七月 十日-狂言少女はだが迷う

 何度気を失えば気が済むのか、目を覚ませばそこは学校の屋上だった。

 昨日までとは全く何も変わらないいつもと同じ学校の屋上。


「また……」


 ただ一つ違ったところは、トウモロコシがなくなっていたことだった。

 収穫でもしたのだろう。辺りをさっと見回すと、丁度人一人分程の大きさの布か何かに包まれたモノが端の方によせられていた。


「………………」


 何も考える気にはならなかったが、とにかく立ち上がった。分厚い布の上に寝かせられていたようで、思ったよりも体に痛みはなかった。

 空の色で何となく分かるが、一応スマホで時間を確認すると時刻は十一時を過ぎた頃。今頃みんな、授業を受けているのだろう。どうせ私をここに運んだのはギィエルミーナだろうから、私のことも欠席扱いにしてくれているはずだ。多分。

 となると、今日一日私は暇になる訳か。グルハウチェのことについての調査を行うのが建設的かな。

 じゃあ早速、野分達に連絡を取って合流しよう、と運動場に目を向けた。一応人気を確認しておきたかっただけだったが……


「惣介……」


 なんともまあ間と運の悪いことか。最早呪いにすら思えてくる。

 体育の授業中だろう。体操着を着た惣介の姿が見えた。走り幅跳びをやっている。

 また思考の坩堝に陥らないように考えを振り払う。だが、一体どんな性格の悪い神の悪戯か、惣介の家にいるはずの伐花昼子の姿まで見えたのだ。これも『堕天使』が見せた幻覚だとでも言うのだろうか? いいや、どう見ても本物だ。他のクラスの面々とも親し気に話している。学校に来ていることも無論驚いたが、それ以上に、溶け込めていることに違和感を覚えた。

 惣介と私のいるクラスは、もっと排他的だったはずだ。


 また、この違和感だ。

 目の前の状況がそうであるのだからそれであっているはずなのに、既視感のように感じて、間違っていると考えてしまう。あの時だってそうだ。できれば思い出したくはないが。昨日の階段での会話の時も、山口はあんな性格ではなかったし、あんな話し方をする人間ではなかった。よく話したこともなかったが、少なくとも今と同じ違和感はあった。

 そして、もっと禍々しい何かも。


「ダメだ、思い出したら動けなくなる。この問題は後で考えよう」


 惣介……惣介惣介惣介惣介。

 もしかすると、これほどまでに惣介の姿を見ることができるのは、これが最期かもしれない。何となくそう感じた。

 惣介を愛することは許されない。だが、惣介を見ていることは許されるはずだ。そうだ、惣介に対する好意はない。私はただ惣介の姿を見ているだけ。それだけだ。惣介のことなどもう好きでもないし大切でもない。ただ守らなければいけないだ、そうだ、それだけだ!!


 私の体は勝手に動き、スマホのカメラを起動させていた。

 体操着の惣介の写真なんて、とてつもなくレアだ。これが最期のチャンスかもしれないのだ。好きではない、だがその姿を残しておきたいだけだ。


「ふっ……く、ははは、はは」


 喉の奥から木版を引っ掻いたような乾いた笑いがこみ上げる。こんなの、笑うしかない。

 だってそうだろう、死ぬほどに惨めだ。こんなものがただの自慰であることは分かっている。だが、心を、壊れそうなガラスを保つ為にはこうするしかないのだ。


「よく撮れた……」


 あまりにも心を啄む劣情に、私は耐えきれず持っていたシャーペンに『ナイフ』の意味を与え、腕を刺した。

 衝撃が一瞬走り、じわじわと痛みが広がっていく。シャーペンを持つ手が震える度に、切っ先が腕の神経と肉を抉っていく。涙が出たが、顔の筋肉は全く動かない。自分でも驚くほどに、自身の感情のコントロールができていなかった。既に私の心は壊れている。窓ガラスをガムテープで繕ったところで、外から見れば壊れていることは誰にでも分かる。今の私は、そんなに可哀想で惨めな生き物だった。


 腕を止血して、自然回復の促進しかできないなけなしの治癒魔術を使って包帯を巻いておいた。まだ手に違和感は残るが、左手だからそれほど困らないだろう。


「…………………………」


 最後にもう一度、グラウンドにいる惣介を一瞥して、私は屋上を後にした。

 早くここから離れたいが、まずやらなくてはならないことがある。惣介の机の中に、メッセージを残しておかないと。何て書こう? 『私はちゃんと生きている』とでも書こうか?


 ――どうして、惣介は電話の一つも、メールの一つもよこしてくれないのか。


 いいやだめだ、きっと惣介は私のことを信頼しているからきっと無事だと思っているのだろう。私の家柄のことも考えて、緊急事態であることも踏まえ、盗聴の恐れを加味した上で安易な連絡は避けているに違いない。

 だから、大丈夫だ。

 大丈夫だ。


 惣介の大事な人を殺しておきながら、それを隠しておきながら、未だに惣介に嫌われないように思考する私の醜さに頭がきて、でも今度は踏みとどまった。ここは廊下、すぐ横は教室だ。


 教室の中に誰もいないこと、惣介がグラウンドにいることを確認して、教室の中に入った。

 惣介の机は私の隣、窓側の席だ。

 とりあえず、『私は街のことで忙しいから、暫くは会えません』とだけ書いて、机の中に入れておいた。

 さっさと出ようとして、惣介のカバンに脚をひっかけた。転びはしなかったが、それが心につっかえて、教室から出るのが名残惜しく感じてしまう。まだここにいたいと、惣介とこれからを過ごすはずのこの教室に。

 きっとそれが仇になったのだ。


「だから! 一人で大丈夫ですって!」

「そんなこと言わずにさー」

「女の子同士なんだし大丈夫よ!」

「いいですから! 教室の前で待っててください!!」


 外から女子三人ほどの喧騒が聞こえ、おもむろに教室の扉が開いた。少女が一人入って来て、すぐに扉は閉じられた。


「はぁ……恥ずかしいな、この格好。何で今時ブルマなんですか……」


 そんな風にぼやく声が聞こえる。

 学校指定の女子用体操服を着た、儚さを感じる少女。


「伐花、昼子……」

「へ?」


 その顔も、名前も私は知っている。

 つい最近、惣介が助け匿っている少女。

 嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで仕方がない女。

 何故、よりにもよってこんな時に来るんだろうか。もっと前か、それとも私が落ち着いたもっと後に会うことができれば、友達になれていたかもしれないのに。

 今の私はとてもイライラしていた。

 そんな時、目の前にこの世で一番嫌いな人間が現れたら、既に常軌を逸した精神状態の人間が取る行動なんて決まっている。


「『凍血、霊槍フローズン・ブラッド・ランス』」


 手のひらで握り潰した、私の血が詰まった試験管から、赤い液体が荒ぶるように飛び出し、それは槍の形を形成していく。


「な、なんですか貴女は!? ちょっと……ッ」


 今の私が何なのかを察したのか、私に飛びかかられた伐花昼子は常人ではない挙動で槍を避け、惣介の机の近くに行くと、その横にかけてあったショルダーバッグの中から拳銃を取り出した。

 少女には似つかわしくないものだが、恐らくグルハウチェに対抗する為の遠距離武装と言ったところだろう。それは私に対しても有効だ。魔術による補強もある、警戒はするべきか。


「答えてください、貴女は何者ですか。グルハウチェの回し者ですか?」

「間接的な命の恩人に、そんな口を利くんだ……やっぱり、殺さないと。お前だけは、お前だけはァ!!」


 感情は蒸発し、思いが暴走し、私の体は私自身でも違和感を覚えるくらいに軽かった。もう何も、考える必要はない。


 赤い尾を引く一閃は迅速。

 それにここは、机という障害物が大量にある教室の中。相手は窓際。後ろは窓で、私から見て伐花昼子の右側は柱が凸状になっている壁。避けるなら左側。それ以外は机が邪魔をして避けるには多少のロスがある。そんなことをしていれば串刺しだ。故に、避けるなら左側。

 私の肩を弾丸が貫いた。だがそんなものは気にしない。

 命を凍らせる……厳密には生命活動を滞らせる槍の切っ先が、脇腹をかすった。避けようと無理に動いた少女の体は左側にあったロッカーに強く衝突した。小さい悲鳴が聞こえる。血が沸き上がった。

 体制を整えてこちらに銃口を向けようとしたその腕に、赤い線を描く槍が横合いから二本の腕を縫い止めるよう突き刺さる。私の『凍結霊装』は伸縮も自在だ。


「くっ……」


 それでも指を引き金にかけた。その意志の固さが最高に頭にきた私は、その鳩尾をぶん殴っていた。


「うぶッ……!?」


 両手で銃を持った両腕を槍で貫かれ腕を動かせないか弱い少女は抵抗などできるはずもなく情けない嗚咽と共に壁に叩きつけられたその無様な姿は、見ていてとても気分がよかった。

 もう一本槍を作り、脚も床に固定しようと振り上げた、時だった。


 降り下げられた槍は、惣介の胸に刺さる。


 きっと何の用意も無しに伐花昼子の壁になったのだろう、無防備な体から、指し貫かれた胸からは、血が流れていた。触れるだけで生命活動に異常をきたす死の槍が刺さっていた。


「え――――――?」


 意味がワカラナイ。

 どうして、そんなことに、なってしまったのか。

 わたしのあたまはいみがわからなくなって、さけびながらはっきょうした。

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