第30話 挨拶
「お初にお目にかかります。エイシス・リアドレと申します。本日より、銀牙隊のお世話をするため、参りました。短い間ですが、よろしくお願いいたします」
軍の本営の前にある広場。
目の前に何百人といる近衛軍・銀牙隊の面々に向かって、エイシスが深々と頭を下げれば、男たちの地響きをつくりだすような歓声が轟き渡った。
「エイシスちゃああああん!」
「よっろしくううぅぅぅぅぅぅ!」
「かわいいーっ! こっちむいてえええええ!」
まるで学生を彷彿とさせる盛り上がり。
エイシスはその迫力に驚くあまり、言葉がうまくでない。
「くぅぅっぉおらああああああああああああああ、やめんかあああああああああああああ、こんんのぉぉ、野ザルどもおおおおぉおっぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉおぉっぉぉ……っ!!」
そこへ稲妻でも落ちたと思われんばかりの絶叫がかぶさり、すべてをたちまち飲み込み、なぎ倒し、どこかへと連れ去っていった。
銀牙隊の隊長、ダードルフの一喝であった。
……しん、と場が静まりかえる。
「こちらのエイシス嬢は、恐れ多くも陛下の侍女であらせられる。陛下が我ら銀牙隊の人手不足を憂い、幾人かのメイドとともに遣わしてくださった。
もしエイシス嬢に何かがあれば、連帯責任! 全員、俺がその首をかっきり、陛下にお詫び申し上げるため、俺も割腹するっ! いいなっ!!」
全員が表情をこわばらせたまま、踵を合わせた。
「解散!
――エイシス嬢、申し訳ない、驚かせてしまいましたな」
「いえ……あの、……はい」
「まあ、当然。男所帯ですからな。何かとご不便をかけるかもしれませんが、その際は、このサリスになんなりとお申し付けください」
ダードルフの背後に控えていた夜会で見た女性が一歩、前に出てくる。
「部屋は近衛軍の本営のなかに用意させました。ワシもいますし、サリスも。夜はご安心を。何者かが夜這いにやってきてもその首をちぎっては投げ、ちぎっては投げと……」
サリスが咳払いする。
「おっと、申し訳ない。ワシも荒くれ者の一人でして。案内はサリスに。頼んだぞ」
「かしこまりました」
ダードルフがいなくなると、圧迫感がかなり減って思わずホッとしてしまう。
存在感がありすぎる人、というのは、やっぱりいるらしい。
「私の部屋へ。お茶でも」
「あ、いえ、お構いなく。わたくしは陛下より皆様のお世話を承っておりますので……」
「大丈夫です。これから大仕事が待っていますからね、今回はご挨拶がてら」
サリスはにこりと微笑んで、リードしてくれる。
先ほどまで一切、表情のなかった顔に浮かんが笑顔はずっと素敵だった。
やっぱり同じ女性ということもあって安心度はダードルフよりも高い。
部屋へ案内されると、サリスはカモミールティーを出してくれる。
サリスの部屋はこぢんまりとしてどちらかといえば事務所という印象が強いが、小物や食器などに女性らしさが散見される。
インク壺やペーパーウェイトはそれぞれ猫の形をしているし、壁に貼られているスケジュールをメモした紙はネコの足の形をしている――指の部分に日付を、手の平部分に用件を書く、という感じだ。
そして差し出されたティーカップの持ち手が伸びをしたネコ。
こうして見ると、随所に女性、というより、女の子らしさがあった。
思わずくすりとしてしまう。
「ありがとうございます。……おいしいです」
「何かあればいつでも相談を」
「ありがとうございます」
「それにしても、女性が軍人でおられるなんてはじめて知りました。それも副官……だなんて。すごいですね」
「すべては隊長のおかげです」
「ダードルフさんの?」
「はい。他の部隊では未来永劫、ありえないことでしょう。
ですが、隊長はバカ共をまとめなきゃならんから異例ずくめでちょうど良いと仰って……」
ダードルフのことを話すサリフの表情はまるで父親を慕うかのように誇らしさが見える。
「サリスさん、一つ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「どうして、軍人に……? あの、軍人さんはとても大切な仕事だとは思うんですが」
「父が軍人で、子どもは私一人でしたので。父の背中をいつも見て育ってきました。……軍というのはとても大変だけれど、良いところなのだと、そう思ったんです。
実際は苦労のほうが多すぎるほどですが、しかしそれ以上に充実感もあります。
――しかし私からしますと、王城へ忍び込んでまで陛下のお側で働きたいというエイシス様のほうがよっぽどすごいですけれど」
「エイシスでいいです。ここでは二人きりの女同士、ですから」
「それじゃ私のこともサリスと。
では、エイシス。あなたのほうがよっぽど無鉄砲というか、向こう見ず、というか」
「……あのときは、夢中でした。その、ジクムントとは同郷で。彼を……その……探しに来まして。陛下のお側にいれば、何か分かるかもという、当時からすればおそれおおいんですけれど」
「愛、ですね」
「あ、いえ……っ」
エイシスは頬を染めた。
「とても、あの、侍女になったのは不純な動機で……」
「ですが、今はしっかりそのお役目を務められておりますよね。陛下にも気に入られて」
「……いえ」
「そこまで情熱的になれる男性ひとがいて、一人の女として羨ましくあります。
――と、プライベートはここでとしましょう。
あなたにやってもらいたいのは、まあ、主に雑用になるかと思います。食事作りに洗濯など……です」
「はい、陛下はそのために私を。といっても、主な仕事は他のメイドさんたちのほうがうまいかと思います。私は陛下と銀牙隊の連絡役、のようなものと思ってください。もちろん、お仕事もしますが」
「分かりました」
と、扉をノックする音がした。
「入りなさい」
「失礼します」
現れたのはジクムントだった。
「彼に、こちらの施設の紹介をしてもらいます。ジクムント。頼んだわよ」
「はっ」
エイシスはサリスに挨拶を述べ、ジクムントと一緒に部屋を出た。
「……怒ってる?」
エイシスはジクムントの横顔を眺めて言った。
「別に」
明らかに怒っている、というより、不機嫌といったほうがいいかもしれない。
もともとこうしたエイシスの行動に、ジクムントは賛成ではなかった。
あの夜会のあと、
――エイシス、軍のことは俺に任せろ
――ジーク、あなたのことは信頼してる。でも、陛下に直に伝える人が必要なの。
――だったらルリオナでいいだろうが
――ルリオナさんには他の仕事があるわ。
――お前、マリア《あいつ》に洗脳でもされたか?
――ジーク! そんな言い方はやめて。あの方は……
――危険は俺の役目だ、お前は……
――私は陛下のためにやれることはやりたいの。
喧嘩、ではないが、言い争って和解せず別れ、今日会うことになってしまった。
「――エイシス、潜入に大切なことがある」
「……何?」
「入れ込みすぎるな。俺たちの仕えるべき陛下は他にいるんだ。――深入りは身を滅ぼす」
彼の目にはエイシスがマリアに心酔しているとうつっているのだろう。
(それは違うんだよ、ジーク)
しかしマリアに対する感情をどう説明するべきか。
彼女の憂い、そしてこのままではいけない、変えたいという想い、それでいながら宮廷ではギデオンになすすべない己の無力さにうちひしがれるマリアを前に、助けたいという気持ちが強すぎることも自覚している。
「ありがとう、でも大丈夫だから」
「俺が大丈夫じゃない……っ」
ジクムントは足を止めると、振り返る。
その表情は苦しげだった。
ジクムントが手首をつかんでくる。
「ジーク」
エイシスは彼のごつごつした手の甲に優しく手を重ねた。
手首を掴む力が緩むのが分かった。
「ジークは、銀牙隊の隊長さんが、エールの剣であり盾である。だが、剣も盾も、自分だけで動くことは出来ない、って言ってたって教えてくれたでしょ。
でもその言葉だけじゃ、陛下は身も心もすべて任せることは、できない……疑心暗鬼になってしまわれて、どうしようもないって言うべきかもしれない」
ジクムントの瞳にはエイシスをたしなめたそうな感情がよぎったが、彼は結局それを口にはしなかった。
「ジークはダードルフさんが本当に陛下を、あの言葉通り、守ってくれると思う……?」
「あのときはそう思ったが……今は、腹の底はわからない。豪快なだけの男かと思えばそうじゃない。もしかしたらギデオンとすでに通じてる可能性だってある。実際ここのところ、ギデオンがちょくちょく尋ねてもきてるしな、あの夜会からだ」
「……そう」
しかし銀牙隊以外、頼れないのも確かだ。
「私は私なりに調べてみるわ。それで、もし……銀牙隊ここがダメだったら、あなたの指示に従う。それまでは、お願い……」
「一つ条件がある」
「何?」
「あんまり、紛らわしいことはするな」
「紛らわしい……? え、何?」
エイシスは小首をかしげた。
思い当たることがあるもなにも、どういうことなのかがまったく分からなかった。
子どもっぽくジクムントはぶすっとしたまま、そっぽを向く。
「やってただろう、……菓子」
「菓子……? あ、カルメ焼きのこと? あれは衛士えじさんたちがずっと立ったままで大変だったから……。
ジークは甘いもの好きだったっけ? だったら、今度つくるわ。簡単よ、アレは――」
「そうじゃない。お前に好かれてるって勘違いするやつがいたぞ。気をつけろ」
「……好かれるっていうのは」
「お前がそいつに惚れてるってことだ」
「え!」
「お前の優しいところは美点だが、相手を見てからしろ。さもないと災いを自分から招くことになる」
ジクムントの言葉がつっけんどんだった。
「……あ、うん……」
(妬いてくれてるのかな……?)
しかしそんなことを聞いたらますます不機嫌になってしまうのは目に見えている。
「気をつける」
「そうしろ」
そうしてくれ、と言ってくれたら、可愛げもあるのに……。
ジクムントはもう興味ないと言わんばかりにさっさと歩き出した。
「ま、待って」
エイシスは置いてけぼりにされないために駆け足にならなければならなかった。
■■
「――侍女殿は」
「エイシスは、良い子ですね。純真で、無垢で。少々、暴走しすぎなところもあるとは思いますが」
サリスは報告のために隊長室へ足を運んでいた。
「エイシス? もう親しくなったか、こりゃ、結構結構、がっはっはっは!」
「隊長、真剣に聞いてください」
「真剣に、喜んどるよ」
「……陛下が我々を監視してることは明らかです。エイシスは、お目付役、というところでしょう」
「それでメイドが常駐してくれるというのならこちらは歓迎だなっ。
――気に入らん顔だな、ギデオンに同心しろか? もしそうしたら、毎食、レストランで食えるかもなぁ。がっはっはっは!」
「そんなことは申していません! 陛下に弁明を。我々は陛下と共にあると……」
「五年くらい前に言っていれば、陛下はうなずいたであろう」
「遅すぎ、だと?」
「陛下自身が我々を信じなければ意味がないということだ」
「あの夜会での謁見では不十分だったのでしょうか」
「あんなものは型どおりの挨拶と受け取られるだけさ。――しかし、お目付役を送ってきたということだけでも多少は、無視から興味、に変わったのかもしれん」
これまでマリアは近衛軍をいないものとして扱った。いや、近衛軍だけではない。自分の周りにいるもの、すべて、十把一絡げに摂政に属する敵だと。
少しでも心を許せばたちまち自分が食われる――と。
「……陛下をあれほど頑なにしてしまったのは我々だ」
ダードルフは自省と共につぶやいた。
「だから荒療治が必要だ、多少は」
「もしそれで、陛下が……追いつめられたら……?」
「ギデオンが王になり、戦争は終結する。陛下の首と共に……」
「その時、我々は?」
「さあな。今から求人票でも探しておくか? にらむな、冗談だ、がっはっはっはっ!」
そこへ、兵士が、ギデオンの来訪を告げた。
摂政として軍事に関して講釈をという名文で彼は来ていた。
「分かった、すぐに向かうと伝えてくれ」
「隊長、これでは逆効果です。こんなあからさまに摂政と会われては……」
「知っとるか? ワシはな、ロマンチストなんだ。いかないでと泣きつかれたら、それを振り払うことはできんのよ」
「陛下はそのようなことはなさらないと思いますが?」
「まあ、蹴りの一発でもケツにいれてくださり、わたくしに従いなさいと言われてもいいぞっ!」
「…………」
「ちょっと冗談だ」
「ちょっとでは困ります」
サリスはげっそりとした顔をする。
「……ほら、いくぞ。摂政を待たせてはならん。一応、あれも王族で、国を思っている」
「みずからの失態を糊塗ことするために、国と姪を引き替えにするほどに」
サリスの皮肉に、ダードルフはにやりと笑うだけだった。
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