七月 九日-イシュタムの導きⅡ

「あれ、売り切れ? しょうがないな……」


 本当はいつも飲んでる午後のロイヤルミルクティーがよかったが、ここは譲歩してクリムゾンマウンテンのホットでもいいだろう。今は無性にカフェインを摂取したい気分だ。ここの自動販売機は品揃えは悪いが夏でもホットを売っているので非常に気に入っている。


「曇ってきたな」


 この前雪が降ったし、今日も降るかもしれないな。そう言えばトウモロコシって雪は大丈夫なんだろうか。世利せりさん達農業部はいつもナス科のものばかり作ってるからなぁ。キャベツとかなら大丈夫なイメージがあるけど。

 まあ、降ってきたら降ってきたであの人が何とかするだろう。魔術的にも必要らしいし。私には関係ないが。


 それにしても、これからどうしようか。少なくとも今日いっぱいは学校にいるつもりだが、明日についてはまだ何も決まっていない。

 惣介には会いたいが、やはりまだ心の準備はできていない。これからすればいいことだが、何を話せばいいのかが全く思い付かなかった。

 結局憂鬱。

 いいや、折角ミーナ先生が元気付けてくれたのだからネガティブな思考はできるだけしないようにしないと。


「あ……」


 つい呆けていて前方不注意だったからか、何かにつまずいてしまった。幸いなんとか押しとどまったが、階段で転ぶのは流石に洒落にならない――


「あ、すいません。ボーっとしてて……」


 どうやら、階段に座っていた男子生徒につまずいたようだ。何故こんな所にいるのかは分からないが興味もない。どうでもいいので早く屋上に戻ろう。

 だが、どうでもいいはずなのに、私と同じにおいがした。


「山口君、だったよね。何でこんな所に?」

「え……?」


 私の口はそう勝手に動いていた。

 私と同じクラスにいた山口だが、実際話したことは一度か二度くらいしかない。それも非常に事務的なものだ。


「何と、言われても……ちょっと、考えごとを。いとうさんこそ休みの日に何してるの?」

「わ、私はミーナ先生に用事があって」

「あれ、僕もなんだけど……」


 どういうことだ?


「詳しく、訊くことはできる?」

「………………正直、話したくはないけど、いいかな別に。もう、どうせ最後だし」

「最後……?」

「あ、ううん! なんでもないよ! それより……聴きたいんだよね」


 何故だろうか、どこかよそよそしい。山口はいつも口数は少ないが、友人がいない訳でもなく、大人しいだけの人間だと思っていたが……今の山口は何かがおかしい。そうとしか言えないが、とにかく何か違和感を覚えたのだ。


「知ってる? 前の担任の鮭野先生が辞めた理由」

「山口、君……」

「知ってるんだね。そうだよ、鮭野先生は生徒から酷いイジメを受けていたんだ。元々僕が標的だったんだけど、僕を庇って」


 確かに、事実はそうだ。病気でも何でもなく、鮭野義という教師はそれが理由で学校を去った。


「でも、その生徒達も既に罰は受けた。何か関係があるの?」

「………………何が、関係あるんだろうね」

「何を言っているの……?」


 おかしい。何か、違うものが、ここにある。

 階段の上段から座っている山口を見下ろす形になっているせいで顔は見えないが……


「でもそんなことはもういいんだ。僕が覚えておかなくちゃいけないのは、僕を助けようとして先生が死んじゃったことなんだ」

「……っ!! 山口、あなた一体……!!」

「でも、先生は決して苦しんで死んだ訳じゃないんだよ? 彼女は僕を護り切ったまま死んだんだ。それはとても美しいことだよ。でもね、それはつまり僕のせいなんだ。鮭野先生は今年からの新任だったよね。辛くても明るい教師生活を夢見てここに来て、僕のせいでそれを棒に振った挙句……死んだんだよ? おかしいよね? そんなのはおかしいよ。僕に、そんなものを背負って生きていく強い心なんてない」


 その目は酷く、死んでいた。


「分かってるよ……本当は僕は悪くない。誰も悪くないし、誰も悪いんだ。誰も悪くないと思うのは甘えで、皆が悪いと思うのは思考の放棄だ。でもさ、しょうがないじゃないか。そうやって生きていくしかないんだから。でも、そんなのは嫌だよ。そんな風に生きるくらいなら、死んだ方がマシだとは、思わない?」

「違う……そんなのは、違――


 う。今の私の心は、そう断言できなかった。


「でも!! でも……だったら尚更、その人の分まで、生きるべきだよ」

「そうだね。でもそれに、何の意味があるの? その人に届いているの? その人が喜ぶの? 君は、死んだ人間と話ができるの? そんなものはどこまで言っても自己満足。無駄なんだよ。そんな風に生きるのは、無駄なんだ」


 無駄……生きることが、無駄?


「生きること自体は無駄じゃないよ。人の生には必ず価値はある。でも、価値のある生を既に失った人間の価値の為に生きることが、自分の価値になるのなら、それなら自分の価値はどこへいっちゃうの? 必ずどちらかはおろそかになる。自分の為に死んだ人間の為になりたいのなら、そんなものはこの世には存在しないよ。僕達ができるのは、その人の死を本当の意味で次の生へ繋げる為に、死ぬことだよ」


 私の為に死んだ、『あの少女』の為に、私も死ぬ……?

 私にできることなんて何もない……?

 やっぱりこの生を受けた私にはもう、意味はないのか。


「どうして……私、生きてるのかな」


 山口の姿は忽然と消えていた。最初からいなかったかのように、まるでそれが幻影だったかのようにいなくなっていた。

 否定したいのに、絶対に間違っているのに、私の心にそんな風に考える余裕もなく、まるで泥沼に嵌っていくみたいに心が落ち込んでいった。


「どうしよう……冷めちゃったな。缶コーヒー」



 月は回る。

 世界も回る。

 時間も回るし、人も回る。

 くるくるくるくると、せわしなく回り続けるこの世界。

 一体これから私達、どうなっちゃうのかな? そんなことは誰にも分からない。でも、私には分かる。

 見えるよ見える、彼女の未来がひしひしと、頭の中に伝わってくる。

 ええ、とてもいい最期よ。佐久奈さん。あなたはきっとハッピーエンドを掴み取れるはず。こうやって先生が未来を視ちゃってるんだから間違いないわ。


「安らぎとは安静……命とは生きて死ぬ。生きて死んで私達はどこへ行く?」


 一面の夜。

 そしてとっても綺麗なお月さん。

 お月様はくるくると回っている。


「それは、そして正。生きることは無であり、死ぬことは有なのか? いいや、生とは死への苦痛の旅で、死とは生への礎なんだ」


 でも一つだけ回らないものがあるね?


「恐いモノなんて何もない。安らぎを以て――逝きなさい」


 人の命は回らない。

 あなたの命は私が責任を持ってあの場所へ連れていくから。だから安心して?


「それがあなたの、安らぎだから……」





 そうして屋上に残ったのは学生服を着た首吊り死体。

 まるで、目に入れても痛くないほど愛おしい我が子を見つめるような笑顔で、ギィエルミーナ・セナはそれを見つめていた。

 彼の死を見届けて、優しくこう呟いた。


「おやすみなさい。もう何も、心配はいらないわ」

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