厭佐久奈とギィエルミーナ・セナの場合

七月 九日-学校の屋上にて

 一体これから、どうやって生きていけばいいのか、私には全く自分の生先いきさきを見積もることができない。

 確かに私はあの時死んだ。

 夢の中の惣介に……堕天使の力で私の欲望がリアルを帯びた現実と化した夢の中で、私の望んだ形で殺されたはずだった。

 でも、今私は生きている。ギィエルミーナ・セナ、この街に侵入していた外来の魔術師によって。

 私を助けた理由も『命が勿体無い』からとだけ言って、それ以上は取り合おうとしない。理由として間違ってはいないのだが、納得のいくものとは言えないだろう。だから何度も問いただしたし、魔術師ギィエルミーナについてを色々調べたのだが、十分な成果は得られず、結局その真意を見つけることはできなかった。


佐久奈さくなお嬢、すいません。どうも情報が古すぎるようでほとんど残ってないんですよ」


 今は上から下までぴっちりスーツ姿の二十代後半の男、野分のわきにできるだけの資料を持って来させている。野分は、私の父がやっている『秋綾教』の敬虔な信者であり魔術師としての私の忠実な部下しもべでもある。


「古すぎる、とは具体的にはどういうこと?」

「そのままの意味です。それ見てもらったら分かりますが、『Esperanzapara来 へ elの  futuro希 望』なんて組織もう存在していません」


 流石は情報整理担当の野分だ。きっちりと分かりやすくまとめられている。パラパラと紙束をめくっていると、確かにそのような記述が見られた。


「しかも、少なくとも五百年以上前にはもう既になくなっているはずです。コネでそれくらい生きてる魔術師に聞きましたから確かな情報です」

「なるほど……つまりギィエルミーナも五百年以上生きた魔女である可能性がある、と」

「まあ、そうなりますかね。組織名を言ったのも思い入れがあったからとかじゃないですか? これは噂ですけど、『教会』に潰されたって話ですから相当力持ってたみたいですし……」


 教会――私達魔術師が様々な組織や結社、宗教を立ち上げ各々教義に則って研究等を行っているが、その中でもそれら全てに干渉できる最も大きな組織が『洗礼教会』だ。

 『恒常的普遍』を掲げ、この世界を保ち続けることを目的としている。最も大きく、最も多くの魔術師が所属し、最も多くの派閥に分かれている一大組織だ。世界に対して危険な因子を発見すると即刻排除しようとするなど、過激な面も無論存在する。


「もしこれらの話が事実だとして、その上で生き残ったとなると、そのギィエルミーナ・セナという女性は教会に属していた可能性もありますね。流石に教会の情報にまでは手は出せませんでしたが」

「お父様に止められてるからね、そこは仕方がないわね」


 秋綾教と洗礼教会は今回の堕天使の件でかなり不安定な関係性になっているらしく、今のところは堕天使の『保護』を言い訳としているらしいが、もし何かあればすぐにでも教会からの戦闘員がこの街に派遣されてくるだろう。そうなれば、一般市民にまで被害が及ぶ。


「ところで、件の堕天使は今どうなってます? お父上への報告も兼ねて聞いておきたいんすけど」

「……惣介そうすけが、今のところは保管しているらしいわ。今回の『堕天使』の気性は非常に大人しく、好んで災害をまき散らすような存在ではないようだけど……」

「ところでのところでですけど、惣介坊ちゃんとはどうなりました? 何かありました?」


 は? コイツはどうして嬉々としてそんなことを訊いてくるのか。


「……は、はぁ!? なんでたかが下僕の分際でそんなこと聞いてくるの!? 殺されたいの!?」

「いやぁ、お父上が非常に気になさってたので。娘の元気がないー、と」

「あぁ、いや、その……ね。どうもないわよ。後で電話するからそれでいいでしょ!」

「分かりました。では僕はこれで失礼しますね。鰯雲いわしぐも二百十日にひゃくとおかにも言って、引き続き情報を収集してきますんで」

「ライオンとかに食われて死ねー! まったく……」


 優秀な人材なだけあって切り捨てるにも切り捨てられないのが何とも……まあいいか。今はとにかく、ギィエルミーナ・セナの監視をしていなければ。


「800年後の話をされても、困るんだけどな……」


 ギィエルミーナは八百何年か後に滅びる世界を救う為にその方法を探して旅をしている、とのことだが正直信じろというのが無理な話だ。数々の不可能を可能にする魔術だが、そんなに遠い未来を視るなんてのは神様レベルの神業だ。一介の魔術師にできるはずがない。とは言え、本人はアステカの神々に遣わされた使徒とか言ってるし。


「はぁ……どうしようかな、惣介」


 考え事をして気を紛らわせようと思ったがそう簡単にはいかないものだ。アレだけ挑発されておいて電話しないのも野分に負けた気がして嫌だし、かと言っていざしようとなると手が震えて中々発信ボタンが押せないのだ。

 何度やっても、あの光景が目に浮かんでしまう。


 私が殺した……私が。

 悪いのは私悪いのは私悪いのは私悪いのは私悪いのは私悪いのは私……!!


「クソっ!!」


 地に足が付かず空中分解し続ける自分の感情がやり切れず、思いっきり屋上の手すりを殴りつけた。指の骨が悲鳴を上げるが、こんな痛みは痛みにはならない。


「惣介の為に……私は惣介への罪滅ぼしの為に、生きながら苦しまなくてはならない……そうでなければ、私がこの生を許された意味がない」


 それすらもただの自己満足にすぎないのが、何とも間抜けだが。だが、何もしないよりはマシなのは確かだ、惣介に降りかかる全ての障害は、取り除かなくては。


「……今は、いいか」


 意味もなくスマートフォンの画面を付けたり消したりを繰り返す。意味もなく画面のフリックを繰り返し、一度ポケットに入れては意味もなくまだ取り出して時間を確認する。

 落ち着かない。

 待ち受けは、まだ惣介が私に好意的に構ってくれていた時に、初めて二人だけで水族館に行った時の写真だ。妙に広くて人が一杯で、一人迷ってしまった私を閉園時間になるまでずっと探し続けてくれていたことがあった。その時に、水族館のスタッフの粋な計らいで特別に閉まった後の夜の水族館で撮った一枚。


「懐かしいな……」


 そうやって昔のことを思い出していると、不思議と心は落ち着いてくる。ただそれは麻薬と同じで、ずっとそうしていなければすぐに心は不安定になっていく。もう一度あの夢が見られるのなら、私はこの頃に戻りたい。

 堕天使の力……案外馬鹿にできないものなのかもしれない。正直この世界がどうなろうとしったことではない。ならば、私もその力を求めてもいいかもしれない。


「違う……!! それじゃ前と一緒だ……!!」


 自分の為に惣介の大事な人を殺した、また私は自分の為に惣介の大事な人を傷付けるのか。


「ああ……もう嫌だ。何でこんなことになったのよ……」


 誰のせいだ。


 もし神様がいるのなら、とても性格の悪いサディストに違いない。


「……………………」


 意味もなく、空を仰いだ。

 青く澄んだ空は私を嘲笑うように透き通った世界を映し出すだけだ。私もあの向こうに行けたらどれほど楽だろうか。空の先には幸せが見える。有体に言えば、天国が。

 死すらも許されずに生きた私に、生きる意味はあるのだろうか。まるでこの空に突き出した腕さえも空虚なように、私の一つ一つの動作に意味を感じない。もうどうにでもなればいい。

 こんな世界、滅びてしまえばいい。


「はぁ~、終わったー」


 と、感傷に浸っていると屋上のドアが開いてギィエルミーナが入ってきた。仕事が一段落ついた、といったところだろう。大きな口を開けて欠伸をしている。

 いつもと同じ白いポンチョに、足先まで隠す黒いワンピース姿。


「あ、佐久奈さん。まだここにいたの? 帰らないといけないでしょう」

「親に許可はもらいました。暫くここにいさせてください」

「それは、どうして?」

「惣介に、会いたくないんです。別に喧嘩してるって訳じゃないですけど、今は会ったら、おかしくなってしまいそうで……」


 惣介のことを考えるだけでも、心の中のドロドロとしたモノが暴れ出して、心を焼き尽くそうとする。

 惣介が好きだ。惣介が好きだ!!

 だが、既にそれは許さず、押し殺して生きていくしかない。

 だから辛い。


「そう、ここは好きに使いなさい。気が済むまでいていいわよ」

「そもそもここは学校なんですが……」

「細かいことは気にしないの! この屋上は私が占拠したも同然なんだから!」


 ふふん……と得意げに話す推定年齢約五百歳強。もうここまで来ると年増とも言えないか。


「と・こ・ろ・でぇ、色々と嗅ぎまわってるみたいだけど?」

「……やはり、流石に気付いてましたか。アレでも『秋綾教』が誇る情報収集の精鋭部隊なんですけどね」


 ギィエルミーナはいつも笑顔だ。その裏に何を考えているのかが全く読めない。故に、その一挙手一投足まで全てに対する警戒を怠ってはいけない。得体が知れないものへの対抗策など警戒するくらいしかない。


「あまり人の秘密をあれこれ探るのは先生感心しないなぁ。別に知られて困るって訳じゃないんだけど、私にだってプライバシーってものがあるし。困りはしないけど嫌な気分にはなる訳なのよ。だから、ね?」


 ただ、この一瞬だけは明確な敵意を感じた。

 細目で笑うその眼の先には、まるで地獄が大口を開けて待っているかのように、ギィエルミーナは釘を刺した。


「善処はします。ただ、私達の性質上及びこの街の治安的にも止む追えない場合がありますので、そこは悪しからず」

「そう。まあ、どちらでもいいわ」


 やはり食えない人だ。感情の起伏が行き付く先を予測できない。態度を急に変えられると対応しにくいのだ。


「ところで……先生に好きな人はいますか?」


 気まずい沈黙に耐えかねた私は、思わずそんなことを口走った。さっきまでのアンニュイな思考のせいでどこかおかしくなっているに違いない。

 この唐突な質問には飄々としていたギィエルミーナも面食らったようで、暫く目をしばたたかせていた。


「っと、そうね。女の子だもんね。そうかぁもうそういう季節かぁ春だからなぁ。青春ね~」

「あっ、いや!! 今のは無しでお願いします!」

「いいのよ別に。私の好きな人? 昔いたわよ。白人で、背が高くてとても美青年だったなぁ。今どうしてるのか分からないけど。で、何で急にそんなことを?」


 ええい、ままよ!


「好きな人に振り向いてもらえない時には、どうしたらいいのかな……って」


 話を繋げる為とはいえ、自身の存在に矛盾する言葉を発していることに自己嫌悪した。惣介を好きになり、惨敗した挙句奪い取ろうとし、結局失った惣介からの愛。それを諦めてまで自分の心を押し殺し、その結果惣介を守って死ぬことができたかと思えば卑しくも生きていた。

 だというのにまだ、私の心は惣介への未練を捨てきれていない。


「――――――」

「あ…………っ


 背中に回された両手が、私の体を抑え込んで、その腕の中に抱きしめられた。丁度胸の真ん中に顔が埋まる。決して大きな乳房ではないが、美しく整った体。微かにいい匂いがした。とても心を落ち着かせる、母のような香りが……


「はっ……!! せ、先生!? 何を!?」

「傷付いた時は、こうして触れ合うことがその心への一番のお薬よ。難しいことは考えなくていいの。ただ、落ち着くことだけを考えて、ゆっくりと、息を吐いて……」


 優しく包み込むその手で、背中をぽんぽん、と叩かれる。

 昔、寝かしつけられる時には母にそうしてもらっていたことを思い出した。思い出したら、途端に眠たくなるような感覚に襲われて。


「辛いことがあるなら、話してみて。力になれるかどうかは分からないけど、聴くことならできるわ」


 話したくはなかった。

 けど、それで楽になれるのなら。


「――――――――――


 ――あくまで私は、ことの全てではなく要所だけを切り取って話した。流石に相手が魔術師であっても、こんなことを易々と言えるものではない。ただ、それでも私の心は幾分か落ち着いていた。少なくとも、さっきよりは軽く感じる。


「そうだったのね……惣介君は、今もその子を?」

「はい。先生も知っているとは思いますが、グルハウチェ・アレクサンドロフによって、この街の治安は著しく犯されています。恐らく、その少女にが堕天使の在りかを知っていて、グルハウチェはそれを狙っているのだと」

「それは知ってるし、そういうことじゃないでしょ? 惣介君のことよ」

「それは……」


 話を逸らそうとしたことを見抜かれて、赤面してしまう。それを悟られないようにそっぽを向くが、そもそもそれ自体が恥ずかしがっていることを現してしまっている。それに気が付き更に赤面した。


「よしよし、ありがと。話してくれて。惣介君のことは、まだ好きなの?」

「……はい。当たり前です。ずっと、ずっと好きでした。生まれる何万年も前から、その先のずっと永遠まで好きだった。でも、もうそれは叶いません。だから、

「諦める?」

「だって、そんな……また奪うなんて――

「あなたの失敗はその方法にあった。なら今度は正々堂々と、惣介君の前に立てばいいの。あなたは心の中で好きだ好きだと思うだけだったでしょ?」


 そうだ。そうだ。分かっている。分かっていてもできなかった。自分一人では何も。自分一人だけではあまりにも重たいことに感じてしまって、傷付くことを恐れて逃げていた。逃げていただけだった。

 こうして話したことで、私の心は確かに変わりつつあった。

 有体に言えば、『勇気をもらった』といったところだろうか。


「ふふ……良い顔ね。元気出た? 出た?」

「先生こそ、楽しそうです」

「そりゃあ先生だからね! 生徒の元気な顔を見るのは一番の楽しみよ」


 本当に食えない人だ。

 こんなに心が楽になるなんて。感謝してもしきれない。

 先生の言ったことが正しいかどうかはさておいて、だが確かに言えることは私はギィエルミーナ・セナに助けられたということだ。


「あっ、もうこんな時間……じゃあ、そろそろ戻るわね」

「ありがとうございました。本当に」


 最後に、ありったけの笑顔で先生は笑った。


「頑張ってね」


 屋上は閉じられ、再び私は一人になる。

 だが、意外なほどに体は、心は軽く、空も飛べてしまいそうなほどだった。

 生きる価値を失ったはずだった私は、とても細く脆くても、確かに掴める糸を手に入れた。

 惣介にまた会いたい。

 会ってもう一度話したい。


 好きだと伝えるかどうかはともかく、傍にいたいと想った。


「喉、乾いたな……」


 そう言えば朝から碌に食事もしていなかったことを思い出し、私は下の階の自動販売機に向かった。

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