付けられた自分の心の弱さに、思わずため息が漏れてしまう。
背中の後ろへ吹き抜ける風の背後から、流し台の水音が部屋の中に響いている。淡々と告げるニュースキャスターの声が内容を伴わず頭の中をすり抜けていく。
混乱しているとも言えるだろう。
こんな状況は初めてなのだから仕方がない。
だがもう、ここまで来たら後は突き進むしかないだろう。
佐久奈の心の檻を、壊さなくてはならないのだから。
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