七月 十日-明日へ

 狂気に染まる佐久奈の顔と、恐怖に染まる昼子の顔が見えて、体は勝手に動いていた。自分の意志に先行して動いた体は異様な速さで駆け出して、魔術の発動もせずに佐久奈の前に立ちふさがった。

 振り下ろされた真紅の槍が、俺の体を縦に串刺していく。左右の肋骨の間をずぶずぶと貫きながら、内側を削っていく感覚がとてつもなく気持ち悪い。そして何より、その槍に触れたことで、体の機能が停止していくのが直に感じられた。だが勿論、死ぬつもりもなく。


「佐久奈……」


 声にならない、人間の言語体系では表せない狂声を上げる少女が、歯車が狂ったロボットのように教室を踊る。

 ふと、息がある俺と目が合って、すとん、と腰を下に降ろした。腰が抜けたのか、震えるだけで微動だにしない。目で見て分かるくらいには、佐久奈は壊れていた。何故、こうなるまで分からなかったのか。思えば最近のバイオレンスな佐久奈はこの兆候だったのだ。

 だが、どうしてだ?

 分からないのは、その真実が俺の曖昧な記憶の中にあるからだろう。


「………………ふ、ぅ」


 深く息を吐き、体を落ち着かせる。

 『生命の概念』へ干渉する魔術は、寿命を削るだけでなく、寿命を延ばすことも可能だ。流石に限界はあるが、『胸から脊髄の下の辺りまで貫かれて出血多量で死亡』以上の延命は十分にできる。ただ、暫く痛みとか動けないが。



 数分経ち、体が動くようになった俺は、まず昼子の両手を治療した。とは言え、治癒に関しては昼子の方が一枚上手だったこともあってか、魔力を分け与えただけだったが。だが、これで包帯か何かを巻いておけば、外からでは『貫かれている』とまでは分からないはずだ。

 そして次は――


「そ、う、すけ……」


 目の奥も心の奥も体の全部底までただただ虚ろに、ずっとそう呟き続けている。

 佐久奈がこんなことになったのは初めてで、その反応には少々困る。


「佐久奈……大丈夫だ。俺は生きてる」


 頭に手を置いて、そう言った。

 すると、


「ぞうずげぇ……うっ、ひっぐ……ごめんなざぁい……」

「あー、あきどいさんが女の子なーかしたー」


 殺されかけたとは思えない呑気な煽りが後ろから聞こえたが、今はスルー。後で仕返しでもしてやろう。


「………………………………」


 なんと声をかけるべきか。

 俺に非があることであれば、『何があったんだ』は追い打ちをかけることになりかねない。かと言って『俺は悪かった』と言うのもそれはそれで腑に落ちない。


「お――

Nahual



 教室の廊下側から聞こえたその声はa:as;kdkejepqjopjdapnckporpyunvaskljeidnl;;:][pwoaponxa;aa;dlfueヘンカ、変化、書キ換エ、セツダン切断接続スル認証デキナイキーヲ取得認証デキル変化スル変化――



「い佐久奈、何で今日休んでたんだよ」

「だ、だからそれは、この街に侵入した魔術師に対する防衛策を考案する為の会議があったから……」


 時刻は午後五時半。

 予定では今から歓迎会もとい『昼子ちゃんを迎える会』が始まる頃の時間だ。突貫で用意したので飾りつけなどはできなかったが、超特急で買ってきたジュースやお菓子で机の上は彩られている。言うまでもなく俺も駆り出された。

 教壇の上にオサレな赤渕眼鏡をかけた委員長がいかにも、と言った雰囲気で立つ。


「そろそろ全員集まった頃ね」


 まだ顧問の許可がもらえていなかったり拒否されたりしているのか何人か見当たらない奴もいたが、ほとんどそろっているところからするとやはりこのクラスの馬鹿どもの団結力には感嘆させられる。

 教室の真ん中には机を何台か合わせて作られた長机と、その中心に昼子が立ち、離れる訳にはいかないのでその隣に俺。もう片方には佐久奈が、教室の隅にはギィエルミーナ先生が。その周りを馬鹿どもが取り囲んでいる。


「みんな、グラスは持ったわね……じゃあ、かんぱーい!!」

「「「「「「「かんぱーい!!」」」」」」」


 掛け声と共に、クラッカーが鳴らされた。


「ようこそ! 伐花昼子ちゃん!」

「へへ……恥ずかしいですね、やっぱり」


 満更でもなさそうな昼子の笑顔に思わず俺の心もほっこりする。

 未だ深くまでは自分の過去を話してくれない昼子だったが、あまり心配し過ぎているのが杞憂かのように思えてしまうほどに明るい笑顔だ。屈託なんてものはもうどこにもないかのように。


「よかったね、昼子ちゃんが楽しんでくれていて」

「珍しいな、佐久奈がそんなこと言うなんて」

「えぇ? そりゃ酷いよ。一応こう見えても私もう十七なんですけど。次世代の『秋綾教』を担う跡取りなんだからね。一般的な常識くらいはありますー」

「そういやお前一人っ子だったな」

「惣介がウチに来てくれるのならそれでいいんだけど?」

「いや、それはいい」


 そう言えば、『秋綾教しゅうりんきょう』の教義ってどんなものだったか……?

 まあ、今はどうでもいいか。

 さて、俺もポテチの一筒や二筒いただこうかしら。


「おーい、俺にもそれ分け……」


 刹那、心臓が止まった感覚に襲われた。

 耳鳴り――酷い立ちくらみの時のように目の前の焦点が合わず、頭が音叉のように揺れ、狭いトンネルを列車が走るような轟音が耳の中を駆け抜けていく錯覚。俺の中の何かが切り替わった。見えるものが、感じるものが変質した。

 頭のどこかに引っかかっていた違和感が、何かの拍子に取れたと思うと、一気に全ての情報が頭の中に流れ込んでくる。


「あっ、がァ……!? またこれか……!」


 無理やりはめようとして折れたパズルのピースが、今一度綺麗に額縁の中に収められる。


 このクラスはこんなに明るくなかった。ましてや全員が集まって催しをするような内輪な性格の奴なんて一人もいなかった。排他的で、会話は挨拶か事務的なものだけ。グループが幾つかできているだけで、協調性なんて欠片もない。

 俺も佐久奈も、そこそこ浮いていたはずだった……だのにこの空間はなんだ? まるで中身が別のものに入れ替えられたかのように、全員が別人のように感じてしまう。


「惣介……どしたの?」

「…………………………」


 佐久奈も、だ。

 昼子もだ。

 先の一連の出来事はどこに行った?

 全てがリセットされたかのように、何もなかったことになっている。

 何者かの手によって、記憶や性格が書き換えられている。


「誰だ……」


 辺りを見渡す。

 佐久奈は相変わらずキョトンとした様子で、やはりさっきの記憶はないようだ。

 昼子もクラスの奴等と楽しそうに談笑している。


 ギィエルミーナがいない。


「クソッ……」

「あ、ちょっと惣介!!」

「トイレだトイレ!」


 適当なことを言って教室を出た。

 薄暗い夕日に焼ける廊下をただ走る。どこにいるかは分からない。だが、何故かあの場所にいるような気がした。


 ――屋上から、何かただならぬ『モノ』を感じた。

 おどろおどろしく、得体の知れない何かを。


「鍵が閉まってる!?」


 なんともわざとらしいことだ。もうこの先に何かがあるのは確定したも同然だ。

 魔力を体中に流し込む。

 脳内に刻まれた魔術の組成式にはめ込んでいく……発動するのは『概念干渉』。奪える寿命は生き物だけではない。『いつか壊れる』のならたとえ屋上と室内を隔てるドアであってもその寿命を削ぎ取れる。


 ガタン……と、音を立てて、腐食した屋上へのドアが屋上へ倒れ込んだ。


「ミーナ先生!!」


 叫ぶと、給水塔を眺めるギィエルミーナ・セナがそこにいた。


「どうしたの? って、ああ……ドアを壊しちゃってもう。弁償だからね?」

「アンタはそこで何をやっている」

「昼子ちゃんの傍にいなくていいの?」

「答えてくれ」

「もう、そんな怖い顔しないでよ。可愛い顔が台無しよ?」

「答えろ!! ギィエルミーナ・セナ!! お前は何をした!?」


 あり得ない速度で、焼け焦げた黒雲が渦を巻いていた。

 屋上の何かを中心に。


「待って待って、確かに……私が魔術師だってことは隠してたけど、私は何もしてないわよ? ちょっと色々あってこの街に潜伏してるだけだから」

「見えているぞ。隠しているつもりかは知らないが、その給水塔が」

「――――――へぇ」


 正直今のはハッタリだったが、どうやら違和感は正解だったようだ。

 パチン、と夕方が昼に切り替わった。

 いや、これは……太陽が真上にある。軌道上あり得るはずのない場所に、太陽があった。

 夏の暑いような日差しではなく、焼けるように赤い、宇宙で見るような太陽だ。


「生贄って、どうやって手に入れるか知ってる? 生贄の為の捕虜を得る為の戦争があってね、それで確保するの。そうやって捉えられた生贄は、大切にもてなされる。だって神への供物だもの、当たり前よね?」


 呆れるような日差しの中、ただの給水塔が姿を変えていく。

 それは神殿。マヤの遺跡にでもあるような形をした、大きさはかなり小さい神殿だ。階段を昇った頂上には丁度人一人が寝かせられるほどの大があった。そして実際、そこには人が横たわっていた。


「……ッ、アイツは」


 見たことがある……確か野分とかいう、佐久奈の部下だったか。

 いや、考えるまでもない。特に恩がある訳でもないが助けなければヤバいのは分かる。


「だめよ、これは大切なんだから。儀式の邪魔はさせないわ」


 体が動かない。

 その空間自体が固定され、指一本動かすことが許されない。辛うじて口だけは動いた。


「な、にを……」

「では今から特別授業!! こんな機会は二度とないわよ? 歴史に残る特異な文化の一つなんだから」


 ギィエルミーナの手に握られるのは黒い先の尖ったもの。


「これは黒曜石のナイフです。まあ端的に言うと、これで生贄の心臓を取り出して、神に捧げるの。生きた人間の新鮮な心臓をね……」


 恍惚とそう語るギィエルミーナの顔に狂気の色はない。自分の趣味を活き活きと話す時のように、純粋にそう語っているように見えた。

 それは、人身御供ひとみごくう。人間を生贄として神に捧げる普通一般の思考では理解できない行為。


「さて、じゃあ今からするけど、ちょっとばっかし残酷だから気を付けてね?」


 鋭利とは言えども、石を砕いて磨いただけのナイフに肉を綺麗に裂くほどの殺傷力があるはずもなく、突き立てられた黒曜石は胸の肉を削り始めた。ギィエルミーナは慣れた手つきで無理に切っ先を押し込んでいく。激痛が伴うはずだ、野分は目が覚めたようだが、俺と同じく体が動かないようで目を見開いたまま何かを訴えようとするが、ギィエルミーナは取り合わない。

 数分間、黒曜石は胸の肉を、骨を抉り続けた。


「本当は何人かで手足を押さえてやるものなんだけどね。見ての通り一人だから、こうやって魔術で押さえつけてるのよ」


 黒曜石のナイフを持つ手とは違う、もう片方の手を野分の胸に突き入れた。その時点で既に絶命していたようで、その男からの生気はもう感じられなかった。

 ギィエルミーナが手を引き抜いた。その手には鼓動を続けるナマの心臓が優しく握られている。粘液の混ざった鮮血と一緒に、神官は心臓を太陽に掲げる。上空の太陽が輝き出し、思わず目をつむる。直前に見えたのは、心臓が灰のようになって消えていく光景。


 ――目を開けると、時間は夕方に戻っていた。


 血に濡れた神殿の頂上には、野分の死体と、他人の血で濡れたギィエルミーナ・セナ。白いポンチョが余計に赤を目立たせる。

 ふぅ、と息を吐いて肩をなで下ろすと、ギィエルミーナは野分の死体を頂上から蹴落とした。

 丁度俺の目の前にまで転がって来て……ぽっかりと胸に穴が開いているのがよく見えた。肉の中の中まではっきりと、ドクドクと、未だ赤く脈打ち続ける空っぽの肉の壺。


「本当はこの肉を煮たりして食べるんだけど、その授業はまた今度の機会にね?」

「――――――――――――」


 声が、出ない。

 恐怖や、それ以外の何かがマーブル模様に混ざり合い、外に出すべき感情が定まらない。


「まあ、流石にグロテスクだからね。理解できないのも無理はない。けどね、こうすれば世界は延命するの。滅びゆく運命を回避する為には、人の生きた心臓が必要。あと、273万人の心臓で、計算上はこの世界の滅亡よりも前に世界を救うことができる」

「世界の、滅亡……?」

「あれ? ああ、プチ記憶喪失なんだっけ。話せば長くなるから割愛するけど――


 いままでで一番の、頭痛が起きた。

 これはもう頭痛なんてレベルではなく、崖の上から落ちた頭を打ったかのような衝撃が継続して与え続けられている激痛。それが、気絶することも許されずにずっと続いている。何かを話すギィエルミーナの言葉も全く耳に入らない。まるで周りの空気が異常に振動しているような感覚。

 得意げな顔で何かを話していたギィエルミーナが血相を抱えて俺に駆け寄る。額に手を当てて驚いた顔をしているから、どうやら熱でもあるのだろう。


 さて、こんな状況なのだが、薄らぐ意識で何とか持ち堪えながらある仮説を立てた。今までの突然の頭痛は突発的なものではなく、ほぼ全てが何かしらの発言や思い出そうとしたことをトリガーとして起こっている。今で言えば、『世界の滅亡』を聞いた途端にこれだ。つまり、それら頭痛が起きる直前の言葉・思考を反芻すれば、そこから俺の記憶を逆算できるのではないか? と。

 だが今はこんな状況だ、そんな思考的な余裕どこにもない。さっさと気絶してしまいたい所だが、そんなことをすれば殺される可能性がある。本人は否定したが、明らかに話題を変えて誤魔化した。昼子達に起きた異変は間違いなくコイツの仕業だ。


「ぐっ……あああああああぁ!!」


 手足に力を籠め、叫んで痛みを誤魔化した。何とか立ち上がる。


「だ、大丈夫なの?」

「黙れ……お前の、好きなようには、させない……」

「惣介君………………いいえ。私はあなたと戦う意思はありません。今は戻りなさい

。それと、彼女達の異変を私が解いたとして、それは彼女達にメリットを齎すかしら?」

「……っ」


 それは、そうだが。


「だが、それじゃあ何で佐久奈があんなことをしたのか分からねぇじゃねえか!!」


 何故か俺は、頬を平手で叩かれていた。

 頭痛も何もかも吹っ飛んで、疑問符だけが頭を埋め尽くす。

 その平手打ちは俺に対しての攻撃的な行為ではなく、もっと別の、何かが。


「私が言えることではないかもしれないけれど。あなたはもっと、周りを見た方がいい」


 本当に何故かは分からなかった、だがその言葉は、死ぬほど胸に突き刺さった。

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