第32話 決意

 午後、仕事に慣れ始めてからだいぶ時間の使い方をおぼえられたおかげか、こうしてぽっかりと何もしない時間ができるようになった。


 エイシスは自分の部屋にいて、窓から練兵場を見ていた。


 そこでは銀牙隊の面々が実践的な訓練に及んでいる。


 エイシスであればそれだけで身がすくんでしまいそうになる勇ましいかけ声と共に、ジクムントめがけ隊員たちが模擬剣で打ちかかってはいなされ、それでも打ちかかる。


(……銀牙隊は、陛下に忠節を尽くしてる)


 食堂やその他の場所でジクムントに睨まれない程度に他の隊員と話すようになって、それは分かった。


 そうでなければ、戦場に出る予定などないはずなのに、来る日来る日も泥だらけになりながら厳しい訓練に向かうはずなどない。


 エイシスの心はすでに、銀牙隊はマリアに対して忠実であるという答えを弾き出していた。


(でも……)


 心に引っかかっているのはダードルフのこと。彼と最近、会い続けている摂政ギデオンのこと。


 相手はこの国で二番目の権威をもつ、摂政。


 拒むことができるはずはないが、マリアはそれをどう見のだろう。


 エイシスはマリアとの約束通り、一度、彼女のもとへ戻ろうと部屋を出た。


 頭の中はやっぱりダードルフのつかみ所のない性格について考えつづけている。


「おや、また会ったな」


「――こ、これは」


 うつむき気味に考えていたせいで角でぶつかりあいそうになるのを、ギデオンにそっとかばわれたのだ。


 周囲を、彼の私兵が守っている。


「も、申し訳ありません、前をよく見ておらず……ほ、本当に、ご無礼を……っ!」


「いや、構わん。きみは、陛下の侍女だろう。こちらへ来ているというのは本当のことだったのだね。

しかし、陛下は一体どうしたというのだろう。突然、侍女を……。きみは、お気に入りのように思っていたのだが」


「……陛下は近衛軍を、銀牙隊を非常に大切に思っておりますので、わたくしめを派遣してくださったのです」


「そうだったか。私は陛下が内にこもりすぎるあまり、自分の兵に興味がないとばかり思ったが、なるほど……きみがいうのだから本当かもしれん。

どうかね、こちらは? 女性だけではなかなか辛いのでは?」


「いえ。みなさん、親切にしていただけていますので」


「それは良いことだ。ダードルフは私の頼りとする軍でも指折りの将軍だ。……困ったことがあれば彼に頼るがいい」


 まるでエイシスごしに、マリアの心を揺さぶろうとするかのごとき、言葉だった。


「ありがとうございます」


「これからどこへ?」


「……陛下のもとへ」


「そうか、陛下によろしくと伝えてくれ」


「畏まりました」


 去って行くギデオンを、頭を深く垂らして見送る。


 ギデオンはともかく、その取り巻きである私兵たちの眼差しに薄ら寒いものを感じないわけにはいかなかった。


 エイシスは足早に官舎を出た。


 久しぶりに戻ってくる王宮は懐かしくさえあった。


「陛下、失礼いたします」


 部屋を訪問すると、マリアがお茶を飲んでいた。そばには3バカは終わらず、ルリオナがいるばかり。


「よく戻って来たわね、さあ、こちらにおかけなさい」


 ぱっと笑顔を弾けさせたマリアが手招きしてくれる。それだけエイシスの心は弾んだ。


「ずいぶんと、離れていたように思えたわ」


「いえ、たった一週間ちょっとです」


 マリアはルリオナに視線を送ると、彼女は目礼をして部屋を出た。


 エイシスはマリアに席を勧められ、恐れ多い気持ちになる。


「構いませんわ、わたくしが良いと言っているのだから」


「は、はい……っ」


 恐懼しながら、同席をする。


「あなたの働きぶりはルリオナから聞いていましたわ。ずいぶん、大変でしたわね」


「いえ、私めなどの苦労など……。ほとんど頑張っていたのはメイドの方々ですから。私はそのお手伝いをしただけで」


「まあ、エイシスならそう言うと思っていたわ」


 にこりとほほえみ、紅茶を飲む。


「――それで、銀牙隊は、あなたから見て?」


 来た、とエイシスは膝の上に置いた手を握りしめる。


「銀牙隊の人々は、信用がおけると思います」


「ジクムントも同じ意見?」


「はい」


 しかしマリアの青い瞳のなかに懐疑の念はそれで晴れるというものではない。


「あなたも知っていると思うけれど、門田はダードルフ、ですわ。――最近、やたらとギデオンと会っているようですわね」


「で、ですが、それは摂政様が御自ら出向いていることでして……だからといってダードルフ様がどうというわけでは……」


「どこまで信用できるか……はなはだ疑問、ですわね」


「陛下、私はこう考えます。これだけあからさまに会う、ということはそれだけ、周囲にそれを見せつけたいと摂政様が思っているということではないんでしょうか。

ひいては銀牙隊はまだ陛下への忠節を忘れていないということでは……?」


「どうかしら。わたくしと摂政、どちらにつくかよいか、まだ値踏みをしているのかも。今ごろ、摂政の陣営に鞍替えしても、安く見られるだけですもの」


 鋭い眼差しに、声がつかえてしまう。


 しかしマリアの眼差しはそれだけ彼女が焦っていることに他ならない。


 マリアも、銀牙隊にかけていた想いはそれだけ大きいのだ。


 それでも、ここまで色々と探り、もうこれ以上は人の心をのぞき込む魔法でもつかわないかぎり、何もわかりはしない。


 このまま時間が過ぎれば、どんどんマリア側に不利に働いてしまうだけ。それだけ宮廷でのギデオンの精力は大きい。


 まるで女王たるマリアが間借りしているかのようといっても決して言い過ぎではない。


 宮廷がそういう風に動いているのだ。


 いつまでも人の心をおもんぱかるのではなく、一度、大きく踏み込まなければならない時がある。


 相手が信用しているか否かではなく、こちらが信用していることをはっきりと告げるべきだと。


 政治もなにも分からないけれど、それでも相手に信頼されたときのうれしさは知っている。


 この人は私の味方だと思ってくれるうれしさを、エイシスは知っている。


 兄たちが、エイシスの味方だったことがどれだけ嬉しかったか。


 もしあの時、エイシスが姉たちのように自分を虐げる存在だと兄たちのことを見ていたら――もっと、内にこもっていたら……?


 今のような関係は築けなかっただろう。


「――陛下」


「何?」


「ダードルフ様に会い、はっきり味方になってくれるよう告げるべきですっ」


 みるみるマリアの貌が怪訝なものに変わる。何を言っているのかが信じられないかのように。


「疑えばキリがありません。しかし、一度信じてしまえば、お心はきっと安らぐはずです」


「……裏切り裏切られが宮廷ですわよ。あなたの住んでいる場所のように誰もが牧歌的はないの」


「たしかにそうなのかもしれません……。ここでの生活は田舎よりもずっと早く、あっという間です。

しかし人は人です。このまま誰も信じなければ、では一体誰が味方についてくれるというのですか。陛下は私のように怪しいものを侍女にしてくださったではありませんか。摂政様の手のものだとは思わなかったのですか……?」


 思わず声が大きくなり、マリアもそれに少し驚いたようだった。煙るほどに長い睫毛に縁取られた青い瞳が見開かれる。


「私が陛下に信じていただいたと分かったとき、とても嬉しかったです。同じように、ダードルフ様も、その瞬間を待ち望んでおられるはずです」


「――もし、違っていたら?」


 マリアはカップをソーサーに置く。


「もし、ギデオンの仲間になりさがっていたとしたら? わたくしは敵の懐にとびこむことになってしまうわ」


「もし、そうだったら……どこへでも逃げましょう、私がお供いたします」


「あなた……」


 マリアは冗談を言ったものだと思って笑うが、エイシスの真面目な顔に口元から笑いが消えた。


「田舎娘は強いんですっ。どこへでもお供しますっ」


 もう一度。強く。


「だから、ご自分で信じることをやめないでください。たとえこれまでがそうでも……。今、だけ、いえ、今日からは」


 宮廷を知らない田舎娘が何をと笑われ、遠ざけられることは覚悟の内だった。


 …………。


 耳が痛くなるような重たい沈黙が部屋に降り積もる。


 それはまるで溶けない雪のように積もり続け、息苦しさを覚えるほど。


「海が、みたいですわね」


「え?」


「一緒に、逃げるのならば、海が」


「荒れた海、ですか?」


 マリアは毛先を撫でながらつぶやく。


「いいえ、穏やかなかつて、わたくしが見るはずだった海……」


「はい! よろこんで、どこまでも……」


 マリアは微笑んだ。


「それから、あなたにも謝らなければならないわ。わたくし、あなたをルリオナに言って監視させていたの。あなたが、ギデオンの身内ではないかを最後まで払拭できなかったから。

……失望させてしまった?」


 エイシスは首を横に振った。


「陛下は私に銀牙隊を見てくるよう重大な仕事を任せてくださったではありませんか」


「ルリオナも信じてはいないから……。

わたくしはあなたが無害である証拠なんでどうでもよくって……。あの晩、あなたのその首飾りを見て、あなたを信じてみようと、わたくし自身の運をかけてみたの。今回のことも、そう。

どうして急にそんなことをしようと思ったのか今、思い返しても分からないけれど……気まぐれでしかないわ。

きっとあなたのように怪しい人物だと最初から分かっているであれば、裏切られてもわたくしがバカだったと諦められるから、と今から考えればそうだったかもしれませんわね。

とても臆病だった。

本気で信じたら裏切られ絶望してしまう――そんな気持ちでわたくしはあなたの話を聞いていたんですのよ?」


 自嘲の笑みがよぎる。


 エイシスとほとんど年の変わらない立場で、国のいただきに立ち、自分のいる場所がいつ崩れるかしれない薄氷はくひょうの上だと自覚し、それでも女王と傲然ごうぜんとしていなければならない宿命を背負っている――。


「陛下、参りましょう。善は急げと申します」


 すぐに《こし》の準備がされ、エイシスをはじめ、兵士たちが銀牙隊の官舎へ向かった。


 3バカが今頃現れるなり、「何です、これは!?」「陛下、どうされたのですか」「ちょ、ちょっ……お待ちをぉぉぉぉ!」と騒ぐのも無視した。


 その時はまだ銀牙隊からギデオンが帰っていなかったようだったが、マリアは気にしなかった。


「……陛下、これはいったい、何事……ですか」


 先触れも出さない訪問など前代未聞で、官舎にいたダードルフ、ギデオンたちが何事かと表に慌てたように出てくる。


 理知的ですべてを把握していると言いたげな落ち着いたギデオンさえ、やや唖然としているのは滅多にみられるものではないはずだ。


 また訓練に励んでいた銀牙隊の面々が集まり、誰に言われるともなく整列する。


 突然の訪問は、多くの観衆を意図せず集める結果になってしまう。


 それでも輿こしから出てくるマリアは威風堂々として女王の顔をしていた。


「急にすまないわね。でも、あなたに言っておかなくてはならないことができたから。

――銀牙隊隊長、ダードルフ」


「ははっ!」


 しずしずとダードルフが歩みを進めてくる。


「あなたは、近衛軍……わたくしの、盾の要かなめ、ですわ。王族ではなく、国ではなく、わたくし……女王を守る、そうですわよね」


「はっ」


「わたくしはあなたを信じます」


 それはこれまで信じてこなかったという宣言に他ならない。


「今日より、わたくしを守るのはあなたと、銀牙隊をおいて他にはないと信じます。わたくしはこれまであなたを失望させてきたでしょう。

でも、今日まで銀牙隊を支えてくれた。わたくしはその事実と功績を信じます」


「陛下っ」


 ダードルフが口を開く。

 その目は見開かれ、差し込んだ日差しのせいか、その目はかすかに潤んで見え、声はかすかに震えている。


「……身命をもって陛下のおそばを守ることをあらためて、ここに誓いたく……っ!」


「ええ、存分に腕をふるうよう。――ギデオン」


「あ、はっ……」


 すでに呆けたような顔をするギデオンが進み出た。


「もう戦は終わりにしましょう」


「な、何を! 今の状況で終われるはずがありません! こちらは、ブレネジアの使者を誘拐しているんですぞ!? 陛下、あなたが……」


 マリアはゆっくりとギデオンを制する。


「すべてわたくしに任せなさい。

戦争の一切の責任はわたくしがとります。それよりも私が優先するのはこれ以上、あなた方の身勝手さに国民を巻き込まないこと。

それさえ果たせればわたくしはブレネジアの要求通り、どのような処罰も受ける覚悟はできていますっ。

ダードルフ、あなたたちを信じるといっておきながら、このような女王ですけれど、これからも頼みます」


「陛下の決断こそ、我らが仰ぐべき指針っ」


「では、ギデオン、あなたはすぐに会議を招集なさい。この無益な戦の片付けを算段するといたしますわよ」


 マリアはそう言うと、ギデオンの返答など聞かず、輿を動かすように命じた。


「――エイシス、そばにいる?」


「あ、はい……」


 輿で移動しながら、御簾の向こうからマリアが呼びかけてきた。


「あそこまでされるとは……」


 エイシス自身、驚きに言葉がなかなか浮かばない。


「――ギデオンに邪魔はされるわけにはいかないから。やるならば、いっきにやってしまわないと……。

これでもう、引き下がることはできないわ」


 その言葉には彼女の強い決意が秘められていた。

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