七月 九日-奔走
『見られたら死ぬ』とは、伐花昼子の談だ。
身内以外には絶対に知られてはならない秘密が詰まったと言われるエナメルバッグが行方不明になった。念の為にロープウェイ乗り場のスタッフの事務所もこっそりと調べてみたがそれらしいものはなかったので、やはり外に持ち出された、というのが濃厚だろう。
「…………………………」
散々泣きつかれたのか、その反動で昼子は完全に意気消沈していた。歩いていても目線は斜め下を虚ろに向いたままで口は開けっ放し。魂が出てるんじゃないかと疑うほどに生気がない。何をそこまで嘆くのか、ますますカバンの中身が気になるが、ここまでのことになるのだから中身を見てしまうのはいささか忍びない。
さて……どうしたものか。
誰かに持ち出されたとすれば、その可能性があるのは俺達が降りた時にすれ違いでロープウェイに乗った制服を着た女子高生だが……だとしたら一体なんの目的があるのか。
「何か、こころあたりはないか?」
と、まずは昼子に訊いてみよう。まずは盗まれたと仮定して、昼子の秘密を狙う何者かを洗い出すところからだ。
「…………………………」
一度こちらをゆっくりと見上げて、何も言わずにまた斜め下を向いてしまった。
うーむ。やはり無理か。
しかしまあ、昼子を狙う、という点で考えればグルハウチェが一番に挙がるのは間違いない。まずはアイツ等からか……と言いたいところだが、戦力差的に考えて接触するのはあまりに危険だ。
「どうしたものか……」
とりあえず、まずは一旦家に帰って立て直そう。そう思ってまだ腕にくっついている昼子を引っ張って帰ろうとするが……
「あれ……」
妙に強い力で引っ張られた。
今思えば、腕にくっついた昼子の歩きに合わせて適当に歩いていただけだった。昼子も放心状態で何も考えずに歩いているだけかと思っていたが……
「まさか、探しながら歩いていたのか……?」
「………………」
コクン、と頷いた。
どうやら見つけるまでは帰りたくないようである。
「そうだよな……確かに、その通りだ」
ああ、自分のことではないからと言って少しでも軽く考えてしまったことを恥じなければ。先の決意を思い出せ。これも昼子を護る一環なのだ。昼子の秘密を護る。
「だとすれば、やはりどこかに絞って探すべきか……」
そうなると、やはりグルハウチェとの接触は避けられないだろう。
だとしても、どこにいるのか……まだ時間はお昼過ぎ。さっきのところにいるだろうか。
しかし、昼子を引きはがす訳にもいかないし、そもそも離れないし。昼子を連れたままアイツに会うのはやはり危険。
どうすれば……
「あ、あの……!! あれ見てください!!」
突然覚醒した昼子が遠くを指差してそう叫んだ。
指された方向を見てみるが……
「んー?」
「よく見てください! あの女の子!」
言われた先にいたのは、大きなエナメルバッグを持った昼子よりも小柄なおよそ小学生相当の幼女。
かわいい……じゃなくて、確かにあのカバンは俺のものだが、
「同じカバン持ってるだけなんじゃないか? そもそもあんな幼女いなかったし」
「幼女って呼び方止めてくれませんか……」
だが、あの女子高生の仲間という可能性も考えられるか。
いや、待てよ……そうか、グルハウチェの差し金だと仮定すればその可能性も考えられる。
よし。
「つけてみるか?」
「はい、この際しらみ潰しです。さっそく行きましょう!」
「急に活き活きしだしたな……」
幼女を尾行することおよそ数十分。一体何をしているのか探し物をするようにキョロキョロしながら歩いているだけで特に何をする様子もない。
もしや誘い込まれているのでは……? とも考えたが、道筋を考えても人気のない場所に誘導しているとも考えにくい。今いるのは都心の中でも一番人の多い大通りだ。
「なあ昼子、歩き疲れてないか?」
「大丈夫です。アレを取り返す為ならばこの程度どうということはありません」
どうやら休む気はないらしい。行く所まで行くしかないか……と思っていたら、突然背後から肩を叩かれた。周囲に配慮しながら携帯型の使い捨て魔力弾に力を籠めるが……
「キミ達、何やって、やってるの?」
警察の服を着た女性が立っていた。
警察じゃないか!
「さっき通報があってね。小さい女の子をつけてる二人組がおる……いるってね」
「ん……?」
何かおかしいな。ところどころイントネーションが違うような……
「オホン、何をしていたか、説明してくれる?」
(尭土井さん……どうするんですか……?)
(マズいな……警察の介入はややこしいことになりかねないぞ)
今は昼時。人通りは余計に多い。こんな中で昼子を連れて走って逃げるのはとても難しい。相手は大人の女性だ。運動神経に自信はあるが、一人で走るのと二人で走るのとでは話が別だ。どうしても遅くなってしまうことは避けられない。
ただ闇雲に逃げても追いつかれることは必須。
ならば――
「お姉さん、何市何町何区何番地の警察署の方ですか?」
「え……?」
「霧雨丘の警官なら知っているはずですよね?」
俺の推理が正しければ、コイツは本物ではない。
魔術師とは否が応でも警察と関わり合いになってしまう職業だ。父の関係で何度も顔を合わせている。そもそも、俺の祖先がこの町を作ったのだから、コネがない訳がない。父が死んだ今でも佐久奈の家の方との繋がりで色々と話はつけてくれている仲だ。
「わ、わたし最近配属されたばかりだから……」
「名前も教えてください。照会させてもらいますから」
「ぐっ……かくなる上は――って、ちょ、え!?」
『そこに立っている』という概念を本の少し弄って、『立っている状態』に対してバグを発生させ、立てなくさせたのだ。後数分はロクに動けないだろう。
その隙に昼子の手を引いてできるだけ全速で走り出した。
「今の内に逃げるぞ!!」
「は、はい……!!」
@
「見失っちまったな……」
「しょぼん……」
口で言うほど落ち込んでいる様子の昼子さん。
あれから三時間ほど探したのだが見つけることはできなかった。
今は街外れの公園の中にいる。人気はなく、寂れた公園だ。遊具や砂場も、もう何年も遊ばれた形跡はなく、その公園に刻まれた子ども達の記憶は、既に風化し始めている。
「ま、まあアレだ。俺が見た訳じゃないんだし、さ。昼子と関わりのない人が、財布が入ってると思って盗んだのかもしれないし……それなら別に中を見られても大丈夫なんじゃないか?」
「確かに、それはそうですけど……そういう問題じゃ、ないです」
「そうだよな……すまん」
カラスの鳴き声が何故か無性に悲しく聞こえる。
ずっと歩き詰めだったのだ、どうやら昼子も体力的に限界のようだ。
「なあ、警察に探してもらうのが一番いいと思うんだけど、どうだ? 俺から頼んでおくからさ」
「え……? そう、ですね。それが一番安全かもしれません。私の秘密的にも」
「じゃあ、そろそろ帰ろうぜ。疲れただろ? 汗もかいたし、帰ったらまず風呂だな。その後にかき氷でも作ってやるよ」
そう言うと、ほんの少しだけだが昼子の顔は明るさを取り戻したように見えた。あくまで俺の主観だが。
「ありがとうございます。やっぱり、優しいんですね」
「まあな。女の子は大切にしなきゃいけないからな! はっはっは!」
「……そう、ですね」
冗談めかしてそう言ってみたが、どうやら不評だったらしい。ほんの少し明るいかと思った顔が一気に暗くなってしまった。
「す、すまん。何か悪いこと言っちまったか?」
「いえ! そんなことは全然ありません! ただ、やっぱり疲れましたね。ええ、帰りましょう」
「ああ、そうだな」
微妙に空の向こうが茜色に染まり始めた時間の頃……汗だくの俺達は帰路についた。どうやら元気を取り戻した昼子と今日色々あった出来事を話しながら、他愛もなく家に帰るだけ。
とても懐かしく、そう思うと心が苦しくなった。
「今日の夜はどのような献立で?」
「そうだな……今日は、朝にデパートで買ったマーボー春雨だな」
「そう言えばずっと持ってたんですね、買い物袋。持ちましょうか?」
「何言ってんだ逆だろそういうのは。いいよ別に、重いモノ入ってないし」
俺の家が見えてきた。周りの住宅となんら変わりない普通の二階建て。そんな家の前に、さっきの幼女がいた。ちゃんとエナメルバッグを肩に提げている。
「尭土井さん、アレ……!」
「ああ、明らかに出てくる場所とタイミングがおかしい」
ほんの一瞬だったが、こちらに気が付いた素振りを見せた幼女は、追いかけてこいと言わんばかりに小走りでかけていった。
どう考えても誘っている。
「追うか……?」
「はい。勿論」
「グルハウチェの可能性もあるぞ」
「その点は全く問題ありません。あの女にとっては、私が生きていることそのものがイレギュラーなんですよ」
「どういうことだ?」
幼女を追いかけながら昼子が言う。
「尭土井さんに助けられる以前に何度か戦いましたが、あの女の戦い方は正に初見殺しなんです。尭土井さんの話で確信が持てました。あの女の持つ剣、『
――そう、”ルギエヴィート”。
本来ならば八本の剣を所持する軍神の名前だ。
八本だ。わざわざルギエヴィートと銘打っているにも関わらず、本人がわざわざ説明したにも関わらず一本しかない。それに違和感を覚えていたが、俺も今、昼子の話で得心がいった。
「アレは元々八本だった剣を一つのモノとして合体させたんです。故に、あの剣には残り七本の因子が詰め込まれている。一回の斬撃の後、何らかの条件下で残り七回の斬撃を不可視の状態で行うことができる。それがあの剣の能力です」
「なるほどな。だから初見殺しか」
「ええ、私も最初、防御した時には死んだかと思いましたよ。風圧を感じて辛うじて避けれましたが。恐らく、条件は防御された時、とかでしょうね。これが分かっていれば上手く立ち回れるはずです」
だが、グルハウチェ・アレクサンドロフは魔術師だ。だとすれば何かしらの魔術は扱えるはず。ルギエヴィートで力圧し、というのも考えられるし、実際そういう魔術師も存在するが……
「昼子、お前はもう戦えるのか?」
「正直な所、傷はまだ完全には治っていません。外面的なものはともかく、魔力流路にズレ生じて魔力の潤滑が不安定です。これでは魔術の行使は困難でしょう。ですから――」
「ああ、当たり前だ。お前は俺が守る。なんとかカバンだけ奪い返して逃げよう」
「はい」
幼女を追いかけて幾何か……狭い路地に入り込み、その先の行き止まりで足を止めた。
時間はまだ三時半過ぎだが、路地裏はとても薄暗い。
わざわざ人気のない廃ビルを選んだのだ、どうやら本格的に誘っているようだ。
足を止めた幼女は、その不敵な笑みを携えてこちらへ振り返った。
「何者だ……? と訊くのも野暮だな。ルギエヴィート」
「ふっふっふ……わたしがルギエヴィート? 何を冗談を言ってん、言ってるんですか?」
「ほざけ、その違和感のある標準語、明らかに怪しい。そして、ルギエヴィートは八つの剣が一つの剣になっているそうじゃないか」
「それが、どうした?」
「ルギエヴィートは俺にまるごとソーセージの話をした。何故、剣が食べ物の話をする? おかしいだろう。そこで俺はこう考えた、ルギエヴィートには人間体が存在するのではないかとな」
うつむき加減で話を聴いていた幼女の肩が揺れる。
カタカタと笑っている。
「はっ……まあ、さっきの警察の下りで明かそうと思ってたんやけどタイミング悪く逃げられたからなぁ……確かにその通りやで。私はルギエヴィート。その人間体や」
幼女、もとい人間体ルギエヴィートは右手だけを切っ先にして見せた。やはりそうだったようだ。そうだとすれば一連の流れだって納得できる。
「待ってください、尭土井さん。あの女性もそうだとしたら、この女の子はどうなるんですか? あの時の女子高生だって…………まさか」
「ああそうだ。分裂できるんじゃないか?」
これはまあ、なんとなくそうだったらかっこいいなぁくらいの考えだったが、ルギエヴィートの反応的に間違いないだろう。
愉快犯が罪を暴かれることに快感を覚えているかのように笑っている。
「ご名答……確かに私は最大で八人まで分離できる。あの時の女子高生も、あの警官も、今の私も全部分裂した私や。てな訳で、集まれ野郎ども!!」
「……!!」
その掛け声とともに背後から――五人の幼稚園児ほどの大きさの女の子が現れた。
「な……んだと!? カハッ――!!」
「あ、尭土井さんが血を吐いて倒れたー!?」
「だ、大丈夫だ、生きてる……」
五人のペドは全員同じ顔で全く同じ大きさ。青色のスモックに身を包み、後ろの幼女と同じく黒い髪で肌は白い。
妖精だ……
「ほーら、高い高いだぞー」
「わー! やめろー! はなせーこのロリコン!!」
その内の一人をだっこして上に掲げてあげる。元が剣とは言え、ちゃんとした人間の体をしている。まだちゃんと定まっていない不安定な体の柔らかさまで完全再現だ。
「おまえどこさわっとんねん! コイツロリコンじゃなくてペドフィリアかコラ!! きいとんか!! はなせー!!」
「あー、なにわたしのからだのはんしんぷにぷにしとんじゃやめろー!!」
「やばいこいつはなしきいてへんぞ! やめさせろー!」
「わー!!」
残りの四人がぽかぽかと足を叩いてくる。
まずいな……このままでは心のタガが外れてしまいそうだ……こんな可愛い小動物を前にお持ち帰りしないだとあり得な――
「尭土井さん……? 真面目にお願いしますね」
「はい、すいません」
ただならない怒気を感じたので、ルギエヴィートの
「だいじょうぶやったか? わたしのからだ」
「なにもされてないか?」
「うん……こわかったぁ……」
「ほんまおもっとったよりやばいなこいつは」
「こんなしゅみあったとはおもわんかったで」
やはりかわいい……いや、今はなんとか理性を押さえろ。
「さて」
「さてやあらへんがな! ようこのシリアスな雰囲気に幼女と戯れられるな!」
「もう、いいじゃんそれは」
「……まったく、ほら、戻れお前ら」
「わー!」
「やっとおわったかー」
「つかれた」
「もうさんざんやったで」
「これからはペドぶんかつはやめよ」
小学生ほどの大きさのルギエヴィートの体に、ペドのルギエヴィートが入っていく。比喩でもなんでもなく、体の中に入っていったのだ。みるみる内に体が大きくなっていき、最終的には気持ちお母さんのような風貌の女性に変化した。
合体したのだ。
「ふう……やっぱり八本全部入ってるんが一番落ち着くな。さてさて、ダレてきたからそろそろ本題に入ろかお二人さん」
「何をするつもりでここに誘導した?」
「そりゃお前、
人間の姿が少しずつ崩れていき、形を失い別の存在を形成していく。
何もない虚空から、いつの間にか『現れていた』グルハウチェ・アレクサンドロフは、黄金の剣へと変化したルギエヴィートをその手に握る。
持ち主を失ったエナメルバッグは地面に落ちた。
「あ……」
「待て、落ち着け昼子」
「尭土井さんに言われたくはありませんが、そうですね。すみません」
あの時と同じ、空気を凍り付かせるような感覚が俺の神経を支配しようとする。嫌でもグルハウチェに対して敵意を向けざるを得ないほどに、目の前の女は存在感を放っていた。
軍服のようなデザインのコート、金髪……そして獲物を殺したくて殺したくて堪らないと訴えるその眼は、今にも俺達を殺すかのようにこちらを凝視していた。
「久しぶりだな――二人とも」
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