七月 九日-お昼時
「ふぅ……そろそろかな」
さっきの階段まで戻ってきてはや十分くらいは経ったか、思っていたよりも時間がかかっている昼子。少し心配になってきたが……
と考えた途端展開した結界に反応があった。恐らく昼子だろう。
暫く待っていると上の階から昼子が降りてきた。
「よう、終わったか」
「はい。手間をおかけして申し訳ないです」
何が入っているのかパンパンに中身が詰まったエナメルバッグを肩にかけている昼子が深々と頭を垂れて礼を言う。
「そんなにありがたがることでもないだろ。それより、早くここを出よう」
「何かありましたか……?」
「アイツがいたんだ」
「っ……」
そう聴いた途端、昼子は苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。どうやらそれほどにグルハウチェ・アレクサンドロフに対して敵意を持っているらしい。
とりあえず先までの
「なるほど……ボクが孤軍奮闘している間に尭土井さんは呉越同舟で楽しくお茶会ですか……」
「いやはやなんとも……まあ、持ち主の方は分からんけど、剣の方は良い奴だったぞ」
「そう言われましても、あの剣が喋るなんて初耳ですし……しかし恐らく、尭土井さんの言う通り何か聞き出す算段だった可能性もありますね」
「話を聴いているだけだったけどな」
どうやらアイツ等が追ってきてはいないらしく、何も起こらずにデパートの外に出ることに成功した。
時間は午前十時五十分くらい。
昼飯にはまだ早いが、かと言ってここで帰っても微妙な時間帯になってしまう。家からここまで歩いて十五分ほどの距離だが、どうせ街に来たのだからここらで外食でもしていきたい。時間があれば観光なんかもいいだろう。そうして仲を深めることができればいいのだが。
どうにも昼子は他人行儀な気がしてならない節も見え隠れしているし……まあそもそも何の接点もない俺に匿われているのだから当たり前だと言えば当たり前だが……
「どうかしましたか?」
「い、いやなんでもな……そうだ! 折角だし外食でもしていかないか? ほら、折角街中に来たんだし。昼子もここに来たのは最近なんだろ? だったら折角だから……」
「やたら折角を乱用し過ぎてありがたみが薄れますね……」
細かいところを突っ込んできやがる。
「確かに、ここに来たのはほんの数日前ですけど……そうですね。観光とか、してみてもいいかもしれませんね」
「だろ? 一応『霧雨丘』は観光スポットとしても一部では有名だからな」
そのキャッチコピーは『閉鎖された雨の都市』。
周りを山に囲まれて、それでいて降雨量が周りの平均よりもやや高めなのでこうなったのだが……自分で言っていて辟易するほどに暗いキャッチコピーである。全く以てキャッチーでないことは誰でも分かる。
字面はかっこいいが。
「神社とか行くか? それか山の上の展望台とか」
「そうですね……どうせですからその展望台に行ってみたいですね。今日は晴れてますし。朝も天気予報では晴れだと言ってましたし」
「よし、そうと決まればさっそく行こう。あ、荷物は……」
「大丈夫ですよこのくらい。別に重たいモノなんて入ってませんから。あ、そう言って中を知ろうとしても無駄ですからね!」
「分かってる分かってる……」
これほどまでに頑なに知られたくないとは、一体何が入っているのだろうか? ますます気になるが、流石に女性のカバンの中身を見るのは男としてよろしくはないこと請負だ。今はこの好奇心を押さえつけよう。
@
さて、『霧雨丘』の周りをぐるっと囲む山の内、南側のロープウェイ乗り場にまでやってきた。最近新しくなったとかだったがまだ一度も乗っていなかったので個人的には丁度いい。
「往復の1820円が二枚で合計3640円になります!」
「あ、じゃあ5000円札で」
「1360円のお返しです! ありがとうございました!」
元気な店員さんに見送られて昼子の下に戻り往復券を渡す。
「すいません。ボクの分まで買っていただいて」
「言い出したのは俺だからな。それより、もうすぐ来るらしいから早く行こうぜ」
「あ、はい」
昼子を促して乗り場に到着。暫く待っていると頂上からロープウェイが降りてきた。制服を着たおっちゃんに促され誰もいないロープウェイに搭乗した。
本当に誰もいない。まあそりゃこんな辺境の街にそうそう観光客が来る訳もなく、そもそも言えばこの山を登ったところで他愛もない展望台とちょっとした食堂がポツンとあるだけで他は何もない。地元の人間も既に飽きているので祭りでもない限りはこうして紐に吊るされた箱の中は伽藍堂の極みという訳だ。
まあ、折角二人で来たのに人で一杯、というのもよろしくない訳だが。
「静かで、いいですね……」
ガラスの窓から下に広がる林を眺めて、昼子はそうポツリと呟いた。
ふと何かを懐かしむようにそのままずっと眺め続けていた。
落ち着いて昼子を見ていると、その横顔が今にも泣きそうなのが見て取れる。
その顔をどこかで見たことがあったはずだ。
そんな少女に対して、俺は声一つかけることができなかった。
「ん……どうか、しましたか?」
「あ――」
すまない。なんでもない。大丈夫だ。
かつて俺はこれらの言葉を使って色々なことをごまかしてきたはずだ。
ドス黒い記憶の坩堝の中――その奥にある閉ざされた扉から、ほんの少しだけ光が漏れた。これは、『思い出さなくてはならない記憶』だと俺に告げて。
『あの少女』が死んだのは佐久奈が殺した訳ではないとした場合、考えられるのは『あの少女』を狙っていたまだ思い出せない何者かが殺したということになる。だが、その何者かは確か、『あの少女』を殺そうとはしていなかったはずだ。あらゆる手を尽くして捕縛しようと躍起になっていた。
そしてその度に『あの少女』の心は疲弊していった。
そう、とてもやつれていた。
最後に俺に見せたあの笑顔も、俺と交わした会話も、そうやって擦り切れた心を懸命に動かしていたのだろう。
俺はそれを知っていたはずだ。
すぐ傍にいたはずなのに、護ると誓ったはずだったのに、俺は何をした。
何もしなかった。
思えば、一度もその心の奥底まで踏み込んだことはなかった。
もしタイムスリップできるのならふざけるなと昔の俺をぶん殴って殺してやりたいくらいには、何故か少女の心に干渉することを怖がっていた自身を嫌悪している。
だがこれは、『思い出さなければいけない記憶』だ。
今この瞬間、あの時を映し鏡にしたように俺の目の前に現れている。
俺がやるべきことは伐花昼子を護ることだ、そしてそれと同時に救うことだ。心の中に闇があるのなら、俺がそれを共有してやらなければならない。
ああ、そうだ。
「――昼子、お前はなんで、この街に来たんだ?」
まずはその動機から聞こう。
「それは、あの女に襲われて――
「いや、違う。だったら何故こんな辺境の街にまで来たんだ。『霧雨丘』を囲む山脈から外の街まで歩いて三時間はかかる。わざわざこんなところにまで逃げてくるのか?」
「……っ、それは。それは、尭土井さんには関係のないことです」
そうだ、確かに関係はない。
俺と昼子は他人同士だ。昼子が俺と一緒にいるのもその方が効率がいいからだ。俺だってそうだから昼子を家に匿った。
だから、そこまで踏み込む必要性なんてどこにも、いや、俺にはある。
そうしなければ、きっと後悔するはずだ。
「関係はある。俺はお前を護りたい。何があっても傷付けたくはない。だが、理由が欲しいんだ。昼子が何をしにここに来たのかが分からなければ、本当にお前だけを護ればいいのかが分からない。何をどうして護るのかが分からなければ、本当の意味で護りようがない」
「……だったら、だったらもういいです。もう貴方には頼りません」
その言葉を聞いて俺の脳内のスイッチが勝手に入った。
何かの琴線に触れたのか、俺の頭は口を勝手に動かしていた。
「そうやってお前はいつも……俺に大事なことを話さなかったよな。お前は相手を傷付けるのが怖いだけなんだ! 他人に迷惑をかけたくないから、自分のせいで誰かが苦しむのを見たくないから自分だけでなんとかしようとしてそうやっていつも死にそうになってただろ……!」
俺は何を言っている?
まるで、俺のもう一人の人格が喋っているような感覚。
「言ってくれなきゃ分からないんだよ!! そりゃ俺だって、もっと強く聞けばよかったのかもしれないけどさ、護るって言ったんだから、お前の為に俺があるんだ。んなくだらないことどうでもいいから、もっと他人に頼れよ!! 自分だけじゃ何もできないって、分かってんだろうが! ……あ、いや、ちが」
記憶の中から流れ出てきたこれは、きっと『あの少女』に対しての鬱憤だ。それを、関係のない昼子に出してしまうなんて……俺は――
「う……うあぁああああああああああああああああん!! 尭土井さんが怒ったぁぁぁぁ!!」
「ちょ、なっ、いや、おま、悪かった! 悪かったから! その、今のは言葉のあやというかなんというか……その……ほら! もう頂上に着くからさ! ハンカチ貸してやるから」
「うっ、いっぐ、うぅ……」
どうしたものかどうしたものか。今の俺は過去最大にオロオロしている。全く以て脳が正常に働いていない。これはマズいこれはマズい。
しかも最悪にタイミング悪く、本当にもうすぐにロープウェイが頂上に到着してしまった。更に最悪なのが、誘導のスタッフさんが若い女性だったことだ。なんというかもう、形容しがたい軽蔑の視線で無言に俺達をロープウェイから出して、一言。
「強姦ですか?」
「違いますから!!」
洒落にならないボケに突っ込みつつ、逃げるようにして昼子を連れて展望台へ向かった。
運よく若い女性の店員さん以外人はいなかったので、この際もう仕方がないだろう。すれ違いでロープウェイに乗る人もいたが、もう……別にいいや。
とりあえず屋上に出よう。
展望台とは言っても見えるものは山、山、山、山、山、森、林……つまり何もない。反対側を見てもいつも見慣れた街だけ。言ってしまえばここに来る意味はほとんどないのだが……まあ、ここの風はなんとなく好きだ。
だが今はそんなことを言っている場合ではない。
「ひ、昼子……?」
恐る恐る昼子に声をかける。
柵に背もたれて体育座りをしている昼子は暫く固まったままだったが、
「酷いです……」
「ぐっ……す、すまない。本当に申し訳ない!!」
これはいくら謝っても許されようのない事案だ。
迷わず土下座だ。
「ちょ、ちょっと、そこまではしなくていいですよ! もう……顔を上げてください。ボクは、強く言われると断れない性格なんです。だから、もう、怒鳴るのはやめてください」
「……すまない」
「分かってるんです。自分だけじゃ何もできないって。だから尭土井さんに協力してもらったんですから……ボクも、ちょっと強情でした。確かに話した方がいいかもしれませんね」
あまり納得はいかないが、自業自得だ。しかしまあ結果オーライ。
「ボクのお母さんが、ここに、この街にいるんです」
「お母さん……?
「堕天使、って知ってますよね?」
堕天使、か。
何かが原因でバグを起こした天使がバグの修正に為に消されたが、強い欲望の影響で人間の世界に現界した姿、だが。
「お母さんは世界のルールを犯してしまうようなことをやってしまって、世界にバグとして消されたんです。でも、あまりにも強すぎた欲望で蘇って『堕天』した。降臨する場所としてはここが丁度良かったらしいです。ボクだけがお母さんの姿を見ることができたので、ここにいると分かり七月六日にここに来ました」
「『堕天使』……なるほど、そういうことか。グルハウチェは『堕天使』の特性を利用して、何かをしようとしているのか」
『堕天使』は言ってしまえば欲望の塊だ。あまりにも強い欲望は他人にも影響を及ぼしてしまう。近辺にいる人間の欲望を知らずの内に叶えてしまうのだ。しかしそれはあくまで偽物、幻想に過ぎないが、時間が経つとどんどん強くなっていき、いずれ本物として欲望が顕現してしまう可能性がある。
故にそれは、『欲望を映す鏡』と呼ばれる。
「恐らくそうです。あの女は何かしらの目的の為にお母さんを利用しようとしているんです。もし捕まれば、何をされるか分かりません。だから、絶対にお母さんを護らないといけないんです」
「……………………………………」
何故かそれらの言葉一つ一つが心に突き刺さる。
……今は、その話は後だ。
「改めて言わせてくれ」
「はい」
「お前と、お前の母さんを護らせてほしい」
余計なことは何もない、ただそれだけを伝えた。
「一つだけ、いいですか……?」
「なんだ。なんでも言ってくれ」
どうしてか昼子の目は必要以上に泳いでいた。
何かを言おうとしているが、言いあぐねている様子だ。
「や、やっぱりいいです。これはまた今度……こ、これだけはどうしても言えません! すいません自分から言おうとしたのにこんな勝手な……!」
「落ち着け、まあ、また今度ゆっくりと話そ――ん?」
「どうしました?」
頭がいっぱいいっぱいでまったくその違和感に気が付かなかったが、何かがおかしい。何かが足りない。
パズルを作ろうと思って回りからピースを嵌めていったら角だけなかったかのような歯がゆい感覚。
どうやら昼子も気が付いたようだが、だが。
「ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――ッッッ!!」
「な……!?」
頭を抱えて太陽を打ち落とすほどの雄叫びをあげた小柄な可愛らしい少女の伐花昼子さん。
「あああああ……そんな……もう終わりです。ボクの人生はもう終了です……死にますぅ……」
「やめろ! 飛び降りようとするな!」
「きーよーみーずぅ」
柵を乗り越えて飛び降りようとする昼子を羽交い絞めにして、とにかく落ち着かせる。
また泣き出してしまったが、さっきとは違った感じで更にどうすればいいのか分からない。
「ひっぐ……えっぐ……嫌ですぅ、この山の中でお母さんと一生暮らしていくんですぅ」
どうやら、昼子がデパートで買った何かしらの入ったエナメルバッグをロープウェイに忘れてきてしまったらしい。
どう考えても俺のせいだ。
「尭土井さんのせいですよぉ。どうしてくれるんですかぁ」
「と、とりあえずさっきのお姉さんに言いにいこう。ロープウェイの中に忘れたんだから預かってくれてるはずだから、な」
「はいぃ……」
何故、何故腕に抱き着いてくるんだ!? 殺す気なのか!?
しかもいつもの冷静な時のギャップと相まって色々と大変なことになりそうなのだが……なんとか気を抑えながら、抱き着かれたまま展望台から下に降りてロープウェイ乗り場へ向かう。
またさっきの若い女性のスタッフさんが俺の状況をゴミを見るような目で見つめてくる。
「先ほどはすみませんでした、撤回します。和姦でしたね」
「それも違う!! ってそうじゃなくて、ロープウェイの中にカバンの忘れ物なかったですか?」
「いや、そんな連絡は来ていませんけど……」
「そんなバカ、な――まさか」
記憶を呼び戻す。
ほんの数分前の出来事だ。泣いている昼子を連れて急いでロープウェイから出たが、その時にすれ違った人がいたはずだ。
俺と昼子の間くらいの平均的な背丈をした女子高生だったはずだ。
盗まれた……?
「あ、来ましたけど乗ります?」
「の、乗ります!! 昼子っ……できれば、自分で歩いてくれ」
完全に俺の腕に抱き着く力以外の力を体から抜いている昼子をなんとかひきずりながらロープウェイに乗った。
終始蔑みの眼差しを俺に向けていたお姉さんだったが、もうこればかりは仕方がない。
今やるべきはカバンを取り返すことだ。
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