七月 七日―Remember
眼前には暗闇。
何もない、ただ虚無的に広がるだけの無意味な暗黒。動いているかも分からない手足は決して何も捉えられず、あるかどうかも分からない空中をかき乱すだけ。暗中模索とはまさにこの時が相応しい。
前後左右は全て不覚。進んでいる方角がどこかも分からずただ意識を前へ、前へと進めていく。すると、光はないが、確かにそこに道が見えた。その道をしばらく歩いていると闇の先端に光が見えた。靄がかかってその光の中身は見えないが、そう、確か一年前の今日の光景だ。
なんだか無性にそれが気になって、どうしてもそれを確かめたくなって、俺は闇をかき分けて淡く光る記憶へと駆け出した。
――七夕?
そう言えば、今日は七夕だったな。一年前のこの日、何年振りかに、星空に祈ったことはここにはっきりと覚えている。しかし、それを誰と祈ったのか、何を祈ったのかは覚えていない。しかし確実なことは、その祈りが叶わなかったということだ。
どこから持ってきたのか、笹に短冊を吊るす俺の姿が見えた。
隣にいる誰かと楽しそうに談笑しながら。
隣にいるのは誰だ? 顔は見えるのに、何故か思い出せない。見たことはあるはずなのに、喉の奥まで出かかっているのに決して思い出そうとはしてくれない。
隣にいる誰かも短冊に何かを書いた。俺が何を書いたのかと問うと、少女は恥ずかしそうにそれを隠した。見たらぶっ飛ばす、みたいな冗談で俺を脅しながら、少女はその短冊を笹に吊るした。
――そうか、少女。確か人間で、女の子で、俺よりも背が小さい。
だが、誰だったかは思い出せない。
俺の体は、幾ら前へ進んでも、光に手が届く距離にまでは絶対に辿り着けなかった。
あともう少し、あと少しで手が届く。
否、届くはずもない……と、どうしてか、俺は自分自身を嘲笑した。その感情がどこから生まれてきたものかは分からなかった。
そこで、光は消えた。
光が消えて、闇が記憶を覆い隠す。だが目は見える。さっきまでの何もない闇とは違う、俺の記憶の中の真っ暗な部分。今の記憶が正だとすれば、これは負。思い出したくはないはずの
――ロープ?
少女の吊るしていたものは何だったか?
あんなに笑顔で、あんなに楽しそうに、あれほどまでに希望に満ち溢れていたはずだった少女がその次に世界に吊るしたものは――
そrhあ――あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――!!
「 」
頭が、割れる。
これ以上前に進めば俺は、壊れてしまう。闇がこの世のあらゆる責め苦となって、俺の心臓を抉り出そうとして躍起になる。
ダメだ、思い出してはいけない。
後ろへ一歩、引き下がる。
記憶に背を向けて、過去を棄てて、それでも尚みっともなく縋り続けた。
「――――――ッ!! ……はァ、はぁ」
ここは、家か。
どうやら眠っていたようだ。息は絶え絶えで、動機はシャレにならないくらいに激しく鳴っている。さっきの夢のせいだろうか。
「あんな悪趣味な夢もあったもんだ……夢くらいもっといいものを見させてくれてもいいだろうに」
誰に聞かせる訳でもなく、俺は悪態を吐いた。まあ、強いて言えば神様に、か。
「そうだ、アイツは――
「起きていますよ」
「――――――」
既に限界まで高鳴っていた心臓が、一瞬止まったかに思えた。
カーテンの開いた窓から差し込む月光が、純白の肌を照らし出す。月明かりの中に降る雪のように、軽薄な存在の少女がそこにいた。
その動作一つ一つが、小さな鈴の音を思わせる。
その瞳はどんなに高級な黒真珠よりも美しい。
何より、触れれば消えるその儚さが、どんな存在、どんな概念よりも尊く感じた。
雪の中から一人はぐれた儚い少女は、少しだけ不機嫌そうに布団の上で座っていた。
心臓の鼓動が脳にまで響く。心が締め付けられるような感覚がして、思考は蕩けて、きっと俺は、この少女に見とれていた。
「なんで、逃げてくれなかったんですか」
その声で、俺は我に返った。
そういえばさっき、そんなことを言っていたことを思い出す。
「助けないといけないからな。アンタのことを」
「な――それは、一体どういう神経でそのような訳の分からないことを」
「ああ、分からない。どうしてかは分からない。だがまあ少なくとも、アンタはここにいた方がいいんじゃないか? 誰に追われているかは知らないが、あんな派手に吹っ飛ばされたんだ。痛手を負った状態で戦えるような相手じゃないんだろ。だったらこの家を隠れ家、もとい盾にして療養するのが一番いい」
「どうして、この家が一番いいんですか?」
簡単なことだ。
前にも一度同じことがあった。だからそれなりのモノは揃っている。さっきの夢の中でそれを思い出したのだ。そこから先は真っ暗なままだが。
「アンタが欲しいのは魔力だろ」
「な、貴方一体何者ですか。事情を知るものにしては、こう、平凡すぎると言いますかなんというか」
「まあ、今も昔も一般人だからな。魔術師なんて危ないことはやっていない。ただ、そのサポートをすることはできる。例えば、そうだな……これとか」
そう言って、俺は用意していた段ボール箱の中から袋を取り出した。輸血パックにも似たそれは、文字通り赤い液体がくべられていた。それは血液であって似て非なるもの。厳密に言えば人間の血液だが。
魔術師は空気中の『マナ』から魔力を生成する、というのが一般的らしいが、それはあまりに手間で、時間がかかるし頭が痛くなる。だが、人間の血肉を魔力に変換することができると分かり、魔術師達は人を襲い始めたという。それを抑制するために作られたのがこれだ。魔力を生成する際に効率よく多量の魔力を得る為に作られた魔力パック、とでも言っておこうか。
「なるほど……理解しました。ではもう一つ質問を、目的はなんですか?」
「ない」
「なるほどなるほど――は!?」
「いや、ないこともない。そうだな、アンタが元気に生きてくれていればそれでいい。これが俺の目的だ」
「し、信用しかねますね。これではボクがあなたを信用するに足る要素が少なすぎます」
確かに、何の見返りもなく尽くされているだけでは後で何か請求されるかもしれないという心配もあるだろう。
「そう言われても、アンタからもらうモノは何もない。あったとしても人として口に出すことはできないものだ。どちらにせよ、信用できないのなら俺を殺せばいい。俺がいなくてもこの家にあるもがあればアンタにとってはそれで問題ないはずだ」
「そんな、こと言うのは反則ですよ!! 分かりました……ではお言葉に甘えさせていただきます。そのかわり、変なことしたら殺しますからね」
どうやらハッタリがきいたようだ。渋々、な顔だったが受け入れてもらえたのならそれでいい。
ああ、これで、これでようやく守ることができる。
一体いつから、夢見ていたのか。どれだけ血反吐を吐き続けたか。だがこれでようやく、俺の願いは叶うのだ。
「そういえば、アンタの名前は?」
「ああ――ボクは、ボクの名前は
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