七月 八日―尭土井惣介のデザイア

 夕日に照らされて焼け焦げた黒くて分厚い雲が空を覆い隠そうとしている。

 季節は初夏の七月八日。この季節にこんなにも雪が降りそうな感覚になったのは恐らくこれが初めてだろう。今日の夜も雪が降るのだろうか。


 現在時刻は午後五時過ぎ。

 何かあると時計を見て時間を確認するのは俺の癖のようなものだ。何もしていなくても何か急いでいるような気がしてならないのだ。まあもっとも、実際急いで家に帰ろうとしているのだが。

 早く帰らないと心配で心配で仕方がない。

 今のところ昼子の身にある危険は正体不明の何者か……情報が少なすぎるな。早く帰ってもっと聞き出さないと。

 佐久奈の事も気になるが、まずは昼子の当面の安全を確保しなければならない。


「走って帰ろう」


 よし、と体に力を込めて走り出そうとした時だった――


「そこな少年、ちょっといいか」


 季節不相応の冷やりとした空気のせいではない。その声は一瞬で俺の脊髄を凍り付かせた。

 ――殺気、というよりもどこかことを急いでいるような。急ぎすぎて気が立っているような感覚。

 振り返る。

 何故か人気がない抜け殻の箱が並ぶだけになった住宅街の一角。電信柱が立ち並ぶ、ブロック塀に囲まれた広めのアスファルト道路の俺の目線先に背の高い女性が立っていた。

 黒く分厚く、軍服のようなデザインの足まで届く長いコートに身を包んだ金髪の女性。左手には煙草を、もう片方の手はコートのポケットに入れられている。一歩、俺の方へ踏み出した。恐らくブーツの、道路の上を叩く音が清閑には程遠い生ぬるい静寂に包まれた街に響き渡る。


「一つ、聞きたいことがあるのだが……少しだけ時間をもらえないだろうか」


 妙に丁寧な口調で静かな声色の女性は言葉を話す。二メートルほど離れているはずなのに、まるですぐ近くにいるかのように透き通って声が聞こえる。

 何故か、何もされていないはずなのに脂汗が噴き出て、心臓が早鐘を打つのがはっきりと聞こえる。


「なんですか、急いでるんで手短にお願いします」


 こわばる顔の筋肉をどうにかして動かしながら、距離を取った物言いでそう返す。


「ああ、それは失敬した。確認を取りたいだけだ、すぐに終わる」


 そう言って、ゆっくりとこちらに近付きながら煙草を持っていない方の手でポケットから写真を取り出した。今はあまり見かけないフィルムから現像されたものだ。電灯の明かりに照らされて、ラミネート加工が光を反射している。

 俺の目線の前に翳された写真の中に移っていたのは白い少女。雪のように儚くて美しい少女。


 ――動揺を見せるな。

 喉のすぐそこまで出かかっていた緊張を何とか抑え込み、知らない素振りを見せながら写真を眺める。写っていたのは間違いなく伐花昼子。その横によく似た女性と並んで笑顔で写っている。母親だろうか。


「すいません。見覚えがないですね」

「そう、か……時間を取らせてしまったな」

「いえいえ、こちらこそお力になれずに」


 お、意外と素直に聞き入れてくれたようだ。このまま平静を装ってさっさと立ち去ろう。


「少年が気にすることではない。ふむ……では、もう一つ確認したいことがあるのだが、いいかね?」


 現実とはそうそう簡単にうまくいかないものである。


?」


 身の毛がよだつ。全身に鳥肌が立つと同時に、俺は用意していた魔力を『ソレ』に流し込み展開する。

 刹那、金髪の女性はいつの間にかその手に握っていた黄金の剣を俺の腹に突き立てていた。


 本来ならばそこで腸を貫かれてジ・エンドだが、


「ほう、防ぐか神の一撃を」

「ほざけ、世辞になっていない世辞なら言われない方がマシだ……っ」


 本命の障壁は既に一撃で破壊されている。

 保険で展開していた『意味無き壁クラッジ』により、傷害、苦痛等が体に現れる速度を極限まで低下させることで延命させているだけに過ぎない。故に、気を抜いて魔力の解放を怠ると多量出血でもれなく死へのカウントダウンが始まるだろう。


 女性の体は消え、かかとによるヘッドショットが炸裂する。

 砲弾のように体が飛び、ぶつかった電信柱を圧し折った。『意味無き壁クラッジ』が傷や痛みを相殺したおかげですぐに体は起こせたが、逃げることは叶わない。

 ならば、殺し合うしかないだろう。

 距離は十分。

 敵の武装は西洋剣一本。

 動きは俊足――だがこの距離なら視認はできる。距離を取りながら一撃で殺す機会を伺えば或いは……


「面白い魔術を使う。なるほど、『その場しのぎクラッジ』か。確かにそれは物理的に展開される障壁とは違い身体という概念に作用するモノだ。破壊できないののも道理か。

 だがいつまで魔力が保つか……心配で心配で仕方がないな。その前に一思いに殺してやろう」

「アンタが俺を殺す意味があんのかよ。殺せば場所は分かんねぇままだぞ」

「おお、そうか。これはすまない。そうだな、そうなると一思いには殺せず、脳だけ生かしたまま情報を抜き取るしかないか。すまないな……可哀想だがこれしか方法はない」

「長々とご苦労なこった。そんなにお喋りが好きなら話し相手にでもなってやろうか?」

「それには及ばん。既に口うるさい話し相手がいるからな」


 こうして何事もないように世間話をしていても、やはり隙は見当たらない。

 否、俺の心を巣くう恐怖がそう見せているだけだ。相手に恐怖を感じるから、隙が無いように見えるだけ――思い出せ、戦い方を。戦う力が無いのにデカい口叩いていたわけではない。何かを忘れているはずだ。俺にはコイツを一瞬で殺せるような何かを持っているはず、それを思い出せ!!


「さて……そろそろ魔力がきれるころ、だなァッ!!」


 俺を殺す剣を持った弾丸が、弾丸たる速度を以て俺の真正面に肉薄する。


「――あああああァァァ!!」


 だが、俺の声とも違う、相手の金髪の女性とも違う第三者の咆哮と共に黄金の西洋剣による凶刃は食い止められた。


 そこには、赤い閃光を携えた佐久奈がいた。


「佐久奈……なんでお前がここに」

「逃げて!!」


 ここからでは顔は見えない。だがその声はまるで咎めるように尖っていた。

 血のように赤い槍を持った、今はまだ部活をやっているはずのいとう佐久奈さくなが黄金の剣と拮抗する。


「だが佐久奈……」

「逃げろって言ってんだよ……!!」

「っ――」


 『逃げなければ殺す』。

 血走った眼はそう告げていた。


「また始めたんだろ人助け、だったら守ることを優先しろ! 守るために惣介は戻ってきたんだ。また殺したくないなら傍を離れるな!!」


 そうだ。

 やっぱりそうだ。

 そうでなければいけないはずだったのに、どうして俺はこんなところにいる。

 佐久奈は助けてくれる。だったら、今は最優先に行うべきことがあるだろう。それをするべきだ。


「ありがとう佐久奈……死ぬなよ」

「死ぬ気で生きるよ」


 佐久奈に背を向けて、俺はその場を走り去った。

 守らなければいけない者の元へ。

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