第31話 日々
「ケリー、しっかり!」
「――エイシス様、も、もう、私はダメ……でございます……」
エイシスに抱き留められたケリーはマスクごし、くぐもった呻きをあげる。少しまぶたが重たげな目は潤んでいる。身体が震えていた。
エイシスはその手を握るが、返してくる力は弱い。
「大丈夫、大丈夫だからねっ、もうすぐ応援がくるわ、だからそれまで……」
「え、えいし……す……さ、ま……」
ケリーは腕の中でぐったりと意識を失った。
「ケリーーーーーーーーーーーっ!!!」
「ジョアンナぁっ」
さらに別の方向から、悲鳴にも似た声が上がった。
応援にきたメイドたちにケリーの看護を託してゆっくりと立ち上がった。
(なんて、相手なの……)
エイシスはぐっと下唇を噛み、自分たちのまえに立ちはだかった恐ろしい敵をもう一度見やる。
籐とうで編まれた籠いっぱいの、
洗濯物――。
百戦錬磨の手練れ《メイド》たちをここまで呆気なく職務放棄、いや、昏倒こんとうさせてしまうなんて……。
(甘く見ていたかもしれない、わね)
さすがは男所帯。
マスクなんて飾りでしかない。それほどに、一日中、訓練によって汗やもろもろの体液によって醸造された煮汁は強烈。
しかし、やらなければならない。
「いくわよ、みんなっ」
エイシスは残存勢力を集め、叱咤する。
「は、はい……っ!」
エイシスが飛び出すや、それに続いてメイドたちも山盛りの洗濯物めがけ、勝利を信じて突貫していった。
■■
「――そういうわけで、みんなで手分けして作業を終えられて、朝から初めて終わったのが昼過ぎ。途中で、気を失ってた子も戦線に復帰してくれたから、それだけですんだのよ」
「……へえ、大変でだったんですね、エイシス様」
キリフが感心したようにうなる。
ここは近衛軍・銀牙隊の官舎の中の事務室。といっても事務員はキリムの他、サリスしかいない。
彼女の目を盗んで接触したわけである。
そして今、世間話として、今朝体験した“洗濯地獄”を語っていたのだった。
「でも大変でしたね。僕、想像するだけでぞくぞくしちゃいます……」
言いつつ、無処理の伝票をペララララ……と捲る。
「でもキリムくんがこんなおっきな仕事おを入隊直後からやってるなんて知らなかった。今じゃ、サリスさんから仕事を安心して任せてもらえてるんでしょ?」
「僕は別に事務員になりたいと思ったわけじゃないんですけど……。先輩に強くて賢い未来の大将軍にないたいんですっ!」
キリフは拳を握って宣言した。
「……そ、そうだったんだ」
しかしキリムがどう努力しても、あの眼光だけで人を殺しかねない黒狼になるには至難の業だろう。
残念ながら人にはそれぞれ適正がある。同じことをしても同じようになるわけじゃない。
それをエイシスは、魔法の素養ということで痛感した。
今だって、あれ以来、魔法らしいものは一切、使うことができないまま。今ではあれはまぐれなのだと確信してしまっている。
「ところで、キリフくん。サリスさんはどう? 良くしてもらえてる……?」
「すっごく頭が良い人だと思います。暗算も速くて、間違いなんて、ズバシ!って感じてすぐに指摘されちゃって。厳しいけど、優しい人です」
キリフは算術盤をいじくる。
「ねえ、キリフからくんから見て、銀牙隊は皇帝陛下に忠誠を誓っていると思う?」
「……僕、この頃、ずっとここで数字でにらめっこですから。先輩に聞いた方がいいと思う、けど……」
「そんなことないわ。それだっておなじ空間にいるんだし。日々、働いている場所だって違うんだから、キリフくんにしか見えてない景色があると思うの」
「先輩には?」
「私は、キリフくんの考えが知りたいの。ジークにも聞くけどね」
「僕は……あると思います」
「どうしてそう思うの?」
「えっと……毎日、みなさん、すっごく厳しい訓練をしてますし、隊長さんはなんだかんだ一人一人の隊員のことを見てるなぁって」
「見てる?」
「僕に“おめえがきてから仕事の滞りが少なくて助かってるって。剣はアホでも持てるが算術ってのは才能だからな”って」
「へえ」
エイシスは思わず関心の声をあげた。
失礼は承知だが、とてもあの隊長がそこまで目が行き届いているとは思わなかったのだ。
もちろん、キリフの動きは副隊長づてに届くだろうが、銀牙隊は数百人もいる。
その上、キリフは新人。
ジクムントほどの際だった活躍もない。
そんなキリフにわざわざ声をかけるということは、日々、隊員の動向を注視し気を遣っている、ということに他ならない。
実際、キリフはとても嬉しそうだった。
それを見ているだけで、まるで自分が褒められたような気持ちになる。
(見た目ほど、ずぼらな人じゃないのね)
そうであれば当然、自分たちに対する陛下の目も敏感にかんじているだろう。
(でも、それでいて、最近、摂政のギデオンと頻繁に会ってるのは……?)
自分たちをこれまでないがしろにしてきた陛下へのあてつけだろうか……。
「隊長さんがイメージとぜんぜん違う人だってことは分かったけど、それが陛下への忠誠心とどうつながるの?」
「もし、忠誠心がなかったらたぶん、こんなに毎日、粛々と仕事なんてできないと思うんです。
国境では別の部隊が戦ってる。銀牙隊に与えられているのは女王様を守る大切なお役目――なのに、その上様からまともにお言葉をかけてもらえる機会なんてない……。
僕だったらこれだけ色々、あなたのために忠節を尽くしてるんですって言ってるのに、肝心の女王様が見て見ぬフリじゃちょっと寂しいです。
……僕がブレネジアの養成学校にいたときに、一度だけ陛下のお目通りがあったんです。そしたら普段はクールな同窓生まで少し興奮してるみたいで。お祭り騒ぎじゃないですけど、いつも以上に気合いが入ってるっていうのが分かったんです。
それって、陛下にご覧いただけることがとっても光栄なことだっ、恥はかかせられないって思うから、ですよね? それって忠誠心ってことなんじゃないんですか。
でもエール《ここ》は違う。僕が隊長と同じ立場だったら腐っちゃうかやめてるか、だと思うんです。こんなに忠誠を誓ってるのにとうの相手がまったく見て見ぬふりなんですから。
あは。ごめんなさい、うまく言えなくて」
エイシスは首を横に振った。
「そんなことない。すごくわかりやすかった。
ちゃんとキリフくん、見てるんじゃない」
「先輩には勝てませんけど」
「そんなことないわ。ジークと同じくらい、キリフくんも見てるし、考えてる。じゃなかったら今みたいな意見だってあるはずないもの」
「……はい」
「じゃ、またくるね」
「はいっ! エイシス様……僕がこんなこと言うの、おかしいかもしれませんけど、隊長のこと、よろしくお願いします。女の王様にちゃんと伝わるようにしてくださいっ!」
キリフは頭を下げ、エイシスを見送った。
(よし、私もキリフくんに負けないようにがんばらないと。私は陛下マリアの目となり耳にならなきゃいけないんだから)
というわけで、お次の仕事は食堂での料理作り。
調理のほうは本格メイドさんたちに任せるわけだから、エイシスがやるのは、ズバリ人海戦術が活きる野菜の下ごしらえ。
しかし厨房に顔をだして愕然とする。
数百人分の食事なのだから当然だが、あちらこちらにうずたかく積まれた野菜野菜、また野菜……。
これは今日一日どころか、夕飯時にまで終わらせられるのかと絶望しそうになってしまう。
ぎりぎりのところで心を踏ん張り、黙々と皮を剥く。
人参、ジャガイモ、サヤエンドウ、ごぼう……。
皮をむきたきゃここにこい!っていうぐらい剥いた。
終わったあとは手首がとてつもなくだるかった。
その頃、調理場は今が最高潮を迎えていた。
ちょうど自分の仕事がなくなったから、サポートくらいは、と思ったのが運の尽き。
普段はおしとやかなメイドさんたちが、
「そこぉ! お湯、吹いちゃってるよ! 差し水差し水!」「あ、はい!」
「ちょっと私のオタマつかってんの、誰!?」「私です、すいません!」
「調味料は規定の場所に置く!」「ご、ごめんなさい……!」
ちなみに後半のセリフはすべて、エイシスである。
完全にお荷物。
(やっぱり数日くらい手伝った程度じゃ、ぜーんぜん、だめ……みたいっ)
料理のうまい下手ではなく、大人数の料理をいかに効率的に迅速に仕上げるか、こっちのほうが何倍も大切だということを痛感した。
それからどうにかこうにか時間内で料理を仕上げれば、夕食の時間、どっと銀牙隊の面々が食堂になだれをうってくる。
シャワーを浴びて着るととはいえ、さすがに男のにおいがたちまち広がった。
ここでもエイシスは働く。寝こけてはいられない。
「みなさん、訓練、おつかれさまです。さあ、どうぞ」
笑顔をみせながら、配膳をやっていく。
あとで全員分いきわたりませんでしたということがないように規定のお玉に規定分いれていく。
「エイシスちゃん、もっといれてくれよ」
「俺にジャガイモもう半分、いや、四分の一……っ!」
「俺もう腹ぺこで死にそうなんだよぉう、もう気持ち一杯、入れて。頼むよぉぉう」
「だ め で す」
ここはどれだけ心を動かされても、ダメの一点張りでバリケードを張らざるをえない。
「どうぞ……これ」
「大丈夫、顔色、悪いぞ」
顔をあげると、ジクムントだった。
「あ、うん、平気平気。ぜんぜん、大丈夫っ」
「……少しは休め、お前はこういう力仕事には剥かない」
「失礼しちゃう。私だってお母さんの屋敷にいたときにはすっごく動いてたんだから」
「とにかくこんなことしてないでさっさと休めれより休め。……じゃなかったら無理矢理、連れてく」
ジクムントの過保護さが爆発しそうになった直後、
「そこ! 官舎の外にまで行列をつくる気かい!?」
元々、厨房を担当しているおばちゃんの声がとんだ。
「あ、はい! すいませんっ!!」
少し話しただけでも長蛇の列が出来てしまっていた。
ジクムントは渋々、列を離れていった。
「ごめんなさい、今、盛りまーすっ!!」
そうして笑顔で、配膳をこなす。
全員が食べ始めてからも、年季の入ったヤカを手に全員に水を振る舞う。
「ねえねえ、エイシスちゃあん、今度俺にもお菓子つくってくれよぉ」
「ハイハイ! 俺にもーっ!」
「分かりました、甘いものでよろしければいつでも……」
というところで、菓子が欲しいと騒いだ隊員のすぐ近くの壁にフォークが突き刺さった。
「……っと、申し訳ありません、先輩」
これみよがしにギラリと殺意をためこんだ底光りする眼光を向け、フォークをとりに来たのはジクムント。
それまでちゃらけていた隊員たちが一斉に、俯いてしまう。
「あ、あの……?」
「水は俺たちが勝手にやる」
「あっ」
「俺たちは貴族じゃない。喉がかわきゃ勝手にやるっ」
だからお前はさっさと帰れ、と言外にぷんぷんにおわし、ヤカンをとられてしまう。
「大丈夫です、これも私の大切なおしごと――」
しかしとろうとすると、ジクムントはジャンプしても届かない高さにヤカンをもちあげる。そればかりか、ニヤニヤと口元をかすかにほころばせる。
「ちょ、ちょっと! ジーク、あ、遊ばないで!」
本気で悲鳴をあげたその時、ちょいちょいと裾を引っ張られる。
振り返ると、顔の長い隊員がこっそりとした調子で話しかけてくる。
「なーなーエイシスちゃん、こいつと知り合い? 前にも、エイシスちゃんのことで、こいつブチ切れて大変だったんだけど。今だって、すっごく、仲よさそうだけど。息が合ってるっていうか……もしかして」
(今のは、ただ、イジワルされてるだけだと思いますけど!)
とはいうものの――。
「え、えっとぉ……」
しまったと思ったが遅い。ついついいつものノリで、ジクムントと接してしまった。
エイシスの素性を知っているのはダードルフとサリスくらいだ。
思わず、目が泳いでしまう。
「先輩。そういえば今日は訓練の時、打ち込みが甘かったですよ? どうです、俺が個別指導しましょうか」
顔長かおなが先輩の肩にそっと手を置いたジクムントはにっこりと笑顔で噛んで含めるように言えば、
「……っ!!?」
男は顔面蒼白になり飯を高速でかっこめば、「ごっそさぁぁぁぁあん!」と逃げるように食堂を出て行ってしまう。
「……帰ります」
これ以上、ここでいるとジクムントが魔神にでも変身してしまいそうな不穏当な気配をびんびんに感じずてしまう。。
周囲の隊員たちの咀嚼速度が目に見えて上がったことは、無関係ではあるまい。
たのしたのしい食事の時間は、緊張感漂うぴりぴりムードへとたちまち変貌してしまった。
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