七月 八日-厭佐久奈のヴィジョン
「な……さくな! おーい!!
耳元で誰かが叫んでいる。
聞き覚えのある声。いや、聞き覚えのあるなんてものじゃない。
そうか、私はあの時グルハウチェ・アレクサンドロフに負けて――それで、死んだはず。
生きている……?
「おい、部活始まっちまうぞ。ったくなんで俺が……」
「惣介……? ここは?」
「ここって、どう見ても学校だろ」
「え……?」
ぼやける視界で周りを見る。
晴れた視界に映ったのは、夕焼けに照された教室。
私は、机に突っ伏していた。
「なんで授業が終わってすぐに寝るのかねぇ佐久菜は。そんなキャラだったか?」
「惣介……あの、さ、今日、何月何日?」
「ん? 今日は7月8日だけど……どうした?」
思わず自分の携帯も確認した。すると今日は7月8日。間違いなく今日だった。
これから部活に行って、その途中で違和感に気が付いて、惣介のもとへ駆け付けた。その前の時間に私はいる。
――何故、だ?
これは何だ?
タイムスリップ……いや、そんなことがあり得るはずがない。既に過ぎた因果を、同一の時間軸内で逆行することは不可能だ。
だとすると考えられるのは……なるほど。
「これは、私の夢なのか」
ないしは、死んだ私の走馬灯。最期に神様がくれた私へのプレゼントだ。惣介を『護れた』世界を夢想しろ、という神様からの……
「夢……夢がどうした?」
「あ、いや、なんでもないわ。それより、私今日部活休む」
「なんだ? 珍しくサボリか?」
これが夢だと言うのなら、最期くらいいい思いをしても、罰は当たらないだろう?
「まぁ、ちょっとね。ところで惣介さ、今日惣介ん家寄っていい? てか泊まっていい?」
「ダメです」
「えー、なんでよー」
「だーもう! 腹部に抱き付くな! 待て、搾れるから……胃液が搾れるから……わ、分かった、分かったから!!」
「やったー!」
とは言え、惣介の家には伐花昼子がいる。
二人きりで……とはいかないだろう。
これは夢なのだから殺してしまっても構わない。殺して惣介を自分だけのものにしたって問題ない。そもそもずっと昔からずっと一緒だった私が、惣介と結ばれないことが問題なのだ。産まれた時から惣介を想っていた自分が報われない最後なんて絶対に許せない。ましてや、他の女に惣介が取られることなどあってはならない。想いの強さでは決して負けていないのだから。
なんて、ずっと考えていた。
ずっと想って、何度もスキンシップを図って、それでも『好きだ』と言えなかった自分が悪いのだ。たった三文字の言葉でさえも言葉に出せない自分の勇気の小ささに呆れを通り越して頭にくる。これはもう呪いのようなものだ。私の役目は惣介と結ばれることではない。
だから、決めたのだ。
ずっとこのまま、惣介と平和に暮らしていけるようにしたいと。惣介が何かに首を突っ込んだのなら、それがうまくいくようにサポートしてあげようと。惣介が誰かを好きになったのなら、それを見守ってあげようと。
故に、私が生きる意味は惣介が幸せであることで、それが私の幸せなのだから、私の中から零れ出た幸せは、叶わないものなのだと。
そしてそれが、私が惣介を『好きだ』と想う気持ちなのだと偽って、それを本物にすり替えた。だからこれが私の本音。私は惣介が好きだから、惣介が一番幸せだと思う日々を過ごして欲しいと願って……もし今惣介が、私がいない方が幸せだと言ったのなら、迷わず命を絶とう。
いや、実際にそうなるかはともかくとして、そういう意気込みだ。
「いや……でも、その、なんつーか今俺ん家には……ね、あれがちょっと」
「もう、私達はこの『霧雨丘』の管理者よ? 惣介の家に謎の少女がいてその子を匿ってるってことくらい筒抜けなんだから」
私『達』というのは、私は『
「あー、そういやそうか。また……協力してくれるのか?」
「当たり前でしょ! ささ、分かったら早く帰ろ! 待ってるんでしょ?」
「あ、ああ。すまないないつも」
余計なお世話でも構わない。決して、何があっても、惣介が不幸になる未来なんて、絶対に認めない。
と、ここまできて思い出したが、そう言えばこれは夢だったのか。
ふ……馬鹿馬鹿しくて笑えないな。結局これだけの思いも意気込みも願いも祈りもなにもかも、全ては夢や幻。夢幻は無限だが、ただの贋作だ。生きた人間の本物の祈りにはどう足掻いても叶わない。
だというのに、それでも『好きだ』と言えない私は……一体なんなのだろうな。
だとしたらあの時私は、なんの為に死んだんだ?
そもそも、あの後惣介は……助かったのか?
もし、これで惣介が死んでいたらどうなる?
私の意味は?
私が私の全てを諦めて全てを棄ててただ惣介の幸せの為だけに生きてきた私の生の意味は?
「私は……」
なんて、惨めなんだ。
結局誓った祈りも守れずに、ただの妄想の中で自分の幻想を騙るだけの道化だ。いっそ笑ってくれればそれで楽に死ねるだろうに、今ここに存在しているのは私しかいない。
これが幻想なら、ここにいる惣介も私の心が映し出した虚像に過ぎない。私の思い通りになって、私の為だけにいてくれる。私の、為だけに?
ああ、そうだ。何が誓いだ。守れもしなかった惨めな誓いを、何故こんなところでまで貫く必要があるのか。
――言えよ。自分の思いを伝えろよ。
好きだと言えばそれでいい。
惣介は、きっとお前の元にいれくれる。
それでお前は幸せだろう。
お前は惣介が自分に振り向いてくれることが、ただそれだけが欲しかったのだから。
「そうす、け――」
言葉は途絶えた。
首を吊って死んだ少女。その前でただ茫然と立ち尽くす涙を流す少年。
何度この光景を思い出したか。
惣介はその少女を愛していた。ずっと、何よりも。私よりもずっと。
その少女が死んで私は初めて気が付いた。その二人の中には私の入る余地など微塵もなかったのだと。
その少女が死んでから、惣介はおかしくなった。いないはずの誰かがいるような言動、家に閉じこもり、遂には口も利かなくなった。
その少女を失ったことが、惣介にとっては心を壊すほどにショックだったのだ。
――私が事故にあった時はあんなに落ち込まなかったくせに。
――私が家出して、行方不明になった時は探しもしなかったくせに!!
だから、言えない。
たとえ幻想でも。幻でも。私の中の惣介はもう、私には二度と振り向いてはくれない。
「お前が殺したんだ」
ほら、なんて惨めで、無様で、醜い生き物なのだろうか、私は。
取り戻そうとしただけだったのに、その先に得た
私が惣介を不幸にした。だから惣介の幸せを願おうとした。だが結局、奪ったのは私なのだ。
――好きなのに。好きなのに。こんなにも愛しているのに!! どうして惣介は、気付いてくれないの!?
私のことが嫌いなの?
いや、まずそもそもにおいて、私が惣介を好きになる資格なんてないのだ。
はなっから、惣介の幸せなんて、願うことすら許されないはずだったのだ。
それでも私は惣介の幸せを守りたかった。だって、それが私の願いだもの。
絶対に叶わない私の願い。
「お前が×××を殺した……お前が!!」
そう、私が殺した。
私があの女を殺したの。
気に入らなかったもの。
私だって悲劇のヒロインになりたかった。
だのに、こんなのってある?
そう、これは幻想。
私の心を映し出した
だったらこうやって、私がやったように惣介に
そりゃそうか。
振り向いてくれない惣介なんて、いらないもの。
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