第29話 夜会

 ジクムントは、上下黒の軍服に、肩章、飾緒しょくしょ、装飾帯サッシュを身につけ、いつも以上に精悍な出で立ちだった。


 細身で筋肉質な彼だからこそ、そのシルエットは美しい。


 列席者の貴族の女性たちも、しきりにジクムントを気にしている者がいる。


 そして、エイシスもまたすっかりその姿に見入っていた。


 そんな彼女の格好はいつもと同じ黒いワンピース姿。


 一方、主催者であるマリアは華やかな深紅の肩が丸出しになっているストラップドレス姿という奇抜さ。


 長い金髪を巻き上げ、頭の上でまとめ、真珠つきの髪飾りで彩る。


 ドレスはスカート部分にたっぷりと布地をつかい、幾重ものヒダをつくっている姿はまるで人魚だ。


 他にも指輪やネックレス、それにイヤリングと、大粒の宝石で身を固め、総重量はどれほどになるのだろうと、なぜだかエイシスのほうが心配になってきてしまう。


 東の大陸から渡ってたというクジャクの羽をつかった扇をゆるやかに動かしながら、クリスタルで出来たシャンデリアが輝きつつ照らす会場を、マリアは眺める。


 ここには黄金で出来た燭台や壁飾り、また椅子やテーブルには花柄を模した金細工がいたるところに備えられている。


 通称、黄金の間。


 そこに百人を越す貴族や貴族婦人、また軍の高官の姿もある。


 誰もが年若い女王の情熱的な姿に溜息を禁じ得ないようだった。


 マリアは傲然と顎をそびやかし、人々の前に出る。


 それまでの話し声がぴたりとやんで、水を打ったように静かになる。


「みな、よく集まってくれました。

こうしてわたくしどもが平和を楽しんでいる間も、はるか西の国境では父祖の御世からの宿敵であるブレネジアとの戦いが進んでおります。

我ら、エールの将兵はこうしている今も戦ってくれています。

血に汚れ、いつか帰る故郷のことを夢にみることでしょう。長い年月をかけながら未だ決着はでておりません。ブレネジアはそれだけの大国であり、強大であります。

しかしエールの民は決して負けることはない。こちらにお集まりにいただいている、エール王家に従う幾万の軍高官、そして藩屏はんぺいであるお歴々もまだおられます。

矢玉はいくらでもある。

わたくしはこうして皆様のことを見ながらそう考えます。

彼かの地で日夜、敵国に強打の一撃をあたえつづけてくれるエールの国民のため、健闘を祈るといたしましょう。

……エールに栄光をっ!」


 かすかな間があいたが、なかなかそれに追随する声はでなかった。


 声にこそ出してはいないが、全員、戸惑いが顔にありありとでている。


 なにせ、女王の口から自分たちも必要となれば将兵として前線に派遣される可能性が示唆されたのだ。


 心穏やかになどできないだろう。


 しかし。


「栄光をっ!」


 凜とした声が響く。摂政の、ギデオンだった。


「え、栄光を」

「栄光を……」

「栄光を!」


 それに追随するように貴族たちがグラスをもちあげ、唱和した。


 マリアはにこりと笑い、踵をかえした。


 王立楽団に合図をすると、さっきの静まりかえった雰囲気を挽回するかのように明るい音楽がかなでられる。


 マリアは段上の北側にもうけられた、壇上に据えられた玉座に座った。


 玉座の左側にある空席の玉座は通常、王妃の座るものだ。


 「……陛下、さきほどのご挨拶は……」


 付き従うエイシスが囁くと、マリアは茶目っ気のある微笑を見せる。


 さっき列席者たちの前でひろうした挨拶は、3バカ侍女が事前に用意したものではない。


 部屋で練習しているのに耳を傾けていたから間違いない。


「今のがわたくしの本心ですわ。……エイシス、見た? 誰もが冷や水をかけられたかのごとく、顔を青くしていたわ。自分たちばかりは血に濡れず、埃もかぶらず、安全な場所で毎日、腹がふくらむほど飲み食いのできる幸福に未来永劫、ひたっていられると考えているのね」


 と、マリアの視線がエイシスの横に立つ、武官に向けられた。


「ジクムント、あなた、男前ね」


「光栄です」


 エイシスの背後からついてきたジクムントが綺麗なお辞儀を返す。


「陛下、炭酸水を」


 エイシスは飲み物を渡す。


「ありがとう」


 それから、ひっきりなしに飾り立てた貴族たちが玉座に近づき、挨拶を述べる。


 マリアは口元だけほころばせ、返礼する。


 そして、そのなかにギデオンもいた。


「陛下、見事なご挨拶でした」


「ありがとう」


「事前に、渡した挨拶のほうは?」


「あんな毒にも薬にもならないよう形ばかりの挨拶では、上のものたちが安寧にかまけたままだと思ったの。少し過激だった?」


「いえ、良い刺激かと。誰もが戦争をしていることになどまったく注意を払っておりませんから。

今のほうが、陛下のこたびの戦争にかける決意というものが強く滲んで素晴らしかったと」


 と、ギデオンの目が、ジクムントに向く。


「陛下は彼を直々に護衛として呼んだとか」


「ええ、わたくしの侍女の知り合いでね。腕も立つというので」


「そのようですね。彼は私の下に誘ったんですよ。近衛隊に骨を埋めるにはあまりに惜しい逸材なのでね」


(え!?)


 初耳のエイシスは思わず、ジクムントを見てしまうが、彼は落ち着き払っている。


「摂政様、申し訳ございません。私はやはり、陛下にお仕えしたいと」


「そうか……。残念だな、いつでもきてくれたまえ。きみならばいつでも歓迎だ」


「ギデオン。パーティーを楽しんでね」


「はい」


 笑顔を交わすと、ギデオンはさっと広間のほうへ戻っていった。


「ジクムント、今のは本当?」


「はい。元々、摂政様に従うつもりはありませんでしたから」


「それは良かった。ギデオンのやつ、少し動揺していたみたいよ」


 ホホホ、とマリアは扇で口元を隠しながら微笑んだ。


 やがて貴族のお歴々の挨拶が終わり、ついで大臣、軍人と続く。


 すべての名前を教えるまでもなく、マリアは把握していた。貴族はともかく、任期が短く、すぐに異動してしまうような軍人まで。


「……陛下、このたびはお招きにあずかり」


 現れたのは恰幅の良い短く刈った短い髪に、あごひげの中年男性だ。


 そのそばにいるのは眼鏡をかけた女性で、軍服をきている。


 男はジクムントと同じ上下黒の軍服に左胸には重たげな勲章をいくつも下げている。


「ダードルフ、よくきてくれました。

あなたのところの兵、お借りしていますよ」


「その男は特に優秀です。陛下のどのようなご用命にも耐えうる力をもっております」


 なかなか大きな声の男だった。


(この人に一喝されちゃったら腰、抜けちゃうかも)


「それは嬉しい限りです。近衛があるからこそ、わたくしたちは安穏としていられる……。今後ともわたくしのため、王家のため、粉骨砕身がんばってください」


「はっ、どのような任務でも命をかけ、近衛隊一同、陛下のために……」


「そう言ってもらえて心強いわ。パーティーを楽しんで」


 ダードルフは踵をあわせ、ジクムントをちらっと見て、去って行く。


「……す、すごい迫力ね」


 エイシスは思わずジクムントに話しかけてしまう。


「ああ、おまけに剣の腕もすごい」


「戦ったの!?」


「入隊するときにな。あいつが試験官だったんだ。まったく馬鹿力だった」


「ジークに一歩も譲らないなんて凄い」


「ああ、化けもんかと思ったぜ」


「――ジクムント」


「はっ」


 マリアは列席者たちになげていた笑みを消す。


「ダードルフはほんとうに信用……いえ、わたくしの命を預けるに足りると……?」


「腹芸ができるようなタイプではありません、部下ながらそう思います」


 ダードルフ。この宮廷で味方になりうるかもしれない、存在。


(味方をつくらなければ、兄上はきっとエールを、陛下マリアを見捨てるかもしれない……)


「陛下」


「どうしたの?」


「私が陛下の目となり耳となり、近衛が、いえ、ダードルフ様がほんとうに信用がおけるか、見てまいります」


 目の端でジクムントが驚いたように目を見開いたのが分かった。


 もちろん、マリアも同じだ。


「ダメよ。ジクムントには申し訳ないけれど、もし、あれが摂政の配下なら……」


 もしそうであれば、マリアは本当に孤立無援になるだろう。


 どのみち、これだけは絶対たしかめなければならないことだ。


「それを確かめるためにも誰か、陛下のそばにいるものが……」


「それがジクムントよ」


「ジークはまだ入隊まもないんです。ダードルフ様にそうそう会いにいけるとは思えません……。それにどのみち、銀牙隊が味方であれば、陛下とのパイプ役が必要になるのではありませんか?」


 マリアはやや目を伏せ、黙考する。


 周囲の華やかさなどまったく目に入っていないかのよう。


 目をあけたとき、発する声は力強かった。


「エイシス、あなたの忠誠心、感謝します。分かりました、すぐに手配しましょう」


「……感謝いたします」


「それはわたくしの言葉よ。あなたがいて、良かったわ」


 マリアはエイシスの手にそっと触れ、にっこりと笑った。


 そんなときでもやっぱりジクムントは苦い顔をしていた。


                          ■■

「あの小娘……っ!」


 ギデオンはパーティーを中座し、部屋に戻るなり、椅子を蹴倒した。


(ジクムントめ。この私がせっかく誘ってやったというのに、あんな小娘につくなんて。

覚えていろ、絶対に後悔させてやるからなっ、私は王になるべき人間だ。あの女にすべての戦争責任を負わせて……、あらたなエールを率いるのだ)


 マリアは必死に足掻き、目には見えないギデオンの頸木くびきから逃れようとしている。


 ギデオンの息のかかった兵士を外し、銀牙隊の兵士を指名したのもそのせいだろう。


 マリアはそれまで形ばかりの関係だった近衛軍との結びつきを強くしようとしている。


 銀牙隊隊長・ダードルフはギデオンも食えないと思うような男だ。


 こちらに靡なびきそうでなびかない。


 ただ敵対もしない。


 近衛という職責を盾に、ギデオンからの勧誘をのらりくらりとかわしつづけている。


 自分たちが少数派として孤立していることは承知の上で。


(銀牙隊が背けば、うまくはいかない……。どうにか、しなければな)

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