第34話 胸騒

エールの女王・マリアが停戦を呼びかけ、それが放心となった城内は慌ただしかった。


 昼夜とわず謁見を申し出てくる連中(これまでさんざん摂政に尻尾を振っていた家臣たちだ)の対応をしつつ、ループレヒトとの詰めの協議もおこなう。


 侍女としてのエイシスはすっかりやることがなく、マリアとちゃんと話すこともままならない。


 彼女は眠るために部屋に帰ってくる、という感じだった。いや、すでに意識の半ばは眠ってしまっているだろう。


 あわただしくせわしない。それでもエールは新たな道を歩みつつあることを、エイシスは感じていた。


 しかし一方で胸騒ぎを覚えていた。


 ギデオンのことだ。


「……失礼します」


 エイシスはジクムントたち・銀牙隊が詰めた部屋に足を運んだ。


 カルメ焼きとティーセットを準備して。


「皆様、おつかれさまでございます」


 どうやら隊員たちは警備計画の検討をしていたらしい。城の見取り図がテーブルに広げられている。


「……少し、いいですか」


 ジクムントは同僚たちに「少し出てくる」といいおいて、背中をそっと押すように促す。


 庭園に面した回廊まで歩く。


 途中、銀牙隊ではない、全体的にすさんだ雰囲気の兵士の集団とすれ違った。


 あれは国境より引いてきた兵士たち。全員、何かにうちひしがれたようで全体に覇気が無く、表情も兜でしれない。


 何度か見ているが、馴れるということがない。


 和平といっても事実上の敗戦だ。


 城下町にだせば民情に影響するという判断で臨時の宿舎で彼らは寝泊まりをしつつ、警備をしている。


 一方、気力体力充実し、てきぱきという動きが似合っているのは銀牙隊の面々。


 これまでは縁の下の力持ちを自認していた近衛軍がようやくマリアの信任を得られ、名実ともに近衛軍の威光を取り戻したのだ。


 誰もが自分たちに脚光があたっていることに充実し、表情にはこれまでの陰りを払拭するかのような笑顔が輝く。


「何かあったのか?」


 ジクムントの眉間に皺が寄った。


「違うの、何ともないわ。みんな、平和がくるってすごく喜んでるわ」


「お前は違うのか」


「……こんなこと、仕事の邪魔をしてまで言うことじゃないって分かってる」


 ジクムントは、めざとくエイシスの目のなかにある憂いを見抜いた。


「……そうじゃなくて。不安っていうか、なんていうか……」


 胸元に拳を握る。


「何でもいえ、俺に黙ってることはない」


 ジクムントが微笑を見せてくれると、やっぱり自然と勇気づけられる。力がもらえる気がした。


「摂政がこのまま黙ってみてるのかって、ずっと不安なの」


 ルリオナにも話してみたが、もうあの男に出来ることはないと言われた。


 そう、それは分かる。でも、マリアを差し置いて好き勝手やってきた男が急にしおらしく、すべては陛下のままに……と殊勝なことを言うのを額面通りに受け取っていいはずがないとも思った。


 エイシスは胸にあるものを、ジクムントに打ち明けた。


 ジクムントはそれをそっと受け止めてくれる。


「あいつだって、摂政だ。とち狂わないかぎり何も起こすはずがない。すでに大勢は決しているんだ。

あいつが何をしようが、今回のことはすでに国同士の決めごととして動いてる。エールでどれだけ権力を握っていようが、今更なにかかできるとは思えない。

侍医が出入りしているようだし」


「病気なの?」


「さあな、さすがに摂政を監視するわけにはいかないが、まあ、侍医の出入りは頻繁らしい。あれだけのイベント好きが、ずっと部屋に引きこもっているんだから、仮病でもないんだろう。

あいつの取り巻き連中も今じゃ、食いっぱぐれるのを恐れて城を逃げちまった。あいつはもう本当に独りなんだ」


「そっか。……そうよね」


「仮に何があっても、安心しろ、お前は俺が守る」


「……ありがとう。でも、私じゃなくて陛下を」


 すると、茶褐色の瞳か力強い光が失せ、乱暴に髪をかきあげると、ひどく雑に言う。


「そんなのはダードルフに任せておけ。あいつの命まで責任はもたない」


 もてない、ではなく。


「お前はもう十分にやった。あいつをその気にさせられただけでも勲章ものだ。もう、これ以上、無理をするな。

……それでお前に何が合ったら俺は、この国を許さないからな」


 真一文字に引き結ばれた唇と、手すりをつかむ逞しい手。


 そして目のなかに鋭い光が浮かんだ。


 黒狼――。


 唐突にブレネジア最強の軍人が目の前にたちあらわれたようで、ぞくりとしてしまう。


 しかし怖さとは違う。それだけ大きな闘気があふれ出てのだ。


「……分かってる」


「良い子だ」


 髪をそっとすくいあげられた。彼の大きく、無骨な指に髪が通されるのが、エイシスは好きだった。


 剣を握れば柄まで鮮血に染めても尚、戦いつづけられる武人の手が今、自分を壊れ物のように扱うところがすこしおかしかった。


「どうした?」


「……ううん」


 どんな装飾をつけた高級な櫛でも、こんな心地よさとは無縁だろう。


「まあ俺のほうでもギデオンには注意を払っておく。心配するな」


「ありがとう」


「本当は、お前にはもう国へ帰って欲しいところだがな」


「ちゃんとすべてが収まるまでは、陛下の侍女として……見守りたい」


「……お前ってやつは」


 ジクムントは苦笑する。まあ、わかりきっていたことだがな――と小さくうなずいてもくれる。


「そうだ、これを」


「え」


 差し出されのは短剣だった。鞘や柄のところに宝石があたえられ、精度の高い装飾は匠の技であることが窺える。

 短剣なのにまるで美術品のようだった。


「俺が、はじめて武勲を挙げた時、陛下より直々に賜ったものだ」


「そうなの……」


「これをお前に、預ける」


「えっ、ダメよ、そんなも大切なもの、預かれないっ」


「――お前のそばにずっといたい」


 どくん……と鼓動が跳ねた。


「だが、今はそれも叶わない。だからこれを俺の代わりにもっていて欲しい。この剣は俺だ。お前のもとにあるかぎり、俺の心もまたお前に寄り添っていてやれる。たとえ、身体は離ればなれでも……」


 かすかに頬が赤らんでいた。


「もしお前が俺の命というべきその剣をもっていてくれれば、きっとどんな状況でも俺たちは再会できる。だから……預かっていてくれ、俺の命は……お前のものだ」


「分かったわ」


 短剣はその装飾どおり、ずしりと重たかった。


 エイシスはジクムントにあらためて礼を述べ、マリアの部屋へ戻っていった。


                    ■■


「はああああっ……」


 魂すらでてしまいそうな深い溜息をあげたマリアはベッドに倒れ込んだ。


「あ、陛下、おぐしがっ!」


 エイシスは言うが、マリアは「いいんですわ」とぼんやりした声を漏らす。


 今は髪をとかしている最中だった。


 もうほとんどまぶたが落ちかかっている。


「陛下、それではお休みくださいませ」


「いえ、まだ寝ないわ」


「ですが」


 寝ない、という声もろれつが怪しい。


「まだあなたと話もしていないわ。……あなたとはもう、ずいぶんとまともに口を利いていない、でしょう。最後に話したのは……いつ……?」


「なんだかんだ、寝る前は少しお話をしていますが」


「……あれは、夢ではなかったのねえ」


「仕方がありません。お忙しいですから」


「忙しさにかまけ、周囲を見られないようでは、また以前のわたくしに戻ってしそうで……」


 マリアが手を握ってくる。エイシスはすぐに笑顔と共に手を握り返す。


「ご安心を、陛下は何もかわられていません。

変わられていないからこそ、今もこうしてエールのために働いていらっしゃるではありませんか。

以前の陛下もループレヒト様を拉致してまで状況をかえようとされた……。

今と何が違いますか? 

変わったのは状況です。陛下に逆らっていた障壁がなくなり、宮廷の風通しはとてもよくなったと思います……新参者が何をと仰せかもしれませんが」


「あなたは……」


 マリアは可憐な口元を弛めた。


 その時、ノックがした。


「はい?」


 こんな夜更けに誰だろうと懐におさめた短剣を確認しつつ多少、警戒しつつ歩みを進める。


 なにせ、昼間、不安に駆られてジクムントに相談したばかりなのだから。


「し、失礼いたしますっ!」


 エイシスが応対に出ると、


「キリフくん!?」


「あ、エイシスさん……。どうも、銀牙隊のキリフであります! 銀牙隊より派遣されて参りました。陛下と銀牙隊の連絡役であります!」


 小さな身体に緊張感を漲らせ、キリフが声を張った。


「あら、……可愛らしい衛兵ね」


 マリアは目を擦りながらつぶやく。


「よろしくお願いしますっ!」


 きっと、ジクムントのようなだいの男だと物々しすぎるという判断だろう。


 愛らしい衛士の登場に、エイシスとマリアはくすりと笑えた。


(何事もなく、すべてが終わって欲しい……)


                       ■■


 数刻後――。


 あと半刻ほどで日がのぼろうという時間帯、夜明け前のもっとも暗いそのしじまを粉々に打ち砕く地響きが王城を襲った。

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魔法遣いの一族に生まれながら、出来損ないの私が恋したのは残虐な黒狼将軍でした 魚谷 @URYO

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