七月 九日-雪の中の堕天使

「さっきぶりだな、尭土井惣介。そして二日ぶりだな、伐花昼子。時に、『アレイゾン』の居場所を吐く気にはなったか?」


 『アレイゾン』……なんだそれは?

 話の流れとしては、堕天使の名称なのだろうが……


「『アレイゾン』は私の母の名です。本名は伐花きるか雪子ゆきこ。結婚していた時は姓が『冷存』だったので、『亜冷存アレイゾン』と名付けられましたが、正直ボクは嫌いです」


 俺の様子に気が付いたのか、そう説明を加える昼子。その声はどこか震えていた。母の名を勝手に決められたからなのか、それとも複雑な家庭だったのかは定かではないが、グルハウチェ本人への憎しみも相まって昼子の殺気は只ならぬものとなっている。


「グルハウチェ……貴女の思い通りにはさせません。貴女のような人間に、母さんの力は使わせない」

「そうか……ならばいつもの通り力づくでやるしかないのか。悲しいよ私は。できればもっと穏便に済ませたかったんだが、仕方がないなァ!!」


 金色の一線を引きながら、グルハウチェの体が砲弾の如く飛び出した。


「下がれ昼子!!」


 腕に仕込んだ籠手に『意味無き壁クラッジ』を適用し、『八連累次す剣ルギエヴィート』による一撃を受け止める。これで『意味無き壁』解除後の影響は籠手にだけで済む。

 だがその行為は、後七回の斬撃を許すことを意味する。


「死ね小僧!!」


 左右を囲む廃ビルの壁を裂きながら飛来する不可視の斬撃。

 だが壁のお陰で可視となり避けることは容易い。昼子を後ろに匿いながら透明の刃の数を見切れば――六本。


「後ろか!! 昼子――!!」

「きゃっ!?」


 昼子の体を抱えて路地の出口に全速力で走る。残る一つの斬撃は昼子の背後、それを抱える腕とは逆の腕で振り払いボロボロのアスファルトが広がる開発放棄地へと転がり出る。


「チッ……とんだ間抜けだ。わざわざ狭い路地に誘い込んだのは攻撃を当て易くする為か」


 昼子の考察が正しければ『八連累次す剣ルギエヴィート』の弱点は、一回目の斬撃が当たらないこと。攻撃が防御または直撃することで七回の不可視の斬撃を行えるのだとすればそうなるだろう。それを補うには嫌でも真正面から攻撃を受けざるを得ない場所に誘導すること。


「だがそれも、外に出てしまえば無意味、か……しかしまあ、伐花昼子はまだ本調子ではないようで。私とて傷付け合うのは本望ではない。

 そこで提案したいのだが、お前達が欲しいのはあのカバンだろう? 欲しければくれてやらないこともないが……アレイゾンと交換というのはどうだ?」


 グルハウチェの顔が加虐に歪む。


「な……グルハウチェ!! 貴様――

「そうか、ならあのカバンの中身をここでぶち撒けてもいいのだな? 少年がどんな顔をするのか、楽しみで仕方ないなぁ……」


 昼子の顔は苦痛に歪んだ。

 何故カバンの中身が、俺に関係するんだ? 見られて困るのは昼子が何か恥ずかしいからではなく、俺に被害が向くようなものなのか?


「ん? ああ、どうやら少年はカバンの中身が気になるようだな。そうかそうか……さて、伐花昼子。どうする? どちらにしてもお前にとっては破滅だがなぁ!!」

「……るな」

「はて? 聞こえんなぁ」


「――ふざけるな……外道!!」

「やめろ昼子!!」


 前に飛び出そうとする昼子を羽交い絞めにするも、手負いだとは思えないほどの恐ろしい力で振り払われた。

 地を抉り蹴り、弾丸のように飛んだ昼子が両手から魔力を開放した――


「滅びをここに――”大いなる冬フィンブルヴェト”ッ!!」


 舗装されていないボロボロのアスファルトの上。

 昼子の詠唱が齎したのは巨大な冷気だった。開発放棄地一体が冷気に包まれ、氷に水をかけた時のような音と共に、ひび割れた道路が凍てついていく。

 快晴だった空には暗雲が垂れ込め、降り始めた雨は次第に豪雪へと変化する。


 同じく、昼子の堅く握った拳にも氷が広がり、巨大な怪物の爪のような形状を形作る。


 白銀の世界に瞬く閃光――青碧せいへき氷爪ひょうそうと金色の剣戟けんげき

 二つの凶刃は拮抗し合い、鍔迫り合う。

 だが、神の力を持つ『神具霊装』に拮抗できる強度の魔術とは一体……いや、『フィンブルヴェト』の詠唱。あれは北欧神話における週末の前兆を意味する冬の期間。夏は無く、草木は枯れ、人々が狂ったように殺し合う地獄の冬の名。昼子は自身の母が『堕天使』だと言った。堕天使のあまりにも強大な力を使えば、本来の意味での『大いなる冬フィンブルヴェト』をも呼び出せる可能性もなくはない。もしそうなら、神の力と拮抗できるのも納得できるが……


「驚いた……ここまで『堕天使』の力を引き出すとはな。伐花昼子、君は自分の母アレイゾンを他人を傷付ける為に使って楽しいかい? 覚えているか? アレは初めて私達が会った日のこと。君は今のように私に煽られて力を暴走させ、街一つ飲み込んだじゃないか。アレは正に『大いなる冬』そのものだったよ」

「――ッ……ぐっ、う゛う゛ぅぅァ、ガァァァァァァ!!」


 マズい。完全に自我がぶっ飛んじまってる。わざと暴走させてオーバーヒートでも起こさせる気か!?

 止めなければいけないが、天候までも変化させる巨大な力をどう抑えればいいと言うのだ。

 いや、既視感だ。以前にもこんなことがあったはずだ。


 そう思った途端、俺の頭の中の何かが割れた。




 何もない黒。

 真っ暗で、指先で感じることさえ許されない虚無がただ無限に広がる闇の中。ただ一つだけ垣間見えた光に手を伸ばした。それは脳を砕くように痛みを感じる行為だったが、今だけはこの記憶を『思い出さなくてはならない』。




 ――両手は真っ赤に染まっていたが、これは俺のモノではなかった。

 両手の上で静かに眠る×××の体も血に濡れていたが、それは×××のものではない。

 周囲には血の水たまりが広がり、既に人気のないファミレスは、無残な肉細工の転がる惨状と化していた。

 俺達以外の全てが死体だった。

 首の無い死体。腕の無い死体。足の無い死体。両目の無い死体。舌の無い死体。胴体の無い死体。あらゆる死と殺戮は、最早ここにしか無いと確信できた。


「ふざけるなよ……何でこんなところで、こんな……お前らは×××をここまで壊して、それで楽しいのか!! ×××は悪くないだろ!! なのになんで……クソッ!!」


 腹の底から出てくる悲痛は誰にも届かない。どこかに隠れて嘲笑わらっているのか。×××の心を壊し尽して、凌辱して。下衆にもほどがある。だが奴等を下衆だと認めるのは、俺が×××を止めることができなかったことを認めることだ。


 ×××は、奴等の手先の口先に乗せられて、×××の内に秘められていた危険な力を暴走させられた。その場にいた何の関係もない一般人を巻き込んで、×××は命を奪い尽した。

 肉を裂く鋭利、腸を抉り出す鉤、頭蓋骨を粉砕する鈍器、あらゆる暴虐を以て、幼気いたいけな少女のはずだった×××は今、他人の血に塗れている。


 ――俺を守る為だった、と。その後少女は言った。

 確かに、奴等は俺を盾に使った。だが、お前が人を殺すくらいなら、俺は死んでもよかっただろう。非常に自分勝手だが、あんな惨状モノを見せられては、そう思うのも無理はないはずだ。俺が死んだ方がまだマシだったはずだ。


 自分が死んだ方がマシだ。そう思えるくらいには、少女のことを大切に思い、護ろうと誓ったはずだった。その上で死なせたのだから、何て馬鹿な男なのだろうか、俺は。

 だからこそ、二度目のチャンスを逃す訳にはいかないのだ。

 戦う力を欲した。

 あの時俺が戦える力を持っていれば、あんなことにはならなかった。アレは俺の無力が招いた罪だ。

 『護る』とは、受け身になって外からの攻撃に耐え忍ぶことではない。

 俺が掲げた『護る』とは、俺自身が体を張って外敵を排除することだ。


 あの時と同じようにはさせない。


 だから、俺は戦う力を求めた。

 俺にできるのは『概念への干渉』。それを応用し、攻撃的に転換させる。霊的なもの、この世に物理的に存在しないものへの干渉を転換――そう、例えばその物質の概念そのものを削ってしまえば、人間の魂を削ることができれば。

 あの時の俺は、一体どうした?

 思い出せ……思い出せ!!


『本当に、思い出してもいいの?』


 とても薄幸で純白な、声が聞こえた。

 白く、白く、何もない。あらゆる感覚が消え失せた白の世界。先の記憶の暗闇の真逆の極地。


『そんなことをしては、あなたの魂が死んでしまう。私のようになってしまう』


 その声はあらゆる痛みに満ち満ちて、あらゆる世界を憎んだ声。

 その上で自らの存在を否定して、それなのにこの世界で生きようとする悲痛な声。

 白く、ただ白く、どんな雪よりも白く儚い――その姿はとても昼子に似ていた。


「あなたは……」

『私はアレイゾン……冷存雪子、伐花雪子。貴方は私に出会たのね。貴方は我が子を守ってくれるのね。その為に、我が身を犠牲にしようとしてくれているのね』


 優しさも、憎しみも、悲しみも、哀れみも、妬みも、嫉みも、全ての感情を織り交ぜた存在感の白い女性は、昼子の母の名を名乗った。


「こんなもの、自己犠牲の内には入りませんよ。当たり前のことです。それに、これくらいなら俺の魂は消えません」


 恐らくこの白い女性が危惧しているのは、因果の歪みのことだろう。

 人がその欲望の為に人の手に余る行為をした場合、それが定められた世界のルールに抵触するものであれば世界がバグの修正としてその対象者を『消滅』させる。その後、ソイツの魂は『天使』となり世界の一部として使役され、浄化される。完全に浄化されて初めて死を与えられるのだ。

 俺が今やろうとしている『生命』という概念への干渉も、下手をすればその結果を招くだろう。だが何故かは分からないが、大丈夫だと断言できた。


『貴方が大丈夫だと言うのなら、大丈夫なのね』

「ええ。雪子さん。あなたの娘さんは必ず俺が護ります」

『うん……うん。そうね、我が子を守ってあげて。あの子はずっと一人だから、私のせいでずっとずっと一人ぼっちだったから。あの子は私が見えると言ったけど、それは嘘。ずっと私には会っていない。だから、貴方が傍にいてあげて。貴方が、護ってあげて』


 白い世界は消えていく。

 端なんてあるかも分からないが、白い世界の端から少しずつ黒い闇が広がってくる。


『最後に、貴方が思い描くモノだけでは勝てないわ。昼子の力、貴方が受け取って』


 それを最後に、純白の女性は白い闇の中に消え去った。


 今のが一体なんだったのかは分からない。

 突然俺の目の前に現れた『堕天使』。昼子の母は俺に護れと言った。これは俺の欲望が生み出した幻想だったのか、本当に堕天使が俺に干渉してきたのかも分からない。

 だがどちらにしても、他でもない肉親から頼まれては、絶対に護らなくては申し訳が立たないだろう。

 ああ、そうだ。


「俺が、昼子を護らなくてはならない」


 一面に広がった闇も消え、世界が光を取り戻した。

 そうして思い出した、俺がいつしか組み上げた概念干渉を用いた術式の完成系、人の『生命』に干渉しそれを操作する魔術の組成を。

 それと同時に流れ込んでくる別の知識――いや、これは知識なんてモノではなく、力そのものだ。

 堕天使の言った言葉通り、何かの力が俺の中に入ってくる。


「な……何これ、なんで、魔力が……!」


 昼子のその声で完全に我に返った。

 堕天使は『昼子の力を受け取れ』と言った。ということは……昼子が発動させた魔術が消えるということ。

 問題ない、既に構成された術式に、『概念干渉』の理論を組み込めばいいだけだ。

 詠唱は――


全ては凍て付き、憎しみ殺すシヴィヤスリト


 非常に悪趣味なものだが、勝手に頭の中に流れ込んできたのだから仕方がない。


「グルハウチェ……お前の欲しいモノはここにあるぞ!!」

「なんだと……?」


 力を失った昼子に剣を振り上げていたグルハウチェの手が止まる。


「何の冗談だ」

「冗談なんかじゃない。今しがた俺は堕天使に会ってきたんでね」

「何だと、少年。それが本当なら、少年も堕天使の所在を知っているということか」

「ああそうだ。だからここにあると言った。だから昼子から離れろ」


 ゆっくりと手を下ろしたグルハウチェ。

 どうやら俺にターゲットを変えたようだ。


「ふ……何をするのかは知らないが、お望み通り相手をしてやろう」


 雪風にコートが棚引く。

 周りが見えないほどに強烈な豪雪。

 雪を蹴り、グルハウチェの体が消えた。


 刹那、俺は既に貫かれていた。


 予備動作も何もなく、最初からそうであったかのように串刺しになっていた。


「尭土井さん!!」


 昼子の悲痛な叫び声。


「間抜けが、案山子かかしにもならんな」

「へっ、間抜けはどっちだ。鳩でも引っかからんぞこの程度」

「何を――


 体に触れる。

 全ての神経を通り抜け、対象者の魂に直接作用する。

 魂の構造を解析、心の隙間を見つけ出し、蝕み、浸食していく。


「あ……が、ぁ――」

『ご主人!! これはアカン、本気でヤバい奴や!! 魂がごりごり削られてる!!』

「き、さま……ああああああああああ!!」


 俺から離れようと力任せに俺の腹に刺さった剣を引き抜いた。


「くっ……あ、あぁ。出鱈目だ、魂を直接削るだと? そのようなことが、あり得るはずが」


 後ずさるグルハウチェ。その憎しみに満ちた表情は、昼子と似ていた。

 ふと一瞬、頭を過った。グルハウチェは堕天使の欲望を現実にしてしまう力を欲してここに来た。昼子も何かに使おうとしているのではないか? と。そりゃ勿論母を護る為だとは言っていたが、だとしたら『母を護る』という欲望が具現化しているはずだ。そうならないということは、別に何か欲望があるのかもしれないと。。

 もしそうだとすれば、グルハウチェも、昼子も、何も変わらないのではないか?


「あり得ない……あり得ない……こんな未来は、あり得ない……!!」


 苦痛に顔色を染めるグルハウチェは、その手に魔力を収束させたが、


『やめろご主人! これ以上はストックが足りん。今は、一時退却や』

「……分かった。少年、いや尭土井惣介。その名は覚えたぞ」


 不穏な言葉と共に吹雪の中に姿を消した。

 俺が術式の発動を止めると、猛吹雪も豪雪も、少しずつ消えていった。

 勝った、というよりは追い払った、というところか。何にせよ戦いは生きて追われたのだ。それを素直に喜ぼう。

 腹の傷は……まあ、幸い家まで歩いて数十分だ、魔力でできるだけ血管を補強していれば少しはもつだろう。


「昼子、大丈夫か」

「は、はい……特に傷はありませんが。尭土井さん……もしかして、母に会いましたか?」

「ん、ああ。さっき言った通りな」


 何故かもじもじしている昼子さん。頬を赤らめて上目使いなので心臓と下腹部に非常に悪い。


「あの……その、ボクのこと、何て呼んでました?」

「何でそんなこと気にするんだ?」

「いいから答えてください!」

「あ、ああ……『我が子』か『昼子』つってたけどな。それがどうしたんだ?」


 俺の言葉を聴いた昼子は心底安心したように体の力を抜いた。一体何がそんなに気になるのだろうか?


「あ、そうだあのカバン」

「ああああああああああああああああああああああッ!!」


 喉が潰れそうなくらい物凄い声を出した昼子は音速でエナメルバッグのもとに駆け寄った。

 高速で中身を確認し、俺に見られない内にチャックを閉じた。


「ふぅ……中身は大丈夫でした。さて、目的も達成したことですし帰りましょうか」

「そうだな……と言いたいところだが。この雪はどうするんだ?」


 よくよく考えてみれば、一昨日に降った雪も、昼子がグルハウチェと戦っている際に発動したこの魔術によるものだったのだろう。


「ま、まあ別にいいでしょう。ここら辺に人はいないようですし」

「まあ、いいか別に。もし外の街なら大変なニュースになってるだろうけどな。『霧雨丘』はほとんど隔離されてるからなー」

「確かにテレビやインターネット以外から入ってくる情報は非常に少ないですね……山奥だからでしょうかね?」

「十中八九そうだろうけど、大半はここの管理者の『厭』が情報統制でもしてるんだろ。まあそのお陰で、グルハウチェみたいなのが入ってこない限りは平和だな」

「尭土井さん……」

「今度はどうしたんだ」


 またもやもじもじとしている昼子さん。

 今度は何故か体をくっつけてくるので心臓と以下略。


「カバンの中身……き、訊かないんですか? 気になってたんでしょう?」


 あー、グルハウチェがそんなこと言ってたなあそう言えば。多分ハッタリだったんだろうけどなぁ。


「そこまで野暮じゃねえよ俺は。まあ正直に言って、気にならないと言えば嘘だが。別に言わなくていいよ。嫌なんだろ?」

「え、ええまあ。でも、その……なんというかその。やっぱりいいです!! さっさと帰ってお昼ご飯食べましょう!! 何も食べてないじゃないですか!!」

「あぁ……そう言えばそうだったな。昼からずっと歩いてたもんな……」


 マーボー春雨はおやつに繰り上げして、夜は何か軽いものにするかな……なんて考えながら、ようやく俺達は帰路につけたのだった。

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