Journey of memory
七月 七日―夕方
突然だが、俺の名前は
周りを山に囲まれた窪地に位置する『
さて、俺は今とても困っていることがある。まあ……成績やらなんやら困っていることなんて常にあるのだが、それは置いといて。しかしてそんな些細な問題を一気に吹っ飛ばすくらいには強烈に困ったこと。正しくは俺だけが困る、というよりもみんなが困っているであろう事象。
まず最初に断っておくが、今日は七月七日。夏に入り始めとは名ばかりの早めの猛暑で俺たちを苦しめる悪の権化が降臨する季節だ。俺は地球温暖化というものを決して許さない。エアコンは使うが。まあ、つまり暑いはずなのだ。
学校の帰り道、肌を焼こうとしてやまない無駄に明るい夕焼けと格闘しながら今日も家に帰るはずだった。
――だがしかし、雪が降っていた。
「は――?」
一体どうやったらこんな素っ頓狂な声で驚く以外の反応ができようか。
今日の晩御飯のことを考えながら下駄箱で靴を履き替えていたらざわつく生徒の声が聞こえ、何があったのかと急いで外に出てみるとこれだ。
だが、ざわざわとしていた生徒達も次第に落ち着き、これはこれで涼しいからアリだろ。みたいな雰囲気になってきて、そう言えば四月にどこかで雹が降ったとかなんとかいうニュースを思い出して、こんなこともあるんだぁ……という雰囲気になって、最終的には何事もなかったかのようにみんな帰っていった。
なんとまあ順応力の高いことか。能天気とも言えるだろうが。まあそれだけこの街、『霧雨丘』が平和だということの証拠なのだが。
かくいう俺もその能天気な一人であることに変わりはないし、この異常気象、一時のオアシスとして受け入れよう。
さて、早くしないと某教育テレビの大きいお友達向け女児向けアニメの再放送が始まってしまう。帰ろう、俺は既に積もり始めた雪の上を歩いて校門の外へ出た。
――撤回だ。
何がオアシスだ。よくよく考えてみればこの季節の制服と言えば言わずもがな夏服、半袖だ。
とっても寒い。
暑い夏に雪が降って涼しいなんて生易しいものではなく、もう比喩でもなんでもなく肌を裂いてきそうな豪雪が恐ろしくてたまらない。凍傷なんてシャレにならない。
さてどうしたものか。走って帰りたいのはやまやまだが、アスファルトの上は車が通ったことで雪が中途半端に溶けて滑りやすくなってしまっている。この上を走ったらどうなるか……考えるまでもない。
俺はこの異常気象を予報してくれなかった気象予報士とアメダスを絶対に許さない。
とにかく、もう少しで家に着く。あと少し我慢すれば温かい毛布が待っている。幸い、まだ押入れの奥にはしまい込んでいないはずだ。
あともう少し、そんな感情に背中を押され、俺は少しだけ歩を速めた。
「……?」
そこでもし、違和感を感じていなかったら、そこで物語は終わっていただろう。
なんとなく何かがあるのを感じて、俺は電信柱の下で足を止めた。凍え死にそうで仕方がなくて早く家に帰りたい思いが支配する思考の中で感じた違和感、きっとそれだけ大切なもののはずだが、そこには何もない。何かが落ちているわけでもなく――
――降っていた豪雪を、一瞬全て吹き飛ばすほどの勢いで飛来したソレは、電信柱に衝突し、くの字に折れ曲がった。ずるずると下に降りていき、血塗れになりながらもそれは未だ微かな声で項垂れていた。
「な――――」
少女の死に体。
どう考えても背中が折れていた。そんな状況で生きているのも馬鹿馬鹿しいが、生きていたのだ。虚ろに、どこも見ていないかのように視線を泳がせて、こちらを見た。
雪――だと、最初にそう感じた。
そっと手に触れただけでも溶けてしまいそうな儚い存在。人の温かさに触れるだけでこの世から簡単に消えてしまう軽薄な概念。一面に降りしきるどんな雪よりも美しくて真っ白い。そんな少女が、息絶えようとしている。それを目の前にして、これからやるべきことをいちいち口に出すのも馬鹿馬鹿しい。
ああそうだ、呆けている場合ではない。
助ける以外の選択肢は存在しない。
俺は消防隊員や救急隊員ではないから、死にかけの人間に対する延命処置の方法なんて知りもしないが、とにかくなるべく優しく少女を抱え、すぐそこまで見えている家に向かう。人をかかえて歩いたおかげで冷えた体が少しだけ温まった。
玄関のカギを開け、中に入る。廊下に少女を寝かせて奥へ向かう。何をすればいいのかは分からない。だがとにかくまずは毛布だ。適当に毛布を持ってきて少女の体を包んでやる。時期相応の風通しのよさそうな紺色のTシャツにキュロットスカート。毛布との間から垣間見える色白の素肌は緊張感を蕩けさせる麻薬となる。
「――――」
そんな邪念を何とか振り払い、落ち着いてよく見てみれば、年端もいかない小学生くらいの少女だった。一体何がどうなれば小学生が砲弾並に吹っ飛ばされることになるのか。
いや、そんなことを考えている場合ではない、幸い血は出ていない。あれだけの衝撃でか細い少女の肢体がどうにもなっていないことは違和感の塊だったが、考えるのは後だ。
と、少女を寝かせる為の布団と背中を冷す為の氷の準備をしようと立ち上がったとき、少女の口から声が聞こえた。
「に――げ、て」
掠れ声は、その感情が籠った言葉を更に悲痛に彩った。
「まだ無理をするな、今すぐ――」
「逃げて、ください……!! 今すぐ私から離れて……!! これはっ、あなたのような一般人が関わっていい問題では――な、い」
まるで殺人鬼にでも追われているかのようにそう訴えた少女は、最後の力を使い切りこと切れた。すーすー、と寝息を立てて眠っている。
「逃げろ、か」
どこかで聞いた台詞のように思えた。
怖気づいたか? ――まさか。
一瞬、助けなければこのまま平和に暮らせたはずだと心の中で声が聞こえた。確かにその通りだ。少女の必死の形相は嘘でもなんでもなく、俺を危険に巻き込むまいという感情の表れ。
だが振り払う。
ああ、何故か俺は、この少女を守らなければいけないという気になっている。あまりに急な出来事に感覚が麻痺している、のかもしれないが、それでも、心の中にほんの一瞬だけ浮き出た恐怖は今となっては空気に溶けてなくなっていた。
盲目的でも問題ない。何故か俺はそうしなければならない。ただそれだけの話だ。
「よし、これで大丈夫だ。そしてごめんなさい」
少女を布団に寝かせてやる。
先に謝っておいて、服を脱がせて背中を確認したが特に目立った外傷もなく、触れれば折れてしまいそうな色白で、雪のようなその肢体は、見ていると思考を狂わせる。
我に返り自分の頬を引っ叩いた。一体何をやっているんだ俺は。あ、胸とかその下とかは見てません本当です。
今日俺が寝る場所は床の上となった訳だが、まあいいだろう。素ではなく絨毯が敷いてあるからまだマシだ。まあ、この少女のことはこれでいい。色々あって忘れていたが、飯を食わなくてはいけないことを思い出し、俺は台所へ向かった………………
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