第33話 反撃

「……これでよろしいでしょうか?」


 エイシスはおそるおそる尋ねる。


 マリアは鏡で髪をチェックし、「ばっちりだわ!」と笑った。


「日々の訓練の成果、ということね」


 今、マリアはいつになく豪奢な飾りのついたドレス姿で、裾は床を擦るほどに長い。まるで神話にでてくるマーメイドを思わせた。

 とびっきり情熱的な。


「今日というにふさわしい髪型だわ」


 マリアはうっとりてほほえんだ。


「あの……」


「?」


「本当に私もついていってよろしんでしょうか。これから――」


「エイシス。あなたのお陰でわたくしはこうして戦争を止める決心ができたのですわよ? その功労者であるあなたがいなくてはどうしますの。

あなたには是非、わたくしと共にいてほしいの」


「はいっ」


「それでいいんですわ」


 マリアの部屋を抜け、居間に出る。


 銀牙隊の隊長のダードルフが夜会の時の正装姿で背筋を伸ばし、主君を出迎える。


「ダードルフ、待たせてしまいましたわね」


「いえっ」


 ダードルフの背後には、副官のサリスとジクムントの姿もあった。


「今日はエールにとって記念すべき日になるでしょう。不毛な戦いに終止符をうつ……。わたくしが、打つ」


 マリアは自分に言い聞かせるようにつぶやくと、先導をつとめるダードルフに続いて部屋を出た。


 城内の最深部、マリアの住まう領域はいつにない厳戒態勢で、廊下に居並ぶ面々は銀牙隊の精鋭たちである。

 それだけマリアの身近に危険が忍び寄る可能性が高い、ということでもあった。


 ルリオナはどこにいったのか。


 3バカたちはすっかりマリアの覇気に飲まれて、口をつぐんでいた。


 エイシスも全身に痛いくらいの緊張を感じており、いつも歩いているはずの廊下であるはずなのにとても息苦しい。


 向かうは、戦争遂行会議の部屋である。


 マリアが到着すると、扉の前に控える兵士たちの手によって扉が開かれた。


 議場へ入るのはマリアをはじめ、ダードルフ、そしてエイシスである。


 エイシスは場違いさを感じたが、マリアの侍女として胸を張って部屋に入る。


 背後で、ズシンと重たげに扉が閉まった。


 長いテーブル、上座から睥睨するそこに居並ぶのは摂政のギデオンをはじめとする軍の高官たちだ。


 誰もが突然の招集に不安を隠しきれないようだった。


「――陛下、この場にダードルフはともかく、侍女を同席させるとは」


 高官の一人が口を開いた。


「わたくしが誰をつれてこようとわたくしの勝手よ」


「しかし先例に反します。ここにいていいのは……」


「会議をはじめましょう」


 しかしマリアはそれを真っ向から無視した。


「――みな、よく集まってくれました。

議題は一つ。わたくしの名をもってはじめられた戦争を、わたくしの手で、終わらせます」


 高官たちがざわめき、誰もが摂政を見る。

 そんな話は聞いていないという疑心がありありと浮かんでいた。


「しかし陛下、そんなことができるのですか?」

「負けを認めるしかないではありませんか」

「そうなれば、我が国はおしまいだっ!」


 ギデオンがすかさず切り込めば、そうだそうだと他の軍の重鎮たちも追従する。


(ホントに嫌な奴ら……)


 エイシスは不快感に下唇をきゅっと噛みしめた。


 こんなにっちもさっちも動かない戦況の最中、まだ血を求めようというなんて。


 それもその泥沼にすすんでつっこんでいたのは自分たちだというのに。


 しかしそれらの不満の声をマリアはすべて受け入れた。


「みなの不安は分かっています。しかし……それに関しては安心してちょうだい。我々には大切な仲介者がいます」


 マリアが合図を出すと、扉が開けられた。


 現れたのは、ルリオナを従えたループレヒトだった。


 ずっと酒を飲んでいたとは思えない、落ち着きと気品があった。


 そのあたりの立ち振る舞いはさすがはと思わせる。


「ループレヒト殿、これまでの非礼、お許しを。なにぶん、ごたごたしておりまして」


「問題ありません。私こそ滞在中、城中のワインを飲んでしまったかもしれません」


「そんなもの……。平和にさえなればいつでも作れますわ」


「そうでしたね」


「――陛下、この方こそ今回の戦いを終わらせられぬ一因ではっ!?」


 和やかに進む会話にギデオンが割って入る。


「お忘れですか、我々はブレネジアの仲介の使者を拉致したのです。よもや、和平など」


「ご安心を。我々としてもエールとの全面戦争はもとより回避したいのです。改めて停戦の議をここでおこないましょう。

できうるかぎり、その条件を呑みます」


「そんなことが……?」


 ギデオンはおそるおそる尋ねる。これまでの横柄さや、権力者としての余裕がそこにはなかった。


「マリア様とであれば、可能だと考えます」


 ループレヒトの発言に、場がざわつく。


 マリアであれば――というところが、事実上、他の人間との交渉はしないと宣言したも同然だった。


 それは摂政への牽制にほかならない。


「エール王国の王として和平の案はすでにループレヒト殿に渡してあります。

大きくは三つ。

撤兵。そしエールとブレネジアとの貿易に関する決めごと。そして恒久的な同盟。

できるかぎり、対等な形で。詰めは役人に任せることなりましょが、三つの大方針は変わりません」


「ほ、本当に、こんな……ことが可能なのですか、ループレヒト殿っ」


 ギデオンは配られた和平案に目を通すなり、声をあげた。その声はかすかに震える。


「何度も申すとおり、ブレネジアとエールは長い対立の歴史をこれより少しずつ精算していくのです。無論、このたびの賠償金などの支払いはお願いすることになりましょうが、それ以上、あなたがたの不利になるようなきつい要求をするつもりはありません」


「な、何か裏があるのでは!?」


「摂政。すでに、わたくしは決めたのですっ」


 なおも食い下がろうするギデオンに、マリアはぴしゃりと言った。王の風格に、ギデオンは反駁することができないようで、俯く。


 議場での均衡はすでに、マリアに傾いていた。


「みなにはあらゆることで事後承諾という形とをとってはしまいましたけれど、あなたがたは、わたくしを支える臣下としてどうか、賛同してもらいたいの。

そうでなければ命が命として尊重されぬ戦が延々とつづくことになってしまう……」


「――もし、この案で、い、いくのなら、賛成でございますっ」


 しばらくの沈黙を挟み、軍高官の一人が口を開く。


「陛下に、お任せいたしますっ」


「わ、わたしもそう愚考いたしますっ!」


 馬車に乗り遅れまいと次々と賛成の声が上がった。


「ギデオン、あなたもよろしいですわね?」


「……陛下がお決めになられたことですから」


 ギデオンはうなずいた。


 すでに彼は孤立している。


「賛同してもらえて嬉しいかぎりです。――では、解散です。みなにはこれからもやってもらわなければならないことが山積みです。迅速におこなえるよう準備を怠らず」


「ははっ」


 臣下たちの礼を受け、裾をさばいてマリアは議場を出た。


 議場を出て、背後で扉が締まる。エイシスは、和やかに話し合うマリアと兄とを見つめる。


 と、ループレヒトが振り返り、目が合う。


「……わざわざ政まつりごとの舞台に侍女を連れていかれるとは想いもよりませんでした」


(兄上!?)


 エイシスとしてはループレヒトが、彼女は自分の妹だと言いそうで気が気でない。


「彼女は特別なの」


 マリアは自慢げに胸を張った。


「特別?」


 ループレビとは微笑する。


「この子がいなければ、わたくしは今日の決断をしなかったでしょう。猜疑心に苛まれ、自滅していたでしょう。わたくしはそう、それほど追いつめられていた……」


「あなたが急に交渉を、と言われた時には驚きましたが、そうだったのですね。私もこれで面目があります。監禁されつづけた甲斐があったというものです」


「側仕えの者に心を動かされて……とお笑いになって?」


「彼女は侍女かもしれないが、同時にこの国の民の一人でもある。彼女に心を動かされるということはあなたはまだ、君主として健全ということです。これからもそういう君主であってもらいたいものです。ブレネジア、エール両国のために」


「もちろんですとも」


                        ■■


 マリアが退出したあとの議場……。


 そこには張り詰めた空気がみなぎっていた。


「――摂政殿」


 ギデオンは自分の頭越しにすでに、何もかもが決まろうとしていることに怒りで身体が震えた。


「お前たち、よくも……」


 ギデオンの視線に、高官たちがそろいも揃って目を背けた。中には苦々しい顔でギデオンを見下ろすヤツまでいる。


「これはすでに決まったことというではありませんか」


「そうですっ、摂政殿とのて陛下に否やは唱えなかったではないか」


「我々にのみ責任があるわけではないでしょうっ」


 これまでさんざん、甘い汁を吸わせてやった恩情も忘れ、逃げるように議場を出て行った。


「…………」


 ギデオンだけが一人、取り残される形になった。


 ブレネジアとの和平を果たすのは自分の役目だ。マリアを人身御供に、新制エールを率いる夢――。


 だが、このままではその構想はすべて崩れる。


 小娘の提案によれば、マリアの後見人としてブレネジアの国王があり、お互いの結束を強める――などといっているが、要はブレネジアの力を背景にしたマリアを支えるということだ。


 マリアは当然、ギデオンの精力を削るだろう。そして自分はただの“王族”の一人になってしまう。


 宮廷で自分は誰からもかえりみられることもなくなる。


「そ、そんなこと……そんなこと……っ!」


 提案書をくしゃくしゃに握りし、びりびりに引き裂いた。それでも胸に兆した鬱憤は消えるものではない。


 夜会では老いも若きも目を、心を奪われるいぶし銀の面貌は怒りのあまり赤黒い。


「許すものか、許すものかっ! 王は俺だ。あんな小娘ごとき、すべてを任せてなるものかっ! 俺が勝つ、最後に笑うのはこの俺だッ!!」


 のろいのこもった毒を吐きちらした。

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